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龍の神  作者: カズハ
-とある龍神達の冒険譚-

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23/40

幽界の龍神の冒険

某日、月の国にて——


高度な科学技術が紡ぎ出す幾何学的な光と、神代より続く濃密な幻想の魔力が美しく融け合う帝国――月の国。

その表側の中心部に位置する首都、ウィンド・グローリーは、風の力を受けた浮遊建築物が白銀のビル群の合間を優雅に泳ぐ、秩序と革新の象徴たる大都市だ。

反重力技術によって地上から切り離された宮殿のテラスからは、人工的に制御された穏やかな春の風が吹き抜け、行き交う人々を優しく包み込んでいる。だが其の完璧な美しさに、目に見えない歪みが確実に生じていた。

「また、一人消えたそうだ。今度は月の裏側のサイバーシティ――魔眼蒐集局の外部研究員だった異邦人の男だよ」

宮殿の一室。上質な日本茶の湯気が微かに揺れる私室の机で、ロインは静かに口を開いた。その双眸に宿る理知と、背負う魔力の重厚さは、彼が幽世の理を完全に統べる最高位の術者である事を物語っていた。ロインの正面には、彼の娘であり星の魔女の異名を持つサラ、そしてサラの夫であり銀の支配者と畏怖されるステラが佇んでいる。

「ふふ、これで今月に入って七人目、ですか。共通点は、母さんの黄金十字秘局か、ステラさんの魔眼蒐集局に足を踏み入れていた事……父さん、現場の状況は?」

サラは、豊かな白髪を揺らし乍ら飄々と微笑んだ。其の容姿は完璧に美しく、常に掴み所がない。サラの隣では、黒と銀の衣服を纏った巨躯、ステラが無言で佇んでいた。冷徹な美貌に、何を考えているか分からない貌で沈黙している。

「現場には、どれも実体を持たない不気味な黒い靄と、被害者の血で直接描かれた様な、独自の言語構造を持つ特殊文字が残されていた……いや、文字其の物が悪意を持って蠢く、情報生命体の残滓とでも言うべきか」

ロインが真鍮製の杖、精霊杖(ヘクサ・カネ)を軽く床に突くと、大気中の魔素がろ過され、机の上に一つのホログラムが投影された。其処に映し出されたのは、人々の悪意や社会の闇が集積して生まれる混沌の具現――魔性(サヴァト)の悪性情報だ。人間の脳が直接触れれば、それだけで精神を根本から破壊されかねない、冒涜的なコード。

「それだけではない、奇妙なのは此処からだ……ステラ、魔眼蒐集局の職員達に、消えた男の素性を尋ねた時の事を。」

「……彼奴等は、男の名前を忘れていた。記録上には確かに在籍データがある。」

だが記憶の表層を深淵書架の魔眼で覗いても、男の顔や声、共に過ごした筈の思い出だけが、まるで最初から存在しなかったかの様に綺麗に削ぎ落とされていた。世界から存在の根が引き抜かれている様に。

ステラが極めて低い声で言った。言葉数は少ないが、事態の異常性を完璧に捉えている。被害者が消えるだけでなく、周囲の人間の記憶からも、其の人物の存在其の物が消滅していく。

量子力学的とも言えるその不安定な消滅の仕方は、人々の認識によって形作られる不確定の象徴――幻影が世界から忘れ去られて消えゆくプロセスに酷似していた。

「人の記憶と世界の記録を同時に書き換える……随分と高度で、不躾な悪意が我が物顔で踊っているね。」

サラの右眼、運命の糸を可視化する満月の魔眼が、一瞬だけ群青色の輝きを増した。その声は酷く穏やかだったが、彼女の周囲を浮遊する精密アナログ計算機天文観測儀(アストロラビウム)が、主の感情の激変を察知してカチカチと狂った様な速度で歯車を回転させ始める。

「そして――今朝、私の元にこれが届いた」

ロインは懐から、一通の手紙を取り出し机の上に置いた。其れは封筒から便箋に至る迄、何一つ文字が書かれていない白紙の手紙だ。だが其れが机に置かれた瞬間、部屋の空気が一変する。キィィィィン、と生者には聞こえない筈の、空間の軋むような不快な音が響いた。

「父さん、それは――」

「あぁ……嘗て、セツラが長期の放浪に出て、私が彼女を救えずに失踪させてしまったと思い込んでいた……。」

あの暗黒の時期。私の魂の根幹にある家族への罪悪感と不器用な後悔を精緻に狙い撃ちし、精神の内側から神経系に狂気を誘発させる呪詛の術式だ。白紙に見えるのは、見る者の最も見たくない記憶を幽世の理を用いて引き摺り出し、上書きしているからだ。

ロインの顔に、一瞬だけ翳りが差す。嘗て妻のセツラを失ったと誤解していた時の、狂いそうな程の孤独と後悔。其れを何者かが完璧に模倣し、嘲笑うかの様に突きつけてきているのだ。ロインは指をパチンと鳴らした。それだけで、白紙の手紙から立ち上りかけていた不気味な黒い靄は、ロインの幻想の初動によって、現世から切り離され虚無へと霧散した。

だが其の瞬間、サラの表情から飄々とした軽薄さが完全に消え失せた。彼女の左眼……対象に凶運を招き、秩序を乱す者へ災厄を課す彗星の魔眼が、昏い紅色の光を放って脈動する。

「……私の前で、父さんを傷つけようとした。それも、母さんとの大切な過去を汚す形で」

サラの背後に、銀色の濃霧が静かに、だが圧倒的な密度で発生し始める。彼女の内に秘められた先天的な苛烈さと、圧倒的な知性が、冷酷非道な星の魔女としての本質を完全に覚醒させていた。彼女の足元からは、重力を無視して星屑の結晶が生成され、パキパキと音を立てて空間を侵食していく。

「ステラさん、情報収集と観測は私に任せてください。君の魔眼で、この呪詛の因果の糸の出発点の割り出しをお願いします。」

「……言われる迄もない。私の視界からは、何一つ逃げられん」

ステラの双眸が、鈍い銀色の輝きを放ち始める。数十種類に及ぶ魔眼を統合制御する彼の瞳が、空間に焼き付けられた魔力の残照を捉えた。

「――見つけた、ノクス・アビスの境界、表と裏が交差する、ノヴァ・ゲート・テラスの最下層だ……そこから、汚れた福音の匂いがする。」

「よし……父さん、母さんには私から連絡を入れておきます。これ以上、あのマッドな知的好奇心の塊を怒らせると、月の国全土が実験場になりかねませんからね……さあ、行きましょう。私達の愛する家族を侮辱したバグを、世界の隅々まで追いつめて、徹底的に調和して差し上げます」

サラは再び、残酷なまでに美しい微笑みを浮かべた。その背後では、宇宙の深淵を象徴する領域が微かに現界し、無数の星雲が激しく渦巻いていた。


ネオンとホログラムの極彩色の光が冷たい闇を切り裂く、月の裏側のサイバーパンクシティ。その外郭であり、異邦人たちの文化が混在する緩衝地帯、ノヴァ・ゲート・テラスの最下層は、巨大な配管と廃棄されたデータケーブルが蠢く、帝国の死角だ。コツ、コツ、と静かな足音が、湿った鉄錆の床に響く。

「随分と淀んだ空気だな。精霊たちの呼吸が、悪性情報によって汚染されている」

ロインは、真鍮製の精霊杖(ヘクサ・カネ)を手に、毅然とした足取りで進んでいた。彼の懐には、霊力を封じた呪符・白仙幽符(エレミア・タリスマン)が数枚、何時でも発動出来る様に忍ばされている。

事件の監査を行っている友人、ハリーからは既にテルース・コーアのエネルギー循環に、異常なノイズが混入しているとの戦術解析データが届いていた。情報通のスミカの報告によれば、この下層エリア周辺で、存在しない筈の黒い桜の様な花弁を見たという不穏な書き込みが、SNS上で急速に拡散された直後に削除されているという。

「父さん、私の天文観測儀による空間解析も、この先で次元の位相が歪んでいると告げています……どうやら、只の待ち伏せではない様ですね。」

サラが三日月の端を削り出した銀の狙撃兵装、三日月の魔弓(ルーナ・アルクス)を軽く手に持ち乍ら、周囲の銀色の霧を濃くしていく。

その時だった。周囲のネオンの光が、一瞬にして掻き消えた。いや、光だけでなく、音も、大気の匂いも、汎ゆる五感が現実から強引に切り離されていく。ガサリと音を立てて降り注いできたのは、裏側には存在する筈のない、純白の雪。そして脳の奥を直接痺れさせる様な、ねっとりとした、酷く甘い花の香りが空間を満たした。

「これは――!」

ロインの目が驚愕に細められる。白い雪による記憶の消去と改変。甘い花による感情の操作。そして、頭上に浮かび上がる、不気味な銀の三日月。それは、ロイン自身が持つ全感覚統制・生命収穫能力、――月下香雪の揺り籠《クナブルム・ルーナ・ニクス》の術式其の物だった。

「ふふ、あはははは!最高位の術者、ロイン!貴方の術は素晴らしい!だから、私達がもっと美しく、――『魔性』の言葉で書き換えてあげました!」

 闇の中から、幾重にも重なり合う、狂気に満ちた声が響く。それは一つの意思ではなく、社会から拒絶され、誰からも認識されずに消えゆく幻影達の絶望と、歪んだ悪性情報が融合して生まれた、魔性(サヴァト)の上級個体だった。彼らの周囲には、人間の脳を破壊する特殊文字のコードが、まるで生き物のように鎖となって蠢いている。

「私の術を、これほど醜く汚悪なものへと変えるか――傲慢だな、悲しき影よ」

ロインの顔から、一切の感情が消えた。彼は瞬時に指を結ぶ――幻想、幽界。指の音が鳴り響いた瞬間、周囲の色彩は完全に剥落し、現世の物理法則は幽界の狂った理によって上書きされた。模倣された白い雪と甘い花が、ロインの展開した境界の軋みによって、その存在確率を狂わされ、バラバラに分解されていく。

「父さん、下がって――そんな偽物の揺り籠、私の星霊達で叩き潰してあげます」

サラが弓の弦を強引に引き絞ると、大気中の魔素が収束し、標的の生命波長を半永久的に捕捉し続ける光の追跡矢が番えられた。だが魔性の影は、更に強大な悪性情報の波を放ち、サラの精神其の物を錯乱させようと、呪詛の文字を弾丸の様に撃ち出してくる。

「――させん。」

前に出たのは、ステラだ。彼の右眼が、一瞬にして複雑な紋様へと変転する——因果応報の魔眼。迫り来る数千、数万の悪性情報の呪弾が、ステラの瞳の中に吸い込まれる様にして完全に吸収された。そして次の瞬間、全く同じ……いや、ステラの強大な魔力によって数十倍に膨れ上がった呪詛の暴風が、其の物魔性の影へと撃ち返された。

「ぎゃあああああ!?なんだ、この魔眼は……!脳が、情報が、書き換えられる――!」

「私の番ですね――白羊宮(アリエス)、獅子宮(レオ)!」

サラが浮遊する天文観測儀の周期を100%同調させ、汎用魔法系幻想、黄道十二星座(ゾディアック)を二重発動する。サラの両拳に超高密度の白銀の角が纏われ、同時に広範囲を殲滅する黄金の炎の獅子が召喚された。

ステラの反撃によって怯んだ魔性の影に対し、絶対的な熱線と炎の渦が容赦なく叩き込まれる。轟音と共に、テラスの最下層が激しく揺れ動いた。魔性の影は悲鳴を上げ乍ら、自らの体を無数の黒い霧へと分解し、更に下層の、帝国の動力源へと向かって逃走を図る。

「逃がすか。境界を斬る」

ステラがサラの変わりに、隕石から鍛えられた漆黒の太刀星月の剣(ステラ・グラディウス)を抜き放ち、空間其の物の境界を削ぎ落とす様に一閃した。空間が物理的に切断され、魔性の逃走経路が強引に遮断される。

「追うぞ……奴らの本拠地は、月の動力炉——テルース・コーアの直下だ……これ以上の我が物顔は、王として許容できん。」

ロインは精霊杖を握り直し、失われた色彩が戻りつつある闇の向こうを見据えた。その瞳には家族を守り抜くという、静かだが絶対的な決意の炎が灯っていた。


月の内部、帝国の生命線たる巨大エネルギー炉——テルース・コーア。本来であれば、神秘的な地下湖の静謐な水流と、古の知恵が詰まった古代遺跡が調和を保つ神聖な場所である筈の其処は、今や極彩色の悪性情報のノイズによって埋め尽くされていた。炉の周囲に設置された観測システムには、異常なエラーコードが走り続け、人工大気は不気味な金属の匂いを帯びて滞留している。

「あははは!素晴らしい!異邦人達が死の間際に残した人生の本、そこに刻まれた矮小な主観、証明不可能な思い出……!其れらを全てこの炉に流し込み、月の国の環境制御システムを完全に反転させる!帝国全土を、誰も誰をも証明できない、終わりなき混沌の迷宮へと再錬成するのだ!」

炉の中央、制御基盤の上に君臨した魔性の首魁が、奪い取った無数の本を虚空に浮かべ、叫んでいた。幻影達の絶望的な認識がエネルギーへと変換され、炉の輝きが藍色から禍々しい黒紫色へと変色していく。

「――ふふ……あり得たかもしれない可能性の残滓を触媒にするなんて、錬金術の基礎中の基礎。ですが、他人の大切な思い出を勝手にゴミ箱に放り込む様な雑な数式は、私の美意識が許さないですね。」

その時、狂気に満ちた空間に、凛として愉しげな女性の声が響き渡った。悪性情報の嵐を割って進み出てきたのは優雅な外套を靡かせた美しい女性――セツラだ。

旺盛な知的好奇心の塊であり、宇宙其の物を一個の完璧な生命体として再錬成する事を目指す、世界最高峰の錬金術師。彼女の右腕には、無限の探求心を制御し、彼女を此の世界に繋ぎ止める楔であるウロボロスの紋様が、金色の光を放って冷徹に脈動している。

「セツラ、無茶はするなよ?」

後ろから追いついたロインが、心配そうに声をかける。

「あら、ロインさん、心配性の君も素敵だけど、今は私の実験を見ていて?――己が最強ではなく、己は最強を産み落とす者。世界という巨大なシステムの管理者を名乗るなら、この程度のバグ、一瞬で書き換えてみせなくてはね」

セツラは、情報の増幅と選別を担う黄金の杖、伝令の杖(カドゥケウス)を軽く掲げた。杖に巻き付いた二匹の黄金蛇が自律した意思で目を覚まし、周囲の悪性情報の精神波を瞬時に視覚化・解析していく。

「母さん、加勢します!」

「私もだ」

サラとステラが左右に並び立つ。サラの周囲には、既に月の滴を吸って咲く伝説の霊花を模した月光花の杖(フロス・ルーナ)が出現し、宇宙の深淵の魔力を放ち始めている。ステラもまた、装着者の雷電操作の精度を神の領域へと引き上げる銀龍の王冠《アルジェント・クラウン》を頭上に戴き、全身から蒼白いプラズマを放っていた。

「生意気な錬金術師め! 潰せ!」

魔性の首魁が手を振ると、炉から溢れ出た悪性情報の影達が、津波となってセツラ達へ押し寄せた。触れれば、存在そのものを分子レベルで腐敗させ、歴史から消滅させる呪いの津波。

「さあ、私の可愛い子供達――行きなさい!月の錬金小人(ルーナ・ホムンクルス)、術式代行!月の光輝龍《ルーナ・ポいマンドレス》、現界!」

セツラが指を鳴らすと、彼女の脳内にのみ存在する、理想的な演算世界を現実に上書きする術式、神智の箱庭(ディヴィナス・ミニマ)が発動した。周囲の空間に淡い黄金色の幾何学模様が浮かび上がり、押し寄せる呪いの津波を物理現象のレイヤーで強制停止させる。

更に、虚空から宇宙の知性を宿した金色の巨大龍が姿を現し、その咆哮一発で万物の法則を歪め、魔性の雑兵達を分子レベルで分解していった。

「な、何なんだ、この女は……!?等価交換の法則を無視している……!?」

「私は世界の可能性を編む者ですよ――さあ、私の素晴らしい寓意画(タロット)の輝きを見せてあげます。」

セツラの周囲に、月光により固定された世界の真理を物理現象として引き出す魔導触媒――月の寓意画(ルーナ・タロット)が美しく整列した。

「――魔術師(メイガス)、無から現象を再構築しなさい――調整(アジャストメント)、敵の過剰な魔力と悪性情報を強制的に平均化と無効化を――そして、宇宙(ユニバース)、完璧な調和をここに齎し、私の望む新しい法則を定着させなさい!」

ツラが放った三枚のカードが、圧倒的な黄金の光を放って炸裂した。魔性の首魁が必死に組み上げた環境反転の大錬成式は、セツラの宇宙のカードが齎した絶対的な秩序によって、只の無害な魔力の霧へと強制的に書き換えられ、奪われていた異邦人達の人生の本が、一本ずつ元の綺麗な状態へと修復されていく。

「バ、バカな……!私の、私達の芸術が、システムが、一瞬で上書きされた……!?」

「さあ、お膳立ては済みました、ロインさん。サラさん、ステラさん――後は、あの見苦しいバグを、君達の力で完全に消去してください。」

セツラはふんわりと微笑み乍ら、伝令の杖を引き入れた。其の瞳には、マッドサイエンティストとしての冷徹な満足感と、家族への深い信頼が満ち溢れていた。


決戦の舞台は、月の内部から一転し、ネオン煌めくサイバーシティの上空、浮遊する反重力宮殿の最上層へと移っていた。錬成陣を破壊され、逃げ場を失った魔性の首魁は、月の国全土から掻き集めた最後の悪意と破壊衝動を自らの肉体に注入し、体長数十mに及ぶ、黒い靄と特殊文字で形成された巨大な異形の怪異へと膨れ上がっていた。

「認めん……!龍神族め!システムの番人どもめ!私達は消えん!誰からも忘れ去られた幻影達の怨念を、其の傲慢な身体に刻み込んでやる!」

怪異が咆哮すると、サイバーシティの空が引き裂かれ、無数の悪性情報の触手が宮殿へと殺到する。だが、その攻撃が届くよりも早く、サラの周囲に絶対の忠誠を誓う星々の精霊達――彗星銀河団(インターステラー)が総出で顕現した。

「我が主の行く道を遮る不届き者め、我が烈火の前に灰へと帰れ!」

燃える様な長髪を持つ威風堂々とした騎士、太陽のヘリオスが、巨大な炎の盾で悪性情報の触手を完全に遮断する。その側では、寡黙な武人、火星のグラディウスが紅蓮の瞳を輝かせ、容赦のない一撃で触手を次々と爆破していった。中性的な少年、水星のメルクリウスが銀髪を靡かせて空間を飛び回り、セレスやパラスたち小惑星の精霊が活発に動き回って、戦場全体の主導権を完全にサラの手元へと引き戻していく。

「――終わらせよう。」

ロインが、精霊杖を天へと掲げた。サラが、月光花の杖を前に突き出した。ステラが、槍を正眼に構えた。セツラが、ウロボロスの紋様を輝かせた。四人の龍神の魔術回路が、一族の血の絆を通じて完全に同調する。そして世界其の物のシステムを再定義する、四重の絶唱が始まった。

ロインの歌声は、聴く者の霊性を目覚めさせ、魂を異界へと誘う静かで厳かな幽世の響き。セツラの歌声は、世界の組成を書き換え、現実を実験場へと変貌させる創造と物質変革の旋律。

ステラの歌声は、内に秘めた情熱が聴く者の感覚を麻痺させ、存在確率を零にする純粋な銀色の雷光の呪歌。サラの歌声は、宇宙の運行と運命の吉凶を支配し、深淵なる宇宙の法則そのものを執行する絶対的な支配歌。

四つの異なる絶唱が重なり合い、融合した瞬間、反重力宮殿の周囲の空間は、物理的な三次元の限界を超え、完全なる「宇宙の深淵」へと塗り替えられた。

「グ、ガァァァァ!?なんだ、この歌は……!私達の存在が、概念ごと消去されていく……!身体が、維持できない――!」

「此れにて、公式な観測と記録を終了します――バイバイ、不届きなバグさん」

サラが、その絶対的な権能を解放した。眩い光の渦の中、彼女の身体が急速に巨大化していく。深藍と紅の鱗に銀河を纏った星々の龍神。翼には夜空を切り取った様な銀河が渦巻き、瞳からは未来の吉凶を操作する光の渦が放たれている。

その隣では、ステラもまた、全身を純銀の鱗と蒼白い雷光で覆った雷の支配者たる龍神の姿へと変貌を遂げていた。二人の龍神の奥で、安全装置である闇喰が完璧に機能し、暴走しかけた膨大な負の瘴気や悪意を、凄まじい勢いで喰らい尽くし純粋なエネルギーへと浄化していく。

「――三日月の魔弓(ルーナ・アルクス)、最大出力」

星々の龍神となったサラが、その巨大な爪で神代の銀で鍛え上げられた狙撃兵装を具現化し、弦を極限まで引き絞った。大気中、いや宇宙空間の全魔素を強引に収束させた光の追跡矢が、怪異の「存在の核」を半永久的に捕捉する。この矢は次元の壁すら透過し、標的を破壊するまで決して止まらない。

「逝け。」

放たれた光の矢は、空間を、時間を、因果律を音速を超えて突き抜け、怪異の胸の真ん中へと完璧に着弾した。次の瞬間、着弾点から宇宙の誕生を思わせる凄まじい光の爆発――星爆(スターバースト)が巻き起こった。

「ぎゃあああああああああああああああああっ!記録が、消える、私達が、消えるぅぅぅぅ!!」

魔性の首魁は、その膨大な悪性情報、怨念、存在理由のすべてを分子レベル、概念レベルで完全に粉砕され、塵一つ、コードの一文字すら残さずに、宇宙の深淵の彼方へと爆発四散し、完全消滅した。

 後に残されたのは、浄化された美しい星屑の粒子と、元の輝きを取り戻した月の動力炉――テルース・コーアの、穏やかで神秘的な藍色の光だけだった。


事件が完全に解決してから、数日後の事。月の国の首都、ウィンド・グローリーにある、カエルム・アルバスの特級浮遊庭園。そこには、人工的に制御された極上の五月の暖かな陽だまりが広がり、色とりどりの美しい花々が咲き誇っていた。

魔性の首魁によって消えかけていた異邦人達の記憶や存在は、セツラの精密な錬金術による再構成と、サラの星屑の結晶を用いた記憶投影の権能によって、何一つ欠ける事なく完璧に修復されていた。月の国は、科学と幻想の極致たる、元の平和で美しい秩序を取り戻している。

「父さん、この新しく作った和菓子、抹茶の苦味と白餡の甘味のバランスが最高ですよ。日本茶も、ヒサメが特別に精神安定の魔術を付与して淹れてくれたものですから、とても美味しいです」

サラは、いつもの飄々とした、掴み所のない微笑みを浮かべながら、ロインの湯呑みにお茶を注いだ。机の上には、ロインが其の器用な手先で焼き上げた、見事な伝統菓子やスイーツ、そしてセツラが用意した新鮮な果物ジュースが所狭しと並んでいる。

「ああ、美味しいな。サラ、セツラ……今回の事件では、私の過去の不徳のせいで、皆に心配をかけた……すまなかった」

ロインは、上質な珈琲を口に含みながら、少しだけ不器用そうに、だが深い情愛を込めて家族を見つめた。

「もう、ロインさんったら、まだそんな事を気にしているのですか?私は今、こうして君の隣で、大好きな果物スイーツを食べていますよ。」

完璧に囚われて飢餓感に苛まれるのもセツラの原動力だが、今ここにある完璧な時間だけは、彼女にとって何ものにも代えがたい錬成の成果である。


セツラがロインの腕にそっと寄り添い、鴛鴦夫婦と称されるに相応しい、深い愛の眼差しを向けた。ロインは少し照れたように視線を泳がせ、珈琲を飲み直す。その様子を見て、ステラは言葉を介さずに、サラの目を盗んでロインの皿にこっそりと激甘のマカロンを追加し、無言でロインを誂っていた。

「御祖父様ー!御祖母様ー!」

「母さん、父さん。」

其の時、庭園の芝生の向こうから、鈴を転がすような愛らしい二つの声が響いた。サラとステラの愛娘であり、ロインとセツラにとって目に入れても痛くない最愛の孫娘、――ユラとキラが、小さな手に可愛いぬいぐるみを抱えて走ってきたのだ。

「御祖父様、おままごと……しましょ?」

「御祖父様は、お星様のお城の優しい王様役ね!」

ユラとキラが、ロインの両膝にトントンと抱きつく。その瞬間。幽世の理を操り、数多の禁術を使い熟す最高位の威厳ある王、ロインの顔が、一瞬にして骨抜きになった。

「あ、あぁ……ユラ、キラ、よく来た……王様役だね、喜んでやらせてもらおう。」

「まあまあ、ストッパーの私の出番ね」

普段の寡黙さは何処へやら、孫娘達の前では無自覚に激しく溺愛する、只の人間臭い御祖父様へと変貌したロイン。その骨抜きぶりに、セツラはクスクスと笑う。ステラは無言の儘、少しだけ親離れしていく娘達の姿を思い出して寂しそうに目を細め、サラの影に隠れた。

「ふふ、あはは!本当に、父さんはユラちゃん達に弱いですね――でも此れでいい。此れが私達の守りたかった、最高の日常ですからね」

サラはステラの大きな手をそっと握り返し、今度はサイコパスの冷徹さなど微塵もない、一人の母としての、妻としての、娘としての聖母の様な温かな満面の微笑みを浮かべたのだった。

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