湯気の中で ~浴堂 女編~
再び少し時間を遡ってアリアとレッタの二人。
洗い場に入ると先客の三人の女性に挨拶をした。
一人は風呂屋の近くに住む農家のおばさんで、もう一人はその友達だ。そしてもう一人の若い女性は会った事のあるような気もするがいまいち思い出せない。恐らく工房地区の誰かであろう。
おばさんの噂好きは性とも言えるもので、ここでもやはり二人はある事無い事の質問攻めにされて辟易した。
二人は失礼にならない程度にほどほどに話を合わせ、自分たちは大丈夫だったこと、ドラゴンもたぶん安心できる魔物だと言う事などを話した。
だがさすがはおばさん達。すでにキルトランスと言う名のドラゴンがアリアの家に住んでいる事を聞きつけており、下世話な心配半分、要らぬお節介半分で根掘り葉掘り聞こうとしてきた。
あの厳戒態勢時にどうやってここまで噂話が広がったのかとレッタは内心呆れた。
実は厳戒態勢で静かになっていたのは村の中心部だけで、村の周辺の人は恐る恐る外に出ては話をしたり、最低限の農作業はしていたようで、そこから噂は広まっていたらしい。
もう一人の若い女性はほとんど口を挟む事もなく、たまに話を振られた時にだけ答えていた。
久しぶりのアリアとのお風呂を堪能したいレッタが、少々業を煮やして話をうまく逸らすと、おばさん二人はキルトランスが来た日の話に移り、その日の色々な様子を自分が見ていたわけでもないのに取り留めもなく話し始めた。
ようやく落ち着いて風呂に入れると思ったレッタであったが、先客たちが先ほどの話でほとんどアリアに話を振らなかった事に気が付いていた。アリアに関する事すら目の前の彼女に聞かずにレッタに聞いたりもしたのだ。
|(やっぱりこの人たちもアッチ側の人なのかな…)
そんな仄昏い思いが再び胸をよぎる。
|(ダメだ…アタシ、最近ちょっと後ろ向きになってるよね…。)
しかしすぐに思い直して後ろ向きな気持ちを振り払うと、レッタは目の前の大切な人を見つめた。
「ごめんね。寒くない?」
アリアの華奢な肩を両手で包むと少しだけ抱き寄せて耳元で囁く。
その囁きにアリアは微笑んで首を横に振った。彼女の髪がレッタの鼻先を撫でる。安心するいつもの彼女の香りがレッタの鼻をくすぐった。
アリアの肩に手を置いて少しだけ自分の方に引き寄せる。それによってアリアはレッタの顔が近づいてくると予想する。
これは二人の間にできた習慣みたいなもので、何も知らせずに突然耳元で話すとアリアが驚いてしまうのを避けるための合図みたいなものだ。
レッタはアリアの手を引いて、湯が貯まっている樽の前に移った。
彼女は風呂屋にいる間、基本的にアリアから手を離すことはなく、ずっと体のどこかしらを接触させている。それは湿って滑りやすい場所なのでアリアが怪我をしないための配慮だ。
手桶で湯をすくうと「じゃあ、かけるね」と言ってから、アリアの頭の上からゆっくりとお湯を流し始める。
お湯をかける時になると必ずアリアは少しだけ首をすくめて、目をキュッと閉じて待ち構える。レッタはその少し子供っぽい仕草を心の底から可愛いと感じていた。
ゆっくりとお湯をかけはじめると、アリアは下ろした長い髪を手櫛で梳きながら気持ちよさそうな顔をする。ランプの淡い灯りはエアリアーナの未成熟な躰に幻惑的な陰影を作り出し、髪から落ちる湯は彼女の曲線を縁取り流れる。
もう一度お湯をかけてあげてから、レッタはタオルで彼女の体を丁寧に洗いはじめた。
「もうっ…自分でやれるから…!」
アリアはレッタの手からタオルと奪い返すと、恥ずかしそうに自分で体を洗いはじめた。
「ハハッ、ごめんね。」
わざとらしく笑ってレッタは自分にかけ湯をした。これもいつものやり取りであり、半ば儀式化したものだ。
子供の頃は本当にレッタが彼女の体を洗ってあげていたのだが、エアリアーナの体が少しずつ膨らみを帯びてきた頃からレッタの手をくすぐったがるようになり、それ以降はずっとこのやりとりを続けてきた。
これは二人にとって昔からの絆を確認するための儀式なのかもしれない。
二人は軽く体の汚れを落とすと浴堂へ入る。
レッタが先に入り中の様子を確認してからアリアの手を引くと、彼女は屈みながらゆっくりと中へ進む。レッタは入口の鴨居をもう一つの手で押さえて、アリアが頭や背中を打たないように気をつかう。
その時のレッタの恰好は両腕を広げて股も大きく開かれており、お世辞にも美しいとは言えない姿勢ではある。
以前、初老の女性にその様子を見られ「嫁入り前の女の子がそんなに股を開いて恥ずかしくないの?」と無責任に貶された事があったが、レッタは意に介さなかった。
「アタシのことなんかどうでもいい。それでアリアが怪我しないで済むのなら、股くらい誰の前だろうがいくらでも開いてあげる。」
これはその日の帰り道に、レッタが中傷された事を気にしていたアリアが、ポツリと言った時に彼女が即答した言葉であった。
幸い浴堂には誰もいなかった。過去にあんな啖呵を切ったレッタでも、見られないで済むのならそれに越したことはない。
二人はゆっくりと奥の縁台に座ると大きく深呼吸をした。
少女の肺に湿り気のある暖かな空気がいっぱいに吸い込まれ、ゆっくりとはき出されてゆく。二人の息で暗闇の湯気が渦を巻いた。
一息つくと二人はようやく肩の力を抜いて小さく笑い合った。
「お風呂、気持ちいいね。」
「はい。」
湯気に満ちた部屋は声を吸収し、二人きりの距離感すら見誤るほど不思議な響きをした。
隣り合って座るとレッタはアリアの太ももに手を置き、アリアもそれに自分の手を重ねあわせる。これもいつもの二人の仕草だ。
耳を澄ませると色々な音が聞こえてくる。
外で薪を燃やしている音。お湯が沸くシューシューと言う音。アリアの控えめな吐息。
気が付けば洗い場のおばさんたちは外に出たようで、脱衣所の方から微かな話し声が聞こえてくるが、何を言っているのかは分からない。
本当によく喋る人たちだと思った矢先に、壁の向こうからおっさん達の歓声が漏れ聞こえてきた。
|(ホント、おっさんたちはいくつになっても子供みたいだなぁ…)
とため息を吐くその口元は笑っていた。
「あちらはなんだか楽しそうですね。」
同じ声を聞いていたアリアが口に手を当てながら上品に笑う。
すると床が軋む音が壁の向こうから聞こえてきた。
「…そういや、お前さん…入れるのか?」
「どうだろうな…やってみる。」
キルトランスとジャルバ団長の声だ。隣に入ってきたのだ。
二人の少女の手に微かに力が入り、少しだけ背筋が伸びる。
天井近くが多少開いているとは言え、しっかりとした壁で仕切られている空間だ。見られる心配も覗かれる心配もない。
それでも裸でいる以上、年頃の少女二人は、あの壁の向こうに男が二人いるという事実に少しだけ緊張してしまうのだ。
二人は息をひそめて向こうの様子を伺っている。
濡れた木の床が軋む鈍い音と、何かが這いずる音が壁越し聞こえてきた。キルトランスが入ってきたのだろう。
そしてお湯の沸騰する音と薪の萌える音だけが聞こえる静かな時間が少しだけ流れた。
その心地よくも少しだけ緊張した時間はジャルバの大声で破られた。
「おーい、アリアちゃん、レッタちゃん、そっちはどうだ~い?」




