第31話
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「大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウス陛下は、後の世の悪名を恐れる事なく、帝国政治の大改革に取り組んだ御方です」
尼僧の装束をまとう小さな少女が、淀みない口調で語り続ける。
「困窮する民を守り救うため、時として冷酷とも言える政策を断行しなければならない時もありました。その場凌ぎの慈愛で十人の民を一時的に救うのではなく、百人の民を長らく守るために、その十人を死なせる政治……人々はヴェノーラ陛下を恐れ憎み、ですが最後には敬い崇めました」
帝国最後の支配者ヴェノーラ・ゲントリウスを、今なお敬い崇める大人たちが、10歳の少女に対し跪いている。
貴族たちに、兵士たち。
彼らに、少女は語りかけを続けた。
「今この時代。帝国は失われ、逆賊アルス・レイドックによって築かれしヴィスガルド王国は、帝国末期と同じく滅びの時代を迎えております。逆賊の王国であろうと、民は守らなければなりません……が、私たちでは力不足。真の偉大なる御方に、この世へとお戻りいただく必要があります。大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウス陛下の、復活と御再臨のため。私たちの命を、捧げましょう」
「我らの、命を……」
跪き唱える貴族の1人を、シェルミーネ・グラークは引きずり起こした。
「……恥ずかしい、とは思いませんの? よい大人の方々が」
「な、何をする。離せ、悪役令嬢……」
青ざめる男の胸ぐらを、シェルミーネは掴んで揺さぶった。
「子供を祭り上げて一体、何を企んでおられるのやら……」
「やめて……やめて下さい、シェルミーネ・グラーク様……」
少女が、じっと眼差しを向けてくる。
「強い御方は……弱い人を虐めては、いけないと思うのです……」
「……覚えておきなさいな、ミリエラさん。弱い事、それは世迷い言を垂れ流しても許される理由にはなりませんのよ」
男の胸ぐらを、シェルミーネは放り捨てた。
ミリエラ・コルベム。
シェルミーネが先程、王都の裏通りで拾った少女である。
拾ったところ、このような要らぬ大人たちが付属していた。
全員を、近衛騎士レオゲルド・ディラン伯爵は、こうして私邸へと引き入れてくれたのだ。
「……世迷い言……と、おっしゃるのですか? 偉大な方の、偉大なる業績を語る事が……」
ミリエラが、見つめてくる。
澄んだ、純粋な瞳。
純粋に、この少女は信じているのだ。
古の大皇妃の復活を語る事が、己の果たすべき使命であると。
まっすぐ見つめ返し、シェルミーネは言った。
「悪役令嬢の偉大なる完成形ヴェノーラ・ゲントリウス陛下は……もう、この世にはいらっしゃいませんわ」
「民を、守るため……偉大なる御方に、この世へお戻りいただかなければ……」
「ねえミリエラさん、よくお聞きなさいな」
少女の小さな肩を、シェルミーネは掴んだ。
澄んだ瞳を、至近距離から見据えた。
「死んでしまった人はね……何をしても、生き返ってはくれませんのよ」
澄んだ瞳が、いくらか見開かれたようである。
貴族の1人が、掴みかかって来た。
「おい貴様、我らの聖女に手を触れるな!」
「……聖女……ですって……」
掴みかかって来た腕を、シェルミーネは捕獲し捻じり上げた。
「可愛らしい女の子にして……稀に見る、癒しの力の使い手。なるほど確かに、聖女と呼びたくなるもの。偶像として拝むにふさわしい聖女、ですわね確かに!」
捻じられた男が、悲鳴を上げる。
へし折る。
その誘惑に、シェルミーネは耐えねばならなかった。
「旧帝国系貴族の中に、大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウス陛下を崇め奉ずる方々がいらっしゃるとは聞き及んでおりました……けれど! まさか、ここまで……救い難き輩……ッ!」
「落ち着いて下さい、シェルミーネ様」
若き兵士ガロム・ザグが、シェルミーネと貴族たちの間に割って入った。
「あんた方もだ、旧帝国系貴族の方々よ。他人の邸宅で、おかしな集会を開くんじゃあない」
「……構わんよ。集会を開く許可は、私が出したのだ」
この邸宅の主レオゲルド・ディラン伯爵が、部屋に入って来た。
シェルミーネは、捻じり上げていた男の腕を手放した。
そして、一礼する。
「……お騒がせを致しましたわ、レオゲルド伯爵閣下」
「いや。よくやってくれたな、シェルミーネ嬢。ガロム殿。よくぞ、この御仁を保護してくれた」
男を1人、レオゲルドは伴っていた。
「……危険な状況であったようだな? クルバート卿。この両名には、いずれ命の恩を返さねばならんぞ」
「要りませんわ、そのようなもの……」
ミリエラの父親……クルバート・コルベム伯爵の胸ぐらを、シェルミーネは思わず掴んでしまうところであった。
「ねえクルバート卿? 貴方、ご息女が今どのような状況にあるか」
「……貴公らに、感謝はする」
クルバートは、シェルミーネと目を合わせようとしない。
「だが……これはな、我らコルベム家の問題でもある。口出しも手出しも、無用に願いたいものだ」
ガロムやレオゲルドがこの場にいなかったら、自分は間違いなく手が出ていた、とシェルミーネは思った。
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アドラン地方の帝国陵墓は現在、唯一神教会の管理下にある。
当然ながら出入りは禁じられているが、警固の兵士や門番の類はいない。
入り口近辺は、無人である。
古めかしく荘厳な、石造りの門。
門扉は巨大な石版で、奇怪な怪物の姿が彫り込まれている。
「なるほど……この子が、門番というわけ」
ルチア・バルファドールは、知識を披露してみた。
「帝国の時代、唯一神教が世界中に広がって……いろんな場所で、元々そこにいた神様が『実は悪魔だった』『今では改心して唯一神の忠実なしもべ』なんて事になっちゃったのよね。この子も、そんな元・神様。偉かっただろうに、人間のお墓の門番なんてやらされちゃって。かわいそう」
手を、触れてみる。
さすがに、触っただけで発動するような仕掛けはない。
だがルチアは、理解した。
「……これ、開かないわね。多分、何やっても」
「少なくとも、物理的な力で、この石扉を動かす事、破壊する事は出来ません」
痩せた初老の男が、進み出て来た。
ルチアの師匠、イルベリオ・テッド。
枯れ枝のような五指で、石彫りの怪物をそっと撫でる。
「帝国時代の魔法使い……恐らくはヴェノーラ・ゲントリウス陛下の派閥に属する術者複数名によって、魔法の封印・施錠が為されております」
「なるほど。墓守りの兵隊なんて、置く必要がないと。私の転移魔法でも、この封印は越えて行けないわ」
「今この場にいる全員の力を合わせれば、あるいは破壊は可能かも知れませんが……」
イルベリオの背後には、まずは獣人の戦士クルルグ、それに白色のマントとフードで正体を隠した4人の同行者が控えている。
少し離れて佇む、黒騎士。
この男が本気になれば、とルチアは思う。巨大な石版の1枚や2枚、叩き斬る事が出来るのではないか。
「……そのような事をするよりも。手っ取り早く穏便に、参りましょう」
かつて神であった石の怪物を、イルベリオは見つめた。
枯れ枝のような手が、淡く光を発する。
低く重く、音が響いた。
石の門扉が、ゆっくりと左右に開いてゆく。
「お見事です……さすが、先生」
ルチアは言った。
「本当にお見事な、封印解除。私の魔法じゃ、こうはいかないわ」
「……恐縮の至りでございます」
イルベリオは、光を帯びたままの片手をかざした。
その光が、枯れ枝のような五指から分離し、球形に固まりながら浮遊する。
照明の役割を果たす、光の球体だった。
それが、開いた扉の内側へと漂い入り込む。
クルルグと黒騎士が先頭に立ち、陵墓内部へと歩み入った。
ルチアとイルベリオ、そして白装束の4名が続く。
帝国滅亡時から、およそ五百年間、闇に閉ざされていた空間が、浮遊する光球に照らし出されていた。
まばゆく照らされて、なお重苦しい、荘厳・広大なる石造りの空間。
巨大な石像が無数、闇の奥まで整然と並びながら、天井を支えている。
1体1体、形の違う石像たちであった。
唯一神教によって制圧された異教の神々、なのであろう。
「……いいわね。ふふっ、気に入ったわ。しばらくの間、ここを拠点にしましょう」
ルチアは言った。
「ねえ先生。私、まずヴェノーラ・ゲントリウス陛下に御挨拶したいわ。この場所のどこかに、葬られていらっしゃるのでしょう?」
「お嬢様は」
イルベリオが、確認をした。
「ヴェノーラ陛下の復活・御再臨を目論む者たちと……本当に、手を結ばれるのですか」
「もちろん、戦力としては全く期待していないわ。あなたたち以上の戦力が、手に入るわけないもの」
イルベリオに、黒騎士とクルルグに、白装束の4人に、ルチアは微笑みかけた。
「私はね、王国の中心に近付くための、足がかりが欲しいの。ヴェノーラ陛下を復活させたがってる連中って、あれでしょ? ほとんどは旧帝国系の下っ端……なんだけど、ログレム宰相なんかと関わりある奴が何人かいるみたいじゃない」
そこから、アイリ・カナンを殺した何者かへと辿り着く。
そのためには、ルチア自身が動くべきであった。シェルミーネ・グラークが、そうしているように。
「私が直接、そいつらと接触を……」
「お待ち下さい、お嬢様」
白装束の1人が、声を発した。
「ヴェノーラ陛下の御再臨を目論む一派とは、私がまず接触を致します。お嬢様、御自身が動かれては……出さずに済む人死にが、大いに出ます」
「言うわねえ」
ルチアは苦笑した。
「まあいいわ。誰かと接触して会話をして、味方に引き込む。それが出来るのは……今ここにいる中では確かに、先生か貴女だけだものね」




