管理された安眠より、焦げ付いたテリヤキを
これは、人類が「味覚」を手放した後の世界の物語です。
「……おい、リナ。これ、本気で言ってるのか?」
エラータウンの共同食堂。テリヤキバーガーのお礼だと連れてこられたシオンの前に置かれたのは、焦げ付いた鉄板の上に乗った、正体不明の「肉のような塊」だった。かつてはネズミだったらしいその物体には、味付けの塩どころか、まともな洗浄すら施された形跡がない。ただ熱を通し、タンパク質が変質しただけの「燃料」が、そこにはあった。
恐る恐るシオンは、その物体を少しだけ口にしてみた。うん、塩味の炭に水気を足しただけだった。とても食べられるものじゃない。シオンはその塩味の炭を合成水でごくりと嚥下した。
「何よ。文句言うなら食べなくていいわよ。
これでも三日に一度の贅沢なんだから」
リナは不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、その細い指先は、空腹による微かな震えを隠しきれていなかった。塔の管理から外れるということは、完璧な栄養剤や合成食を捨てることだ。管理されない自由の代償は、内臓を掻きむしるような「飢え」という名の暴力だった。
『シオン。私のスキャン結果では、その物質の細菌含有量は基準値の四〇〇%を超えています。摂取すれば、あなたの脆弱な消化器官は三〇分以内に悲鳴を上げるでしょう』
視界の隅で、セラのホログラムが汚物を見るような目で皿を見下ろす。
「分かってるよ、セラ! でもな、問題はそこじゃねえ。……『美味そうじゃない』ことが、一番の問題なんだ!」
シオンは椅子を蹴って立ち上がった。食堂にいたボロボロの服を着た人々が、一斉に彼を振り返る。
「いいか、みんな。管理されない自由ってのは、ただ野たれ死ぬ権利のことじゃねえ。……美味いもんを食って、『明日も生きてやる』って笑う権利のことなんだよ!」
シオンはセラを連れて、最下層のガラクタ置き場へと向かった。 そこには、塔から廃棄された旧時代の残骸が山積みになっていた。リナたちジャンク屋はここでまだ使えそうなゴミを拾い、それを闇で流して商売する。大した稼ぎにはならないが、なんとか姉、妹、弟で食ってく分には十分らしい。
1キロ四方、巨大なゴミの山をシオンは見回し、セラに指示を出す。
「セラ、リストアップしろ。
高周波コイル、気圧制御バルブ、それから……微細振動発生装置だ」
『……。まさか、また、調理器具を作るつもりですか?私は戦闘用AIです。キッチンタイマーではありません』
「うるせえ! 最高のテリヤキソースには、分子レベルの温度管理が必要なんだ。
お前のその『全宇宙で一番性格の悪い演算能力』を、今こそ人類全体の幸福のために使わせろ!」
『ついこの間、テリヤキバーガーを作ったばかりだというのに、あれ以上を目指すのですか?向上心があることはいいことですが…』
セラは深いため息を吐くようなモーションを見せたが、その目は青い光を放ち、周囲のガラクタを走査し始めた。
『……了解しました。マスターが食中毒で死ねば、私の観測記録が途絶えますからね。妥協は許しませんよ。〇・一秒でも火加減を間違えたら、あなたの右腕の義手を強制加熱します』
「やってやろうじゃねえか!」
それからの数時間は、まさに「戦場」だった。 シオンは趣味の機械作りで鍛えた腕を振るい、セラが弾き出す数式に合わせてパーツを接合していく。セラフィオンの出力制御ユニットを流用した「超精密温度管理グリル」と、地下の合成水から塩分とミネラルを抽出する「簡易精製機」。
やがて、最下層の広場に奇跡のような光景が広がった。
シオンの手元で、ナノマシン技術によって急成長させた食用植物の葉と、地下で捕獲された野生肉が、セラの完璧な指揮の下で調理されていく。
「リナ、口を開けろ」
シオンは、焼き上がったばかりの「何か」をリナに差し出した。 それは、旧・物流ターミナルにある代用食材を寄せ集め、セラが算出した『人類が最も食欲をそそられる黄金比率』で配合された、即席の合成肉のテリヤキ風パティだ。
「……毒味なら自分ですれば……んっ!?」
リナの言葉は、その香ばしい匂いに遮られた。 意を決して彼女が一口噛み締めた瞬間、食堂に沈黙が走った。
「…………っ、……あ、うまい」
リナの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。 三〇〇年前のデータに残された、本物の「火」の匂い。醤油に似た芳醇な香りと、肉汁の脂。そして、隠し味にセラが提案した「地下苔の微かな苦味」が、単調な理性の世界を破壊する。
「シオン、これ……すごい。体が、熱いよ」
「この間の缶詰肉みたいな本物の肉じゃないが大したもんだろう」
リナの声を聞いて、一人、また一人と住民たちが集まってくる。シオンは高らかに笑い、エーテル・ソードを包丁代わりに振り回した。
「いいか! 塔の野郎に見せてやろうぜ! 管理された安眠より、俺たちは自分の手で焼いた、この焦げ付いたテリヤキバーガーを選ぶんだってな!」
『シオン。住民たちの幸福度が八〇〇%上昇。同時に、塔に対する反抗意志のパルスが急増しています。……食事とは、理性を汚染する最強の毒物ですね』
「へへっ、最高の褒め言葉だぜ。セラ、おかわりだ! 演算速度を上げろ!」
『……。不本意ですが、マヨネーズの代替生成シミュレーションを先行開始します。
感謝しなさい、このバカマスター』
それは、ほんの些細な反抗心だった。現状に満足していたエラー・コードの人々に『美味い物は自分の手で作るものだという意識を植え付けた。
そして、その小さな波紋は大きくエラー・コードの人々を変えていくことになる。
あるものは上手い肉を。
あるものは新鮮な野菜を。
あるものは甘いスィーツを。
そして、あるものは皆が美味いという食堂を。
それぞれが、それぞれのやり方で「食」に向き合い始めたのであった。
エラータウンの人々はもともと感情豊かで、個性豊かな人々である。
今、それが大きな流れを生もうとしていた、静かな川面に投げられたシオン・グレイスという風変わりな小石によって……。
地下の暗闇の中で、灯されたのは一つの小さな「灯」だった。 それはやがて、惑星レグナス全土を焼き尽くす「反抗の炎」へと変わっていく。シオンたちの戦いは、もはや生存のためではない。 「最高のテリヤキ」を世界に取り戻すための、聖戦となったのだ。
次回、続きます。




