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第21話:ヴィタリ




 ――優しい姉だった。



 ある日突然、大きなお屋敷に連れて来られ、周りの大人達から恭しく頭を下げられる。その意味が分からず、ただただ怖かった。

 母親も終始強張った表情で、どうしてこんな場所に来たのだろうと不思議だったが、父親だと名乗る男性が現れる時だけは、母が本当に楽しそうに笑うから、その男の人が本当の父親なんだと何となく理解できた。


 だが、そのお屋敷にはとても怖い人が居た。

 特に夜になると、お屋敷の一室から何かの割れる音や、女の人の叫び声が聞こえる。

 その部屋に誰が居たのかは、当時は分かっていなかった。面と向かって会った事が無いからだ。

 母には絶対に近づいてはいけないと言われたし、父もやめた方が良いと言っていた。何より、何が起きているのか分からない恐怖で、好んで行きたいとも思わなかった。


 そのお屋敷に住むようになって、周りの世界が一変するのと同時に、姉と言う存在までが突如としてできた。

 その人は、真っ赤な髪に黒い角の生えた濃い緑色の綺麗な眼をした魔族の女の子。

 自分よりも一個上だから姉なのだと、胸を張って言っていた。

 寿命の長い魔族にとって一年など同じ歳ぐらいの感覚だが、自分の事は姉と呼ぶように、としつこく言われた。

 別に何でも良かったので、言われるがままに「姉さん」と呼んだら顔を真っ赤にして喜んでいた。


 それからはほぼ毎日、二人で遊んでいた。

 父の書斎に入り込んで、子供には明らかに難しすぎる魔法書を二人で頭をひねりながら読んだり、庭で追いかけっこをやった挙句にコケて二人で池に飛び込んで全身びしょ濡れになって二人で怒られたり。

 我が強く、何かやっていないと死んでしまうのでは無いかと思うぐらいに活発だった姉は、いつでもどこでも私を連れて行ってくれた。

 私にとっても、あの時に体験した大なり小なりの出来事は、否定できないぐらいには今の自分を作る礎にはなっているだろう。

 母は姉と遊ぶ事を反対はしなかったが、難しそうな顔をしていた。父はあまり表情に現すタイプでは無かったが、喜んでいるような気がした。


 それから数年、私達は仲の良い姉弟と周りから評される仲だった。


 だが、あの日が来てから、私達の仲は百八十度変わってしまった。



 その日は大嵐だった。

 ガラス窓に飛ばされてきた小枝がぶつかるたびに、割れてしまうのではないかと不安になったし、大きくて立派な家でも吹き飛ばされてしまうのではないかと不安になるほど、吹き付ける風の音が部屋の中まで聞こえてくる。

 嵐が収まるのを、自分の部屋で一人待っていた。

 普段だったら姉がやってきて、いつものように屋敷の探検をしようと誘いに来るだろう。

 だが、昼を過ぎても姉はやってこなかった。


 嵐は段々と納まり、窓を叩く風の音もだいぶ落ち着いてきた。

 そうすると、今度は屋敷の中から誰かのざわめきが聞こえてくる。

 私はそっと部屋を出て、そして聞こえてきた使用人達の声に耳をすます。


「奥様が自殺なされた」


 その時の私には、“奥様”と呼ばれる人物が誰なのか、分からなかった。

 だがそういう時は、姉に聞けば得意げに胸を逸らしながら教えてくれる。

 そう思って姉の部屋に向かった。


 だが、姉の部屋に辿り着いた私は、見た事も無い憎悪に染まった表情で出迎えられ、そして押し倒された。

 周りの使用人達が、慌てて姉を引きはがす。


「お前の所為だ! お前が生まれなければお母様は死ななかったんだ!」


 そう喚きながら泣き崩れる姉を、私はただただ呆然と見つめていた。



 後で知った事だが、私の母親は元々奥様の側仕えの一人だった。

 ベール家の跡継ぎとなる男児が望まれる中で生まれた女の子。次こそは男児をと焦る奥様を慰める立場でありながら、その裏で父親に見初められ断り切れずに契りを交わし、そして私を身籠った。

 それを知った奥様が激怒して、私と母を屋敷から追い出したが、その後子宝に恵まれず、父の取り成しで側室と養子としてベール家に迎えられたのだ。

 だが母の裏切りによって精神を病んでいた奥様は、とうとう心労から自殺を図ってしまう。

 その事実を、誰が言ったのか、または聞いてしまったのか、姉はあの日知ってしまった。



 それからの日々は最悪だった。

 父や母が存命中は、陰ながらの嫌がらせ。だが母が亡くなり、後を追うように父が亡くなった後、ベール家を継ぐのは自分だと主張した姉により、無一文で家を追い出された。

 行く当てもなく街をぶらついてたら、誰に聞いたのか魔王城の兵士が拾ってくれて、何とか屋根とベッドと食事にありつく事ができた。

 どうやらベール家のゴタゴタを知っていた魔王様が、動向を気にしていてくれたようだと知った時は、だったらもっと早く助けてくれと文句を言いたくもなったが、路頭に迷わずに済んだ事には今でも感謝している。


 学費も面倒を見てくれる事になり、それならばと真面目に勉学に励んだら優秀だと褒められて、あれよあれよという間に難関と言われる試験にも合格し、晴れて王城勤務の仕事に就く事ができた、所までは良かった。

 まさか上司があの姉になるとは、魔王様はやはりどこか抜けているというか。

 追い出した弟が、今度は部下として現れた事にあの人は盛大に顔をしかめていた。

 だがそれも、次第にパシリとしてこき使われ、ストレスのはけ口に罵倒され、あの人にとっては良い玩具扱いだった。

 周りの仲間から同情され、多少気遣ってもらえたものの、誰もあの人に楯突こうという気概は無い。

 補佐と言う大義名分の元、仕事も何もかも全部押し付けられて、昔は綺麗だと思った緑色の眼に憎悪を乗せて。


 こんな日が後どれだけ続くのだろうかと思っていた。

 いずれは自分の方が偉くなって、見返してやろうとも思っていた。



 唐突に姉という存在が出来上がり、また突然失い、憎い相手となったと思ったら、今度は赤の他人になる。


 止まったら死んでしまう魚のように、関係までも目まぐるしく変わる人だ。



「えっと、はじめまして……ではないのよね」


 赤い髪に、緑色の眼。その眼に憎悪はなく、ただ困惑のみ。


「もう話は聞いているかもしれないけれど、記憶喪失になってしまって――」


 見た目は間違いなく本物だ。

 だが向けられる視線も、言葉も、どれも見慣れぬものばかり。

 無性に気持ち悪い。


 数日様子を見たが、思いだすような素振りもなく暮らしている。

 何か企んでいるのではないだろうかと訝しみ、配膳した食事に虫を混入させた。これが本物のイザベラ・ベールなら、ブチ切れて大暴れしている筈だ。

 ところがイザベラ・ベールであってイザベラ・ベールではないその人は、虫を確認しても特に気にした様子もなく、淡々と作り直してもらうよう頼んでくる。

 ならば癇癪を起こして料理人をやめさせた、というあの人がいつもやっていたような事を行ってみれば、マルコ様経由でいつの間にか撤回されている。


 本当にあれはあのイザベラ・ベールなのか?


 本当に、何もかも、覚えていないのか?




 そうして観察を続けて、漸く明かされた俄かには信じがたい話。

 頭は納得しないが、心はすとんと落ち着いた。


 そしてそれと同時に、もう私の知っている、イザベラ・ベールは死んだのだと理解した。


 身体が確かにそこにある。でも中身は別人。


 私が受けてきた苦痛も何も返せないまま、勝手に消えていった。



 まったく、どこまでもクソみたいな姉だ。





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