8 初めての公務
立妃から一週間ほど、環境の変化に適応するためにしばらくゆっくりさせてもらっていた私は、今日晴れて初の公務に出かけることとなった。
殿下とともに、馬車で王都近郊の町ダーラへと向かう。
王宮から日帰りで行ける距離だそうで、最初の視察先にはもってこいだと、旅程の説明をしてくれた文官は語っていた。
「寝不足か?」
「お恥ずかしい話ですが、仰る通りです。一族の里で生まれ公爵邸で育った私は、実はこういう旅というものをしたことがなかったもので、わくわくして昨晩は寝付きが悪くなってしまい……」
「そうか」と愉快そうに笑う殿下に、私はむっと顔をしかめてみせる。
お出かけに浮かれて寝付けないとか、それを笑われて不機嫌顔になるとか、いずれにしても淑女とは思えない実に子どもじみた行いであることは重々承知だ。
そもそも、これは公務なのだからもっと緊張感を持って然るべきと言われればその通り、ぐうの音も出ない正論なのだけど。
「別に責めているわけではないからな。会うことを楽しみにしてくれていたと知ったなら、民も嬉しく思うだろう」
「……そうですね。楽しみです」
そんなふうに二人でとりとめもなく会話を交わしながら、馬車は快調に道を進んでいった。
車窓の景色が家や店のひしめく賑やかな雰囲気から美しい自然へと移り変わり、そしてまた人家が立ち並ぶ様子が遠目に見えるようになってきた頃。
「両殿下、もうすぐダーラに到着いたします」という騎士の声が聞こえた。
降りればそこには出迎えの人々が大勢いるはずなので、今のうちに私たちは旅で少し崩れた身支度を整えておく。
旅の疲れなど見せるわけにはいかない。
人前に出たその瞬間から、王族の品位を体現していなくてはならないのだ。
「ようこそおいでくださいました、王太子殿下。そして……妃殿下」
領主館の前で慇懃に迎えてくれたのは、この地の領主である。
にこにこと殿下に挨拶をしていた彼が、こちらを向いた瞬間にその目をほんの僅かに眇めたことを私は見逃さなかった。
なるほど、彼もブラン一族に複雑な感情を持つ一人なのだな、と即座に理解する。
今回、私は一族特有の白銀色の髪を隠すこともなく、むしろ目立つように軽くリボンで結ぶ程度にして下ろしていた。
きっちりと結い上げてその上に大きめの帽子でもかぶれば、かつてのように染めることをしなくとも髪を目立たなくすることは容易い。
妃の素性を領主ともあろう人が知らないわけはないけれど、それでも髪が目につかなければそうあからさまな反応をされることはなかったかもしれない。
しかし、それでは意味がない。
一族の嫡女である私が、王太子妃であること。
その事実は隠されるべきものではなく、喧伝されるべきことだ。
王国の王太子と一族の嫡女が、ともに手を携えて公務にあたっている。
その姿を見せていくことが両者の友誼の象徴としての務めなのだと信ずればこそ、私はたとえどんな反応を示されようと殿下の隣に凛と並び立って笑っていなくてはならない。
「歓迎に感謝する。では早速だが、神殿の様子を見に行って良いだろうか」
「もちろんでございます。ですが、先に少しご相談をさせていただいてもよろしいでしょうか」
心底申し訳無さそうに言う領主に殿下は「分かった」と頷き、二人で人気の少ない位置に移動した。
必然的に取り残される形となった私は、とりあえず周囲の状況を伺う。
領主館に勤める者も、この地に住まう民も、みんながみんな私を怯えや嫌悪の滲んだ瞳で見ている。
良くて無関心といったところか。いずれにせよ、殿下に向ける感情とは正反対と言って良い。
どうしたものかなと思案したその時、ひときわ強い風がざあっと吹き抜けた。
舞い上がった髪をぱっと抑えた私だったけれど、それと同時に何か緑色のものが通り抜けた残像を視界の端に捉えてその行き先を反射的に目で追う。
「ああっ! あたしの帽子が!」
群衆の中から聞こえた泣きそうな少女の声とともに見上げた先には、風で巻き上げられた帽子がひらりひらりと漂っていた。




