極彩の龍神の冒険
某日、とある墓地にて――
ユラは古い石畳の上を静かに歩いていた。足元の石は、長い年月をかけて風雨に晒され、角が丸くなっている。隣を歩くキラは、時折、楽しそうに笑い乍ら、周囲の景色をカメラに収めている。
この世界は嘗て英雄達によって救われたという。その英雄達が残したという墓には、彼らの魂と其のの力を象徴する武器や魔法が封印されているらしい。ユラは其の英雄達に会いたいという、微かな衝動に突き動かされていた。
「ユラ……此処、何だか、寂しいね。」
キラの言葉に、ユラは小さく頷いた。この場所は英雄達の墓所の中でも、特に古く忘れ去られた場所だ。風が草を揺らし、乾いた音を立てている。
「……うん、寂しい……ね。」
ユラは目の前の墓碑に描かれた、風化しかかった紋様をなぞった。すると紋様が淡く光り始め、軈て墓碑全体が柔らかな光に包まれた。ユラの描いた線に命が吹き込まれ、紋様は元の鮮やかな姿を取り戻していく。
「凄い!ユラ、やっぱり凄いね!」
キラが目を輝かせな乍らユラの手元を覗き込む。ユラは微かに口角を上げた。感情が希薄な自分にとって、キラの言葉や表情は、まるで遠い異国の言語の様に感じられる。それでも其の言葉が、自分の中の僅かな温かさを呼び覚ますのを感じた。墓碑には、英雄達が残したメッセージが刻まれていた。ユラは、その文字を丁寧に読み解いていく。
『我らは勝利した。だが、真の敵は、勝利の後に訪れる忘却。』『我らの武器は、再び世界が危機に瀕した時に、真の英雄に力を貸すだろう。』
『そして、その時、我らが伝えられなかった真実を、君達は知るだろう。』
メッセージはそこで途切れていた。ユラは、メッセージを読み終えた後、ふと顔を上げた。
「……真実。私……知り、たい。」
ユラの言葉に、キラがと大きく頷いた。
「よし!次の墓に行こう、ユラ! 英雄達の真実、絶対に見つけよう!」
キラの明るい声が、墓所の静寂を破った。ユラは、再び鉛筆を握り、次へと向かう道しるべを描き始めた。次の英雄の墓は、深い森の中にひっそりと佇んでいた。木々は古く、苔むした岩が幾つも転がっている。
墓所の中央には、巨大な岩が彫刻の様に据えられていた。ユラは、その岩を眺め懐から白仙の絵筆を取り出した。優雅な姿の絵筆は、ユラの思考を具現化するのに最適な道具だ。ユラは宙に巨大なキャンバスを描く。
「……よし。」
ユラは、描いたキャンバスに筆を進めた。するとキャンバスから、色とりどりの光の粒子が飛び出し、周囲の空間が色彩豊かに変化していく。まるで、森の中に巨大な美術館が出現した様だ。
「わぁ……!」
キラが感嘆の声を上げた。ユラは、岩に描かれたメッセージを読み解く。
『我らの力は、世界を救う為にあった。だが、力は、必ずしも正義ではない。』
『真の脅威は、力の使い方を誤った時、内側から生じる。』
『我らの力を使う者は、力を愛し、しかし、力に溺れてはならない。』
メッセージの横には、小さな絵が描かれていた。それは、光を放つ宝石が、次第に黒い靄に侵食されていく様子だった。ユラは、その絵を模写し、色鮮やかな極彩式の絵具で彩った。すると絵具を塗った場所から、光の奔流が溢れ出し、黒い靄を浄化していく。
「力は……使い方、なんだね。」
ユラは、小さく呟いた。彼女の瞳の奥で、虹色の光が瞬いた。その時、森の奥から、黒い靄が立ち上り、周囲の空間を侵食し始めた。それは墓碑に、描かれていた絵とそっくりだった。黒い靄は、ユラとキラに向かって迫ってくる。
「ユラ、あれ、何!?」
キラが、焦った声でユラに問いかけた。ユラは、迷わず白仙の硝子筆を取り出した。
「あれは……力に溺れた者、の……怨念かな。」
ユラは深く澄んだ紺色の極彩式の洋墨で、空中に巨大な魔法陣を描いた。魔法陣が輝き、周囲の空間に強固な結界が形成される。黒い靄は結界に阻まれ、ユラ達に近付く事が出来なかった。
「さぁ……行くよ。」
ユラは描いた魔法陣から、煌びやかな光の矢を放った。光の矢は、黒い靄を貫き浄化していく。その光は、まるで夜空に打ち上げられた花火の様に、美しく散っていった。
英雄達の墓を巡る旅は続いた。ユラは、次々に英雄達のメッセージを読み解き、彼らが残した真実を知る。彼らは、世界を救った後に、その強大な力に溺れ、互いに争い軈て消え去ったのだ。彼らの墓に封印された武器や魔法は、力に溺れた彼らの無念が具現化したもので、真の英雄が現れる迄、力を求める者を拒絶し続けていたのだ。
最後の英雄の墓は、世界の中心に位置する、巨大なクリスタルの塔の頂上にあった。塔の周りには色とりどりの光が舞い、まるで万華鏡のようだ。ユラとキラは塔の頂上へと登っていく。
塔の頂上には、壮大な祭壇があった。祭壇の上には、一本の剣が刺さっていた。それは英雄達の力の象徴であり、同時に彼らの過ちの象徴でもあった。剣は黒い靄に侵食され、まるで汚れたかのように見えた。
「あれが……英雄達の、力……。」
ユラが呟いた。その時、祭壇の周りに、無数の黒い靄が現れた。それは、英雄達の怨念だ。
「ユラ……!」
キラが、ユラの腕を掴む。ユラは、キラに微笑みかけた。感情が希薄なユラにとって、精一杯の笑顔だった。
「大丈夫、今度は私達が……真の英雄に、なる。」
ユラは、懐から極彩式の胡蝶を呼び出した。無数の蝶がユラの周りを舞い、幻想的な光を放つ。ユラは其の蝶に指示を出した。蝶は黒い靄に向かって飛び、その身を犠牲にし乍ら靄を浄化していく。そしてユラは、感情を込めて歌を歌い始めた。
其れは静謐で、強い決意に満ちた歌だ。ユラの歌声が響き渡る。その歌声は、彼女の闇喰の力と融合し、周囲の空間を色彩豊かに染め上げていく。そして、ユラの背後には、雄大で幻想的な|極彩式の城《マキシマラエトス・カストゥル厶》が出現した。
「……行こう……キラ。」
ユラの言葉に、キラが力強く頷いた。二人は、城の中へと足を踏み入れた。城の中は、無限に広がる美術館だった。壁には、ユラが描いた絵画が飾られ、床には、ユラが作った彫刻が並んでいた。
「躍動する絵画達……お願い。」
ユラの声に絵画から精霊がが現れ、黒い靄と対峙した。彼らはユラの意思に従い、黒い靄を浄化していく。ユラは祭壇の剣に向かって歩み寄り、彼女は剣に手を伸ばす。剣はユラの手に触れた瞬間、黒い靄が浄化され元の輝きを取り戻した。
「此れが、英雄達の……本当の力……。」
ユラは、剣を祭壇から抜き取った。その瞬間、塔全体が、まばゆい光に包まれた。光は、世界中に広がり、英雄たちの怨念を浄化し、彼らの魂を安らかに眠らせた。
塔の頂上には、ユラとキラの二人が立っていた。彼らの手には、英雄たちの力が宿った剣が握られていた。剣は、二人の力と共鳴し、虹色の光を放っている。
「ユラ……僕達、本当に英雄になったんだね。」
キラが、嬉しそうに言った。ユラは、キラに微笑みかけた。
「うん……でも……まだ終わりじゃない。」
ユラの瞳の奥で、虹色の光が更に強く輝いていた。英雄たちが残した最後のメッセージ。
『新たな脅威が迫っている。君達が其の脅威を打ち破る、新たな英雄となる事を願う。』
ユラはキラの手を握り、空を見上げた。空には色とりどりの蝶が舞い、新たな物語の始まりを告げていた。
「私達の旅は……今、始まったばかり。」
ユラとキラは世界を救う、新たな英雄として一歩を踏み出した。彼らの旅は此れからも続く。世界が彼らを必要とする限り、彼らの物語は、永遠に語り継がれていくだろう。
旅の終着点は、此の世界の中心にあった。其処は一面の美しい花畑だった。色とりどりの花が咲き誇り風に揺れている。花畑の中央には、小さな石碑が立っていた。石碑には、英雄たちの最後のメッセージが刻まれていた。
『我らは真の平和を築く者が現れると信じている。』
そして、そのメッセージの下には、新たなメッセージが刻まれていた。
『そして君達こそが、その者達だ。』
ユラは其のメッセージを読み終えると、そっと石碑に手を触れた。すると石碑から柔らかな光が溢れ出し、彼女の手に握られた剣と共鳴する。光はユラとキラを包み込み、新たな力を与えてくれた。
「ユラ……僕達、本当に、成し遂げたんだね。」
キラが感動した様にユラに語りかける。ユラはキラの言葉に、心からの笑みを返した。それは此れまで見せたどんな笑みよりも、温かく、そして美しかった。感情が希薄だったユラに、新たな感情が芽生えた瞬間だ。
「……うん、でも此れは……まだ始まり……。」
ユラは、そう言って、キラの手を握りしめた。その時、二人の背後から、懐かしい声が聞こえてきた。
「ユラちゃん、キラちゃん……よくやったね、私の誇りだよ。」
二人が振り返ると、其処には母のサラと父のステラの姿がある。その隣には祖父のロインと祖母のセツラの姿もあった。彼らは二人の旅を、ずっと見守っていたのだ。ロインはユラに抱きつき、その頭を優しく撫でた。
「よくやったな、私の可愛いユラ。」
その言葉に、ユラは嬉しい様な少し困った様な顔をして、セツラに助けを求める視線を送った。セツラはユラの気持ちを察して、そっとロインに近づき彼を宥める。
「ロインさん、ユラさんもキラさんも、もう立派な英雄ですよ。過保護はもう止めにしませんか?」
セツラの言葉にロインは不服そうにしたが、すぐにユラを大切そうに見つめ、優しく微笑んだ。ユラは家族の姿を眺め乍ら、心の中で確信した。彼女がすべき事は……其れは力に溺れるのではなく、愛する人々と共に、此の世界を守っていく事だ。
ユラは愛する人達に囲まれ乍ら、再び空を見上げた。空には色とりどりの蝶が舞い、彼らの新たな物語の始まりを告げていた。彼らの旅は此れからも続くのだった。
某日、月の国――
夕暮れ時、月の国の空は燃える様な濃紅と、深い紺色に染まっていた。ユラは広大な庭園の片隅にある、白い大理石の彫刻が立ち並ぶ回廊にいた。周囲の彫刻たちは、日中の熱をまだ微かに宿している。ユラはそれら一つ一つに静かに手を触れていく。
「……うん、できた……。」
彼女がそう呟くと、触れた彫刻の表面に淡い光の粒子が宿り、まるで命を吹き込まれたかの様に僅かに身じろぎした。それは彼女が操る幻想、極彩の力。ユラの心の裡にある、研ぎ澄まされた感性が具現化したものだった。
月の国には歌によって、魔法を操る歌術師という存在がいる。然し其の力はあまりにも強大で、制御を誤れば世界を破壊してしまう危険を孕んでいた。
「ユラさん」
背後からユラを呼ぶ声がした。振り返ると、ロトスが静かに立っていた。彼はユラの婚約者で、その瞳は常に彼女の安寧を願っていた。
「ロト……。」
ユラは少しだけ首を傾げた。彼女の言葉はいつも途切れがちで、何を考えているのかを読み取るのは難しい。然しロトスには彼女の無言の問いが理解できた。
「はい……そろそろ、ユラさんのお部屋に戻る時間です。新しい絵具が届いております……お気に召していただけるといいのですが」
ロトスは優しい声で言った。ユラの極彩の能力は、絵画や彫刻を媒体として発揮される。ユラの感情が希薄なのは、彼女が白龍神と銀龍神の神性を其の儘受け継いだせいだった。感情の揺らぎが其の儘力の揺らぎに直結し、強大な力が暴走するのを防ぐ為、彼女の意識は自らの感情を封じ込めていたのだ。
部屋に戻ると大きなテーブルの上に、真新しい硝子瓶が幾つも並んでいた。蓋を開けると其々の絵具が淡く発光している。熱気や冷気、微かな水の香りが立ち上り、ユラの瞳に一瞬だけ好奇の色が灯った。
「……綺麗……。」
ユラはゆっくりと指を伸ばし、その一つに触れた。濃紅色の絵具。触れた途端、指先がじんわりと温かくなる。彼女は白仙の硝子筆を取り出し、新しいキャンバスに向き合った。白仙の硝子筆は、ユラの魔力を通すと内部で光の粒子が渦を巻く。それはまるで、閉じ込められた星屑の様だ。彼女が筆を走らせると、絵具は紙の上で生き生きと輝き、描かれた線は現実のものとなろうと脈動する。
彼女の感情が希薄であるからこそ、彼女の描く絵は極めて純粋で、研ぎ澄まされた美しさを放っていた。感情というノイズがないからこそ、彼女は芸術の本質を深く理解し、表現する事ができた。
彼女は、伝説の歌術師が残したとされる秘術について考えていた。それは歌によって暴走した魔法の力を制御し、人々を救う為のものだと伝えられている。彼女の祖母であるセツラは、その秘術は感情と深く結びついていると語っていた。然し感情のないユラには、それはあまりにも遠い道のりに思えた。
「はぁ……。」
ぽつりと、心の奥底から溜息が漏れた。
「……いや、後ろ向きになっては駄目ね……。」
彼女は筆を握り直し、キャンバスに集中した。彼女の瞳の奥、左目の縁には、虹色の微細な光の粒子が瞬く紋様が浮かんでいた。ユラの闇喰、イーリスとポルクスだ。
彼らはユラの持つ破壊衝動や殺戮衝動、そして自己否定の念を吸収し、創造への情熱へと昇華させる役割を担っていた。彼らがいるからこそ、ユラは暴走する事なく、この静謐な状態を保てていた。
軈て彼女は一つの絵を完成させた。それは色とりどりの蝶が舞う、幻想的な庭園の絵だった。絵から光の粒子が飛び散り、空中に蝶の幻影が舞い始める。それは彼女の幻想の一つ、極彩式の胡蝶だ。
「……ユラさん、素晴らしい絵だよ。」
ロトスが感嘆の声を漏らした。然しユラの表情は変わらなかった。彼女は只、完成した絵を静かに見つめている。感情がなければ、どれだけ美しいものを作り出しても、その喜びを味わう事はできない。
その夜、月の国に未曾有の危機が訪れた。突如として空が裂け、禍々しい闇の魔力があたりを覆い尽くしたのだ。それは、龍神族の永遠の宿敵である魔性だ。
「ユラさん、直ぐに避難を!」
ロトスの声が緊迫感に満ちていた。然しユラは動かなかった。彼女の瞳の奥、虹色の紋様が激しく光を放ち始める。イーリスとポルクスが、ユラの中に秘められた破壊衝動と殺戮衝動が抑えきれないほど高まっているのを伝えていた。
「駄目……私が、やらなきゃ……。」
彼女はそう呟くと、手にしていた『白仙の硝子筆』を夜空に向けた。そして、筆先から溢れ出す濃紅色の光の粒子が、夜の闇に抗うように力強く輝く。
魔性は負の力を貪り喰らい、その力を増幅させていた。街からは悲鳴と絶望の声が響き渡る。ロトスがユラの傍に寄り添う。
「ユラさん、僕が……。」
「……ロトは、皆を、守って……」
ユラの言葉に、ロトスは彼女の強い意志を感じ取った。彼女は、感情が希薄な故に、その意思を曲げることがない。ロトスは静かに頷き、他の人々を安全な場所に誘導し始めた。
ユラは独り、空を見上げた。彼女の胸の奥で、微かな、しかし確かに存在する感情が震えるのを感じた。それは、家族やロトス、そしてこの美しい国を守りたいという、純粋な願いだった。その願いは、彼女の感情を封じ込めていた壁に、僅かな亀裂を入れた。
「……歌……。」
彼女は口を開いた。普段は途切れがちな言葉が、然し此の時だけは、一つの旋律となって紡ぎ出される。
「私、私が……こんなじゃなかったら……良かったのにね……。」
その歌は、自らの不完全さを嘆く、悲しくも美しい調べだった。しかし、その悲しみは、すぐに決意へと変わる。
「いや……こんな事を思っては、駄目ね……もっと、良いモノを……絞り出さなきゃ……。」
彼女の歌声は徐々に力強く、研ぎ澄まされていく。それは彼女の闇喰であるイーリス/ポルクスの力を吸収し増幅させていく。歌声に呼応する様に、ユラの白仙の硝子筆から、濃紅と紺色の光が螺旋を描くように天へと昇っていく。
そして、彼女は絶唱を放った。その瞬間ユラを中心に、色鮮やかな光が爆発的に広がり、周囲の闇を吹き飛ばした。まるで無数の光の粒子が飛び散る巨大なキャンバスに、一筋の光が走ったかのようだった。
「──|極彩式の城《マキシマラエトス・カストゥル厶》!」
ユラの歌声が響き渡ると同時に、空中に幻影の城が出現し、現実の物質となって具現化し始めた。城の壁はステンドグラスで出来ており、其処にはユラが描いた、平和な日常の光景が描かれていた。城の内部は、無限に広がる美術館だ。魔性が其の巨大な美術館の中に入り込んだ瞬間、ユラは歌声に更なる力を込めた。
「さぁ、やっちゃって。」
美術館の壁に飾られた絵画から、色鮮やかな兵士や精霊たちが飛び出し、彫刻たちが意思を持って動き出した。彼らは、ユラの歌声と極彩の力によって命を吹き込まれ、一斉に魔性へと襲いかかる。
魔性は其れらを一瞬で消滅させようとした。然しユラの歌声と、彼女が描いた芸術作品に宿る力は、破壊衝動を創造への情熱へと昇華させるイーリスとポルクスの力によって、より強固なものとなっていた。
「ふふん。」
魔性はユラの歌声に抗い、彼女の精神に入り込もうとする。その心の奥底に、感情の欠如という弱点を見つけたからだ。ユラの脳裏に嘗て家族に言われた言葉、ロトスとの穏やかな時間の微かな喜びの感覚が蘇る。その時、彼女の心の奥底で、何かが弾けた。
「……ロト……皆……!」
彼女の内に秘められた感情が一気に溢れ出した。それは喜怒哀楽の感情というよりも、愛と守りたいという強い意志だった。
彼女の歌声が、変化した。其れは研ぎ澄まされた静謐さの中に、熱い情熱と、深い慈愛を含んだものになった。感情のノイズではない。感情其の物が彼女の歌声に、そして極彩の力に純粋な力として加わったのだ。
魔性は其の変質した歌声に戸惑い怯み、そして其の存在が揺らぎ始めた。ユラの歌声は破壊衝動を創造へと変え、そして存在其の物を極彩の世界へと塗り替えていく。
それは幼い頃に、母や父が歌ってくれた子守歌だ。その歌声は感情を封じ、込めていた彼女の心の壁を完全に壊し、彼女の魂の全てを極彩の世界に解き放った。
魔性は其の歌声によって、存在の根源から解体され、美しい色彩の光の粒子となって消滅した。戦いが終わり、月の国に平穏が戻った。ユラは其の場に崩れ落ちた。ロトスが駆け寄り、彼女を優しく抱きしめる。
「ユラさん!大丈夫ですか!?」
ユラは、ロトスの胸に顔を埋めた。そして、微かに震える声で、初めて自分の感情を言葉にした。
「ロト……ロト……私、凄く怖かった……でも、勝てた……勝てて、良かった……。」
その瞳から一筋の涙が流れた。それは感情を取り戻した事の証だった。空には、朝日が昇っていた。白く、そして濃紅と紺色が混ざり合った美しい空。それはまるで、ユラの龍神の姿其の物だった。
「お腹が空いた……私、ティラミス、食べたい……な。」
ユラはそう呟くと、ロトスに向かって、ほんの少し微笑んだ。その笑顔は、嘗てない程に穏やかで美しかった。
夜が明け、月の国に平穏が戻った。ユラはロトスの腕の中で、溢れ出る涙を拭う事もせずにただ安堵に浸っていた。彼女の心は長らく封じられていた感情の奔流に戸惑い乍らも、その温かさに震えていた。
「良かった……本当に、良かった!」
ロトスは彼女の髪を優しく撫で、その言葉を繰り返した。彼の声には、深い安堵とユラへの慈愛が満ちていた。ユラは顔を上げ、彼の瞳を見つめた。其処にあるのは、彼女の存在其の物を受け入れ、無条件に愛する光だ。その光に触れ、ユラの心はより一層満たされていくのを感じた。
「ロト、私……。」
彼女は言葉を探した。喜びや安堵、ほんの少しの恐怖。それら全てを伝える言葉を。然し上手く纏まらなかった。ただ彼の名を呼び、その胸に再び顔を埋める。ロトスは何も言わず、ただ彼女を抱きしめ続けたのだった。




