ハグは騒動のあとで
「――――はぁい、ただいまぁ」
振り下ろされた杖を掴んで、笑顔で私はそう挨拶をした。
突然現れた第三者に、その場にいた全員が驚いた顔をしているが気にしない。もともとサプライズの予定だったのだ、大して違いはないだろう。
「フォルテ姉さん!」
「フォルテ様……!」
リリティアとレイニーのほっとした声が耳に届く。
私はロメオから目をそらさずに、
「ただいまリリ、レイニー。今すぐハグしたいんだけど、ちょっと待っててね」
と言った。二人から「はい」との言葉が返ってくる。二人にハグを了承されたので私のテンションは少し上がった。
まぁそんな事は置いておいて、まずは目の前の相手だ。
私がレイニーを庇った時にロメオもまたほっとした顔をしていた。本当に命令を聞きたくなかったのか、優しい性格かのどちらかなのだろう。振り下ろされた杖は力も弱めで、狙いもちょっと当たるくらいの位置に手加減されていた。
嫌ならしないで欲しいとは思うが、先ほどの短いやり取りを聞く限り、どうやら彼は後ろのシンディとか言う女性に脅されている様子。
確か『大事な人達がただでは済まない』とか言っていなかったっけ。それなら命令に逆らえないのは理解は出来る。私だって家族や屋敷の皆がそういう状況だったら、従わざるを得ないだろう。
まぁ何とかした後でぶっ飛ばすけど。
さて、それはそれとして。何となーく兄が『ブローチ型の記録媒体をつけて』『予定日の前日に来てサプライズ』するように言った理由が分かって来たぞ。
そんな事を考えながら、私は後ろにいるレイニーに問いかける。
「レイニー、彼女達はどなたかな」
「ノア様がお見合いをお断りしたシンディ・バート様と、従者のロメオ・フラット様です」
「失礼な! 私は婚約者ですわ!」
「はあ、そうですか」
思わずすごくどうでも良い気持ちが声に出てしまった。シンディが凄い形相でこちらを睨みつけてくる。
そもそも何が失礼なのか分からない。お見合いをお断りした時点で、婚約も何もない。ただの他人である。そもそもこの態度だ、今後何かしらで続くかもしれなかった関係だって、今日の時点でぷっつり切れた事だろう。
何が彼女をここまで強気にさせるのか。
とりあえず自己紹介だけはしておこうと、掴んだ杖をパッと話して胸に手を当てた。
「初めまして、シンディ嬢。ノアの妹のフォルテ・フロストです」
「あ、あら……ノア様の」
私が何者なのかを知ると、シンディは急にほっとした顔になった。
そしてニヤリと口元を上げると見下すような目を向けてくる。
……何故そういう反応になるのだろう?
「あら、嫌だわ。……それならそうと直ぐに仰って下されば良いですのに。ノア様の妹ならば、私の妹になりますわね? なら、良かったですわ」
「何が良かったのかさっぱりですが……。そもそもそうはならないと思いますよ。お見合いをお断りしたと聞きましたので、赤の他人です」
「そのような口の利き方が許されるとでも? 私はいずれ、この家の主人の妻になるのですわよ?」
「…………」
これには開いた口がふさがらなかった。どこをどうしたら、そういう解釈になるのだろうか。
人の話を聞いていないのか、そもそも自分の望みはすべて叶うとでも思っているのか。
レイニーを振り返って見れば、彼は困った顔で首を横に振った。
「まったく! ここの家の者達は本当に教育がなっていないこと! そうは思わなくて、ロメオ?」
「いや、そんな事はまったくないと思いますけど……。でも、俺の浅はかな考えなんて、お嬢さんのそれには到底及びませんので……」
話を振られたロメオは力なくそう答えた。日和った振りをしてなかなかの毒を吐いている。
シンディに付き合わされる事に辟易している様子が手に取るように分かった。
しかしシンディは「そうですわね!」なんて機嫌を直しているあたり、ロメオの言葉の意図に気付いていない様子だ。
話を聞いていると頭が痛くなってくる上に、何だか面倒くさくなってきた。
もうそろそろいいだろうか。兄が撮って欲しいであろう『絵』は、すでに手に入っているだろうし。
そう思った私はこの騒動の締めにかかる事にした。
「レイニー、父さんと母さんは?」
「シルトムーロ長の会議に出席するため外出中でございます」
「ノア兄さんは?」
「シャヘル・アカデミーから、そろそろお戻りになると思います」
「なるほど」
「ちょっと、私の話を――――」
現状の確認をしていると、自分を無視されている事に耐えられないのか、シンディが怒鳴ろうとする。
まぁ丸っとスルーである。人の怒声なんて銃声や飛行艇の音に比べれば小さいものだ。
私はそのままレイニーに問いかけを続ける。
「ではレイニー。今、この時にこの場で、現在発生している問題に対し、屋敷内で采配を振るう権限があるのは誰かな?」
「フォルテ・フロスト様とリリティア・フロスト様です」
「はい。そういうことですね」
そしてわたしはにこりと笑う。
「レイニー、お客様がお帰りだ。警備システムの行使をフォルテ・フロストが承認する。あ、弱でね、弱」
「ハッ!」
私がそう指示を出すと、レイニーは待ってましたと言わんばかりに、胸ポケットから小さな銀の笛を取り出した。そして直ぐにそれを吹く。
笛から音はしなかったが、程なくしてパタパタと無数の足音が聞こてきた。
やがて開いたままのドアから、ふわふわした長い毛並みの大型犬が三頭入ってきた。シャヘル・シープドッグだ。うちの頼もしいガードドッグ達である。
彼らはシンディとロメオのところまで行くと、スカートやズボンの裾を咥え、ぐいぐいと引っ張り出す。
「な、何をなさいますの!? 私はノア様の婚約者――――」
「なりませんよ。それと今回の事で抗議させて頂きますので、お元気で。従者さんも嫌なら嫌でもっとちゃんと止めないと。後々大変なことになりますよ」
「はい……申し訳ありません……ありがとうございます」
シンディは騒ぎながら、ロメオは何度も何度も頭を下げつつ、ガードドッグ達に引き摺られるように応接間を出ていく。
少しして外が騒がしくなったところを見ると、無事に追い出す事には成功したようだった。
一仕事終えて息を吐くと、
「フォルテ姉さんっ!」
と妹に飛びつかれた。あ、嬉しい。頑張った後のご褒美感がすごい。
自分でもしまりのない顔になっている自覚をしながら、私もリリティアを抱きしめる。
「よしよし、怖かったね~リリ。もう大丈夫だよ~」
「姉さん、ちょっと苦しい……」
「あ、ごめんごめん」
どうやら力を入れ過ぎてしまっていたらしい。パッと手を離すと、妹は一度深呼吸をしてほわりと笑った。かわいい。
「フォルテ様、お手数をおかけしました」
「いやいや。でもレイニーがいるのに、追い出さないなんて珍しいね。いくらノア兄さんのお客さんでも、約束の時間よりだいぶ前だったんでしょう? 出直して貰ったら良かったじゃないかい? それともノア兄さんから何か……」
「それが……」
「違うの姉さん。兄さんや、レイニーのせいではないの。私のせいなのよ」
リリティアのせい?
どういう事だろうかと私は首を傾げた。
妹はぐっと拳を握ると事情を話し始める。それはこの流れから私が想定していた以上のものだった。