第10話
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グラーク家は、容赦のない支配者であった。
ドルムト地方に始まり、ヴェルジア、クラム、レグナー、バスベルド、ログラム、ナザーン、計7つの地方を、慈悲と武威の使い分け巧みに、しっかりと治めていたのだ。
当主オズワード・グラークの代官として、ここヴェルジア地方を統治していたのは、オズワードの長子ネリオ・グラークである。
ただ民衆を甘やかすだけの優男、に見えて、本当に油断ならぬ人物であった。
グラーク家に叛意を抱く者たちの動きを、完全に抑え込んでいた。
彼のおかげで、我々は何も出来なかった。
それが2年前、突然に好機が訪れたのだ。
花嫁選びの祭典。
王家との血縁獲得のためグラーク家より出場した令嬢シェルミーネ・グラークが、大失態を晒してくれた。
結果グラーク家は、ドルムト地方以外の所領を、全て没収されたのだ。
ここヴェルジア地方には、ライアット家という新たな領主が派遣されて来た。
これまでグラーク家の統治に馴染んできたヴェルジアの民に、百年ぶりの領主交代は、混乱をもたらすものでしかなかった。
その混乱に乗じ、我々は準備を進めた。
資金を調達し、兵を集め、そして今、拠って立つ地を獲得したのだ。
ゲンペスト城。
ヴェルジア地方の旧領主エンドルム家の居城。
百年前、エンドルム家はグラーク家によって攻め滅ぼされ、ここヴェルジアの地を奪われた。
エンドルム家最後の当主グスター・エンドルム侯爵の怨霊が、ゲンペスト城には棲まうという。
エンドルム家の怨念が、ゲンペスト城には渦巻いており、グラーク家の支配を受け入れた民に呪いをもたらすという。
我々の拠点としては、ふさわしい場所である。
エンドルム家の再興。
それが我らの大義名分だ。
百年前、エンドルム家はグラーク家によって女子供に至るまで皆殺しにされたというが、血縁などいくらでも捏造出来る。
どこかから子供をさらって来て、グスター侯の末裔として旗印に掲げてしまえば良いのだ。
我らが戦に勝ち続ければ、民衆はそれを信じる。
大義名分は、やはり必要なのだ。
先頃、王国南部で叛乱を起こしたボーゼル・ゴルマー侯爵は、武勇才知に優れ人望も厚い、まさしく英雄と呼ぶにふさわしい人物であったというが、それでも王国政権を奪うには至らず、敗れ鎮圧されて本人は戦死した。
英雄である、だけでは駄目なのだ。
ボーゼル侯は兵士から成り上がった人物で、英傑としての能力は申し分なかった。
血統、以外の全てを持ち合わせていた。
それが彼の敗因だ、と私は思っている。
王国の民は、やはり王家の血筋というものを、唯一神と同じ程度に信仰している。
平民娘のアイリ・カナンが王子と結婚したくらいでは、民が王家と同格の高みに至った、事にはならない。
ただ少なくとも、花嫁選びの祭典は、何かのきっかけにはなった。
王国政権の中枢にいる者たちが、王太子妃アイリ・カナン・ヴィスケーノを危険視する程度には。
それでも、ボーゼル・ゴルマーの叛乱は、いささか時期尚早であったと私は思う。
いかに彼が実力ある者でも、王家による血族支配を暴力のみで破壊せんとするならば、それは鎮圧されるべき叛乱にしかならない。
今はまだ、王家を相手の戦には大義名分が必要な時代なのだ。
我々は、まずエンドルム家再興を目指す。
エンドルム家を滅ぼした、グラーク家の無法を広く訴える。
その無法を認めてしまったヴィスガルド王家への正当な攻撃へと、やがて繋げてゆく。
ゲンペスト城は、百年も放置され荒れ果てているとは言え、城塞としての基礎は全く損なわれていない。
いくらか改修を施すだけで、我らにふさわしい難攻不落の拠点となるだろう。
立入禁止区域として封鎖されてはいたが、入り込もうと思えば、いくらでも入り込む事が出来る。
私は今、大勢の兵士たちを引き連れ、荒れ果てた城内を見て回っている。
「おい、誰かいるぞ」
先頭に立つ兵士の1人が、角灯を掲げた。
かつてグスター・エンドルム侯爵が謁見の間として用いていたのであろう、石造りの大広間。
その中央に、人影があった。
純白のマントとフードで、全身を包み隠している。
角灯の明かりの中、その姿が幽霊の如く浮かび上がっている。
いや。その細い姿そのものが、うっすらと青白く発光しているようである。
体型から、女性である事は何となく見て取れた。
白いフードから、栗色の髪がいくらか溢れ出している。
こちらを向いた。
フードの内側で、ぼんやりと青白く光る顔。
まだ少女と呼べる年齢、に見えた。若く美しい。
だが、暗い。
暗黒色の瞳は、我々を見ているようで、実は何も見ていないのではないか。
「……何でぇ、綺麗な嬢ちゃんがいるじゃねえか」
兵士の何人かが、調子に乗り始めた。
大半が、金で集まった流れ者である。
傭兵かゴロツキか判然としない連中で、いかに上手く使い捨てるかを私は考えているところだ。
そんな兵士たちが、青白い美少女に群がって行く。
「景気付けにゃあ、ちょうどいいぜえ」
「おいおい、こいつぁアレじゃねえのか。この城に出るってぇ幽霊」
「確かめてやろうじゃねえか。あったかくて柔らけえお肉がよぉ、ちゃんとあんのかゲッヘヘへへ」
兵士の1人が、少女に向かって手を伸ばし、そして潰れた。
潰れた、としか表現し得ぬ死に様だった。
頭部、のみならず胸の一部に至るまで、完全に原形を失っている。
その屍が倒れ伏している間に、他の兵士たちが様々なものを空中にぶちまけていた。鮮血、脳漿、眼球。
目に見えぬ何かが、暴風の如く荒れ狂い、兵士たちを殺害、と言うより粉砕している。
にゃーん……と、猫の鳴き声が聞こえた。
青白い少女は、何もしていない。
ただ、言葉を発しただけである。
「そこまでよ、クルルグ」
目に見えぬ暴風の正体が、傍らに着地していた。
着地してようやく、私の目にも見えるようになった。
1頭の獣。そう見えた。人の体型をした獣。
筋骨たくましい巨体を、縞模様の獣毛でふっさりと防護している。
揺らめく尻尾は、装身具の類ではない。
首から上は、猫科の猛獣の頭部。これも、被り物ではない。
獣人であった。若い牡である。
両手両足が、ドロリと赤黒く汚れている。
兵士たちの、血と脳漿であった。
素手による殺戮を実行した獣人の若者が、白く鋭い牙を剥き、にゃーん……と鳴いている。
まだ大量にいる兵士たちが全員、その鳴き声に威圧されたかの如く、硬直していた。
巨体をうずくまらせた、獣人の若者。
その頭を撫でながら、青白い美少女が微笑む。
「こんばんは。突然ですけど皆さん、花嫁選びの祭典は御覧になりました? お楽しみいただけました? 私、出場していたんですよ。割と最初の方で脱落しちゃいましたけど」
口調は明るいが、笑顔は暗い。
「……しょうがないですよね。私が人に自慢出来るものなんて、この魔法くらいしかないし」
言われて、私は気付いた。
少女の放つ、青白い輝き。それは魔力の光だ。
「このお城って、出るんですよね? 確か。昔の御領主様が」
魔法使いの少女が、荒れ果てた城内を見回す。
「確かに……怨念は、渦巻いてます。でもねえ、ご存じですか? 人間の怨念って、基本的にめちゃめちゃ弱いんです。そりゃそうですよ、怨むだけで人を殺せたら苦労ありません。刃物で直接刺しに行けよってお話です」
青白い魔力が、少女の周囲で渦巻いている。
「……でもね。ただ渦巻くだけの非力な怨念に、こうやって形を与えてあげると、物理的な人殺しが出来るようになるわけで」
兵士の一団が、そこに出現していた。
甲冑と槍で武装した、歩兵の群れ。
鎧兜の中身は、陰影である。
渦巻く陰影が人の形に固まり、真紅の眼光を灯しながら、材質不明の甲冑をまとっているのだ。
そんな兵士たちを周囲に従えたまま、少女はなおも語る。
「そっくり、でした。そっくりな子が、そっくりに着飾って、赤ちゃんの人形を抱いて……アラム王子と一緒に、愛想を振り撒いていたんです。みんな歓声上げてましたけど、あれは違います。あの子は、アイリじゃありません」
暗い笑顔が、さらなる闇を帯びた。
「……本物のアイリは、ねえ、どこへ行っちゃったんですか?」
陰影の兵士たちが、動き出していた。
こちらへ向かって来る。押し寄せて来る。
「よくわからない馬車がね、王都を出て西に向かった……みたいなんです。だから私、追いかけて来たんですけど」
私の周囲で、生きた兵士たちが、陰影の兵士たちに殺されてゆく。全く勝負にならなかった。
「……アイリはね、友達のいない私と仲良くしてくれました。もう王子様なんてどうでもいい、あの子と友達になれただけでいいって私、思ってたんです」
魔法使いの少女は、もう微笑んではいない。
「…………ねえ、アイリはどこ? それ次第で私、この国そのものと戦争しなきゃいけなくなるかも知れないのよね。だから今、兵隊集めてる最中なんだけど」
暗い美貌が、ねじ曲がっている。
「このお城の怨念で作った、即席の連中ねえ。ちょっと試してみたんだけど案外、使えなかったわ。ま、しょうがないかな……あいつが相手じゃ、ね」
憎悪の、形相だった。
弱々しい死者の怨念を圧倒し従える、生者の憎悪。
「…………ド腐れ悪役令嬢シェルミーネ・グラーク……何で、あいつが動き回ってんのかしらねえ」
憎しみの眼光が、私を射すくめた。
「あれと戦うなら……使い捨ての動く盾は、いくらあっても足りないからねえ。ちょっと、あんたたちの死体も使わせてもらうわ。何かしら依り代があれば、いくらかはマシな兵隊になるかも知れないし」
私は、逃げ出した。
いや。逃げようとした瞬間、私の顔面が、頭が、砕け散っていた。
にゃーん……という猫の鳴き声が、最後に聞こえた。




