第11話
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グラーク家がエンドルム家を滅ぼし、ここヴェルジア地方を奪ったのが、およそ百年前である。
時の当主ガイラム・グラークは、エンドルム家に対し、女子供・赤ん坊に至るまで徹底的な皆殺しを敢行したという。
その残虐を後世の人間が責めて糾弾するのは簡単な事だ、とシェルミーネ・グラークは思う。
自分が当時のグラーク家を率いる立場であったら、同じ事をせずにいられたとは断言出来ない。
ガイラムから5代後の当主オズワード・グラークは、息子ネリオにヴェルジアを治めさせた。
ネリオは妹シェルミーネに時折、愚痴のように語っていたものだ。
百年経ってもヴェルジアには未だ、エンドルム家の治世を懐かしむ声があると。
エンドルム家の血縁者が生き残っていたら、とてつもなく面倒な事になっていただろう、とも。
ゲンペスト城。
エンドルム家の、居城である。
百年前、ガイラム・グラーク侯爵はここを攻め落とし、エンドルム家最後の当主グスター・エンドルムを殺し、彼の一族を殲滅した。
黒ずんだ石壁は、まるで血が染み込んでいるかのようである。
今にも動き出しそうな石像の立ち並ぶ、回廊。
その城内風景を照らし出しているのは、宙に浮かぶ光球だ。
シェルミーネが魔力で作り上げた、光源。
その照明の中、若き兵士ガロム・ザグが少々、落ち着きを欠いているようではあった。
歩きながら、見回している。石像たちが、本当に動き出すのを警戒しているかのように。
「どうなさったの? ガロムさん」
シェルミーネは声をかけた。
「貴方でも……ふふっ、お化け幽霊の類は苦手かしら? 恥ずかしがらず、あたふた恐がって下さっても一向に構わなくてよ」
「ゆ、幽霊ではありません」
グスター・エンドルム侯爵とその一族の怨霊が出る、と噂される古城の中。
慎重に歩を進めながら、ガロムは言った。
「……ここには、生きた敵がおります。シェルミーネ様」
「確かに、強盗・山賊の類が潜むには絶好の拠点ですものね」
兄ネリオが、そういった者たちの動向を決して見逃さなかった。
賊徒が、どこかに集まっている。集まりつつある。
その情報を的確に掴み、兵を派遣していたものだ。
シェルミーネもガロムも、賊討伐に駆り出された事は何度もある。
あんな城、使わぬなら取り壊してしまえば良いではないか。なあ親父殿。
次兄アルゴ・グラークが常々、そう言っていた。賊どもが立て籠もっては厄介な事になるぞ、とも。
あの兄は基本的に戦う事しか考えていないが、戦う事に限れば、決して頭の悪い男ではない。
父オズワードは、しかし言った。
ゲンペスト城に手を触れてはならぬ、廃城のまま放置しておけ、と。
父の5代前であるガイラム侯爵は、ゲンペスト城で死亡した。怪死であった、という。
グスター・エンドルムの怨霊に呪い殺されたのだ、と人々は百年後の今もなお噂している。
そのようなものを、あの父が恐れるとは到底、シェルミーネには思えなかった。
ガイラムの嫡子レゾム・グラークは父親の死後、エンドルム家の呪いを恐れたかの如くゲンペスト城を離れ、違う場所に居城を築いた。
以後オズワードの代に至るまでグラーク家は、ゲンペスト城をひたすら放置し続けた。
当主たちが代々、何かを先送りにしているように、シェルミーネは感じたものだ。
それが何だかは知らないが、ともかく次は我々3人の誰かに丸投げされる事となるのだろうな。
ネリオは、そう言って苦笑いをしていた。
だが結局、現グラーク家の3兄妹に何かが丸投げされる事はなかった。
この呪われし古城を受け継いだのは、ヴェルジア地方の新たなる領主メレス・ライアット侯爵である。
「領主として、いずれは実地調査をしなければと思っていたところ」
ガロムと同じく城内を見回しながら、しかし彼とは対照的に、メレスは何やら楽しげである。
「なかなかの風情……シェルミーネ。貴女と私が逢瀬を愉しむ場所としては、王宮の舞踏会などよりも、ある意味ふさわしいとは思いませんか」
「……私が、恐がって黄色い悲鳴を上げながら、貴方にすがり付くとでも?」
「ああ、それは素敵ですね。いつでもおいでなさい」
メレスが、気取った仕草で腕を広げる。
シェルミーネは黙殺し、すたすたと回廊を進んだ。
置き去りのまま固まっているメレスを、ガロムが掴んで引きずる。
「……馬鹿な事やってないで、シェルミーネ様をしっかりと護衛しろ。この城、何かいる事くらい、あんたならわかるだろう。俺1人では手が足りなくなる可能性が高いんだ」
「ガロム・ザグ、君は素晴らしい兵士だ」
物の如く自分を引きずる無礼な兵士を、メレスが賞賛した。
「シェルミーネと私が結ばれる、それは君という得難い人材を我が配下に迎えるという事でもある。輝かしい未来だとは思わないか」
「どうかな」
「君ほどの戦士。王都にも、そうはいない」
王都生まれ、王都育ちの若君であるらしい。
ライアット家は、ここヴェルジア地方に、要するに流されて来たという事か。
「近衛騎士と同格以上の豪傑を従えて……シェルミーネ、貴女は家出中というわけでもあるまい? 何が目的の旅であるのか、実に興味深いとは思ってしまうな」
メレスの言葉に、シェルミーネは応えなかった。
ガロムも、何も言わない。
アイリ・カナン・ヴィスケーノ王太子妃の訃報は、いずれ王国全土を駆け巡る事となるだろう。
どれほど出来の良い偽物が、王宮でどれほど頑張っていようと、所詮は偽物である。いずれは、と言うより、もう怪しまれているかも知れない。
それでも、伏せておける限りは伏せておくべきだ、とシェルミーネは思う。
アイリは、近衛騎士ブレック・ディランに連れられて王都を脱出し、ドルムト地方を目指した。
ドルムトへは、東に隣接するヴェルジアではなく、南側のクラム地方から入ったようである。どちらを通っても、距離はさほど違わない。
ここヴェルジアを通っていたら。
領主メレス・ライアット侯爵は、アイリを助けてくれただろうか。
つい、そんな無意味な事を考えてしまいながら、シェルミーネは立ち止まった。
にゃーん……と、猫の鳴き声が聞こえたからだ。
「おお……」
メレスの、目の色が変わった。
「この城には、とても可愛らしい姫君か若君がいらっしゃる。お目通り願おう! 我が名はメレス・ライアット、領主である。お困りならば、様々に便宜を図って差し上げられるゆえ、どうかお目通りを」
「……貴方、猫ちゃんが大好きですの?」
王都の下町で、野良猫と戯れているアイリの姿を、シェルミーネは思い出していた。
メレスは長身を屈め、手を叩いたりしている。
「可愛い動物の方々は、どなたも大好きですよ。さあさ、猫殿。猫殿」
「それなら……可愛くもない悪役令嬢に求婚など、おやめなさいな」
「2年前の祭典。皆に嫌われる悪役令嬢を一生懸命、演じておられたシェルミーネ嬢は、とても可愛らしかったと思いますよ。さあさあ、おいでなされませ猫殿ぉー」
叩き斬ってやろうか、とシェルミーネが思いかけた、その時。
暴風が、メレスを襲った。
ガロムが飛び込み、左右2本の牙剣を交差させ、その暴風を受け流した。
受け流す角度をいささかでも誤れば、牙剣が折れ飛んでいただろう。それほど凄まじい暴風だった。
巨大なものが、軽やかに着地した。
強靭な筋肉。ふっさりと揺れる、縞模様の獣毛。
直立した大型肉食獣……いや、獣人である。
見ればわかる。ドルムトの山林に出没するものたちとは、まるで違う。戦闘訓練を施された個体。
それが、白く鋭い牙を剥き、にゃー……と鳴いた。
その時には、再び暴風が吹いていた。縞模様の太い尻尾をなびかせる、破壊の暴風。
それが、ガロムにぶつかって行く。
獣人の、拳と蹴り。徒手空拳の猛撃が、2本の牙剣と激突していた。
メレスは、呆然としている。
シェルミーネは、ただ呟いた。
「随分と、大きな猫ちゃん……ああ、でも私などよりずっと可愛い子ですわね」
そんな事を、言っている場合ではなかった。
獣人の若者は、両手両足に白い光をまとっている。
昨日、ガロムとメレスが陰影の兵士たちを斃した際、各々の得物にまとわせていた、気力の光。
あれと同質の輝きだ。
この獣人も、同じ戦い方をする。
気の光を帯びた拳や手刀は、鋼の刃と何ら変わらぬ強度と殺傷力を持ってガロムを強襲する。
縞模様の巨体が超高速で躍動し、白く輝く拳足を嵐の如く繰り出してゆく。
にゃーん、と鳴き声を発しながらだ。
白色光の嵐とも言える拳を、手刀を、掌底を、貫手を、蹴りを、かわし、あるいは牙剣で弾き、受け流しながら、ガロムは後退を強いられていた。
シェルミーネとメレスから、引き離されて行く。
加勢に向かう事は、出来なくなった。
宙に浮かぶ魔法の光源。
その輝きが届かぬ領域で、闇が実体化したかの如く、いつの間にか無数の人影が出現していた。
シェルミーネとメレスを、取り囲んでいる。
材質不明の甲冑に包まれた、暗黒の塊。兜の内側で、眼光のみを灯している。
陰影の兵士たち、であった。
「シェルミーネ。ここは私に任せて、お逃げなさい」
すらりと長剣を抜き放ちながら、メレスは言った。
「…………などと、格好をつけたいところですが」
「私もね、出来る事ならば殿方に頼りたいところですわ」
シェルミーネは細身の剣を眼前に立て、魔力を注入した。
気の光も魔力の光も、似たようなものだ。
ただ魔力の方が、例えば照明に用いたりと用途は広い。
ともかくシェルミーネは今、やや不本意ながらメレスと背中を合わせていた。
陰影の兵士たちが、全方向から槍を突き込んで来る。
ゲンペスト城に渦巻く怨念が、形を成したものたち。
「怨霊でも、悪霊でも……一向に構いませんのよ? アイリさん……」
会いたい。
だが、怨念などという未練がましいものを、彼女が残しているわけがなかった。




