第219話
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帝国末期。
大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウスは、息子マルスディーノを飾り物の皇帝に立てて実権を握り、専横を極めたという。
刃向かう者たちを、大いに殺戮したという。
指先から切り刻む。
生皮を剥ぐ。
四肢を切断して、死ぬまで這わせる。
生きたまま腹を裂き、臓物を露出させ、それを獣に食らわせる。
そのような事を、平気で行っていたという。
どこまでが真実であるかは不明だ。
ただ一つを、フェオルンは確信した。
特に根拠もなく、確信に至っていた。
「ヴェノーラ・ゲントリウスという女王様は……」
軽口を、叩いてみる。
「多分……今の、あんたみたいな顔をしながら。人を殺しまくっていたんだろうなぁ、シェルミーネ・グラーク嬢」
眼前の悪役令嬢は、会話をしてくれなかった。
細身の長剣を無造作に構えたまま、静かに佇んでいる。
殺戮の光景の、真っ只中に。
王都ガルドラント。
とある民家の周囲に、先程までは生きた人間であったものが散乱している。
切り刻まれていた。
断面の滑らかさ美しさは、惚れ惚れとするほどだ。
(僕が斬ったんじゃ……ここまで綺麗には、ならないなぁ)
そんな事を思いつつ、フェオルンも武器を構えている。左右それぞれの手に、一つずつ。
二本の、さほど長くはない剣。
これで人間を切り刻み、滅多刺しにする仕事を、フェオルンも常日頃している。
そうではない仕事を、主君バルフェノム・ゴルディアック侯爵より賜った。
だから王都に入り、王宮に忍び込み、とある貴人と接触した。
その貴人の要望を叶えるべく、フェオルンは奔走している最中であった。
「……名乗ってはいなかったかな。僕はフェオルン、まずは言い訳をさせてもらいたい」
ある程度まで、真実を話す。
この場を切り抜ける手段は、それしかない、とフェオルンは判断した。
命乞いなど、した瞬間に殺される。
「僕も、やりたくてやってるわけじゃないんだよ。こんな事」
「わかって、おりますわ」
シェルミーネは、今度は会話に応じてくれた。
口調は、静やかなものである。
「よほどの事情がなければ、致しませんわよね。こんな……このような、愚かしい事」
「そうなんだよシェルミーネ嬢。王太子妃殿下が、どうしても御両親にお会いしたいと」
「そう……貴方、王太子妃殿下の御機嫌を取るお仕事を、なさってますのね」
シェルミーネが、微笑んだ。
この笑顔を浮かべながら。
大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウスは、逆らう人間の生皮を剥ぎ、あるいは四肢を切り落とし、臓物を引きずり出していたに違いない。
フェオルンは、そう思った。
(そう……なんだよ、シェルミーネ嬢。こちとら、あのバカ女の機嫌を取らないと)
口に出して、そう言ってしまうところだった。
「大変ですわね。本当に、お疲れ様」
ヴェノーラ大皇妃もかくやと思わせる、殺戮の光景の中央で、シェルミーネは優しく微笑んでいる。
フェオルンを、労ってくれる。
「それで。王太子妃殿下は何故、御両親にお会いしたいと思っておられるのかしら」
「親御さんの顔を見たい。それに理由が必要かな?」
「このような方々を、お使いになる理由」
自身の作り出した殺戮の光景を、シェルミーネは一瞥した。
「……貴方のような剣呑なお人を、こうして差し向けなければならない理由。それを知りたいものですわ」
「仕方がないんだ。このヴィスガルドって国では何しろ、王家の人たちに権力が無い。元平民の王太子妃なら尚更だ。兵隊を動かす事なんて出来やしない。何か荒っぽい事をしようと思えば、金で動く連中を使うしかないんだよ」
「そう……御両親に対し、荒っぽい事をなさろうと……」
「荒っぽくならざるを得ない。御両親を正式に王宮へお招きする事を、禁止されてしまったからね。王太子アラム・エアリス・ヴィスケーノ殿下より御直々に」
「禁じられても、御両親にお会いしようとなさいますのね」
シェルミーネは言った。
細身の長剣から、炎の如き揺らめきが立ち昇っている。
それが、静かに燃え上がる。
「……フェオルン殿、でしたわね。御両親の代わりに私を、王太子妃殿下の御もとへ連れて行って下さいませ」
「殴り込もうと言うのか、王宮に」
声がした。
人影が一つ、歩み寄って来る。
マントとフードで姿形を覆い隠した、恐らくは若い男。
フードが作り出す陰影の中に、端正な口元が辛うじて見て取れる。
「王太子妃アイリ・カナン・ヴィスケーノを……貴女は、殺害するおつもりであるな。それを阻む者ことごとくを、このような有り様に変えて」
陰影の中から、その青年は見渡した。
切り刻まれた人体の、散乱する光景を。
「……遅かったか」
「駆け付けて下さる、おつもりでしたのね。アラム・ヴィスケーノ王太子殿下」
躊躇いもなく、シェルミーネは名を呼んだ。
「カナン家の御夫妻を、王宮へ行かせまいと……様々に、お手を打っていらっしゃる」
「貴女もだ、シェルミーネ嬢。貴女を、王宮へ行かせるわけにはいかない」
王太子アラム・エアリス・ヴィスケーノは言った。
「あのような女でも……私の、妻なのだ」
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フェオルンの姿が、いつの間にか消え失せている。
突如、現れた青年と、シェルミーネが僅かな会話を交わしている間。
消失するかの如く、逃げ去ってしまったのだ。
「何とも……颯爽たる、逃げ足の速さ」
魔剣・残月を、シェルミーネは鞘に収めた。
「あのような者が、我が物顔で王宮に出入りしている現状……把握して、いらっしゃいますの?」
「あまつさえ王太子妃の近辺を動き回っている。夫たる者が何をしているのか、と責められても反論は出来ないな」
王太子アラム・エアリス・ヴィスケーノは、苦笑した。
責めはせず、シェルミーネは訊いた。
「アラム殿下は……ヒューゼル・ネイオンという御方を、ご存じ?」
「ヒューゼル・ネイオンは、すでに死んでいる」
「そしてアラム・エアリス・ヴィスケーノとして生きる事を、強いられた……と。貴方も、同じではなくて?」
「そのような事どうでも良い。シェルミーネ嬢、貴女には言っておかねばならぬ事がある」
殺戮の光景を、アラムは見渡した。
フェオルンが引き連れていた、男たち。
滑らかに切り刻まれ、路上に散乱している。
ぽつりと、アラムは言った。
「……見事なものだ」
「私ではなく、この魔剣の力ですわ。もちろん、武器のせいにする気は毛頭ございませんけれど」
「ここが戦場ならば、貴女は英傑だ」
フードの陰影の中から、厳格な眼差しがシェルミーネに向けられる。
「だが悲しいかな、ここは王都の街中である」
「……存じております。殺人の罰、お受け致しますわ」
「殺人。それは物騒な」
アラムが、よくわからぬ事を言い始めた。
「捨て置けぬ。さあ、どこで殺人が行われているのであろうか? 何やら路面が汚れている、ようではあるが」
「アラム王子……! 貴方は……」
シェルミーネが息を呑んでいる間。
多数の人影が、あちこちから出現し、作業に取りかかっていた。
路上に散らばるものを手際良く袋に詰め、運び去って行く。
「主にログレム宰相が使っている者たちだ。掃除を、専門としている」
説明としては、それだけをアラムは言った。
掃除、と称された作業は、すでに終わっていた。
切り刻まれた人体の残骸は、欠片のひとつも残ってはいない。血の汚れも、路面から拭い取られている。
作業をしていた者たちも、姿を消していた。
人数は、よくわからなかった。数十名か。百名を、超えていたのか。
半数近くは、恐らく獣人だった。
「と、いうわけだシェルミーネ嬢。この場では、何も起こらなかった」
アラムは言った。
「王都は、本日も平穏である。それを乱してはいけない」
「……何も、起こらなかった……と」
シェルミーネは呻いた。
呻き声が、心の奥底から込み上げて来る。
「…………アイリ・カナンに関しても……何も、起こってはいない……と」
「アイリ・カナンは王宮にいる。平穏に暮らしている。私の妻である、妄言・暴言は御遠慮願いたい」
アラムは、声を潜めた。
「今は……クラウド・カナン、エミリ・カナン。この両名の身の安全を、最優先で確保しなければならない。力を貸してもらうぞ、シェルミーネ嬢」
「……あの御夫妻のために、ずっと尽力しておられましたのね。アラム王子は」
この青年が、今は王太子アラム・エアリス・ヴィスケーノなのだ。
シェルミーネは、そう思い定めるしかなかった。
「貴女の、なさりようが……シェルミーネ嬢よ。結局のところ一番、正しいのかも知れない」
アラムはなおも、意味不明な事を言っている。
「手っ取り早く、皆殺しにする……貴女がそれをしてくれたおかげで、カナン夫妻に一切、危害が及ばずに済んだ。ともあれ今後の事だが」
「御夫妻を、貴方が保護して下さるなら……と思ってしまいますわ。アラム殿下」
「王宮からは、可能な限り遠ざけたいのだ」
アラムは言った。
「頼む、シェルミーネ嬢。王都郊外に住まう、とある人物のもとへ……カナン夫妻を、送り届けて欲しい。先方と話はついている」
「さすが人脈がおありですのね。無論お引き受け致しますけれど……この件、ログレム宰相閣下にお力添えいただくわけには参りませんの?」
「信頼が置けぬ」
切り捨てるように、アラムは即答した。
「今のログレム・ゴルディアックは……信用が、出来ないのだ」




