1.入林届
狐神は武を尊ぶ。
まだ国が一つとなる前、この国が幾つもの国々に別れて切った張ったに浮かれていた頃には、その武威に肖ろうとそこかしこに狐社が建立され、国主自身が足を運んでは、天佑を願ったという。
そんなお祭り騒ぎの様な時代を経て、ヤッパや帷子が表舞台から引き上げたあと、時代は近代に突入した。戦国時代というお祭りの勝者は、武運を散々に願った手前、戦争が終わったので狐神信仰は止めます、という図々しいしさは発揮でき無かったようである。
現在も国を統治する宗家連中は、未だに狐社に少なくない額を寄進しているし、何なら国旗にすら狐神が描かれている。
何百年も前の、本当にご利益があったかどうかも分からない神様に頭が上がらないらしい。そんな冗談は、政府をこき下ろす常套句であり、もはや手垢にまみれ過ぎていて誰も口にしない。
しかし、寒い笑いの種にされようと、狐神の名前が一定の力を持つこともまた、事実なのである。
男は頭を抱えていた。
まだ日暮れには早い。ガラス窓から、傾いた日光が差し込み、男の前の机の端を照らしている。室内には晩春の空気を空調がかき回し、コピー機が静かに唸っている。作業机に向う同僚達は、小綺麗な作業服を身に着けているものの、既に春の見回りは終わった後だ。山菜採りやら登山やらの趣味のついでと提出された入林届の粗を探しながら、ぬるいコーヒーを飲んでいる。時折、電話を掛けるものがいるのは、ダムの点検用にと作業道の敷設についての案件でも入ったのか、環境省やら経産省やらの調整を行なっているらしい事が、会話の切れ端から伺い知れた。
どこか弛緩した空気が漂っていた。
原因は机の上にある、二枚の紙である。A4サイズのその届け出は、見慣れた書式で書かれていて、表題には本文よりも二回りは大きなフォントで入林届と書いてある。この仕事をしていれば、年に何十回は見る書類だ。
入林範囲は秋田県八幡平焼山周辺。文字に起こす手間を惜しんだのか、添付の地図には色塗りがされていて、この範囲で行動する、と簡素に書かれている。入林期間は今後二年。
この時点で、普通ならば差し戻しだ。
お役所の中には、ただでさえ面倒な仕事をさらに面倒にするために熱を挙げる馬鹿が少ならからずいる。やれ、地図だけでは情報伝達に支障が出るから文字に起こせ、住所が無いなら林班まで記載させろ、と小煩い。どうせ林班まで書かせても、林班名で位置を特定出来るのは、地元の林業関係者くらいしかいない。確認の際に、余計な一手間が増えるだけだ。それに、いざ山狩となればこんなモノは糞の役にも立たない。長い就業期間の中で、数えられる程だけあった記憶を探っても、林班の情報が役になった経験は思い出せない。
しかし、そんな事はどうでも良いのだ。
問題は入林目的だ。そこにはこれまた簡素に、狐神への祭祀、と書かれている。
入林範囲や期間の適当さをすべて呑み込んででも、許可を下ろさざるを得ない理由だった。長ったらしいだけで誰も読まない規程の末期に書かれている、例外規程。その一つ。
狐神への祭祀を阻害すること能わず。
そんな例外を覚えていた男は不運である。不運な男は、総務省と文科省の担当窓口の連絡先を必死で思い起こす。メールブラウザを立ち上げ、業務連絡用のアドレス帳を舐めるように確認していく。
しかし、と男は思う。今どき、狐神への祭祀を行う者など、人伝にも聞いた事は無い。こんな馬鹿な申請をしてくるのは、どこの芋畑の阿呆であろうか。
男の視線は、入林届の下の方に書かれている名前の所で止まる。そこには、筆跡の異なる二つの名前が記されている。
一ノ瀬 千宗
一ノ瀬 コン




