1話──目覚め
君の手を貸してほしい。
──でもまだ一歩も進めてないんですよ? もう諦めましょうよ。そもそもこれは平行線をより良くしようとしただけ。諦めても衰退はしないんですよ。これはただの、無謀な挑戦だったってだけで……
本当にそれでいいのか? わたしはそんな意志薄弱な奴と手を組んだ覚えは無いんだけどね。君なら絶対に、何十年、何百年、何千年と経過しても目的達成まで走り続けられる意志の強い奴だと、そう思っていたわたしが馬鹿だったのか?
──でも……
大丈夫。これまでは不可能だったかもしれない。だがこれからはわたしも、それにあいつだっている。もう少し経てば、次の奴だって来てくれるはずだ。わたしたちが力を合わせれば、世界を面白くできる。人という種を昇華させられる。
そうだろ?
「……そうだ……ろ、ぉ…………ぉ? あ、ここは……?」
建物の中にいる。
そう認識したのは、上を見上げても空が見えず、足元に草や花も無く、地平線も広がっていなかったから。床、壁、天井。建造物なのか、自然生成された洞窟なのか……きっと前者だろう。自然生成にしては綺麗に出来過ぎている断面だ。
だからと言って、石レンガか丁寧に敷き詰められたような見た目でもないのだから、なかなか判断に困る。
それに、光源らしき物は見当たらないのに周囲を視認できている。そのよく分からない状況も、人間が狙って作り出したものなのなら納得できなくは無い。
とりあえず、歩いた。
周囲を観察した時に発見した、出口か、深部へ進む道がは判断できない道だ。上り坂の用になっているから、多分出口だろうと思われるが、ここが塔のような建物の中だった場合は上り坂=出口から遠ざかる道と言うことになってしまうが、そこまで考えてしまうとどこにも進めなくなってしまう。
そもそも見える道はそこしかないし、とりあえず現状は進んでみるしかない。
(なんで俺は……こんな場所に居るんだ?)
疑問。ここに至るまでの経緯が思い出せない。
身体にも、頭部にも痛みどころか違和感すら感じない。どこかにぶつけたりしたわけでは無いのだろう。
(気を失っている状態で誰かに運び込まれたのか? もしくは、夢遊病とかで俺自身がかってに歩いてここまで来てしまったのか……? いや、その可能性は薄いか)
十センチほどの高さと幅の、どうにも登りずらい階段をゆっくり足を踏み外さないように登っていく。
(それにどちらにせよ、それ以前のことをおもいだせないことに説明がつかないよな。薬物とかで飛んだ……とかか?)
「……なんなんだ、俺は…………俺は一体……」
ここに来た経緯どころか、これまでの生活すら思い出せなかった。自分に関することで唯一思い出せるのは──
「……アスモ」
それは自分自身の名前……と思われる単語。はっきり名前だと言えないのは、諸々を忘れている脳みそを信用出来ないから。
勝手に創り出した言葉かもしれないし、別の記憶を名前と結びつけてしまっているだけかもしれない。だから断言はできなかった。
「……アスモ…………なのか?俺は」
段々と増す不安。いや、不安というよりも、恐怖と言い表した方が今の感情の説明としては正しく当てはまるか。
(今は、自問自答するよりもここからの脱出を考えるべきか)
階段は意外と短く、足元は一分足らずで平面へと戻った。
しかし、太陽光らしき光は未だ見えない。
出口のない迷宮に囚われてしまったのかもしれない。もしここが単なる迷路なのであれば、規則性を持って歩けばいずれは辿り着けるだろうが、それを実行するには持ち物不足が否めない状況だ。
飲食物は必須。歩き続けるためにもエネルギーが欲しい。それに、脱水症状等が出てしまえば脱出なんて夢のまた夢になってしまう。
「……でも、別に今はほぼほぼ疲れてないし、喉も乾いてない、お腹も減ってないんだよな。なにか食べてから来たのかな……?」
静まり返った空間。アスモは、独り言を喋ることで少しだが気を紛らわせていた。。
「なにか食べた……毒キノコとか食べて、当たっちゃって、それで記憶が無くなっちゃったとか……か? そんな可能性は薄いだろうけど、ゼロではないよな。もしそうだとしたら、記憶失う前の俺、馬鹿過ぎな…………あ?」
肌に感じられた微かな揺らぎ。それは歩いているからではなく、別の要因によるもの。
「かぜ……もしかして外か!?」
明らかに吹いている風。つまり、入口があって、出口があるということ。
風が吹いている方向に進んだ方がいいのか、逆に進むべきなのかを判別する知識は無いが、ここまで来たのだから真っ直ぐ進み続けてみよう。
そう決めて、アスモは少し駆け足になりつつ進んだ。
「──ぁ」
光が見えた。不自然な明かりではなく、光源から放たれているであろう差し込み具合。妙な逆光で通路の先は見えないものの、アスモにとってそれは希望の光だった。
名前以外思い出せない彼にとって、唯一縋れる輝きだった。
上り坂になっていても、自然と足を動かす速度が上がる。右手を振って、左足を踏み出し、左手を振って、右足を踏み出し、グングンと光差す方へ走って──
視界を埋め尽くしたのは、色とりどりな世界。自然豊かな美しい世界だった。
どこまでも広がっていく草原。風に撫でられ、まるで水面のように靡き揺らめいていく。
どこまでも広がっていく青空。もし触れることができれば、綿あめよりも柔らかそうな雲がゆっくり左から右へ流れていく。
遠くの方に、大木が一本生えていた。かなり遠くて、具体的な大きさはわからない。それでも二階建ての家を三つ重ねても越せないくらい大きいように感じられた。周りには一切障害物が存在しない。それこそ自然から降り注ぐ恵みを無駄なく吸収し、どこまでもいつまでも成長していくだろう。
「辺境……だな」
人が生きている気配は感じられない。家とかがあれば一番よかったが、最低でも街道
くらいはあるかと思っていたアスモにとっては残念な光景だった。
アスモが後ろを振り返ると、そこにはたった今脱出した建造物があった。どうやら大部分は地下に埋め込まれている形状のようで、入口より先は段々と下り坂になっている。
(地下遺跡……となると、偶然はあり得ないし、となると誰かに連れてこられたか……)
「いやいや、とにかく今は、夜になる前にどこかしら人が住んでる場所に辿り着かないとだな」
アスモはそう結論付け、右の方へと歩き出した。
草の根がしっかり地面に絡んで固定されているからか、穴やぬかるみに嵌ることは無かった。記憶は無くても衣服や靴などはちゃんと身に着けていたので、それもあって無駄に疲労することなく歩き続けられていた。
一時間ほど歩いただろうか。
「あれは……」
アスモの目が捉えたのは、茶色の地面。それが長く横に伸びて、遠くの方まで続いている。どう考えてもそれは、人の手によって造られた道だ。
つまり、これからはどちらに進もうとも、必ずと言っていいほど人に出会えるだろう。集落か、町か。家が一軒建っているだけなんてこともあるかもしれない。
(ラッキーだな。ちゃんと使われてる行路だとしたら、一日歩き続ければ途中経由の休憩地点とかには辿り着ける……か)
近付くとわかる。行路に目立った車輪の跡は見えない。何百キロを支える車輪の跡が付かないほど強固に舗装されているわけでもなく、ただ押し固められた土の道。つまり、馬車などを前提にした道ではないということであり、己の足でも先の地点に辿り着くことは可能だと。
「……さて、どっちに進もうかな」
太陽は頂点に昇りつつある時間帯。暗くなるまでは、最低でも六時間ほどかかるだろう。
既に一時間も歩いていて、アスモの足には疲労が溜まりつつある。右を見ても左を見ても、道の先に建物らしきものは見えず、まだまだ歩かなければいけないことは容易に想像が付く。
と、右と左を眺めてどちらに進もうかアスモが考えていたところで、左の方に小さな点が見えた。遠すぎて点とした認識できないが、先ほどまでは無かった何かであることに変わりはない。
「あれは人か? 狂暴な動物とかじゃなければいいんだけど……念のためハッキリ見えるまでは隠れておくべき……」
アスモが呟いている間にも、その点は大きくなっていた。異形ではない。妙な動きもしていない。武器らしきものも持っていない。そこまで認識できるほど、大きく見える。
「いや……いやいやいや、おかし……速過ぎないかあれ。人間だよな」
見た目は人間。後続は見えず、その人だけしか接近してきていない。だが、その人の移動速度がバクっている。接近する速度が速過ぎる。
人間の全力疾走では短距離でも時速四十五キロメートルくらいが最速であり、それ以上を目指すのであれば人間を辞めて獣にでもならないといけない。だが、今アスモに接近しているその人間の速度は獣をも超えた身体能力で、大地を蹴り上げ疾走している。
隠れるにはもう遅く、確実に相手もアスモのことを認識しているだろう。
迫りくるその人間は前傾姿勢の状態から身体を反らし、空気抵抗を受けつつ靴を地面に擦らせて摩擦も合わせて減速。そして丁度アスモの前で停止した。
「こんなところでどうしたんだい?」
「……」
その人は女性だった。年齢的には三十代くらいか。大人の女性だ。頭の後ろで髪を括り、ポニーテールのような茶髪。瞳も同じく茶色だが、決して土の色とは表現してはいけないと感じられる深みのある綺麗さ。セピアと言った方がしっくりくる色だ。
服装は運動のしやすそうなシャツとジーンズで、ひらひらとしたものは付いていない。そして背中に背負われている厳重で頑丈そうな箱を、細めの縄でリュックのように背負っている。
それはめちゃくちゃ重そうで、更に先ほどのスピードが理解できなくなる。
「少年?」
「あーすいません。ちょっと道に迷ってしまいまして、これからどうしようかと迷っていたところだったんです」
「道に迷った?そうだったんだね。ちなみにどこに行こうとしていたんだい?」
その質問に、アスモは脳を働かせた。
正直に記憶喪失だと告げてもいいのか。目の前の女性は有効的に話しかけてくれているから、女性を信じて正直に話した方がいいだろうかと。それはこれからの生活にも関わってくる部分だし、もし女性が理解のある人であれば大幅に苦労をショートカットできるはずだ。
しかし、互いの名前すら知らないのに記憶喪失だと言っても、きっと冗談に思われるのがオチだ。ならば一先ず人里の方向を教えてもらいだけに留めるべきだろう。
「離れたところから来たのでこの辺りの地名はわからないんですが、とりあえず近くの人里に向かおうと思っていまして……よければ教えて頂けたりします?」
「ふむ、そうだね……君、名前は?」
「名前は……アスモです」
「アスモ君。なんで君は旅をしているんだい?」
「なんでと言われましても……世界を見てみたいからですかね?」
明確な理由無しに度をするなら、世界を見てみたいという大まかな理由の説明にした方が辺じゃないだろうという考えの発言。
不自然ではないはずだ。しかし女性はアスモの回答にどこか引っ掛かるところがあるようで、首を傾げた。
「世界を見る? それは随分珍しい理由だね。世界ってなると、この国だけじゃないんだろう?」
「まぁそうですね。観光というよりは、俺自身世界を知らなすぎるので、興味本位というか、好奇心で巡ってますねー」
「ふーん、なるほどねぇ」
「……」
女性は自身のあごを触りつつ、冷や汗をかくアスモの瞳を見つめ、やがて口を開いた。
「まぁ今はいいや。着いてくるかい? アスモ君」
「え、いいんですか?」
「良いも何も、私は着いてくるかと君に聞いたんだ。私が求めてるのはそれに対する返答、ハイかイイエの二択だよ」
「は、はい! ついていきます!」
(願ったり叶ったりだな)
着いてくるかというのは、近くの人里まで案内してくれるという意味と受け取って間違いないだろう。ただ、大人しく着いていきたくてもいけない問題が残っている。
「でもちょっといいですか?」
「ん、どうしたんだい?」
「俺そんなに速く走れないのですが、それでも大丈夫ですか?」
「なんだそんなことかい。なら気にしないでくれて良いよ。私が君ごと持ってってあげるからさ」
「え?」
すると、女性はアスモが了承するよりも先に、アスモの腹に手を回して、サッと肩に担ぎ上げた。女性の向く先にアスモの下半身、背後に上半身がある状態で、がっしりと腰あたりを抱えて、
「私も気を付けるけど、君も振り落とされないように気を付けるんだよ」
「え、え?」
女性は先ほどのような速度で走り出した。グングンと加速していく女性に担がれたアスモには、強風が吹いているような感覚さえ感じられた。
「うわあああああああああ!」
内臓が祭りをしていると言っても過言ではないくらいには暴れている。アスモの意志を無視して祭りを開催されるのはとても不愉快であり、僅かな吐き気と悪寒も湧き上がってくる。
予期せぬ速度と、不安定に思える持たれ方、進行方向が見えないという三つの条件が重なり、アスモは恐怖に身体を震わせた。とは言っても、震えることすらできないくらいの速度で動かれているので、冷や汗が背中に集まるくらい。
「ちょっととま──止まってくださいッ!」
「なんだってー? ごめんアスモ君、位置的に君の声は聞き取りにくいんだ! 多分私の声もほとんど聞き取れてないだろうけどねー! もう少しの辛抱だから頑張るんだよー!」
もう先ほどまでどこにいたのかわからないくらい進んでいる。
アスモが女性と運良く出会えていなかったら、この距離を徒歩で進んでこなければいけなかったと考えると本当にありがたくはあるが、それはそれ、これはこれ。もう頭痛まで感じ始めているのだ。距離だけ聞いてあとは自分で歩いてもいいと思うくらい辛い。
だが、善意の行ないであることに違いはない。もっとマシな運び方は無いのかと文句を言いたくなる気持ちを抑え、アスモは目を瞑ってできるだけ取り込む情報を無くし、耐え続ける姿勢に入った。
「ぅ~~……!」
(まさか第一村人との出会いがこんなんに発展するなんて……でも、頼み込んだりどうにかこうにか仕事を探せば野宿にならないだろうし……)
アスモは女性に担がれた状態で嘔吐という最悪だけはしないようにと、グッとつばを飲み込んだ。




