そして、少年の心は動き出した
目が覚めた時、そこには誰も居なかった。頭がボーッとする。こんなに熟睡したのは久しぶりだ。
「くわっ……」
あくびをすると、胸が傷んだ。その痛みを感じつつ、隣を見ると、ガロンが居た。
「よぉ」
ガロンはベッドに寝たままで声をかけてきた。まだ起き上がれないのか、目だけをこちらに向けている。
「ガロン……よかった。生きていたんだね」
「あぁ、なんとかな。ただ、剣は振るえないけどな」
苦く笑う表情を見て、ディーンは笑顔を消す。ガロンは天井を見上げ、自らに対して冷笑を浮かべる。
「筋をやられた。利き腕じゃどうしようもない」
それにディーンはかける言葉が見つけられなかった。
「辛気くさい顔をするな。もう人を殺すことをしなくていいんだ。褒賞金も貰ったし、さっさとこんな所から出ていくさ」
明るい声に励まされる。メロの唄みたいだ。
「そういや昨日、唄歌いの聖女が来ていたぞ」
「え……?」
どくりと、心臓が高鳴った。
メロが? ここに?
「その人は! どこに!……っ」
ディーンは興奮して叫ぶが、同時に傷が痛み出す。
「おいおい、落ち着けって! なんだよ、急に……って、まさか、お前の会いたい人って……」
ディーンは真剣な顔でうなずく。それにガロンは深いため息をついた。
「……そうか。でも、あの人は殿下のお抱えだぞ? それに……」
ガロンはそこまで言って黙った。彼は昨日見た聖女と王子のやり取りを見ていたから。それをディーンに伝えるべきか迷っていた。
「それに?」
「……殿下は聖女に執着している。手放さないだろう」
ガロンは視線を逸らしながら、彼に残酷なことを告げた。それをディーンは静かに聞いていた。
あぁ、まただ。
また、あの不協和音。
心が奇妙な音を奏でて痛む。
耳障りな音が心を支配する。
「それでも、約束したから」
ディーンは曖昧に微笑む。
「どんな形であれ、側に居ると約束した。僕にはそれしかできないから」
この感情はなんだろう。
なぜ、こんなに心が痛いんだろう。
誰かに切られたみたいだ。
血を流して、傷を抉って、ぼろぼろにする。
この感情は――
聞いていたくないな。
ディーンの光の消えた目を見ながら、ガロンは盛大にため息をついた。
「ったく、お前はバカだ」
その軽口はメロにそっくりだった。ガロンは説教をするようにくどくど話す。
「いいか? それ、やめろ。二度とそれしかできないって言うなよ。お前は凄いヤツだ。大勢の敵をちっこい体で蹴散らした。すげーヤツなんだよ。俺が言うんだから間違いない」
ガロンはふんと鼻を鳴らしながら言い切った。それにディーンは少しだけ笑う。
「ありがとう、ガロン」
ガロンは分かればいい、と言って目を閉じた。
その後、ガロンは退役して、兵舎を出た。去る時、ガロンは一度だけ振り返って、残した友人のことを思い呟いた。
「……お前は優しすぎるんだよ。戦いの場には向いていない」
本心は空気に溶け、友人の耳に届かない。それでいい。これは独り言だから。その道を行くと決めた友人を阻むようなことはしたくなかった。
それでも、ガロンは憎々しげに思う。
「戦闘に向いていないやつが一番強いなんてな……なんでこんな事になっちまったんだ」
敵が悪いのか。
グランドールが悪いのか。
国が悪いのか。
それとも運命とやらが悪いのか。
出さない答えを胸にして、ただ友人が生きて、思う人に会えればいいと願った。
◇◇◇
その後もディーンは戦場にいた。
侵略行為は続き、疲弊するだけの終わらない争いが続いていた。
幾つもの屍を見て、幾つもの屍を作った。
皮膚を切る感触は手に馴染み、血の匂いは鼻が覚えた。不快感などない。
そんな彼を励ます者もいない。
ガロンが去って、彼は感情を出せなくなってしまった。
心が不協和音を奏でても、もはや、音は耳に届かない。
ディーンはただの兵器となっていた。
そんな日々を繰り返し、彼の功績を称える場が設けられた。グランドール自ら彼に会い、報奨を与えるという。
メロと別れてから四年の歳月が経っていた。
◇◇◇
ディーンはグランドールに会うために自室で着替えをしていた。兵士の服を着て襟元を整える。いつもは考えてなくてもできる着替えを今日はうまくできない。
手が小刻みに震えてしまう。
――緊張……しているのかな?
鏡の中の自分に問いかける。そこに無邪気に笑っていた少年はいない。目付きは鋭く、頬には薄い傷があった。口元は一文字に結ばれ笑顔はない。
身長はこの四年間で伸びた。もう、メロと同じくらいだろうかと、昏い瞳で思う。
メロ……その名を心で呼ぶと、とくんと、音を出す。
あたたかさと、切なさを孕んで。小さな音が胸に響く。
ディーンは報奨にメロとの面会を望むつもりだった。それは、もしかしたら、叶えられないかもしれない。最近、唄歌いの聖女が来ない……と、兵士から聞いたからだった。グランドールのお手つきになったのでは?など、兵士の間では噂されていた。
一目だけでもいいんだ。
メロに……会いたい。
メロをグランドールから奪ってやろうとは思ってなかった。約束したから。それを守りたいだけだ。
着替え終わると、王宮へ向かう。
彼の心が、とくん、とくんと、連続して鳴った。
◇◇◇
四年ぶりに会うグランドールは、顔つきが変わっていた。眼光は鋭くなり、眉間には深い皺が寄せられている。見る者に畏怖を与える覇気を纏い、彼は領主の椅子に座っていた。
グランドールは、跪き、頭を垂れるディーンを見つめた後、面を上げるように言った。
「敵はお前のことを死神と言っているらしいぞ。見れば生きては帰れないとな」
くつくつと喉を震わせ笑うグランドールにディーンは答えない。ただ、彼を見つめるだけだ。なんの感情も見せない彼をつまらなそうに見て、グランドールは短く「褒美は何を望む」と言った。
ディーンは唯一の願いを口にする。
「唄歌いの聖女に会いたいです」
言葉にすると、心臓が早鐘を打った。
「あれの唄を聞きたいのか?」
グランドールは不快そうに眉間の皺をさらに寄せ、地を這うような声で尋ねてくる。ディーンは短く否定した。
「いえ、ただ会うだけです」
そう言うとグランドールはひくりと眉を動かし、なぜ? と短く問いかけた。
「僕は彼女と同じ村で育ちました。姿を見るのは村の悲願です」
真っ直ぐな瞳でそう話すディーンに、グランドールは思案するようなしぐさをして、彼を見つめ続ける。そして、あぁ、と何かに気づいて声を出した後、愉快そうに笑いだした。
「お前はあの時の小僧か……」
あの時とは、視線を交わした時だろうか。あんな一瞬の出来事を彼が覚えているとは思わないが、心当たりが他にない。
「ディーンと、言ったな。あれを追ってきたのか?」
グランドールの口元が弧を描く。声色は不快な音を立てて、ディーンを挑発した。
「ただの村人が、死神になってまで、あれを求めたか?」
ディーンは答えなかった。彼に言うべきことはすでに話している。それ以上のことを彼の耳に入れるつもりはない。
そんなディーンの心情を見透かしてか、グランドールは面白くなさそうに視線を流す。開いた口は笑っていなかった。
「あれは、ベッドの上でお前の名を呼んでいたぞ」
鍵盤を乱暴に叩いたような音が心で響く。その音を聞きながら、ディーンの目の色が変わる。ただ純粋にメロに会いたいと願う青年から、ただ屍を築き上げるだけの死神の目に。
「いい顔だ」
再びくつくつと笑いだしたグランドールだったが、ディーンは眉一つ動かさない。
「よかろう。会わせてやる。ただし、条件がある。あれに唄わせないこと。そして、欲しいなどと思わないことだ」
グランドールは笑みを消し、警告する。
「あれは四年前から俺のものだ」
また、乱雑な音が心で反響した。
◇◇◇
グランドールの謁見を終えた後、ディーンは宿舎に戻っていた。誰も同じ部屋になってくれないので、自然と一人部屋になってしまった。着替えをしようと首元を寛げた時、視界の端に鏡に写った自分の姿が見えた。
――なんだ、この目……
着替えをやめ、鏡の中の自分を覗きこむ。鏡の中の自分は憎悪に満ちた目をしていた。
「……………」
斬りかかってくる敵の目、そのものだ。いつからこんな目をしている。やっと会えるのに。メロに会えるというのに、なぜ……
それだけを願って、ここまで来たんじゃないか。笑え。と強く自分に言い聞かせる。
しかし、口角はぴくりとも動かない。おかしいと思って、頬を両手で動かす。解された頬でもう一度、鏡に向かって笑みを作る。
――あれ?
口角は上がらない。意思を持っているように固く動きを止めている。
アレ?
ディーンはやっと自分が笑えないことを自覚した。
◇◇◇
メロに会う日、やはりディーンは着替えをうまくできなかった。手の震えは止まらず、いつもの倍以上の時間をかけて着替えた時はため息がでてしまった。
そして、ゆとりを持っていたはずの時間がギリギリになっていることに気付き、王宮へと急いだ。
「メロ様の侍女をしております、マリアンナと申します」
王宮に着くと、一人の侍女に声をかけられた。穏やかそうな雰囲気のある初老の女性だ。ディーンは黙って頭を下げた。
「メロ様のお部屋まで案内させて頂きます」
「はい……宜しくお願いします」
侍女の後を付いて、どこまででも続きそうな赤い廻廊を歩く。窓側の廻廊だったため、赤い絨毯には斜めになった光の四角が整然と並んでいた。それを見つめディーンは静かに歩き続けた。
「こちらがメロ様のお部屋です」
ひとつの扉の前に立ち、侍女は朗らかに笑った。彼女は頭を下げるとすぐに立ち去ってしまう。お礼も言えずにその背中を見送り、鍍金が剥がれ銀色にくすんだレバー式の取っ手を見つめた。細工の施されたそれを手に取るも、中々下に下ろせない。
部屋に入ったらメロがいる。
そのことで、ディーンの心が静かに鍵盤に指を置く。
ポーンと、一音が鳴らされところで、ディーンはドアノブを下ろした。
扉の先にメロはいた。
日当たりのよい椅子にちょこんと座っていた。頬を赤くして、少しだけ目が吊り上がっている。変わらない彼女の姿に口角が動き出す。
――メロ
そう呼びかけたかったのに、口からは息しか出てこない。それどころか、唇は震えだし、喉は言葉を止めてしまう。目頭が熱い。心臓が痛い。
なんだこれ……
苦痛を止めたくて口元を手で覆うのに、指の隙間から痛みが零れてしまう。ダメだ。抑えきれない。
ディーンの心にメロディーが広がり出す。メロは唄ってないのに、心が勝手にメロの唄を歌い出す。
何回も聞いた唄。声に出すと音痴になってしまうのに、耳はあの旋律を覚えている。空までが光を強めたように錯覚をした。
「ごめっ……遅く……なって……」
涙と共に吐き出された言葉は、情けない謝罪だった。思いが込み上げ、顔を上げられずにいると、同じく涙声が聞こえる。
「バカっ……」
その声に弾けるように顔を上げる。自然と足が駆け出した。泣いている彼女の元へ。泣かせてしまった彼女の元へ。
駆け寄った衝動のままに座った彼女の頭を抱きかかえる。反動で椅子の背もたれに腕があたったが、ディーンの腕の強さは緩まない。
「ごめっ……」
しゃくり声になりながら、ただ謝罪を繰り返した。背中に思いを返すような温かさを感じた。それは震えていてもしっかりとディーンを包み込む。
「バカ……」
嗚咽まじりの声が聞こえて、ディーンは顔をぐしゃぐしゃにして涙を流した。
会いたかった。
会いたかったんだ。
言葉にせずとも伝え合うように二人は声を殺して泣いた。




