生活への第一歩に生まれた問題
自警団が立ち去ったのを確認すると、レッタが大きなアクビをして肩の力を抜いた。そして小さく唸る。
「さて、戻りますか。」
そう言ってアリアに手を貸して玄関に向かう二人。キルトランスも無言でその二人に続く。
玄関の扉を閉めた時、キルトランスもまた大きくため息をついた。
「その…お疲れさまでした。キルトランス様。」
アリアが振り返って、心配そうにキルトランスを労う。
「あはは、キルトランスも緊張してたんだ!」
いつも通りの明るい声で笑うレッタ。だがその声色に馬鹿にした感じは全くなかった。
「まあ…そうだな。緊張したと言うよりは、色々と気をつかって疲れた、と言った方が正しいか…。」
その言葉にも声にも気疲れの色が深く見て取れた。
「でも戦いにならなくて良かったです…。」
視覚的な事情が分からなかったアリアは、二人ほどは神経をすり減らさなくて良かったのかもしれないが、その逆に見えないからこその心労も多かったのであろう。彼女もまた大きく息を吐いた。
「いやいや、でもキルトランスも自警団もすごく戦ってたよ。言葉で。」
一部始終を見ていたレッタが珍しく褒めた。
「そうだな。だが、あのジャルバとか言う団長も中々の者だな。」
先ほどのやり取りを思い出しながらキルトランスは呟いた。その言葉にレッタが賛同する。
「そうそう!アタシもそう思った!いつも酒場で酒飲んで偉そうに話してる、ただのオッサンじゃなかったんだね!」
そう言ってケタケタと笑う。つられてアリアも微笑む。
「ま、まあ確かにお会いするとだいたいお酒の匂いがする人ですけど、心はまっすぐで正義感のある人ですよ。」
「そうなのだな。確かになかなかの好漢ではあった。」
キルトランスは素直に賞賛をした。
「あの男が団長でなければ、無事には終わらんかっただろうな。」
それはその通りだったかもしれない。
キルトランスは当初、あの場ではホートライドを頼みの綱にするつもりであった。しかしジャルバという男が、存外冷静に分析が出来る男であったために、途中からホートライドを頼りにせずに話し合いが進められた、という事実は間違いないであろう。
「ま、でもここにいてもしょうがないから、部屋に戻ろっか!」
キルトランスの思考をぶった切ってレッタが歩き始めた瞬間
「あっ!ヤバい!!」
と叫んで走り出した。
「どうしたのレッタ?!」
放置されたアリアが不安げに叫ぶ。
「お茶入れっぱなしだった!」
「あ!…あ~…。」
事態に気が付いたアリアが落ち込んだ声を出す。
キルトランスはその事態がどういう意味を指すのかが分からずに、なにかマズい事態になっているのだろうと推測しながらアリアと共にレッタの後を追った。
かくしてお茶は文字通り「不味い」事態になっていたのだが、渋みを我慢して飲む少女に対してキルトランスは平然と口に放りこんだ。
どうやらドラゴンは渋みには強いようである。それこそ熱いよりもよっぽどマシなのだ。
疲れた上に温くて渋いお茶を飲んでげんなりしている二人の少女と、すでに何事もなかったように平然と座っている龍のいる応接室。
部屋のカーテンは開け放たれ、天頂に近づきつつある陽の柔らかな光が射しこまれて明るい。
開いた窓からはゆったりとした風も流れ込んで、緩やかにカーテンを揺らしている。
それは人間であれば心安らぐであろう平和なひと時の風景だ。
どちらにしろキルトランス達は、とりあえず三日間の安息を手に入れたのだから、もうこそこそと隠れる必要も無くなったのだ。
しかしアリアは気づいていた。
いつものこの時間であれば聞こえてくるはずの村人たちの生活の音や、子供の大声はどこからも聞こえてこない。
やはりまだ村はキルトランスの脅威に怯えているのであろうか。
彼女はキルトランスは怖くないという事を、村人たちに説いて回りたい気持ちもあったが、彼女の言葉をどれほどの村人が信じてくれるのか、という自信はなかった。
そしてなにより、この三日間は「こちらも外へ出ない」という条件あっての安息なのだから、それをこちらから破るわけにはいかない。
逆に言えば三日間は自宅軟禁状態なのだ。
だがアリアとレッタが理解しているのかは分からないが、自警団とキルトランスの間に交わされた契約には「少女二人は家を出てはいけない」という意味は無いのである。
しかし二人が今、家を出て行けば人質確保とばかりに捕まって、二度と屋敷に戻ってくることは不可能であろう。
レッタは混乱初期であったために、辛うじて戻ってくることが出来たが二度の偶然はない。
幸いにしてキルトランスの機転で外との連絡方法は確保されたために、三日間飢える事は避けられそうだった。
「さーて、ホートライドがお昼を買ってきてくれるまで、どうしようか?」
レッタは気持ちを取り直して明るく振る舞う。
「そうですね…外に出る訳にもいきませんから…。」
首をかしげて考える仕草をするアリア。しかしすぐに思い当たったように口を開く。
「キルトランス様はここにお住まいになるのですから、キルトランス様の部屋をご用意しないといけませんわね!」
アリアの顔が晴れやかになる。
「え~…やっぱ一緒に住むのぉ?」
それに対して心底イヤそうなレッタの顔。
「レッタは何がそんなに気に食わないのだ?」
キルトランスとて魔世界の異邦人の自覚はあり、人間に歓迎されるなんて思ってもいないのだから、素直に受け入れてもらえないのはある程度覚悟はしていたが、いざ拒否されるのは気分の良いものでは無い。
だからこそ、その理由くらいは聞いておきたかった。場合によっては納得も出来るかもしれない。
「だって…アリアが他の人と一緒に住むのなんて…イヤだし。」
残念ながら理由の追加情報は一切増えなかった。イヤなものはイヤなのだろう。キルトランスはこれ以上追及しないようにした。
「そんな事言っても、お客様を部屋もご用意しないで、過ごしていただくわけにもいかないでしょう?」
「まあ、そうだけど…。」
「それでは私の部屋のとな…」
「ダメ。」
ものすごい勢いで否定するレッタ。珍しく口を開けたまま固まるアリア。
「キルトランスは二階の奥の部屋でいいじゃん!あそこ空いてるでしょ?!」
この少女は何をこんなに必死になっているのだろうか?だがアリアはその言葉を聞いて、珍しく語気を強めて制した。
「レッタ!」
雷に打たれたようにビクンと体を震わせて固まるレッタ。アリアはフッと表情を和らげて優しく問いかけた。
「どうしたの?レッタ。なんだかいつものあなたと違いますよ?」
「だって…だって…。」
唇を震わせて必死に何かを言おうとするレッタだが、上手く言葉が続かない。さすがに見るに見かねたキルトランスが「いや、私はどこでも構わないぞ。」と助け船を出す。
「ほ、ほら、キルトランスもそう言ってるしさ…?」
好機とばかりに必死に食い下がるレッタ。眉をしかめるアリア。
「ねえ、レッタ。レッタはキルトランス様が嫌いなの?」
訝しげに問い詰めると、レッタは傍目にも分かりやすく動揺しながら答えた。
「い、いや、嫌いじゃないよ?」
「キルトランス様はレッタを助けてくださったんですよ?」
「あう…はい…ありがとうございます。」
しょんぼりするレッタ。
なんだか初めて見るレッタの姿に、キルトランスは内心愉快であった。この少女でもこんな表情をする事もあるのだな、と。
「ねえ、レッタ。キルトランス様が危険だと思ってるの?」
珍しくアリアが追撃をかける。
どんどん追いつめられるレッタの額から汗が出てくるが、アリアには見られないのが救いだろうか。
「そんな事ない…けど…。別の意味で危ないかもって言うか…。」
「…?」
意味が分からずポカンとするアリア。
「だって…キルトランスは男だし…。」
その言葉を聞いてしばらく固まっていたアリアの耳が徐々に赤くなり、終いには顔まで真っ赤になった。
「な、何を言って…で、でも確かに…。」
そしてそのやりとりを聞いていたキルトランスも、ポカンを口を開けてしばらく固まっていた。
なにせ最近初めて見た種族である人間に、性別なんか意識した事も無かったからだ。
男と女である以前に人間とドラゴンなのだから、性的な対象に考えた事はおろか、発想すらなかった。
だが逆を言えば、レッタはキルトランスを種族を越えて性的に見ていたという事になる。
「…その辺の人間の事情はよく分からないが、問題があるのなら、その二階の奥とやらでも私は構わない。」
珍しく複雑な顔をして話すキルトランス。
「ほら。キルトランスもこう言ってるしさ?」
この時とばかりに畳み込もうとするレッタ。
そしてアリアも突然弱腰になって「そ、そうかもしれませんね…。」と態度を軟化させた。
そして三人は二階の奥の部屋に行こうとして、ある理由で頓挫したのだった。
それは二階の構造が原因だった。
外観は石造りのオレガノ邸であったが、二階部分は木造だったのだ。
身長が大きいキルトランスは、実は体重も二百キロ近くある。
二階に上ろうとして階段に足をかけたら、木製の階段はギシギシと派手に悲鳴をあげて、踊り場に立った時には床板の一枚が壊滅的な音を立てたために、三人は慌ててホールに駆け下りてきたのだった。
結局話し合いの結果、キルトランスは一階奥の客間に入る事になった。
二転三転した部屋決めであったが、これが後に一つの波紋を生んでしまった事を、その時のレッタは気づかなかった。
それは皮肉にも、アリアがキルトランスを異性として意識してしまう遠因になってしまった事だった。




