だから、少女は歌えなくなる
メロの異変をそばで見つめていたマリアンナは何度も彼女を止めようとした。
「メロ様! もう慰問に訪れるのはお止めください! 行く度に寝込まれています。このままではメロ様のお体が……!」
メロの体は自分で支えられなくなっており、護衛に支えられながら動いているのがやっとだった。そんな彼女を見ているのが耐えきれずに、マリアンナは声をだしメロの肩を掴んだ。
うつむいていたメロが顔を上げる。その顔を見て、マリアンナはひゅっと息を飲んだ。
彼女の瞳は、命の灯火そのものだった。滾る彼女の瞳は強い意思しかない。誰の言葉も聞き入れないそれに、マリアンナは言葉を失ったのだった。
メロは静かに己に課した使命を告げる。
「私は歌う為にここにいる。歌うことで戦っているのよ! 」
「私は私の戦いを止めない!」
剣をとれなくても。
大砲を打てなくとも、メロはディーンと共に戦っていた。
私を止めたければ戦いをとめろ。
戦いを終わらせろ。
彼女の瞳はマリアンナに、そう強く訴えていた。
メロは何か言いたげな護衛に支えられ、今日も戦場に向かう。
訪れた慰問先では兵士や医師がメロの身を案じた。しかし、メロは太陽のように笑ってみせた。
「みんなと一緒に戦わせて。少しでも力になりたいの」
メロは一度、泣きじゃくった後、もう泣きはしなかった。やるべきことが見つかったと言わんばかりに、その道を真っ直ぐに進んだ。
振り返りはしない。
振り返ったら、動けなくなってしまうから。
ディーンが戦っているうちは、止まるわけにはいかなかった。
メロが限界まで体を酷似し続けられたのは、グランドールの不在もあった。彼は戦いの指揮を取り、その足で父親である陛下に進言を続けていた。その為、長く不在となってしまっていた。
悪い方向へ、悪い方向へ。
歯車は噛み合わずに動き出していく。
久方ぶりに自分の領地に帰って来たグランドールはその足でメロの元へと向かう。
メロは護衛に支えられ帰って来たばかりだった。支えられ、椅子に座った彼女の部屋の扉が乱暴に開かれ、メロの体がびくりと震えた。グランドールの顔を見て、メロの表情が驚きに変わる。
いつも冷徹な漆黒の瞳は、明らかな怒気を孕んでいた。
グランドールは大股で歩き、動けずに座るメロの目の前に立つ。彼の放つ怒気に鳥肌が立ったが、それを悟らせないようにメロもまた彼を睨み返した。
「……なんだその姿は」
低重音の声がメロを追い詰める。メロは心を静かにして、淡々と告げた。
「あなたが言ったんでしょ? やれるならやってみせろと」
メロの言葉にグランドールの眉がひくりと動く。重い沈黙が二人の間に漂い出す。先に口を開いたのはメロだった。
「出ていって。私は私の意思を曲げるつもりはないわ。ディーンが戦い続けるのなら、私も戦う!」
その言葉を受けてもグランドールは揺るがなかった。メロの熱を消し去るほどの冷たさで彼女を射抜く。
「……お前も所詮、愛に生きる愚か者か」
その呟きの意味が分からず、メロは片方の眉を上げる。
グランドールが冷たい眼差しを和らげた。そして、身の毛がよだつほど艶やかな視線でメロを見つめ出す。
雰囲気が変わったことで、メロはまた体を震わせた。
「そんなに愛の為に生きたいのならば、俺が与えてやろうか」
意味が分からない。メロが思考を停止している間に、彼の手が彼女の顎をとらえた。乱暴に捕まれたそれに首がひきつり、メロは苦悶の表情をする。
グランドールはその顔を近づけ、睦言を囁いてきた。
「明日の命があるか分からない男のことなど忘れさせてやる。その身を差し出せ。肌を隅々まで俺で埋めてやろう。そして、今度からは俺の為に歌えばいい」
「なんなら、妃に迎えてやってもいいぞ?」
くつくつ喉を震わせながら言われた最低な言葉に、メロは激情した。
「ふざけないで!!」
――パシン!
彼の手を払いのけ、メロはありったけの声で叫んだ。
「私が好きなのは今も昔もディーンだけよ! あんたなんか、大っ嫌いなんだから!!」
肩を上下させてメロが言い放つと、グランドールは口の端を上げた。
「そうか。なら、足掻いてみせろ」
グランドールは支配者の顔でメロを見下ろした。
「その心がどこまで続くかな」
その挑発にメロは睨み返した。
メロの表情にくつくつと笑っていたグランドールだったが、その笑いをすっと止めた。
「お前の慰問を禁ずる。戦いが終わるまで、この部屋から出るな」
「――っ!!」
踵を返すグランドールにメロは、慌てて追いかけようとする。前のめりになった体は思うように動かずに椅子を倒しながら崩れ落ちた。
ガタンと椅子を真横にしながら、倒れたメロは痛みに顔を歪ませた。力の入らない足を動かそうとする。しかし、うまく力が入らず、小刻みに震える腕で体を支えた。顔を上げると、グランドールが振り返っている姿が見える。
一片の情も見せないそれを睨みながら、這いつくばりながらも、彼の元に向かう。
「そんな……勝手なこと……させない」
息を切らせ、動かない足を叱咤しながら、グランドールの足元に向かう。
どんな無様な格好だっていい。
ディーンの元へ。
彼が戦う場所へメロは向かいたかった。
「私は歌うためにきたのよ……っ……使い倒しなさいよ……」
息を切らせてグランドールの黒いスラックスにしがみつく。立てなくとも、意思の強さを表すように、爪を立てて彼に足にしがみついた。訂正しろと漆黒に訴える。
グランドールはしがみついてきたメロの右腕をとり、そのまま持ち上げる。意思に反して持ち上げられた浮遊感が気持ち悪い。メロは離して、と声を出そうとした。
「その格好で何ができる」
グランドールの冷たい言葉が、剣のようにメロの心を抉る。
彼はそのままメロを荷物のように抱えると、乱暴にベッドに投げた。
呆気なく扱われた体に嫌悪しつつ、メロは顔だけはグランドールを見据えた。
彼はどこまでも冷たくメロを追い詰めた。
「無様な格好で行っても兵が気を使うだけだ。そんなこともわからんのか」
「っ……」
「体を酷使して兵の前で倒れたら、あいつらに動揺が広がる。士気が下がる。好きだなんだという前に、自分の立場を理解するんだな」
そう言うとグランドールは踵を返して出て行ってしまった。
メロは悔しくて顔をベッドに突っ伏した。
ディーンが戦っているというのに何もできない。
自分は無力だ。
それを嘆くしかできなかった。
***
部屋に監禁されて、メロは無気力になっていった。村に帰りたいと言ったが、それはダメだと言われ続けた。
「お前は俺が買った。戦闘が終わるまでの契約だ。村に返すのは契約に反する」
歌えないのにと反論したが、グランドールは聞く耳を持たなかった。
メロは苦しくてたまらなかった。なんのためにいるのか分からなくなる。食は細くなり、体は弱まる一方だった。そんなメロに発破をかけたのは、やはりグランドールだった。
「ディーンという名前の兵士が生きているのに、お前は死ぬ気か? お前の思いとやらは随分、浅く身勝手なんだな」
そんなことを言って、メロを逆上させた。
「そんなことないわよ! ディーンが生きてるなら、私だって生きるわよ!」
メロは部屋に監禁されたままだったが、戦闘が起きる度にディーンの安否は聞くことができた。
ディーンは最前線で戦っているにも関わらず生き延びていた。それを聞くたびにメロは泣きそうになりながら「よかった」と呟いた。
メロは戦闘が起きる度に、部屋の窓を開いて唄を歌った。
――どうか。どうか。ディーンを守ってください。
加護の歌が彼の耳には届かなくとも、思いだけは伝わるように。
メロは空に黄金の旋律を響かせた。
そして、気づけばディーンと別れてから、四年の月日が経っていた。
「ディーンに……会える……?」
マリアンナからそれを聞いたメロは信じられない気持ちでいっぱいだった。マリアンナは年老いた目尻を下げて、メロに優しく微笑みかけた。
「えぇ。功績を称えて、殿下自らが、報奨を与えたのですよ。その際に、メロ様との再会を望まれたそうです」
マリアンナに言われて、メロはくしゃっと顔を歪ませた。
「……バカ。ディーンのバカ。本当に……バカっ、なんだから……」
そんなことを望むなんて、なんてバカなんだろう。もう、自分のことなんて放っとけばいいのに。退役して村に帰りたいと言えばいいのに……
別れた時のままでいるディーンにバカと悪態をつきながら、メロは瞳を潤ませた。
ディーンがディーンのままでいることがどうしようもなく嬉しかった。
でも、これでは。これでは、また繰り返す。
彼はいつ終わるか分からない戦に身を投じて、命を散らすかもしれない。
もう、いい。
もう、充分だ。
ディーンにお別れをしよう。
ちゃんとお別れをしなかったから、こんなことになった。
歪んだ道は修正しなければ。
ディーンにさよならを告げよう。
そう、心に決めているはずだった。
しかし、メロが生きる意味は、ディーンだ。ディーンがいるから、ディーンを思っていたから、何度も死にかけた心をどうにか保っていた。
だから、無理だった。
ディーンを見た瞬間。
彼が泣きながら「遅くなってごめん」なんて言った瞬間。
メロは聖女ではなく、ただディーンが好きな女の子に戻ってしまった。
椅子に座っていたメロを逞しく成長した体が抱きしめる。勢いよく抱きしめられたもんだから、体が痛い。その痛みすら愛しくてメロは堪えていた涙を流し続けた。
この四年間、ディーンの眠っている姿しかみれなかった。だから、彼が声を出して、動いているのがたまらなく嬉しかった。
お互いに泣いて、泣いて。泣き腫らした目を見たら、少しだけ笑った。
ディーンは四年前と変わらない優しい笑顔のまま、メロに告げる。
「メロが辛いときは、僕を思い出して。会える距離にいるからね」
その言葉は、彼が兵士をやめないことを意味していた。
メロの心に絶望が染まる。引き留めなければ。兵士なんかにならないで。村に帰ってと言わなければ。
そう思うのに口は勝手に動き出す。
素直な思いを言えない口だったのに、こんな時に思いを口にしてしまう。
兵士の慰問に行けないこと。
唄を兵士の前で歌えないこと。
足が動かないこと。
涙ながらに口にしてしまった。
そして、言ってはいけないことをメロは口にした。本当の思いを口にしてしまった。
「……助けて」
メロの心は限界だった。
彼女は普通の女の子だ。
聖女でもなんでもない。
ただ、ディーンが好きな女の子だ。
強くない彼女は、ここまで来てくれた思い人に救いを求める言葉を吐き出してしまっていた。
――何を言ったの……?
自分の言ったことが信じられなくて、メロは違うと言おうとした。なのに、ディーンの顔を見たら言葉は失われてしまう。
ディーンは穏やかに笑っていた。
強がってばかりいた自分をディーンは、こうやって柔らかい笑顔で受け止めてくれた。どんなに思いを隠してもディーンはいつだって、メロの本心を探して見つけてくれた。
そして、いつもメロの一番の願いを叶えてくれる。
「メロ、村に帰ろう。メロを村に帰してほしいと、殿下にお願いしてみるよ」
そんなことは叶えられるはずもない。メロの言葉をグランドールは聞き入れない。それなのに、ディーンは大丈夫と微笑む。
「僕は、ほら。メロの近くに行くっていう約束を守ったでしょ? だから、今回も信じて」
確かに守ってくれた。これ以上ないくらいに守ってくれた。でも、メロは不安だった。ディーンはどこまでも軽やかに微笑み、メロの口から反論を言わせなくしてしまう。
だから、せめて。無事でいてと願いを込めて口を開く。
「……二人で村に帰るのよ。そうじゃないと、私はここを動かないわ。私はしつこいのよ! ずーっと、待っていてやるんだから!」
村に居たときの口調のまま、メロは眉をつり上げて言った。
もうちょっと可愛げのある言葉で言えばいいのに、肝心な時にメロの言葉は素直じゃなくなる。
それが恥ずかしいのに、ディーンは朗らかに笑って受け止めてくれる。それでいいんだよ、と言いたげに。
ディーンは別れ際、メロに体を大事にしてと言われた。もう歌わないでと言われた。
メロは曖昧に頷いた。
だって、きっと、メロは歌ってしまう。
ディーンが戦うとき、いつも歌っていたから。
また、きっと、自分は歌うだろう。
それしか、できないのだから。
***
ディーンが再び戦場に行く。王宮の全体がピリピリとした空気に包まれていた。穏やかな仮面を被っているマリアンナでさえ物言いたげな顔をしていたから、メロは察してしまった。
きっと、今までの非ではない戦いが起きようとしている。
戦いが始まる前、メロの元にグランドールが一度訪れた。彼はいつもの王子らしい格好をせず、武将の格好をしていた。自ら陣頭指揮を取るのだと言う。
彼はいつものように何を考えているのか分からない闇色の瞳をしていた。メロは椅子に座って、ただ彼を静かに見つめる。
「……この戦いが終われば、お前を解放する」
一言、告げられたことにメロは口を開いたまま音を出せずにいた。
グランドールは闇色の瞳をたゆたせながら、静かにメロに言った。
「せいぜい黙って、祈っていろ」
「死神が逆位置になることをな」
意味は分からなかった。彼はそれだけいうと、メロの部屋を出て行ってしまった。
メロは深呼吸をして、窓に向かって声を出す。歌が聞こえるか分からない。だけど、歌わずにはいられなかった。
その瞬間だった。
喉に酷い痛みを感じたのは。
「っ……!」
苦しくて喉を両手で押さえる。痛みを堪えて声を、歌を出す。
しかし、開かれた口からは旋律は出ずに、代わりに血が出た。がはっ、と漏れた血はメロの膝に吐き出され、かけていたひじ掛けを赤に染めた。
「メロ様!?」
むせ返っていると、マリアンナが叫びながら近づいてくる。彼女が耳元で何か叫んでいる。メロの周りがバタバタと騒がしくなる。
視界がかすみ、意識が遠のく。
歌わなくちゃ。
歌わせて……
ディーンが戦っている……
ディーンに加護を……
ディーンを守る力を……
お願いだから……
空に願いをかけさせて……
メロは薄れゆく意識の中、口を動かし続けた。
まるでディーンの願いそのままに、メロは戦闘が終わるまで意識を途絶えさせていた。




