第33話
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「花嫁選びの祭典。私、見ていました」
ミリエラ・コルベムが、そんな事を言っている。
頭まで布団を被せ、押し包んで黙らせるべきか、とシェルミーネ・グラークは本気で思った。
「シェルミーネ様は……何故アイリ様を、いじめていたのですか?」
「あの子が大嫌いだったから、ですわ」
近衛騎士レオゲルド・ディランの、私邸。
シェルミーネとミリエラは、2人で1つの寝室を宛がわれていた。
寝台の上、布団の中から、ミリエラはじっとシェルミーネを見つめてくる。
「……貴女は、お優しい方です。そんな事を、なさるわけが」
「ミリエラさんもね、もう少し大きくなれば……きっと、わかりますわ」
10歳の少女、である。
2倍近く生きているシェルミーネと比べ、まだ何も知らない。
「いじめたくて、どうしようもなくなる相手というもの……必ず、どこかから出てまいりますから」
死んだ人間は、戻って来ない。
生きている者は、死んだ者のためには何ひとつ、してはやれない。
何をしたところで、単なる自己満足にしかならないのだ。
それをミリエラは、まだ知らない。
(自己満足を遂げぬ限り、一歩も先へ進めない。そんな愚か者が存在する事も……まあ、知らなくて一向に構いませんけれど。ね……)
シェルミーネは、そっとミリエラの髪を撫でた。
さらりとした、亜麻色の髪。
先程、一緒に入浴し、シェルミーネが念入りに洗った。
「……死んだ人間の復活を願うなど、おやめなさい」
布団の上から、ミリエラの小さな身体を抱き締める。
「ヴェノーラ・ゲントリウス陛下は今、安らかなる眠りの最中にいらっしゃいますわ……起こしてしまっては、かわいそう」
「…………そう……ですね……」
ミリエラの澄んだ瞳が、揺れた。
「……何故……どうして私は、その事に思い至らなかったのでしょう……? 自分たちの都合ばかりを言い立てて……眠りを妨げられる方のお気持ちを、全く考えずに……」
「人は、自分たちの都合ばかりを言い立てるもの」
ミリエラの父、クルバート・コルベム伯爵は、言っていた。これは自分たちコルベム家の問題である、と。
家の問題。
ひとつ思いついた事を、シェルミーネは口にした。
「貴女の……お母様も、そうなのでしょう? ねえ、ミリエラさん」
「母は……」
ミリエラが、布団越しに身を擦り寄せて来る。
「……ヴィスガルド王家の治世は、腐敗の極みにあると……困窮のただ中にある民を、帝国の威光で救わなければならない。そのためには、偉大なるヴェノーラ・ゲントリウス陛下に御再臨いただくしかないと……母は、言いました」
やはり、とシェルミーネは思った。
クルバート伯爵は有能な官吏だが、もしかすると家庭を顧みないところがあったのかも知れない。
彼の妻が、反政府的な活動に入り込んでしまった。
娘を無理矢理、伴ってだ。
それが、すなわちコルベム家の問題。
「ミリエラさんは……お父様とお母様が、お好き?」
「はい」
シェルミーネの問いかけに、少女は可愛らしく即答した。
「仲直り……して欲しいと思います……」
「時間がかかる、と思いますわ。焦らずに参りましょう」
布団の上からシェルミーネは、ミリエラの小さな身体を優しく叩いた。
「……今日はもう、お休みなさい」
「はい……シェルミーネ様も……」
ミリエラは、目を閉じた。
「……おやすみ……なさい……」
すぐに、眠りに落ちていった。
小さな寝息、愛らしい寝顔。
シェルミーネは寝台を下り、うろうろと室内を歩き回った。足音は、殺したつもりだ。
身に着けているのは、男物としても使える部屋着で、腰には細身の長剣を帯びている。
それを抜き放ち、真剣の素振りを始めてしまうところであった。
「……入っておいでなさいな、ガロムさん」
廊下で不寝番をしているであろう若き兵士に、シェルミーネは室内から声を投げた。
いくらか、躊躇う気配があった。
やがて静かに、扉が開いた。
顔に傷跡のある厳つい若者が、おずおずと部屋に入って来る。
「寝ずの番など不要ですわ。貴方も、しっかりお休みなさい。いざという時に睡眠不足では本末転倒というもの……それに、ね。ガロムさん」
シェルミーネは、微笑みかけた。
「近くで守って下さるならば……同じお部屋でなければ、無意味でしてよ?」
「そ、そのような……」
ガロム・ザグが、凶猛な顔をほんのりと赤らめる。
「まあ、お座りなさい。少し、今後のお話を致しましょう」
シェルミーネはガロムを椅子に導き、自身は寝台に腰掛けた。
「……私、眠れなくなってしまいましたわ。はらわたと脳漿が煮えくり返っておりますの」
「コルベム家は現在、厄介事のさなかにあるようです」
ガロムが、声を潜めた。
ミリエラは、よく眠っている。ぼそぼそと会話をした程度では目覚めないだろう、と思える。
「クルバート卿は今もまだ、レオゲルド伯爵と何やら話し込んでいますね」
「レオゲルド卿とは、ガロムさんも親しくお話をなさったのでしょう? 武術のお手合わせをしながら。私も参加すれば良かったですわ」
「……話をしました。メレス・ライアット侯爵の、お父上に関して」
メレスの父。シグルム・ライアット侯爵。
ガロムと同じく二刀流の剣士で、英傑と呼べる人物であったらしい。
花嫁選びの祭典を取り仕切っていたのも彼で、厳正・公正な審査をしてくれた。準優勝者としては、感謝をすべきか。
祭典の後、怪死を遂げた。
かの人物に関してシェルミーネが知る事は、その程度である。
「シグルム侯は、毒矢で殺されたそうです。そして……矢を使う殺し屋を1人。俺は、知っているような気がします」
ザーベック・ガルファ。
その名前を、ガロムは口にしない。
それでも彼が、何を言わんとしているのかは何となくわかる。
「……同じ、という事ですの?」
「それは、わかりません。あの男は、何でも屋……同じ雇い主に、使われ続けていたかどうかは」
シグルム・ライアットを殺した暗殺者。
アイリ・カナンに矢を撃ち込んだ殺し屋。
この両者は、同一人物か。
だとしたら、背後にいる者も同じであるのか。
ザーベック・ガルファを放ってシグルム侯の命を奪った何者かが、アイリに対しても同じ事をしたのか。
シグルム・ライアットの怪死。
まずは、そこから調べるべきなのか。
「……仮にガロムさんの思い違いであったとしても。そこから調べ始める事で、何かに繋がってゆくかも知れませんわね。手がかりのない調べ事、焦らず参りましょう」
「シェルミーネ様は」
静かな寝息を発する少女に、ガロムはちらりと視線を向けた。
「ミリエラ嬢を、難儀な状況に放置したまま……調べ事をする、というのは無理ですよね?」
「……ミリエラさんは、フェルナー王子と同じくグラーク家でお預かりしたいところ。ですわね」
シェルミーネは、重く息をついた。
ここが王都ではなくドルムト地方、グラーク家の領内であれば間違いなくそうしていただろう、とシェルミーネは思う。
「黒薔薇党」
謎めいた単語を、ガロムは口にした。
「大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウスの復活と再臨を叫ぶ人々は、そう自称しているようです。ミリエラ嬢に付属して来た連中が、言っていました」
「ガロムさんは、あの方々とお話をなさいましたのね」
シェルミーネは苦笑した。
「私は無理。あの方々を見ていると、片っ端から張り倒したくなってしまいますわ」
「黒い薔薇は、ヴェノーラ・ゲントリウスを象徴するもの。らしいですね」
大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウスは、帝国最後にして最大の専制君主であった。
刃向かう者たちを、手ずから処刑した。
皇宮の庭園では、処刑された人々の屍を肥料に、薔薇がよく育ったという。
血の色の薔薇。
赤色を通り越し、黒々と咲き誇ったという。
「かの大皇妃は死の間際、アドラン地方の帝国陵墓に……自身の、復活の手立てを遺したと。連中から、そんな話を聞かされました」
ガロムは、腕組みをした。
「それを信じて悪巧みをする連中に、ミリエラ嬢は聖女などと祭り上げられているわけですが……積極的に、そんな形を作っているのは」
「……ミリエラさんの、お母君なのでしょう?」
「ご存じでしたか」
ガロムの口調が、重くなった。
「クルバート伯爵の奥方、バレリア・コルベムという女性らしいですが。彼女が今や、どうやら黒薔薇党の中心人物と言える立場にあるようです。御息女のおかげで」
ミリエラの寝顔に、ガロムは暗い眼差しを向けている。
「ミリエラ嬢は、癒しの力を使えます。やりよう次第では……大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウスの、生まれ変わりとして祭り上げる事も」
「……バレリア夫人が、そのような事を?」
「そんな動きを、彼女は黒薔薇党の内部で押し進めている、という話です。連中の1人が言っていました」
「コルベム家の問題、とクルバート卿はおっしゃいましたが」
シェルミーネは、頭を抱えた。
憤激のあまり、脳漿が沸騰している。
「……問題も、問題。大問題ですわね、まったく」
「恐らくは明日にでも。黒薔薇党からレオゲルド伯爵に、ミリエラ嬢を返せという話が来るでしょう」
ガロムは言った。
「お父君のクルバート卿は、こちらにおりますが……」
「奥方の剣幕に屈して、ミリエラさんを引き渡してしまいかねない……という事ですわね」
レオゲルド伯爵が、ミリエラを守るために何かをしてくれるのか。それは、全くの未知数である。
「…………ガロムさん、お願い」
頭を抱えたまま、シェルミーネは呻いた。
「黒薔薇党の方々と……バレリア・コルベム伯爵夫人と、可能な限り穏便にお話をつける。レオゲルド卿に御迷惑をかける事なく、私がそれをする方法……どうか、考えて下さらないかしら? 私より頭の良いガロムさんが、頼りですわ」




