第101話
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地水火風。
今のルチア・バルファドールは、それら全てを操る存在だった。
滑らかな甲殻をまとう繊手をゆらりと振るうだけで、冷気が巻き起こって吹き荒れ、氷が生じ、鋭利な雹の嵐と化す。
白銀色の髪と共に揺らめく触角が、雷鳴を立てて放電し、稲妻を放つ。
優美な背中から広がった光の翅が、炎の鱗粉を撒き散らす。
外骨格の長靴を履いた美脚が、大地を揺るがす。
森羅万象に魔力を及ばせる。
魔法使いの、完成形か。
そんな事を思いながらシェルミーネ・グラークは、細身の長剣を一閃させた。
絶大なる魔力で、組成された刃。
その斬撃が、襲い来る電光を打ち砕く。
一度、二度。
不安定な、石の足場で、シェルミーネは斬撃の舞いを披露していた。
アドランの山林を、地下から破壊しつつ隆起して来た、様々な巨石。
長らく地中にあった、石材の塊。
帝国陵墓の、一部であった。
ルチアの引き起こした地震によって地上に現れ、出来損ないの石舞台と化している。
その上でシェルミーネは、ひたすらに防御の剣技を繰り出していた。
「貴女は、もう……私が何をしたところで、喜んでも下さらない。身の程知らずに、私を咎める事もない……」
この場にいない、この世にいない、もはや永遠に失われてしまった相手に、語りかけてみる。
「それを私も……わかっていたはず、ですのにね。アイリさん……」
なのに自分は、あまりにも愚かしい言葉を、ルチアに投げつけてしまったのだ。
そんな事をしてもアイリは喜ばない、と。
いくらか離れた所でも、地下陵墓の一部が隆起し、城壁の如くそびえ立っている。
その上からルチアは、地水火風の魔法攻撃を投げつけてくる。
まっすぐに見据え、シェルミーネは言った。
「貴女が怒るのも当然……謝っても許して下さらないでしょうから私、謝りませんわよルチア・バルファドール!」
長剣を振るい、雹を打ち砕く。
様々な方向から降り注ぐ、氷の嵐。
鋭利な氷塊が無数、縦横無尽に飛び交い、シェルミーネを切り刻もうとする。
同じく縦横無尽の斬撃で、シェルミーネは対処した。
氷の矢、氷の刃、氷の投槍、とでも言うべき雹を、細身の長剣で片っ端から切り砕く。
氷の破片が、すぐさま蒸気に変わる。
熱が、押し寄せて来ていた。
乱舞する炎の鱗粉が、ことごとく巨大化して火球となり、ぶつかって来る。
炎熱を物ともせず襲い来る雹の嵐を、斬撃で防ぎ砕きながら、シェルミーネは防御を念じた。
いくつもの光の盾が、シェルミーネの周囲を浮遊旋回する。
そこへ火球たちが激突し、砕け散って火の粉に変わる。
舞い散る火の粉を蹴散らして、雷が来た。
「シェルミーネ・グラーク……あんたが謝るのはね、命乞いの時よ」
言葉に合わせ、ルチアの触角から電光が迸ったのだ。
「それを聞きながらねぇ、私は! あんたを、ぶち殺す!」
「楽しそう、ですわねっ」
長剣で、シェルミーネは電撃を受け止めた。
細身の刀身に、バチバチと音を立てて電光が絡み付いている。
「やっと……捕まえました、わよ。魔法令嬢……貴女の、荒ぶる魔力を」
「あんた……!」
シェルミーネの周囲では、いくつもの光の盾が、火球と雹を防ぎ砕いている。
火球は火の粉に、雹は氷の破片に、変わってゆく。
そして、光の盾に吸い込まれる。
吸い込まれたものが、シェルミーネの体内で、純然たる魔力に戻りつつあった。
細身の長剣に絡み付いた電光も、刀身から柄へ、掌から体内へと吸引され、魔力へと戻ってゆく。
元々はルチアの攻撃魔法であった魔力の嵐が、シェルミーネの中で暴れ続ける。
右手で剣を保持したまま、シェルミーネは左手をルチアに向けた。
「本当に……荒ぶる、魔力……!」
無理矢理に微笑みながら、シェルミーネは血を吐いた。
「私の、身体の中を……ズタズタにしながら、荒れ狂う……早急に、お返し致しますわ! こんなものッ!」
形良い五指に囲まれた掌が、光を放つ。
轟音を伴う、魔力の輝き。
体内で荒れ狂うものを、シェルミーネは左手から放出していた。
左の五指で、爪が剥がれた。
血飛沫が、光の中で蒸発した。
並びの綺麗な歯で激痛を噛み殺しながら、シェルミーネは今。左手から、虹の塊にも似た多色の光線を射出している。
炎とも雷とも氷とも違う。
純粋な破壊力と化した、魔力の光線。
それが、ルチアを直撃した。
否。
ルチアの眼前に飛び込んで来た何者かを、直撃していた。
「ぐっ……ぁああああ……る、ルチアお嬢様……」
「イルベリオ先生……!」
イルベリオ・テッドは、持てる全ての魔力で、防御を行っているようであった。
魔力の防護膜もろとも、しかしイルベリオの細身は、巨大な多色の光線に灼き砕かれてゆく。
燃え盛る虹の塊が、イルベリオを食い尽くそうとしている、ようにも見えた。
「お、お気をつけなさい。ルチアお嬢様……シェルミーネ・グラークは、敵の魔力を吸収する者。魔法使いの、天敵と言うべき存在……」
虹色の爆発が、起こった。
「天敵を、討ち滅ぼし……さらなる怪物へと……ヴェノーラ・ゲントリウスをも上回る、魔王へと……進化を遂げられませ……ルチアお嬢様……」
多色の爆炎の中で、イルベリオの細い身体は灼け砕け、灰すら残らなかった。
巨石の上で呆然と佇む、ルチアの姿だけが残っている。
「…………先生……」
外骨格の手甲をまとう細腕で、師匠の屍を抱き上げようとしている。
跡形もなく失われた、屍を。
「……貴方が、私を……化け物に、作り変えようとしていた。私で、化け物を作る実験をしていた。そんな事……わかっていたわよ、イルベリオ先生……」
ルチアは、微笑んでいた。
おぞましいほどに美しい、人外の笑顔が、シェルミーネに向けられる。
「……いいわ。魔王に、なって見せようじゃないの。アイリのいない世界なんて、どうなったって構わない」
やめなさい、ルチア。
そう叫ぼうとして、シェルミーネは血を吐いた。
巨石の上で、倒れていた。
「その景気付けよ。死になさい、悪役令嬢」
ルチアの触角がバチッ! と帯電し、光の翅が優雅に揺らめく。
「私の力、いくらでも吸収したらいいわ。その身体、砕け散って跡形も無くなるまで……ご馳走、してあげる」
「やめて……」
弱々しい声。
ミリエラ・コルベムの小さな姿が、シェルミーネの傍らにあった。
「……もう、おやめ下さい……ルチア嬢……」
可憐な全身が、土にまみれている。血も滲んでいる。
あちこちに、擦り傷を負っているようだ。
「……ミリエラ……さん……」
無理矢理に、シェルミーネは声を発した。
「まさか……よじ登って、来られましたの? それは駄目……」
「……アイリ・カナン王太子妃殿下と、本当は仲良しだったんですね。シェルミーネ様」
ミリエラは言った。
「花嫁選びの祭典……見ていて、本当は、そうなんじゃないかなって」
「そこを、おどきなさいな。ミリエラ嬢」
ルチアが、いきなり電光や火球を放つ事はせず、声を投げてくる。
ミリエラが、言葉を返す。
「ルチア嬢、貴女もアイリ殿下のお友達だったんでしょう? もう、やめて下さい……」
「アイリはねえ、いい奴だったけど、ろくな友達がいなかったって事よ」
ルチアが苦笑する。
「ろくでなし同士の、殺し合い……貴女みたいに立派な子が、関わるもんじゃないわ」
光の翅が、ふわりと鱗粉を散らす。
脅しではない、とシェルミーネは確信した。
ルチアは、巻き添えを気にかける事なく、シェルミーネを殺す気でいる。
漂う鱗粉が、全て、火球に変わった。
シェルミーネは身を起こそうとして失敗し、うつ伏せに倒れて吐血を散らせた。
「シェルミーネ様……!」
ミリエラが、寄り添って来る。
癒しの力を行使するつもり、なのだろうが、この傷が治る前に二人とも殺される。
最後の力を振り絞り、この巨石の上からミリエラを突き落とすべきか。
誰かが下で抱き止めてくれる事を、期待するしかない。
そんな思考も、薄れてゆく。
気が、遠くなった。
だからシェルミーネは、気付かなかった。
自分の傍らに、ミリエラがいる。
それと同じくルチアの傍らにも今、誰かがいる。
小太りの、不格好な人影。
城壁の如き石材の塊を、懸命に、這い登ったのであろう。
土まみれの、血まみれである。
息を切らせ、今にも死んでしまいそうだ。
そこへルチアが、冷ややかに声をかける。
「……何やってんのよ、貴方」
「で、出来る事など……ないので、あろうな……」
息も絶え絶えに、小太りの男は言った。
「……ヴェノーラ・ゲントリウスそのもの、ではないにせよ……そなたはな、あの玄室に眠っていたものを……見事、蘇らせて見せた。私は……約束を、守らねばならぬ……」
シェルミーネは、またしても気が遠くなった。
だから、聞こえなかった。
国王エリオール・シオン・ヴィスケーノが今、ルチアに何かを話している。
小声である。ミリエラにも、聞こえていないのではないか。
「……………………何…………それ…………」
ルチアの声が、低い。震えている。
「……そんな……ねえ? 国王陛下…………そんな事のために……」
「わからぬか?」
「…………わかる…………わかる、けど……いや本当に…………わかる…………」
「で、あろう。あやつの思い、わかってやって欲しい」
ルチアに対し、エリオールは言う。
「無論、許してやれとは言わぬ。この王国を……いよいよ本当に、滅ぼしたくなったであろう? その手始めに……ルチア・バルファドールよ。そなたは、まず私を殺さなければならないはずだ」
ミリエラとシェルミーネに対しても、エリオールは言っているのだ。
今のうちに逃げろ、と。




