三節
ナイアスとセクアナはとりとめない事を語りつつ村へと戻ってきた。
そのまま二人は特に意味はないが、二人で雑談しつつ散歩した。少しナーバスになっているセクアナの気を晴らすナイアスの気遣いであったのかも知れない。
問題自体はどうしようもなくとも、気の許せる相手と話しているだけでも気分は上向きになるものだ。
その道すがら、二人と同年代と思わしき少年を見つけてセクアナが声をかけた。
「あ、アイテルだ。相変わらず暇そうね」
「いきなりご挨拶だな。お前ら二人も中々暇そうだぞ」
「私はともかくナイアスは暇じゃないよ、さっきまで湖の滸で絵になるのに忙しかったのよ!」
「それは忙しい事なのか……?」
「本を読んでいただけだよ」
ナイアスと同い年の少年、アイテル。村で衣料品を制作している家の息子で、彼とナイアスとセクアナは仲が良く、よく三人でつるんでいる事が多い。
アイテルは、赤みがかった色の髪を割と無造作に切ったような髪型にしており、顔立ちは純朴そうだが、同時に目付きがやや鋭く少しキツそうな印象も受ける。セクアナが表情がコロコロ変わるのとは真逆に、彼は表情があまり変わらない。その実内面は情緒豊かな少年であった。
中肉中背だが身長は175センチ程あるので、女性としては背が高めのナイアスと比べても流石に身体が大きかった。
「それに別に俺は暇じゃない。家の仕事の手伝いが一段落したから、ちょっと外の空気を吸いに来ただけだ」
「アイテル手先不器用だから、足を引っ張って追い出されたんじゃないの?」
「いくらなんでもそこまで酷くはねーよ!」
「今日のお空、綺麗だもんね」
「お前は呑気か!?」
アイテルは、揶揄するセクアナに反論して、微笑して超然とした物言いをするナイアスに突っ込んだ。大体三人はいつもこんな調子だ。
「ところで実は私とナイアスでいつか外の世界を見に行こうという話をしていたの」
「また、脈絡のない話だな……ナイアスはお前が無理矢理連れ出すつもりだろ」
「結構合ってる」
唐突な話題にやや呆れながらアイテルはそう言った。ナイアスが外の世界への興味がないのは周知の事実である。
「そうは言っても海を見たければ村の外へ出るしかないじゃない。必然的に外の世界には行くことにはなるでしょう?」
「そりゃまぁ、そうだろうけどな」
確かに海を見るには、外の世界へと飛び出さないといけないというのは正論ではある。
「アイテルはどうなの? 外の世界、行きたい?」
ナイアスは興味本位か、アイテルの意見を伺った。
「俺は、そうだな……行きたいとか行きたくないとかいうよりも、多分行く事はないだろうな」
「えー、なんでそう言い切れるのよ?」
アイテルの答えにセクアナはそう聞き返す。
「俺はこの村が好きだからだな。外への興味がないとはいわないが、だけど苦労してまで村を出るほどの事じゃない」
「なんだ、アイテルもナイアス派かぁ、二人ともロマンがないなぁ」
地に足のついた答えに、セクアナはぼやいてみせる。
「別に俺は興味がないって事はないからナイアスとは違う。それに、ロマンってのはちゃんと現実に即してこそロマンだろう? 非現実的な事はロマンとは言えないぞ」
「別に非現実的って程ありえない事じゃないでしょ」
アイテルの指摘に、そんな夢物語を言ってるつもりはないとセクアナは反論する。
そんな話を聞きながら、ナイアスは話には入らずにぼんやりといつかの未来に、外の世界をセクアナと二人で歩く想像をしてみる。正直、リアリティがなかった。
「確かに本気でやろうとすれば実現は出来ると思う。だが、お前の場合リアリティがないんだよ」
「なんでよ?」
奇しくもナイアスの想像と同じく、リアリティの欠如を指摘したアイテルに、流石にムッとしたのか、むくれてセクアナは言った。
「いずれ外の世界に出る為に、具体的にお前は何をしているんだ?」
「それは……」
どんな準備をしているかと言われると、セクアナは返答に窮した。
「村の外に出る為には色々今の内に出来る事はあるだろ。俺だったらまず金を溜めたり、外の世界に出た事ある長老方の誰かに相談したり、外の人間と関わりある人に頼んでコネを作ったりするな」
もっともな物言いに、セクアナはぐっと詰まった。口だけで行きたいと言いながら、彼女はそういった実際行く為の行動を取ったのか?
「お前は、外の世界へ行きたいといいながら本当は外に出るのが怖いのさ。だからナイアスを道連れにしようとするし、いつかは、って言って可能性だけは残したまま、行動は起こさずにいつまでも保留にしておく」
「つまり保留のまま結局外の世界になんて行く事はない」
キツめの物言いだが、決して的外れではないのかセクアナは顔を赤らめて眉を釣り上げた。
「何よ!最もらしい現実論ばっかり振り翳して。そんなに人の夢を否定する事が楽しいの!?」
「否定する気は毛頭ないさ。さっき言ったように、夢は現実に即して初めて実現出来るってだけのことさ」
言い返すセクアナに、憎たらしいくらい冷静にアイテルは反駁する。
「なら見てなさいよ! 必ず実現してみせるんだから、その時一緒に行きたいって言っても遅いんだからね!」
「ちゃんと見ているさ……それに行きたければ俺は自分一人で行くさ」
セクアナの宣誓に何処か煽る様にアイテルが答える。
「生意気! 先に帰る、じゃあね!」
「あぁ、またな」
「またね」
へそを曲げたのか、あるいは負けん気に火がついたのか、そう言ってセクアナは一足先に去っていった。
残された二人は、そのまま立ち尽くす。アイテルは空を仰いで一つ息を吐いた。
「確かに、綺麗だな」
何処までも広がる蒼穹に、うろこのように細かく雲が並んだ空を見上げて彼は言った。
「ずいぶん焚き付けたね?」
二人が軽い舌戦になっている間は、特に口を挟もうとはしなかったナイアスは言った。
「まぁな。案外臆病な所がある奴だし、あのくらい言った方が腹がくくれるだろ?」
単なる挑発ではなくて、彼なりにセクアナを思っての言葉だったのだろう?
「セクアナは村から出られると思う?」
「さぁなぁ? さっき言った通り口だけの今のままじゃ無理だろう。だけど俺たちの世代で出られるとしたらあいつくらいじゃないか?」
腹をくくれたらの話だが。とアイテルは付け足す。
「……実際の所、夢を見て、それを実現出来るんじゃないかって、あいつは何処かそう思わせる所はあるからな」
「なんとなく分かるよ」
セクアナの熱量には思う所があるのか、そう続ける彼に、ナイアスも頷いた。
「私達の世代だと、外の世界へ憧れる人達多いもんね」
「そうだな。でも俺はそういうのはわかんね。セクアナの言う通り俺は、現実的なだけでつまらないのかもな」
「アイテルは本当は外の世界の事をどう思っているの?」
「そうだな……」
ナイアスの問いに、少し思考を改め、言葉を吟味する様子を見せてから答えた。
「まずもって、俺はこの村が好きだ。この村で過ごす日々に満足しているから、特別外の世界へ憧れる事がない」
セクアナに言った様に興味がないとまでは言わないが。と続ける。
「だが、セクアナのように村の外に憧れる奴らは、きっと閉塞感を感じているんだろうな」
「この村にいる限り、村の外とはほぼ関わりがないもんね」
アイテルの言葉に、そう相槌を打つ。
「村の外にある娯楽すら殆ど中には入ってこないしな。広い世界を直に見てみたい、自由に憧れる気持ちも分かる」
「でも?」
「だけど」
一つ間を置いて彼は続けた。
「多分になるが……案外、外の世界の俺たちと同年代の奴らも、同じような事を考えているんじゃないか?」
「この村よりも娯楽も沢山あって、何処にでもいけるのに?」
問いにアイテルは頷いた。
「そう、結局何処に行っても同じで、満足する事も自由もないと不満を皆言っているのではないか、とな」
その考え方は、ナイアスの感性と似通っていた。
「例えば……私はおじさんの畑の仕事を手伝い終わってクタクタに疲れた時に飲む一杯のぬるいお水が何より美味しい」
「俺は仕事の気晴らしに村を散策していて、小さな川沿いに咲いている野花を愛でるだけで充分安らぐ」
「どうして皆そう思わないのかな?」
互いに言い合って、最後にナイアスはそう疑問に思った。
「さぁな、でもセクアナはいつか気がつくんじゃないか?」
「いつ?」
「本当に外の世界をその眼で見た時に」
そう、アイテルは問いに答えた。
「村に居ても、外に飛び出しても同じだった。自由なんて何処にもないと、不自由を自覚する時にあいつは初めて自由になれる」
「あいつが外の世界を見に行くのは不自由の確認作業なのかもな」
その答えにクスリと笑ってナイアスは言った。
「そう考えたら、なんだか回りくどいね」
「人生に近道はないさ。それにあいつが外の世界に出られたら、きっとそれ以外にも得られるものはあるだろうしな」
「そういう二人も若いのに、随分回りくどい話ばっかりしているわよ」
二人で話していた時に、突然横合いから第三者の柔らかくも暖かみのある声がかかった。
ナイアスは冷静に目を向け、アイテルは驚いたように振り向いた先、家屋の影から一人の女性が現れた。
「二人ともまだまだ若いんだから、そんな老成したような事ばかり言わずに、もっと欲張ってもいいんじゃないかしらって、お姉さん思うわ」
「テミス」
「姉さん、聞いてたのか?」
アイテルから姉さんと呼ばれた女性の名はテミス。ナイアス以上に色素が薄く、ほぼ白く透き通った繊細な長髪。スカイブルーの切れ長の瞳が印象的な整った顔立ちに柔和な表情を浮かべている。
身長は低いが、胸元は隆起し、腰つきも丸みを帯びて女性的な体つきだ。服装は大人しめで品が良く、ちょっとした仕草にも艶があり、まだ若いのに大人らしさがある。
ナイアスは精霊じみた美しさがあるのに対して、テミスは聖母のような美しさを感じさせた。
姉さんと呼ばれていたが、ただの愛称で別にアイテルと血縁という訳ではない。齢十九になる彼女は、優しく人当たりがよくも、頼りにもなって、セクアナ達三人から姉のように慕われていた。
「不自由を確認する為に、外の世界へ出るなんて夢のない事いうもんじゃないわ。そういう物の見方はもう少し歳を重ねてからでいいのよ。若いうちはロマンチストであるくらいがちょうどいいわ」
「耳が痛いな」
「私は好きだよ。ロマンも」
夢がないとばっさり切られたアイテルは苦笑するが、ナイアスはぼんやり空を仰ぎながら答える。ナイアスもまた、広く、深い大海を夢見ている。
「まぁ、分をわきまえているという意味では貴方達らしいけどね。全く二人はよく似ているわ」
クスクスと口元に手を当ててテミスは品よく面白そうに笑った。
「でも、確かに村の外に自由はなくても、セクアナなら、この村にいるより自分の世界を広げる事は出来ると私は思うわ。あの子はきっと沢山の可能性を持っている」
「それについては、否定は出来ないな」
そう思わせるものをセクアナは持っている。アイテルが煽り立てるような事を言ったのもそれ故にだろう。
「ナイアスも見たいんでしょう? 海を。この世界で一番広くて、一番深い、水の世界」
「セクアナなら、貴女を海まで連れて行ってくれるかも知れないわ」
テミスは微笑んで、そうナイアスに言った。セクアナが言った通り、外の世界に興味がなくとも海へ行くには村を出ないといけない。
「セクアナと一緒に海に行けるなら、それもいいかも知れないね」
ナイアスは掴みどころのない笑みを浮かべてそう答えた。
「さて、ひとりぼっちのリアリストさんは一人残されちゃったわね。貴方も広い海や世界の一つくらい見に行っても損はないんじゃないかしら?」
「今度は俺が焚き付けられる側か、姉さんには敵わないな。でもやっぱり俺は海や、外の世界よりもこの村が好きだな」
シニカルに言うアイテルは、でも、と続ける。ナイアスの憧れる海。それはどんなものか? 彼女と並んで海を見られる未来がもしあるのなら。
「それも、悪くないのかも知れないな」
そう言ってアイテルは瞠目して笑った——




