酒場の攻防
ジャルバ団長とホートライドは、オレガノ邸の玄関を出ると門へと向かった。
「あ…。」
ホートライドはふと立ち止まると、自分の体をキョロキョロと見回した。
「どうした?」
ジャルバ団長も立ち止まって振り返る。
「いや…なんか…体が軽いっていうか、さっきのダルさがもう無くなってる…。」
驚いた表情で体を動かしてみるホートライドに、やはり驚き顔のジャルバ団長。
「なんだ!やっぱ回復の魔術が効いているのか!」
そしてなにやら喜び顔で一人で歩き出した。慌てて後を追うホートライド。
「いやあ、なんだか面白くなってきたな。」
「はあ、何がですか?」
嬉しそうな団長の意図がつかめず、訝しげに尋ねる。
「自警団にドラゴンが入るかもしれんのだ。そうなったら面白いだろう?」
そう言いながらホートライドの背中をバンバンと叩く。
「…まあ、面白いと言うか…不思議な感じですね。」
眉をしかめながらも肯定はする。
「しかし…みんな納得してくれるでしょうか?」
それを聞いてジャルバ団長も少し眉をしかめながら同意した。
「他の奴らはともかくモルティがなあ…。」
モルティ・ダラゴはタタカナル自警団の副団長である。
ジャルバ・ミランドール団長より七歳下で、能力も申し分のない有能な右腕ではある。
しかしジャルバは、彼を次期団長に推挙するの事には二の足を踏んでいた。
それは彼の性格である。
生真面目なのだが少々度が過ぎており、規則を重要視しすぎるきらいがあった。
対外的な自警団の仕事に関しては非常に優秀ではあるのだが、いかんせん村の中の揉め事を調停するのが苦手なのだ。
本人としては村と自警団の掟に従い、粛々と処理をしているだけなので、苦手意識は全くないのだが、あまりに理詰めな対応をするために後に禍根を残すことが多い。
キルトランスへの対処に関しても、真っ先に強硬策を唱えて交渉の否定をしたのも彼なのだ。
そんな彼だからこそ、今朝の交渉にも、昼の差し入れにも団長は同行させなかった。話がややこしくなりそうだったからだ。
今も彼には村内の被害調査と治安維持を任せてある。
名目上は「団長と副団長が同時に行ってやられたらどうする!」という事にしてはあるが…。
「なあ、ホートライド。」
門をくぐり通りに出て、自警団本部に向かうジャルバ団長が問う。
「村長とモルティ。どっちが説得しやすいと思う?」
ホートライドは真面目に考えて頭に手を当てて悩んだ。
その様子を見てやはり苦笑するジャルバ。彼自身も悩んでいたから問うたのだ。
「…村長ですかね…。」
しばらく歩いた後に、首をひねりながらなんとか答えたホートライドの顔を見て「やっぱそうだよな…。オレもそう思うわ。」と苦笑しながら同意した。
通りを曲がり、本部という名の酒場「北の山の果実園亭」がある通りに入ると、入り口で見張っていた団員が二人に気づき、店の中へ大声で団長の帰還を告げた。
店に入ると、団員たちは口々に帰還を喜んで近寄ってきた。
しかしジャルバ団長は彼らを相手にするのも程々に、外へ出ている他の団員の招集を継げた。団員たちは一斉に外へ走り出す。
ジャルバは彼らと共に走り出そうとしたホートライドの肩を掴むと、小さな声で「お前はレッタのところに夕飯を差し入れに行って来い。今夜は長くなりそうだからな。」と耳打ちすると、懐から銀貨を一枚出して渡した。
驚いたホートライドだが手の平の銀貨を見ると、小声で礼を言って走り出した。
かくして陽もそろそろ沈みかける頃、自警団の会議が始まった。ホートライドも少々遅れて到着した。
団長が昼間にオレガノ邸に行った時の事を報告すると、団員たちはみな興味津々といった様子で聞き入っている。
一部の団員は今朝の訪問に同行していたため、その時の様子は自警団全員に知られていた。
もちろんその時の魔術の様子も知れ渡っており、やはりキルトランスへは恐怖感が強かったようだ。
「結論から言うと…。」
ジャルバ団長は皆の顔を見渡しながら一息溜めた。
「この村に来たドラゴン。名前はキルトランスという。このドラゴンは普通に話し合いが出来る相手だった。」
団長ははっきりと言い切った。団員たちの間にどよめきが起こる。
そして、キルトランスが人間の生活を知りたくて、たまたま立ち寄ったのがタタカナルだったことを言うと、団員たちの中に笑いが生まれた。
それもそうだろう。
普通の人間には、モンスターが人間に興味を持ち、まともに会話が出来るだなんて思ってもいない事だったからだ。
ついでにこの村に滞在したがっている事を話すと、ここで反応が二分した。
怪訝な顔をする者もいれば、話し合いが出来るのならば問題は無いだろう、と楽観する者もいる。
ジャルバ団長は隣に座るモルティ副団長の顔をちらりと見たが、案の定渋い顔をしていた。
その表情を見て、話を次に続けることにした団長。
「実は…そのキルトランスと先ほど戦ってみた。」
酒場がどよめく。それを手で制すると一同が静まった。
そしてジャルバ団長はニヤッと笑うと、指をさして言った。
「ホートライドがな。」
レッタへの買い物をこっそり済ませて届けると、他の団員より遅れて到着すると、入り口付近の末席に座った彼に全員の視線が集まった。
「本当かよ?!」や「怪我はないか?」と口々に言いながら殺到する団員を制して、ジャルバ団長がホートライドを手招きすると、みんなに体中と叩かれながらホートライドは前に出た。
「んで、戦ってみてどうだったよ?」
立会人だったにもかかわらず、あえてみんなの前で質問をした。
ホートライドは神妙な顔をして、しかしみんなにしっかりと聞こえるように告げた。
「正直…全く歯が立ちませんでした…。」
団員たちがどよめく。モルティ副団長ですら、驚きに目を見開いていた。
ホートライドの剣の腕前は、自警団でも五本の指に入ろうかという事は自警団全員が知っている。
技巧は年長者には及ばないものの、若手団員筆頭の実力を持つホートライドが「全く歯が立たなかった」という事実は重い。
「で、でもよ!じゃあなんでホートライドが無事なんだよ?!」
団員の一人が叫ぶ。その声を聴いて再び団長は酒場を制した。
「手加減してもらったのさ。」
そう言うと再び酒場がざわめいた。しかしジャルバ団長はあえて止めずに話を続けた。
魔力の使用と飛行を禁止して戦ってもらったという事。
そして相手は素手だった事。
それを告げると団員たちの顔に悲壮感すら漂い始めた。
圧倒的な制約を相手に課した上で、ホートライドが戦っているのにも関わらず、歯が立たないとなると、つまりはこの村でそのドラゴンに勝てる者はいない、という意味になってしまう。
モルティ副団長も額にしわを寄せながら考え込んでいるようであった。
しばらく団員たちの言い合いを聞いていたジャルバは、再び声を大きくして話し始めた。
「だがよ。」
酒場が静まりかえる。
「オレが手加減してくれって言ったらちゃんと手加減してくれたし、魔術禁止って言ったら律義にちゃんと使わないで戦ってくれた。」
ジャルバ団長は口々に話し始める団員に先んじて言葉を続ける。
「ついでにホートライドに怪我させないように気まで使ってくれたんだぜ?」
静まった団員を一望して、ゆっくりと落ち着いて話を続けるジャルバ団長。
「オレはキルトランスって言うドラゴンが悪い奴には思えねえ。」
これは説得だ。そして非常に危険を孕む提案でもあった。
村の安全を守るべき自警団の長が、アルビの、人間の敵である魔世界の生き物、しかもドラゴンと言う「最恐」の代名詞を擁護する。
それは一歩間違えれば、異端者として村を追放されかねない危険性すら孕んでいる発言なのだ。
しかしジャルバ団長は信念をもって言葉を続ける。
「だから無理に敵対しないで、相手の様子を見るのもありなんじゃないかと思う。」
団員たちの思考が進む前に、言葉を続けて一歩引いてみせた。
仲良くしろとは言わない。ただ今すぐ敵対する必要もないだろう、という団員との交渉だ。
そのためにも自警団が戦っても勝てない、という事実を事前に言っておいたのだ。
「ですが、村人に…村長になんと言えば良いのですか?勝てないから放置しますとでも…。」
その時モルティ副団長が口を開いた。
(やっぱ来たか)
ジャルバ団長はかねてより予想していた反応に対処をする覚悟を決めた。
そしてわざとその発言を遮るように大きい声で言った。
「おうよ!その辺の話を副団長とじっくり話したいと思っていたんだ!」
副団長の肩に手を載せて話を続ける。
「ちょっとこれからオレとモルティで話し合うから、お前らはとりあえず酒でも呑んでてくれ!昨日からお疲れさんだから、今日は全部オレの奢りだ!」
昨日から村のために駆けずり回って、疲弊した団員たちの目に光が宿る。
やおら酒場は騒然となり、いつもの酒場の夜の様子に戻っていった。
ホートライドは我先に団員たちの中心に入って騒ぎ始めた。
普段は話の中心になるのは苦手なのだが、今回ばかりは団長の意向を汲んで助け舟を出すことにしたのだ。
団長は、あえて副団長を団員たちから隔離する事で、説得しやすい状況に持ち込んだのだ。
団員たちの中には副団長派もいる。
ここで下手に副団長に話させては、内部で意見が対立しやすくなってしまう。それだけは避けたかった。
喧騒の酒場の奥、ジャルバ団長の夜の戦いが始まった。




