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Code 0  作者: ひのひと
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鈴村 花

2024年12月3日――東京都・西南高校――

午後の授業開始を告げるチャイムが鳴り響いた。校庭の木々はすっかりとその葉を落とし、地を這う生き物はすっかり姿を消していた。冬である。

「ひなとー。次移動教室だぜ」

教室に入ってきた陽気な男子が窓辺の席に一人座る灯奈斗に声をかける。彼は西崎悠太。クラスの中にいるほかの生徒も、その声にだんだんと席を立ち始める。灯奈斗はたいてい一人だった。別にいじめられているわけでも、雰囲気に馴染めないわけでもなく、話しかけることがなければ自分から話すこともない。そういった生徒であった。

「お前ほんと読書好きだよなー。飽きんの?」

悠太が灯奈斗の机にもたれながら不思議そうに尋ねる。お決まりの質問だ。

「飽きない本を選んでるから。」

突然悠太は頭を抱える。

「あー理科のプリントやるのわすれてた。まあお前と同じ班だから何とかなるかあ」

悠太の無邪気な笑顔に少し呆れながら、頼られるというのも別に悪くはないと感じていた。悠太は自分の中では一番仲がいいと思っている友人だ。いわゆるやんちゃ男子のような彼はクラスでも人気があったし、そんな彼がどうして自分と仲良くするのかは正直理解し難かった。いつかそれを尋ねたことがある。その時彼の言った言葉は、ほんのりとずっと心に残っている。「お前、笑わねえだろ。学校来てから今まで笑ってるとこ一回も見たことないんだよなあ。頭いいし、運動もできるし、友達もいるのにさ?だから俺が笑わしてやろうと思って」そう言う悠太の何とも形容のしがたい顔が、ふとした時に心をぎゅっとつかむことがあるのだった。

「そんなことよりさ、お前。放課後の席替えで花と隣の席になるんだろ?いいよなあ。なんか好きとかさ、そういうの無いのかよ」

いたずらっぽく興味津々に聞く彼に、灯奈斗は答える。

「花?誰だっけ」

悠太は目を丸くして声を大きくする。

「おいおいまじかよお。まだクラスの女子の名前も覚えてないのか?」

クラスに残っていた数人の男子が悠太の無駄に大きいその声を聞きつけてこれまたいたずらっぽい顔をして近づいてくる。

「いやあ、まさかクラスで一番の美女、鈴村花さんを知らんとはなあ」

「まったくですなあ。隣の席、よかったら変わりましょうか?」

「いやいや僕が変わってあげましょう」

まったくこうなると収集がつかない。灯奈斗はさっさと教室を出ると、席替えの話に夢中になった男子をおいて理科室へと向かうのだった。理科室ではすでに授業が始まろうとしていた。当然教室に残っていた男子は間に合うはずもなく、灯奈斗は知らぬ顔で席についていた。挨拶のあと少し遅れてやや照れくさそうな男子たちが慌てて入ってくる。

「おおいお前ら。なんで遅れた?」

若干笑いながら先生が問い詰める。先生にも色々と特徴がある。授業に遅れてすぐ起こる先生もいれば、無言の圧力を与える先生、時には冗談交じりに笑いにする先生もいる。それにいい気になった悠太は、

「いやあ、ひなと君がまさか次に隣の席になる鈴村花さんを知らないとかいうものですから」

そういうと悠太は、灯奈斗の無機質な声のトーンと全く変化を見せない表情を真似て「花?誰だっけ?」を演じてみせる。クラスが笑いに包まれる。いいクラスだな、という先生の声を聞き流しながら、灯奈斗はあくまで知らぬふりを突き通し、教科書に目を落としていた。遠くに花の視線を少し感じながら。

翌早朝、まだ教室には数名の生徒しかいない。いつも決まって特定のメンバーは恐ろしく登校が早いのだ。灯奈斗もその一人だった。彼は別に学校が好きなわけではない。ただ早く来るのには別の理由があった。だが、それはまだ伏せておこう。とはいえ、彼自身は朝早くの教室に漂う静寂と、日の出の光に乗ってくる朝の爽やかな香りが好きでもあった。

「おはよう」

静まり返った教室に小さく反響する声。鈴村花だった。確かいつもこの時間に来るのだったと時計を確認しながら、灯奈斗は小説に目を落としたまま無機質な挨拶をした。鈴村花は少し気まずそうな所作を見せながら彼の隣の席に腰を下ろした。彼女は性格上、人と話すのが好きであり、またそれを自粛するという行為を未だ経験したことがなかった。彼女は、窓から差し込む朝のふわりとした光に照らされながら依然として小説に向かう灯奈斗の横顔に、話しかける決意をする。

「なんの本、読んでるの?」

彼の横顔は変わらず横顔だったが、必要最小限の答えが返ってくるのだった。彼女は今度は少し面白いと感じていた。灯奈斗が無口な生徒であるとは知っていた。悠太と話しているときも、数人の男子と共にいるときも、彼はほぼ口を開かない。選択ゲームの主人公の会話のように必要最小限だ。そしてその表情も仮面であるかのように微動だにしない。そんな彼に友がいるのは、彼女が先ほど感じた面白さに起因するのだろうと解釈した。

「ひなと君はさ」

彼女は待った。その関節が存在するのか怪しいほどに回らない彼の首がこちらに向くのを。少しの沈黙の後、意図を察した灯奈斗が微かに目線だけを彼女へ向ける。彼女は少し微笑んでなんでもないと言う。灯奈斗は今度は少し首をかしげるようにやや彼女のほうを向いて、ゆっくりと瞬きをする。彼女の真意を探るかのように。しかしそこには、無邪気な微笑みがあるだけであった。

 ここ西南高校には空中庭園という広場が屋上にある。冬の厳しい寒さの中利用する生徒は少ないが、決まってそこで昼食をとる生徒たちもいた。芝は人工芝だったが、魚の泳ぐ池、石畳の道や花壇など、庭園と呼ぶにふさわしい壮麗な場所だった。鈴村花とその親友である水野葵(みずのあおい)は決まってここで昼食を楽しんでいた。二年生でクラスが別だった二人にとって、空中庭園での時間は欠かせないのだった。部活が二人とも同じ茶道部だったものの、活動が月に数回しかなかったのも空中庭園で昼食を共にする理由の一つだ。

「ねえ。ひなと君とあおいって中学たしか一緒だよね?どんな感じの子?」

葵はベンチに腰を下ろしながら少し考える。

「んーなんていうか。不思議な子?」

自分の答えに満足のいかない様子で彼女は答えた。中学での彼も今と変わりなかった。無口で、表情一つ変えず、そつなく何かをこなす。誰かと特に仲良くなるわけでは無く、かといって嫌われているかと言えばむしろ逆のような気がしてくる存在だった。

「・・・なんでそんなこと聞くの?」

「え今ね、隣の席なの」

そして花は今朝の出来事を話す。

「うそ。うける」

葵はお弁当の蓋を開ける手を止めて弾けるように笑った。つられて花も笑う。目を合わせない挨拶といい、必要最小限の会話といい、こちらは嫌な気持ちになってもおかしくない。ただ、その不器用とも言えるキャラクターが少し面白いと感じたのだった。

「で、なになに。そんな灯奈斗君に興味でも??」

葵が花の顔を覗き込むようにしていたずらっぽく尋ねる。花はちがうちがうと笑いながら、卵焼きを口に放り込む。花にはずっと憧れている先輩がいたのだ。つまんないなあと言う葵に微笑みながら少し色の抜けた冬の空を見上げる。

「なんかさ。面白くなりそうじゃない?」

本当にそんな気がしていた。なにそれと笑う葵は言った。

「ひなと、目線合わせて挨拶を達成!みたいな??」

二人はしばらく箸を止めて笑った。こんな時、葵と親友である理由を心からわかるように思うのだ。太陽が薄暗い雲にかかってゆく。物語は確かにはじまろうとしていた。


同日午後10時30分――鈴木家宅――

外は異様な寒さであった。家は暖かであったが、窓に手を近づければその向こうは極寒であるとわかるほど冷気が感じられた。花は、宿題である理科の実験復習をちょうど終わらせたところであった。机の上のライトを消して精一杯伸びをすると、急に眠気が襲う。しかし寝てはならないのだ。この後、葵と電話しようと約束していたのだから。眠気を吹き飛ばそうと、彼女は少し窓を開けることにした。冷たい取っ手に手をかけ、窓を押し開ける。想像以上に寒さは厳しかった。取っ手にかけた手はたちまち凍り付くかと思われるほどで、顔はやけどでもしたかのようにヒリヒリと痛む寒さであった。ひとたび息をすれば肺が悲鳴をあげ、花はすぐに窓を閉めようとした。窓が閉まるか、閉まらないかの時だ。突然窓ガラスが割れ、そのまま部屋の電気が消えた。凄まじい音に花は短く悲鳴をあげる。外から極寒の風が入ってくる。わけがわからなかった。外から彼女が銃撃されたなどと考えるはずもない彼女は、とりあえず寒暖差のせいかと思い一階へと降りようとした。さすがにこの部屋に寝間着姿では寒すぎるのである。部屋の扉を開けると一階へと続く階段が見える。

「お母さーん。なんか部屋の窓が急に割れちゃったんだけど」

明かりと暖かさを求めて降りようとしたその時だった。リビングの窓ガラスが割れるとともに、階下の電気も消えた。真っ暗であった。そして、空気を切り裂く異様な音と、母親の悲鳴が聞こえた。次に聞こえたのは父親が逃げろと叫ぶ声だった。彼女にもはや状況は理解できなかった。ただ、下で恐ろしいことが起こっている。そしてその危険は自分にも及ぶと直感した。彼女は逃げるようにすっかり寒くなった真っ暗な自分の部屋に戻り、鍵をかけてその場に座り込んだ。力が抜けてしまったのだ。

「なんで・・・なにが」

自分でも驚くほど情けない声だった。寒さと緊張と恐怖が混じりあい、身体は硬直してもはや指先も動かずただ震えるだけだった。心臓が何かにつかまれたように縮み、無理に血液を送ろうともがいているかのようにドクンドクンと弾けていた。チャリン。背後からガラスを踏む音がした。部屋には誰もいないはずだった。窓から入ったのだろうか。背中に悪寒が走る。硬直した身体はついには壊れたロボットのように震え始める。足音はゆっくりと近づいてきた。一歩、また一歩。私は死ぬんだ、そう感じていた。走馬灯のように葵と電話を約束した会話がよみがえる。――葵・・・助けて――。

「両手をあげて。こちらに向け」

背中がびくっと応える。低く、冷たい声だった。花は震える両手をなんとか持ち上げ、ゆっくりと立ち上がろうとした。しかし、膝に力は入らず、ブルブルと震えて力は床に吸い込まれていった。立て膝のまま、ゆっくりとうつむきながら振り向いた。月の青白い光が一人の影をつくり出していた。そこには男か女かもわからない黒ずくめの人間が立っていた。風が吹き、カーテンが揺れる。寒さなどもはや感じていなかった。全てを夢のように感じていた。男はゆっくりと右手を前へと突き出す。月光に照らされて闇に光る拳銃が、その手には握られていた。


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