ドラゴンを洗おう
愛娘の一大決心を、自分たちが言い出したのにも関わらず、渋い顔をして受け入れた両親の顔を見ると、レッタの表情は明るくなった。
「レッタ、一日くらいなら私とキルトランス様だけでも平気ですからね。」
とレッタにとっては気休めにはならない気遣いをするアリアと、
「レッタがいない日は俺たち自警団に任せてくれればいいから。」
と両親に気遣うホートライド。
そして「まあ二日に一度でも静かな日があってくれるのならマシか…」と内心で妥協するキルトランスであった。
レッタは椅子から飛び上がると早速アリアの家に行くための準備を始めた。
「あの、二日目の夕方には、俺が必ず家に連れて帰りますからご安心ください。」
と説得するホートライドに「よろしく頼む!」と強く念押しをする父親。
そして自分のせいでこんな事になったと思い込んで恐縮しているアリアは、ひたすら頭を下げ続けた。
そしてほどなくレッタは少し大きな袋を抱えて部屋から出てきた。
「それは?」
と母親が尋ねると、レッタは笑顔で
「服とか!」
と答えた。
親としては数日間ずっと不機嫌そうな顔だった娘に笑顔が戻った事は喜ばしいのだが、その笑顔は親のためではないと思うと、やはりいい気はしないのだった。
その小さな不満は少しずつアリアへの憎しみに変わっていくのだか、まだ親心を知らぬレッタには分かるはずもない。親心というものは子供を産んでみないと分からぬものなのだろう。
レッタはアリアの腕を掴むと、意気揚々と家を出ようとした。
「さあ!久しぶりにアリアの家に行こう!うわ!外眩しいっ!!」
そう言って笑うレッタのテンションに少し戸惑いながらも、転ばないように気を付けて着いて行くアリア。
ため息をつく両親に、彼が悪いわけでもないのに謝るホートライドと、黙って立ちあがるキルトランス。
外に出たキルトランスを追って玄関に立つと、少し離れた所からレッタが
「ホートライド、今日はありがとう!」
と笑顔で叫んだ。その笑顔は今まで見た事もないほど輝いていて、彼は少しだけ見惚れてしまった。
「もういいからね!じゃあ!」
ホートライドの微笑みが固まった。そんな彼をよそにキルトランスは無言で二人の後を追っていく。
家の玄関に呆然と残された両親とホートライド。
「…うちの娘が…すみません。」
と、げんなりした声で謝る母親。
「あ、いえ、いつもの事ですから…。」
と乾いた笑いで微妙に失礼な返しをするホートライド。
「まったく、何が楽しくてあんな娘と一緒にいるのやら…。」
少し怒った声で呟く父親に、再び乾いた笑いで返すホートライド。
「ま、俺も仕事の途中なんでこれで失礼します。」
居た堪れなくなったホートライドは、軽く会釈するとトボトボと自警団本部へ向かった。
玄関に残された両親の顔はいつまでも憂鬱であった。
アリアの家に向かう途中、レッタは終始ハイテンションでアリアを困惑させて、キルトランスは迷惑そうに少し離れて歩いていた。
来る時は話しかけてきた村人たちは、レッタの異様を怖がって少し距離を置いたほどだ。
アリアは少し諌めようとしたが、珍しくあまり効果はなかった。それほどまでに彼女にとってアリアと会えるのが嬉しかったのだろう。
だがレッタの迷惑な人払いのおかげで、来る時はあんなに時間がかかった道も、すんなりと帰ってくることが出来たのは、助かったと言えば助かったのだが、あまり他人の眼を気にしないキルトランスですら少々恥ずかしかった。
玄関の扉を閉めてアリアの家に戻ってきた瞬間にレッタの奇行はぴたりと止んだ。
そのあまりの豹変にはキルトランスですら驚いた。
「ねえ、色々聞きたい事はあるのだけど…。」
その感情が消失したような声にアリアがビクッと身構えた。
「な、なに?」
「その服…三日前と同じやつ…よね?」
ゆっくりとレッタの顔が近づいてくる。
「え…?え?!」
胸元を隠しながらアリアは狼狽える。
彼女のその反応を肯定としたレッタは、突如アリアの膝元に崩れ落ちスカートを握りしめて号泣しはじめた。
「ごめんなさい!アタシがいなかったばっかりに三日間も同じ服を!」
「え、え?!いいのよ。別に特に汗かくような事してなかったし!」
アリアが慌てて言い訳をする。
「キルトランスの役立たずが着替えを手伝わなかったのが悪いのね!」
突然謎の罪をなすりつけられるキルトランス。
「ち、違います!キルトランス様の前で着替えるのが恥ずかしくて…!」
これは本当であった。
「そうよね!こんなヤツの前で服を脱ぐなんて、しなくて正解だったわ!」
前言を翻すこと、わずか二秒。
その神速にキルトランスは反論する事すら不可能。
するとレッタはすっくと立ち上がりアリアの肩に手を乗せた。
「と言うわけで、着替える前にお風呂行かない?」
その妙に迫力のある声に圧倒されてアリアはコクコクとうなずいた。
「わ、私は良いですけど…。」
そう言ってキルトランスのいる方を探そうと首を動かすが、レッタがその顔をがっしり掴んで正面に戻す。
「キ ル ト ラ ン ス は ほ っ と い て。」
はっきりと言い切るレッタ。もういっそ、ほっといてどこかに行ってくれとすら思うキルトランス。
だがそんな彼も少し気になった事があった。
「よ、よくありません。キルトランス様をほっといて出かけるなんてイヤです!」
彼女の気迫に押されながらも必死で抵抗するアリア。そうはいくまいと頑張って説得するレッタ。
そしてそんな二人を無視してキルトランスは冷静に尋ねる。
「お風呂とは何だ?」
レッタとアリアがぴたりと止まる。そして信じられないと言った顔でこちらを向く。
「え?キルトランス、お風呂知らないの?」
「うむ、初耳だ。」
とりあえずなんとなくレッタが侮蔑の表情をしているのは分かったが、知らないものは知らないのだ。素直に認めるしかない。
「うわ、キルトランス、ばっち~ぃ。」
この女は精神攻撃の呪いでも使うのだろうか、と思うくらいに苛立たせるのが上手い。褒めてはいないが。
「こ、こら!失礼なこと言わないの!」
アリアが怒ってレッタの口を塞ごうとするが、彼女につかまるはずもなく、アリアが一人で手を振り回しているだけだ。
「じゃ、キルトランスは体が汚れたらどうすんの?」
アリアから逃れたレッタは悪びれずに尋ねる。
ここでようやくキルトランスは「お風呂」なる物が、体の汚れに関するものだと推測できた。
「川や湖に入って落とす。」
そう答えるとレッタとアリアは「お~。」と少し感心した声を出した。
汚れたら川に入る、程度の事で感心されるのも癪ではあるが、それでも先ほどの侮蔑の表情よりはよっぽどマシである。
彼らの名誉のために追伸しておくが、ドラゴンは比較的清潔好きな種族であり、大抵の種族は何らかの方法で身体を綺麗にする方法を持っているものだ。
「そかそか、そういうのは同じなんだね。」
と納得しながらうなずくレッタ。
アルビにも行水の風習は全国的にある。
湖があれば湖に入り汗を流したり、川があればそこにって水浴びをしたりもする。
ただ当然それが出来るのは夏の暑い時期だけであり、冬に川に飛び込む酔狂な人はあまりない。
しかしアルビ全体でも水の豊富な場所は限られており、井戸から汲んだ水で体を拭くといった程度の地域も多い。
タタカナルの村は幸いにも、東に少し行ったところにパパナルド河があり、村でも井戸水などの生活最低限程度には手に入る。
それでも夏になれば娯楽を兼ねてパパナルド河まで行く人も多く、アリアとレッタも子供の時から何度か行った事があった。もっともアリアにとっては河は非常に恐ろしく、レッタに抱きついたまま離れない事も多かったが。
ただしこれらの行水はあくまでも「汗を流す」程度のものであり、レッタの言うお風呂の「体を清潔にする」という機能まではない。
また自然の中の水浴びが故に、不特定多数に見られる事を考えて、男女ともに下着や水浴着の類を身につけてするのが一般的であった。
妙に優越感を抱いた笑顔でレッタがキルトランスに近づいて顔を覗きこむ。
「行ったことないなら、やっぱり一緒に行ってみようか?」
「これは人間の生活を知るいい機会だと思いますから、一緒に行ってみましょう。」
レッタの言い方は腹立たしいが、見た事もない場所に興味のあるキルトランスは、素直に「行ってみたい」と答えることにした。アリアに向かって。
そうと決まれば行動が速いのがレッタの長所。
二人に待ってるように言うと奥の廊下へ走り出して一人で大騒ぎ。数分後に再び走って戻ってきた。
先ほどまで持っていた鞄が少し大きくなっていた。中に何かを入れたのであろう。
準備が整ったアリアたちは昼間から村で唯一の共同浴場に行くことになった。




