第二十四話
桜が咲いている。
昨日まで開花宣言すらされていなかった桜が、ほぼ全国で満開になっているそうだ。何故こんな奇怪な現象が起きているのか、テレビの中の専門家は首を傾げるばかり。
本来ならば喜ぶべき事だろう。でも花音は今、目が見えていない。今更、桜が咲いた所で……。
堺からの連絡を受けた時、花音はすでに目覚めていた。俺と堺が電話で会話する内容から、花音も桜が咲いている事を知る。そして花音は……こう言った。桜が見たい……と。
※
堺と合流し、花音を着替えさせてもらった後、俺達は桜祭りが行われる神社へと赴いていた。五右衛門爺さんとも途中で出くわしたが、なんか感謝された。早めに開催する旨を必要各所に前もって連絡しておいたおかげで、近日中に桜祭りが開催できるからだ。
花音は俺がおんぶし、堺に荷物を持ってもらう。荷物の中身は婆ちゃんお手製の弁当。今日は三人で花見だ。光さんは現在病院に居て、花音が入院していた部屋から桜を眺めているそうだ。花見が終わったら……病室に帰ってこいと言われた。
「花音ちゃん、桜、桜咲いてるで」
「う、ん……」
昨日よりも……花音は軽くなっている気がする。背中に感じる花音の温度も、だんだんと下がっているような気がする。俺は医者でも無ければ占い師でもない。花音がいつ死ぬかなんて……分からない。でもなんとなく……感じてしまう。花音がもう、誰かに手を引かれて旅立とうとしている事が。
「花音、もう少しだけ……まってくれよな……俺いい場所知ってるんだ」
神社の敷地内で一番大きな桜……は柵に覆われていて、あまり近寄る事が出来ない。でも別に大きければいい物というわけじゃない。この神社には……枝垂桜もある。
「だい、ち……あ、り……が、と……」
「……花音、まだ早い……もう少し待って……くれ」
一歩歩く度に……だんだんその時が近づいてきていると分かった。
一歩歩く度に……この一週間の事を思い出す。
一歩歩く度に……出会えた事が本当に嬉しかったと実感する。
「ぁ、花音ちゃん、枝垂桜やで! ほら、見て……みい……」
堺も鼻水を垂らしながら必死になっていた。花音に泣いている事がバレないよう、乱暴に上着の袖で顔を拭いながら。まあ、俺も人の事は言えないんだが。さっきから涙が止まらない。もう、これで……花音は旅立ってしまう。俺達の元から……居なくなってしまう。
※
枝垂桜の根本へと、ブルーシートと座布団を敷いて花音を寝かせるように降ろした。堺は花音が寒くないようにブランケットを。そして俺は婆ちゃんお手製のお弁当を広げる。
「花音、何食べたい? 婆ちゃん張り切っちゃって……結構色々詰め込んでくれたぞ。適当に言えばたぶん入ってる」
「……じゃ、ぁ……はんばー……ぐ……」
「あぁ、勿論入ってるぞ」
ハンバーグを小さく切り、花音の口元へ。花音はゆっくり口を動かしながら噛みしめる。
「お、いしい……」
「おう、婆ちゃんも喜ぶ……ぞ……」
不味い、泣くな……泣くな……今は楽しい花見なんだ。泣いてどうする……。
「花音ちゃん、桜……なんでピンク色なんか知っとるか?」
すると堺はそんな事を言い始めた。
桜がピンク色なのは……というか桜は色々ある。バラ科の植物だから、青い桜も黄色い桜も……
「……ううん……」
花音は堺へと知らないと首を振る。すると堺はここぞとばかりに解説しだした。
「ええか? 桜の根本には……トマトが沢山埋まってるんじゃぁ……」
「待て堺、意味が分からん。何故にトマトと言い出した」
「私がトマト好きやからや。桜だってトマト好きに決まっとる」
じゃあお前はトマト食ってろ、とプチトマトを堺へ。
すると花音は……俺達のコントに顔をほころばせてくれる。
「花音ちゃん……可愛いいなぁ……まさに花のようやで」
「そうだな……堺にしては良い事言った」
「あい……みちゃん……も……かわいい……」
あいみちゃん……堺の名前だ。堺 藍水。
「ありがとな、花音……ちゃん……」
堺は我慢できずに泣き出してしまった。
笑いながら……泣いている。そのまま花音の手を握りしめ、花音の胸に入っていた宗次郎も……鳴き始めた。
「さくら……きれぃ……」
花音は堺の手を握りしめながら、桜へと手を伸ばす。その時、少し強めに風が。その風に乗って……枝垂桜が花音の手をなぞるように触れてくる。
「おまつり……ありがと……だいち……あいみ……ちゃん……」
「祭りちゃうやん……間に合わなかったやん……ごめんな、花音ちゃん……」
花音は首を振りつつ、堺の手を両手で包み込んだ。
また……まただ。
本当に辛いのは花音なのに……俺達が慰められている。
「ほ、ほら、花音、婆ちゃんの弁当、まだまだあるぞ、次何食べたい?」
「だい……ち……」
「ん? どうした、花音」
俺は花音の口元へと耳を寄せる。花音の言葉を……何一つとして聞き逃さないように。
「だいち……だいち……くん……」
「ん? どうした……どうした花音……」
「可愛いって……言ってくれて……ありが……と……」
まさか……あの時の事を言ってるのか?
花音が転んで、桜の浴衣を汚してしまった時の事……
「あたりまえだろ……花音……可愛かったんだから……当然だろ……」
「うれしか……ったから……」
だんだん……花音の目から光が消えていく。
目がだんだん……閉じていく……
「花音……? 花音? 眠いのか? もう……眠いのか……?」
もう、涙でまともに花音の顔が見れない。
拭え、涙を拭え、泣くな、最後の最後まで……花音を目に焼き付けろ
「少し早いけど……花音……帰るか……病院で光さんも……待ってるから……」
「……うん……」
ゆっくり花音の体を起こして……背中へと。
花音の体は暖かい。その体の温度を感じると、さらに涙が止まらなくなった。
「堺……行こう」
「うん……」
広げた弁当はそのままに。
堺は後ろから優しく支えるように手を添え、ゆっくり歩き始める。
「……だい、ち……あいみ……ちゃん……」
「ん? どうした、花音……」
「なんや、花音ちゃん……」
二人で花音の声へと耳を傾ける。
俺と堺はもう……視界がまともに効かない程に泣いていた。
ダメだ、泣くな……誰か……この涙を止めてくれ……。
「……ありが……と……」
※
神社から病院まで、途中タクシーを使いながら辿り着く。
すると病院の正門には光さんが待っていた。光さんは……優しい笑顔で俺達を迎えてくれる。俺が子供の頃、よくお世話になった優しいお姉さん……そのころの光さんのように。
「おかえり、花音。楽しかった?」
「……ぅん……」
「……もう、眠いのね。ベッドに……いこっか……」
途端に光さんも唇を噛みしめながら、涙を流し始める。
俺と堺、そして光さん。三人で花音を支えるように……病院の中へと。
エレベーターをあがり、ゆっくり……ゆっくり花音の病室へ。
そこには数人の看護師と、親父が待っていた。窓は全開にされ、桜の花びらが病室にまで舞い込んできている。
「おかえり」
親父は花音と俺達へとそういいながら、俺へと布団に花音を寝かせるよう促してくる。
俺は看護師に手伝ってもらいながら……ゆっくり花音をベッドへと。そっと布団をかけると、胸に潜んでいた宗次郎が出てきた。そのまま花音の枕元で座る宗次郎。
「…………」
花音は虚ろな目で……天井を見上げていた。
そんな花音を見ていると……本当に悔しくて堪らない。
苦しい投薬治療に耐えて耐えて……迎えるのがこの結末。
理不尽だ。今からでも変わりたい、花音と変わりたい、神様がいるなら願いをかなえてくれ、殺すなら、俺を殺してくれ。無力でバカな俺を……殺してくれよ……神様なら……願いをかなえてくれよ……
思わず鼻をすすり、これでもかというくらい涙が出てきた。
悔しくて悔しくて……無力な自分が悔しくて……喉の奥から呻き声が滲み出てくる。
そんな俺を見て、周りも鼻をすすりだした。既に泣いている堺と光さん、そして看護師まで。
「……って……」
その時、花音が何か言いかけた。
俺は花音へと耳を近づけ、聞き逃さんとする。
「わら……って……」
「……花音……」
そうだ、笑え、何を皆して泣いてるんだ。笑え、笑え……!
「……わたし……しあわせ……だったから……」
まただ、また……また……慰められているのは俺達だ。
ダメだ、ダメだ……笑え、笑え……
「かみさまに……言って……くるね……ざまあ……みろ……って……」
それは俺が花音に向けて言った言葉だ。
神様に幸せになるなと言われたなら……幸せになって、ざまあみろって……笑って言ってやると。
「……あぁ……花音……言ってこい……神様に言ってやれ……ざまあみろって、大声で笑いながら……」
俺と堺、光さんは花音の両手をそれぞれ握る。
三人共、泣きながら笑っていた。笑顔で花音を見送る、そう言ったのは俺だ。
泣くな……泣くな……最後の最後まで……花音を……見続けろ……
「花音……花音……」
「花音ちゃん……」
「……花音……」
三人で花音の名前を呼ぶ。
大地、藍水、光……俺達三人で……花音を……
「…………」
ゆっくり……花音は眠る。
眠るように……目を瞑る。
「花音……」
光さんはうめき声を上げながら……ベッドに顔を押し付け……シーツを握締め、必死に声を押し殺して……
堺は顔をぐしゃぐしゃにしながら、子供のように声をあげて泣き始めた。花音の名前を呼びながら……
俺は……ただひたすら花音の顔を見ていた。
花音の顔は……どこか、ほころんでいた。
素敵な……花のように。
風と共に……桜の花びらが舞い、空へと飛んで行った。
【この小説はフィクションです】
【この小説は、たこす様執筆《映画館の隣に座っていた女性が、出演していた女優だった件》に登場する映画を題材とした作品です】




