おまけ。誓いという名の呪い
カーラの従者、クラウドのその後のお話。
やや残念なところは相変わらずなので、更正を期待せずお読みください。
美しい。
この世の何よりも愛しい人の紫紺の瞳から、雫がいくつも落ちてくる。
艶麗な指先が自分の頬へ触れているはずなのに、すでに感覚はなく。鉛の様に重い体は指先1つどころか、呼吸をすることでさえもままならない。
微笑みと共に紡いだはずの心は、果たして言葉になっていたのだろうか。
「あぁ・・・悲しまないでください。私はいつだって貴女様のお傍に―――」
それを自覚したのはいつだったのか。
何度目だったのか。
いつからか、
会わなければならないという、焦燥にかられ。
付き従いたいという、憧憬を抱き。
触れたいという、欲望が渦巻いた。
何度も生を巡っているのだと自覚した時。自分はそれなりに大きな商家の次男という立場で、何不自由ない生活を送っていた。
だが心にはぽっかりと穴が開いていて。たくさんの物、優しい両親、兄弟たちに囲まれていても。いつも、いつまでも心が満たされることはなかった。
ある日、脳裏によぎるその何かを形にしようと、衝動のままに寝る間も惜しんで炭を使い、目につく場所にそれを描いた。
自分が憑りつかれたように描いていたのは黒髪の、ややきつい眼差しの美しい女性だった。
子供の落書きだというのに、それを見た両親は真っ青になって、自分から炭を取り上げ「もう描かないと約束するまで出さない」と真っ暗な部屋へと閉じ込めた。
普通の子供であったなら、きっと泣き叫び、出してくれと懇願しただろう。
しかし自分はそうならなかった。不思議なことに、暗闇が怖くなかったのだ。
そして逆に、あやふやだった何かの、その正体を鮮明にした。
「黒慈の女神」
それが自分の追い求めるものだと悟った。
「黒慈の女神」は平和の象徴だ。そして混乱を嫌い、人の死を嫌う。戦が起きる前に仲裁に現れ、流行り病には救いの手を伸べるらしい。
だが戦争の悲劇を忘れるほどに長く平和は続いていて、「輝白の聖女」によって広められた病の予防法のおかげか、人が大量に死ぬような病が流行ることも生まれてこのかた全くなかった。
かつては稀にその姿を見ることができたという「黒慈の女神」の、その存在さえ神話になりかけていた。
それでも廃れ、忘れ去られなかったのは、ひとえに女神の力の片鱗を示す神殿が存在するからだろう。
その神殿を訪れ、選ばれた者のみが、「黒慈の女神」の加護を得て、精霊と契約することができる。隣国モノクロードの南端にあるというその神殿は、誰しもが一度は訪れてみたいと願う場所だ。
今自分がいる大陸の北端からは、馬車に乗ろうとも2年はかかってしまうだろう。当然、今のこの、大人の半分ほどの背丈しかない子供である自分が、気軽に行ける距離ではない。
「黒慈の女神」を崇め奉る、月の神殿。
「魔法で人を殺めるべからず」という教義があるものの、これと言って厳しい決まりはない神殿には、ひとつだけ。しかし「黒慈の女神」の信者に留まらず、周知されている事があった。
死の間際、「大樹は朽ちるとも倒れず!」と宣ったらしい齢123歳まで生きたという「ようかいばばあ(自称)」。そして現人神様でもあった「苔むす大樹」を崇める者の多いこの土地であっても、常識として存在する決まりごとだ。
それは「黒慈の女神」の偶像崇拝禁止。
誰もが神罰を怖れ、また当たり前のことであると浸透しているために、誰も犯したことの無い禁忌であった。
それを、自分は犯し続けた。
女神が破壊しに来ることを期待して。
当然、家族は止めたし、閉じ込める等の罰を何度も与えられた。
でもやめなかった。
やめるどころか、次は見つからないようにしようと画策し、表向きは諦めたと見せかけて狡猾に行動し続けた。
ついに神罰が下った時、自分は隠れて女神の姿を石に彫っていた。
木を隠すならば森の中といった考えで生業に選んだ彫刻家としてそれなりに稼ぎ、それを元手に実家から独立して自分の工房を持ち、好き勝手に彫り始めた矢先の事だった。
今までの人生で感じたことの無いほどの圧迫感と、不思議なことに懐かしさを感じる気配に、乱立する自分の作品たちをふり返る。
高鳴る胸を押さえ、荒くなりそうな息を殺し、潤む目を瞬かせて待つ自分の前に、暗闇から影が進み出てきた。その闇そのものといった瞳と目があった瞬間に、期待がしぼむ。
残念なことに、現れたのは女神ではなく。眷属の黒い犬だった。
『哀れな奴。自分の魂に輪廻でも消えぬ呪いを刻むとは。歪な魂を案じて死を選んだモリオンが浮かばれぬではないか』
つい先ほどまで怒りに満ちていた瞳に憐れみを浮かべた眷属は、ふんすと息を吐いて消えた。
完成間近だった女神像と共に。
茫然と立ち尽くす自分は、命までは取られなかった事を喜ぶべきだったのか。しかし工房は女神像を含めて建物ごと跡形もなく消えてなくなっていて。ついでにその瞬間を目にした近所の人間によって自分は投獄され、そして女神の怒りを怖れた領主によって処刑された。
次の人生は女だった。
気付いた時にはもう修道院にいた。貴族の末端であった父が不正を犯し、爵位を剥奪され、まだぎりぎり成人前の14歳だった自分は修道院へ放り込まれていた。
性懲りもなく、どうにかしてまた彫刻の道具をそろえようとあがいていた時、孤児院への出向を命じられた。
子供たちの世話は、巡る人生を思い出すまでは苦痛な仕事ばかりだった。しかしそれも、今となってはたいした労力と感じない。効率的な掃除、洗濯、料理の手技は魂に沁みついていて、意識することなく体が動いたからだ。
元が末端とはいえ貴族の令嬢であった自分の働きに、他の修道女たちも最初はあっけに取られていた。しかし自分たちの仕事が楽になってどうでもよくなったのか、次第に興味を失ったようだった。
そんな環境にも慣れ、人目が去ったのを頃合いに、今度こそ女神像を彫り始めようとしたその日。
自分の運命を目にした。
記憶と照らし合わせようにも、曖昧に姿が滲んでしまうせいではっきりしなかった。しかも髪の色が黒ではない。
けれど。
間違いない。
女神だ。
近付きたい。跪きたい。声をかけて欲しい。
だが足が前へ出なかった。
女神の影から漏れる唸り声にはっとする。それに自分の精霊が怯えているのだと、ぼんやり感じた。
それからずっと、孤児院で女神を待ち続けた。近付くどころか、襲い来る威圧感に声をかけることさえできなかったが、寄付に現れ、時に新たな孤児を連れてくる女神の姿を見るだけで、心がほんの少し満たされた。
そうして生きていたある日、風邪をこじらせてあっけなく死んだ。
次に気が付いた時、自分の状況に歓喜した。
月の神殿に近い土地。自分は一般的にみても親の庇護が必要な年齢の男児で。
そして孤児。
いくつか前の人生で、女神が孤児院へ多額の寄付をしていたのと、さらにどこからか孤児を連れてくることがあったのを覚えていたからだ。
会える。女神に会える!
それだけを生きがいに、日々を生き抜いた。
女神に顔向けできないことはすまいと、決して犯罪に手を染めるとことなく。清廉潔白に。もちろん楽な仕事などなかったし、食べ物に困ることも多々あった。けれども巡った生はそれを乗り越えるための知識に溢れていて。
案外と生き抜けてしまった。
はっと我に返った時にはとっくに成人していて、しかも他の孤児たちを従えて小さくない町の便利屋兼自警団のまねごとをする集団の頭におさまっていた。
泣いた。
泣いて、泣いて、酩酊するまで酒を飲んで、国境の川に落ちて死んだ。
次に生まれたのは、時のガンガーラ国王の末王子だった。
ガンガーラ王は代々、正妃を据えない。その座は「黒慈の女神」のものとされているからだ。
よって平均して4、5人。多い時で2、30人にもなる王の妃たちに序列はなく、皆平等に扱われる。
表向きは。
自分は最も実家の勢力が強い妃の待望の男児として生まれ、次期国王たれと育てられていた。すでに一番上の兄王子が立太子しているにもかかわらず、だ。
そんなことが国王に知れたら、あの優し気な見た目に反して苛烈な性分の人である。きっと碌なことにはならない。
母へそう訴えたが、幼子の戯言と笑って聞き入れてはくれず。逆に悋気を振りまいた挙句に、他の王子たちの暗殺を企てている始末。
それをなんとか食い止め、母の暴走の痕跡を消すことに日々を費やす自分の唯一の楽しみは、時折開かれる王族総出の宴だった。
宴の上座、王の隣に用意された正妃の席に着くものは誰もいない。
しかしいつの間にかその前へ用意された料理が消えていくのである。この現象が、王の正妃を「黒慈の女神」と定め続けている所以でもあるのだが。
どうやら、相も変わらず「黒慈の女神」は美味しいものに目がないらしい。
宴の席にこっそり現れて、誰にも気づかれない間に自分へ用意された分の料理を食べて行くようだ。
姿は見えなくとも、その存在を感じることができるだけで幸せだった。
そしてつい、その空席の隣である王座に就くことを欲し。
母の暴走を止める事をためらったせいで、ずさんな暗殺計画が公となり、激怒した国王に母と共に処刑されてしまった。
次は記憶より遥かに大きくなっているカーライル村に生まれた。
そしてカーライル村には、ここに生まれて初めて知った、隠された役目があった。
それは7~12歳までの女児にのみ許された「黒慈の女神」の世話係。
もちろん進んで立候補した!
意外と人気で競争率が半端なかったが、今までの知識と経験を総動員して大人げない手段も併用しつつ勝ち取ってやった!
女神の世話係といっても、成人前の女児にできる程度のことである。
それは毎朝晩の食事を、祭壇へ並べるだけのことであった。
女神は祭壇へ用意した食事をほぼ毎日、食べに来る。
しかも嘘偽りのない、真実の姿で。
自身の姿をさらすことで争いになることを怖れ、普段は変装の上に認識阻害をかけて行動しているという「黒慈の女神」。それでも人との関わりが捨てきれず、人との接触に飢えている女神は時折、にこやかに世話係である少女たちの話を聞きたがった。
「貴女の名前は・・・あぁ、セバス族でしたね。ではまだ名前はありませんか」
今現在、最も親しくなったと自負する自分の、茜色の瞳を覗き込んだ女神が、残念そうに微笑んだ。
ずっとずっと前の自分の妹が、ここへセバス族の里を移してから久しい。どういうことかセバス族の血は優先的に顕現するらしく、この村には茜色の瞳を持つ者が多くいる。自分も例外ではなく、そしてセバス族の掟も受け継がれているために自分で主を決めるまで名はない。
けれども女神を求めて何度も生まれ変わっている自分の存在に気付いて欲しくて、日々女神と接することでやっと思い出せた、かつての自分の名を女神に名乗ってみた。
「クラウドです」
「えっと・・・貴女は女の子ですよね?」
「はい」
「せめてクラウディアにしてあげればいいのに・・・って、ごめんなさい。私が口出ししていい事ではありませんでした」
「いえ。クラウディアです。言い間違えました」
困惑気味の女神に向かって、しれっと言い切った。
せっかく名をくださったのだ。この機会を逃す手はない。
そんなやり取りを、女神の影から闇色の瞳がじっとりと見つめていた。それに笑みを返そうとして気が付く。
精霊の声が聞こえない。
何故なのかはわからない。けれども巡る生を思い出した瞬間からいつも、自分の精霊の声が聞こえるようになっていた。
そんな彼らは皆、女神の眷属へ近付くことを嫌う。酷いときには心無い言葉を投げつけることもある。
今、それがないという事は、つまり―――。
『お前―――っ!』
それは突然だった。
自分から眩い光が放たれ、それまで珍しくもない蜂蜜色だった髪が銀へと変わり。自分の変化よりも目の前から女神が消えてしまった事に愕然としていたら、今この瞬間に自分へ加護を与えた精霊が、聞き憶えのある名前を名乗ってきた。
『何度もこの世界だけを巡る奇妙な魂があると思って降りてみたら・・・お前、黒の娘の従者だった奴だな? 予の名はアークティース。「狂乱」でもいい。あの黒の娘のところへ行きたくば、予と契約しろ』
女神とその眷属の犬が、この光の精霊を嫌っていたのを憶えている。震える指先を握ってごまかし、普通の人間には聞こえないのだからと、精霊の声が聞こえないふりを貫いて祭壇を片付けた。その後も自分に与えられた仕事を淡々とこなす。
正直に言って、かなり迷った。
この光の精霊はかなり厄介な存在であったはず。しかし、このままではせっかくの再会をふいにしてしまう可能性が高い。
悩んで、悩んで、悩み続けて。
何年もの年月を費やし、ついに女神の外見と同程度の年齢に達した時。
あれきり祭壇へ姿を見せなくなった女神に、どうしても会いたいと。耐えられなくなった自分は、悪魔のささやきに乗ることを決めた。
「いいだろう、アークティース。私の名はクラウディア。私に女神と同じ、永遠を生きる体を与え、望む場所へ転移する力を与えるのならば、契約してやる」
そう言うと、光の精霊アークティースが記憶にある通りの尊大な口調で答えた。
『あれは理を書き換えることができるが、予は理を消し去ることができる。容易いことだ』
そうして私はやっと。
完全に思い出した最初の記憶を携え、クラウドの生まれ変わりであるクラウディアとして。
跪く私に怖れ慄く女神カーラ様と、犬の姿で彼女を背に庇い、歯をむき出しにして唸り威圧する精霊オニキス様と再会したのであった。
オニキス様はあれから100年経った今でも、隙を見ては私を遠方に飛ばし、カーラ様と姿をくらませようとしてくる。
しかし私がクラウドの生まれ変わりであると知ったカーラ様が、私を受け入れてくれるのは早かった。
私と契約を交わした光の精霊、アークティースの方は未だに拒否されているが。それでも時折話し相手にはなり、ガス抜きをしてくださっている。
それにしても。
この体はいいな。
何度新たな生を迎えようとも、魂と体の性別が異なる時はやはり、生きにくかった覚えがあるのだが。
今度のこれは、たとえ興奮したとしても下着が濡れて気持ちが悪いだけで、服さえ着ていれば、男のように見てそうとわかってしまう変化がないのがいい。足元の視界を遮る、胸の膨らみもないし。
再会してからずっと、最初の人生のようにカーラ様に仕え、毎日世話を焼いているのだが、異性ではないので以前のような制限がない。性差がないのだから、そういう方向への警戒もなく、体へ触れることへの忌避もない。
身支度の補助どころか、入浴時の洗髪も、就寝前のオイルマッサージも許された。
オニキス様は私の負の感情を読んでか、どうにかして距離を置かせようとしてくるが、過剰反応して逆に意識されては堪らないと、ある程度のスキンシップは黙認されている。
もちろん、そういう系統の事を連想させるような態度をとったり、表情に出したりもしないので、カーラ様の警戒心は緩むばかりだ。
いつか、いつの日か。
気の遠くなるほどの時を経たらば――――――彼らの閨に招かれたり・・・いや、まずは添い寝を望まれたりしないだろうか。
「薄暮の神」クラウディアド。
褐色の肌に茜色の瞳、白銀の髪を持つ精悍な神は、とある国の内戦を平定しに現れた際、自身を「黒慈の女神」の下僕だと名乗ったと言われている。平和的解決を説く「黒慈の女神」に付き従い、眼光鋭く守護する様から「武神」として崇められた。
そして実は性別が無い神であり、影では「性転換の神」とも呼ばれている。
「黒慈の女神」を崇め奉る月の神殿で、血反吐を吐くまで祈り続けると、性別を転換してくれるのだそうな。
名乗るたびに間違えたせいで混ざった名前が周知されてしまったのは、かの神とその周囲だけが知る失態である。
アークティース『性別消したった』
お読みいただき、ありがとうございました。




