親
いつしか誰かが言った。家族というのは尊く、この世で最も崇高な関係であると。いやまさか。この世で最も厄介な関係性だ。その糸は、一度染まってしまえば、染まった本人たちにすら気付かれず、それがまるで普通のように……。
「う、後ろ!」
俺が急いで振りけると、めっちゃ怖い顔した小林さんがいた。
「……!こええよ!勇雄君ビビっちゃってんじゃん!」
「……そんなこと言われても」
……なるほど。恋愛対象内にある男子を前にすると、何故か顔面凶器になる。なんてひどい特性だ。
「……勇雄君。彼女は君のために見舞いに来てくれたんだ。いい奴だろ?怖がる必要はねえよ」
「そ、そうですか……。この人、クラスでもヤンキーって有名なんですよ……」
「それは勘違いだ。ちょっとかわいげないかもしれないが、多分悪い奴じゃない。俺が保証してやる」
「……なにこそこそ話してんの?」
小林さんが口を挟んできた。横峯君はまだ恐縮しているらしく、ひきつった笑顔で少し身を引く。
「さて、今日は何について話そうか?せっかくだし、退院したらどうするか聞いてもいいか?」
「……退院したら…ですか」
彼は目線を落とし、掛け布団をキュッと握り締めた。
「……まぁ、別に特に決まってないならいいけど。で?お前は話さないのか?小林さん」
「え?あー……。いい天気ですね!」
「今日曇りだよ?」
「……く、曇りだって見方によってはいい天気よ!」
なんだと!?なんだその滅茶苦茶な理論は!だが、確かに雨が好きな人もいるし、曇りが好きな人も……。
だ、だが、なんにせよ人と会話をする中で最も脆弱な天気の話を繰り出すとは……。
「そ、そうですね……。……あの」
「うん!」
小林さんは元気いっぱいに返事をして、グイっと前傾姿勢になり、彼が差し出したチャンスに食いついた。え、なに今の反応……。え、やだちょっとかわいい。
「……今まで何人の人を血祭りにあげてきたんですか?」
失礼すぎだろ!なんて質問してんだ!あー!ほら、小林さん泣きそうになってるから!絶望に落ち切った顔してるから!
小林さんは目のあたりをグスっと拭うと、横峯君の方に向き直り、声を震わせながら応じた。
「ぜ、ゼロだよ!」
「えー!!」
もう泣いてもいいよ。どんだけ怖がられてんの?いやまぁ確かにさっきの怖い顔見ると何とも言えないけどさ……。
「……うええええん!」
小林さんは、子供の用に泣きながら部屋を出て行った。
「……勇雄君。ちょっと失礼だぞ」
「す、すいません……。やっぱり怖くて……」
「……なぁ、勇雄君って、彼女とか作らないの?」
「なんですか急に!?」
目をかっぴらき驚いた顔をこちらに向けた後、今度は窓の外に目をやった。
「……そういうのは、親に禁止されてるんです」
「は?禁止?」
思わぬ言葉が帰ってきて、あっけにとられてしまった。
いや、無い事には無いのかもしれにけど、男子高校生の恋愛を禁止って……。ちょっとおかしいだろ。女子高生とかならまだ分かる。親として心配とかって理由で禁止するとかっていうのは、まぁ……。
でも、男子高校生の恋愛はむしろ、『早くいいこみつけなさい』とか、『童貞だっさ!』とか、心無い催促をされるぐらいだ。これは俺の確かな経験談だ。クソが!
自分で勝手に悔しがる自分を横目に、どこか諦め気味な笑顔を浮かべながらつづけた。
「自分、家では結構趣味とか勉強に力入れろって言われてて……」
「…………」
趣味……か。まぁ、普通だったら聞こえは悪くないように思える。実際俺とて『は?恋愛なんかより趣味を極めるべきだから!』とか負け惜しみ……じゃなかった!そういう価値観を声高々と申し上げることも侍り。
だが、今回の場合は違う。もちろん、俺の言ったことは憶測だし、勇雄君が虐待を受けているという先入観ありきの違和感ではある。
この流れに乗じて、少し踏み込んだ質問をするべきだ。そう思った。
「その趣味って言うのは、動画投稿か?」
問うてみると、より深刻そうな顔を浮かべ、きゅっと唇に力が入った。
「……知ってたんですか?」
「ああ。まぁな……」
やっぱり勇雄君だったか。
「かなり過激な内容だったが、あれはお前が望んでやっていたことだったのか?かなりの頻度でやっていたが」
「……えぇ、まぁ……」
歯切れの悪い返事。だが、不思議と完全に嘘ってわけでもなさそうに思えた。
「…………なぁ、これは完全に俺の予想なんだが……」
「はい」
「最初は確かにお前からやってみたいって言いだしたのかもしれない。ただ、その活動の中で、お前の両親が予想以上にもうかることを知り、お前に動画投稿を強要し始めたんじゃないか?」
勇雄君は頷くでも否定するでもなく、ただ黙っていた。
「……お前は、それでいいのか?俺には動画投稿の大変さとか全然わからねえけど、そのせいで今回みたいなことになったんじゃないか?」
「…………」
「もちろん。お前が好きでやって、それで体調を崩したって言うんだったら、それはお前の責任だ。誰の罪でもない。だが、それがただ強要されたものであるのなら、解決しなくちゃならない」
他人の家の事情だ、結局最後に決めるのは自分自身。
そして、眉を顰めながら彼は口を開いた。
「不思議と、いやな気持はないんです。辛いと思う事もあったんですが……」
またキュッと布団を握り締める。
「もう慣れました」
ふわっと明るい笑みがこぼれた。
慣れか……。決して楽しいとは言わなかったのは、やはり彼の中にも迷いがあるのだろう。
その慣れは、きっと家族という関係性がもたらした最悪のものだ。逃げられないから、希望も抱けないから、慣れるしかできなかったのだ。
「……なら、もう一度聞く。お前は退院した後、どうしたい?」