第9話:告白
部屋に戻って部屋着に着替えた後、柔らかなソファに座りこむ。
もし私が、魔族を守る為に転生したとするなら、魔族を最良の結果に導く為に、何をすればいいのだろうか。
私にできる事は、何だろうか。
――私が、魔族として、人間の記憶を持って転生した、意味。
私は、正直に言って、魔王を、魔族を、守りたいと思っている。
人間だった頃、魔族は敵だと教えられた。倒さなければならない存在だと言われ、何の疑いもなく従った。
だけれど、今、自分の眼で見て、その考えがいかに盲目的な思考停止だったのか分かった。
魔族も人間と同じく、この世界に生きている存在だ。それを、一方的に敵だと決めつけて滅ぼす理由なんて、私は知らない。
だからって、私には人間を滅ぼす事もできない。
だって、人間達にも魔族と同じように笑って泣いて、この世界を生きているのを知っているのだから。
そんな私がイザベラ・ベールという魔族に転生して、できる事はなんだろう。
思考の海に沈みかけた私を、力強いノック音が引き上げる。返事を返しながら扉を開ければ、仏頂面のマルコが立っていた。
マルコは扉を開けた私の全身に視線を走らせると、幾分か表情を和らげた。しかし相変わらずその眉間には、不満そうな皺が頑固に残っている。
「怪我はなかったんだな」
「魔王様と約束したから、ね」
「それだ」
どれ? と首を傾げつつも、いつまでも扉の外に立たせるのも悪かろうと室内に招き入れる。
とりあえずソファに座らせて、先日料理人さんに頂いた茶葉でお茶を淹れつつ、ついでにと頂いていたクッキーもセットにしてテーブルに並べた。
「それで、どうしたの?」
「俺も勇者達と戦いたい」
「……それは先日の会議で、駄目って言われたじゃない」
「城の警備なら、ベールが変わってくれればいいだろう? どうしてベールは良いのに、俺は駄目なんだ?」
マルコにしては珍しい正論に、思わず言葉に詰まる。こういうのを丸め込むのは魔王か、それこそヴィタリが得意だろう。
「とりあえず、お茶が冷めるから飲んだら?」
苦肉の策で話題を逸らすしかできないのだから、私も立派な脳筋に部類されるだろう。マルコの事を脳筋と馬鹿にはできないので、今度からは親しみを込めて脳筋と呼ばねば。
マルコはあからさまな私の話題転換に気付いているのかいないのか、不機嫌そうな顔のままズズッと音を立ててお茶を飲んだ。その刹那、パッと表情に笑みが浮かぶ。
「なんだこれ?! 美味いな!」
「でしょ!! 料理人さんの特製ブレンドティーなんだけど、香りが強すぎず、後味さっぱりだけどしっかりお茶の味がするっていうか、とにかく飲みやすくて美味しいのよね!」
「このクッキーも美味い!」
「お茶にぴったり合うのよね! 口に残った甘さをお茶がさっぱり流してくれるから、クッキーを食べる手の止め時が分からなくって」
「これを持って行ったら、魔王様も俺が行くのを認めてくれるかな?」
一瞬話題転換に成功したのかと思ってはしゃいでしまったが、流石にそんな事はいくらマルコでもできなかったようだ。
「……どうしても行きたいのね」
「当たり前だろう? 放っておいたら仲間が被害に遭うのに、聖剣なんて厄介なモノ持ってるから、戦えるのは俺やベールか魔王様ぐらいしかいねぇんだし」
「それはそうかもしれないけど……逆に、そんな状況だからこそ、もし私かマルコがやられちゃったら、魔族はどうなっちゃうのよ」
「やられなきゃいいんだろ?」
「簡単に言わないでよ……」
その自信はどこから来るのだろう。私の経験上、マルコの突貫は私と相打ちという結果になっているので、心配しか湧かないのだが。
「ベールだけ良いっていうのはズルイ!」
「うっ……私は、記憶を取り戻す可能性があったから、だし……」
「じゃあ俺も記憶モーシツになればいいのか?!」
「何か違うし、なろうと思ってなれるものじゃないからね?!」
マルコが、喉奥で低く唸る。もふもふのマルコの獣耳が、力なく倒れた。
「どうして駄目なんだよ……早く倒さなきゃ、皆大変なことになるのに……」
「マルコ……」
ただ暴れたいとか、絶対に勝てる自信があるとか、そういう気持ちだけなのかと思っていたが、私はマルコという魔族を見誤っていたようだ。マルコもまた、ただ魔族を守りたい、その一心からの発言なのだ。
浅い付き合いしか無い私には読めなかったけれど、そんなマルコの気持ちは魔王も分かっているだろう。それでも、マルコに許可を出さなかった魔王の気持ちも、何となく分かる。
マルコは危なっかしいのだ。純粋で直情的だから、引き際を見誤って聖剣にぶっ刺されてもおかしくない、そんな危うさ。実際、私と相打ちしているのだから、私の中ではほぼ確信に近い。
「慎重に慎重を重ねなければならない。それだけ、聖剣は厄介なの」
「……それは俺だって分かってる」
「ちょっとした掠り傷だって、普通の怪我と違って治りが遅くなるのよ」
「でもベールは生きてるじゃないか」
また、私は言葉を飲み込んだ。今日のマルコは的確に突っ込まれたくない所を指摘してくる。
――それだけ、自分も何かしたいという思いが強いのだろう。
「私だって、本当は死んでもおかしくなかった。今生きているのは、奇跡なの」
「でも、魔王様が治してくれたんだろう? だったら――」
「奇跡はそう簡単に起きるものじゃないの」
私がベールとして生きている理由が、聖剣による負傷を受けても生きられる唯一の道だったのならば、きっとこの奇跡はマルコには起きない。
それに私は、非常に勝手だけれども、今のマルコに消えて欲しくない。
「マルコ。貴方に何かあったら、私も、魔王様も、泣いてしまうわ」
「……俺だって、ベールや魔王様に何かあったら、泣くぞ」
「ありがとう」
私がそう言うと、マルコはぷいっと顔を背けた。そして小さく「今のベールは、何かズルイ」とぼやいてクッキーを大人しくかじり出した。
*
マルコがクッキーと紅茶を完食して大人しく去っていった後、私は手早く着替えを済ませてから魔王の執務室へと向かった。
警備の魔族に取り次いでもらい部屋の中に入れば、以前は山と積まれていた書類がかなり減って、卓上だけで収まっている。
「ベール、何かあったのか?」
いつものように穏やかな笑みで私を迎えてくれた魔王の魔力が、周りを柔らかく包み込む。その気配を感じながら、私は真っすぐにコバルトブルーの双眸を見つめた。
「魔王様……大事な、お話があります」
私の視線か、それとも声か。何かを察したらしい魔王は立ち上がると、部屋を変えようと言って隣の私室へと移動した。
私を椅子に座らせると、いつぞやに淹れてくれた紅茶を用意してくれる。私はカップを手に取り、いつの間にか乾いていた喉を潤す。以前と違って、紅茶は程よく冷めていた。
魔王は私の正面の椅子に座ると、優雅な所作で同じように紅茶を飲んでいる。
きっとこの人は、私の躊躇いを察している。話があると言っておきながら尻込みしている私を、急かすでもなく、待ってくれている。
どうして、この人はこんなに優しいのだろう。
私が、魔族だから?
なら――中身は魔族ではない私は、この人にどう思われるのか。
「ベール?」
心配そうな魔王の声に、ハッとして俯く。しかし隠しきる前に、魔王の指が私の頬を撫でる。いつの間にか流れ落ちた私の涙を拭った。
「傷が痛むのか? 無理をしているなら――」
「魔王様」
どこまでも気遣ってくれる魔王の言葉を遮って、私は隠しきれなかった涙の残りを雑に拭うと、覚悟を決めた。
「私は――イザベラ・ベールでは、ありません」