チョコアイスと満月に
「そういうわけで明日、どうしようかという所なんだが。お前はどう思う、品子?」
自分の隣で運転をしている品子に惟之は問う。
「……確かに危険だね。力の強い奴が三人もいたなんて。ましてそのうちの一人が、マキエ様の事件の当事者ときたもんだ」
ヒイラギ達には聞かれたくない会話の為、二人は本部に報告に行くという体で品子の車で出掛け、戸世市の市外にいた。
これだけ離れていればシヤには聞かれない。
さらに念の為、惟之はシヤにつぐみへのリードを頼んでおいた。
話の途中で、広めの公園の駐車場へ入り車を停める。
夜の公園には誰もいない。
遠くの自販機と街路灯の明かりが灯るのみだ。
「惟之。喉、渇いてるでしょ? 私、コーヒーね。甘いやつ」
自販機を眺めながら品子が言う。
「そこまで言うなら、自分で買いに行けよ」
「うっそぉ。こんな暗い場所で、女の子を一人で歩かせるなんてありえなーい」
ここで断ったら品子のことだ。
ヒイラギ達に『暗い夜道を無理やりパシリさせられた』とか言いだすだろう。
後のことを考えたら、ここは大人しく聞いておいた方がいい。
惟之はそう判断し、ため息をつくと車から降りた。
外に出ると湿り気に満ちた暑さが、惟之にまとわりついてくる。
午前中と打って変わって、空は灰色の雲で一面に覆われていた。
雲に隠されて、じわりと滲んだ光を放つ月の輪郭だけが浮かんでいる。
明日は雨だろうか。
ぼんやりとそう考えながら、惟之は自販機へ向かいコーヒーを二つ買う。
再び車に戻り多木ノ駅周辺の地図を開きかけるが、品子に伝える話があったことを思い出す。
「品子。お前は本部に来る予定、近々あるか?」
惟之の問いに品子は、嫌そうな表情をうかべる。
「何で? 当分そちらには、行くつもりは無いよ。私の『祓い』の順番はまだだし。あ! そういえば一条と四条の祓いって、もうそろそろだっけ?」
「あぁ、どうやら三日後らしい」
「半年に一回だけとはいえさ。四つの内の二つの派閥が、動けなくなるのって面倒だよねぇ」
「まぁ、仕方ないさ。こればかりはな」
『祓い』
白日内の発動者達が力の副作用である痛みや穢れを緩和する行事。
半年に一度行われるこの儀式は、膨大な時間と人数を費やして行われる。
白日の組織構成は四つに分けられる。
それぞれ一条、二条、三条、四条と呼ばれるものだ。
今回の祓いはその中の二つである、一条と四条が該当している。
祓いに向けてそれぞれ所属する発動者は、万全を期すために発動を制限するように通達されているのだ。
「その分の仕事が、残りの二つにがっつり来るんだもん。面倒だよね、実際さぁ」
「それはお互い様だろうよ。お前、前回の自分の祓いの時に『ひゃっはぁ、仕事しなくっていいって最高』って公然の場で発言して、謹慎を食らったの忘れたとは言わせないぞ」
「……いいかい、惟之。人っていうのはね、失敗をして成長していくものなんだよ。覚えておけよ」
「あいにくお前のその失敗でした成長とやらを、俺は見たことがないんでな。今は本部にお前の気に入らない奴らも何人か来る。しばらく来ない方がいいんじゃないかと思ってな」
「ありがと。気を付けておく。さーて、本題に移るとしようか」
話をごまかすかのように品子が地図を広げていく。
「その店とやらの、大まかな位置なんだが」
惟之は地図に二つの丸を打った。
「この位置から二人。もう一つからは一人。このどちらかなのではないかと思う。俺のいたビル周辺が、シヤのリードが分かりづらいと言っていたことも考えるとだ。例の隠す力とやらが、この辺りで発動していたからではないかと思うんだ」
地図を見て品子はうなずく。
「うん、だいぶ絞られているね。助かる。この二ヶ所を重点的に見ていけば、少しは展開がありそうだね」
「俺としては明日、もう一度みてみようと思う。もしまた、複数の発動者がいるようなら、改めて別の方法で探すことを提案する」
「んー、わかった。こちらも別案いくつか作るようにするよ」
運転席で小さく伸びをすると、品子は続ける。
「しっかしさぁ。落月の皆さんは、どうしてここに大集合していたのかねぇ」
『落月』
発動者の中でも、その力を持て余した人々が集まってできた組織。
白日との共通点。
発動者の集まりであること。
政官財に少なからずパイプを持ち、互いに利用しあっているところ。
そして白日との相違点。
倫理や理性が欠如している人間が多いということ。
これはどうやら発動の副作用ともいえる痛み。
つまり反動を押さえることが出来ないが故に、他者に害を与えるからではないかと白日は考えている。
流れてくる噂によれば、落月の方でも調子に乗り過ぎた発動者は『居なくなる』らしい。
あちらもそれなりに、組織としての秩序の機能はしているようだ。
「ましてやただの下っ端じゃなく、上級クラスの奴らなんだよね。どんなご用事があったんだろうな」
「さてな、ただ……」
不意に、互いに言葉が途切れた。
隣では品子が惟之の顔をじっと見つめてくる。
「……ねぇ。今、私が何を考えているかわかるかしら?」
いつにない柔らかな彼女の口調に、惟之も笑みを返す。
「あぁ、もちろん」
「そう、良かったわ。じゃあ教えてくれる?」
品子は惟之の肩にふわりと手を掛けた。
そのまま包むように、彼女は自身の腕を惟之の首に絡ませ、強く引き寄せてくる。
見つめてくる品子の呼吸を感じながら、サングラスを外し惟之は目を閉じた。
「シート、倒してもいいかしら?」
「あぁ、その方が都合がいい」
運転席が倒れる。
同時に品子は惟之に回した腕にもう一度、誘うよう強く力を込めてくる。
覆いかぶさる惟之の耳元で、品子は呟いた。
「準備はいいのかしら? ねぇ。顔、見せて欲しいな」
リクエストにはお応えすべきだろう。
その言葉に惟之は閉じていた目をゆっくりと開いた。
「……あぁ、もう大丈夫みたいね。綺麗な月。……くっふふふ」
惟之は顔をしかめると、小声で品子へと呟く。
「おい、後半の笑い声。もう少し上手に女らしくやれよ。外でこっそり隠れている奴らに気付かれちまうぞ」
「え~、……で、何人?」
不満げな様子の品子に聞かれ、再び目を閉じると惟之は答える。
「全部で三人。お前の方の運転席側に二人。運転席側の奴らの持ち物は鉄パイプと、ビデオカメラか? 助手席側が一人。こいつも鉄パイプ持ってるな」
「三人かぁ。ならとりあえず私だけでもいけるかなぁ」
「この辺りに発動者の気配はない。三人とも一般人だな。しっかしまぁ。ビデオカメラって何、狙ってんだかねぇ」
「大丈夫。聞けばいいんだよ。直接さあぁぁぁ!」
叫ぶと同時に品子はドアロックを解除し、ドアを開けた。
いや、蹴り開けるという表現が相応しいだろう。
その衝撃で運転席側の二人は思いきりドアにぶつかり、転んだ拍子に頭を打ち付けていた。
品子はそのまま惟之を突き飛ばすように助手席へ押し込むと、外へと飛び出していく。
肩を強かに打ち付けた惟之は痛みに顔をゆがめた。
「やっだぁ、こわーい。動かないでね」
品子のその声とともに外の音は静まり返る。
もう一人の襲撃者は運転席側の二人の様子をみて逃げ出したようだ。
ビデオカメラを持っている奴は、運転席側だったから逃げきれず残っている。
映像が残り、面倒な証拠が流出する恐れはなさそうだ。
だが念のため、逃げた方の行方を確認だけはしておこう。
そう考えた惟之は再び目を閉じ、発動を開始する。
体が浮かび上がる感覚の後、彼の閉じたまぶたの内側には周辺の景色が広がっていく。
その眼下には自分の『本体』がいる品子の車がある。
ぐるりと惟之は周りを見渡す。
その視界の先に、必死になって走っている一人の男の姿が見えた。
――お、いたいた。
足、早いねぇ。
もう100m位は離れてるな。
あー、それにしても必死に走ってるねぇ。
まさに一心不乱ってやつだね。
こんな暗い場所でろくに前も見ずに走ったら。
お、やっぱり転んだ。
あーあ、なんか叫びながら走ってるよ。
こいつはもう、戻ってくることは無いだろうな。
……さて、そろそろ俺も戻りますかね。
思考を止め、ゆっくりと発動を解除しながら惟之は目を開いた。
そこに映るのは、車のフロントガラスと開け放たれた運転席のドア。
外からは、男性のぼそぼそとした話し声と楽しそうな品子の声が聞こえてくる。
「えー、つまり何ですか? 人様を勝手にビデオに撮って? あわよくばこの鉄パイプを使って、一緒に楽しい時を過ごそうとしていたということですか~?」
サングラスを再び着けると、惟之は車から降りる。
そこには二人の男性にビデオカメラを向け、鉄パイプをマイクのようにして上機嫌な様子で語りかけている品子の姿がある。
彼女の両手にはいつの間にか、白い布の手袋が着けられていた。
男性は二人とも手首と足首を結束バンドで縛られ、座らされている。
「あ、この結束バンドね。この人達のお荷物の中にあったの~。ちょっと借りちゃったぁ」
品子の視線の先にある、大きく口の開いた黒いリュックを惟之は覗き込んだ。
リュックの中には結束バンドの他にもガムテープ、カッターナイフ、ハンマーなど穏やかでないものばかりが目に入ってくる。
「あ、それ触らないでね。お前の指紋がリュックに付くと面倒だから。中を見たいんだったら、私の車の中にある手袋を着けてからにしてね~」
のほほんとした口調で話す品子と、顔からべっとりとした汗を出しながら、結束バンドを外そうともがいている男性達の姿。
あまりの両者の違いに、惟之は自分がどこにいるのか忘れてしまいそうになる。
「……荷物の中にね、この人達の身分証明らしきものも無いんだ。これってさぁ」
彼女はビデオカメラ録画を止め、そっとカメラを地面に置いた。
先程とは一転した口調で、静かに続ける。
「あなたたち、手慣れてるよね」
心の底から凍えてしまいそうなその声に、男性達の動きがピタリと止まった。
「私達が初めてではないね。どれだけの人を傷つけてきたの。ねぇ?」
品子は、男性の一人に手を伸ばし、そのまま男の髪を掴むと大きく揺さぶり始めた。
「痛っ、助けっ……!」
「そう言ってきた人達に何をしてきたの? ねぇ? 聞いてるんだから答えなよ!」
哀願の声も聞かず、品子は手を止めない。
「きっとさ。その人達、すごく怖かったよ。どうしてこんな目に遭ってるの? きっとそう思ってたんだよ。……だからさぁ!」
揺さぶられた男性は恐怖からか、痛みからか。
顔を引きつらせたまま歯をカチカチと鳴らし、品子を見上げている。
「だからね、同じ目に遭って。そうしたら少しは解るよ。自分のやったことの醜さが」
「……そこまでだ」
惟之の声に品子の手が止まる。
「さっき逃げたこいつらのお友達が、お仲間を連れてこっちに向かって来てる」
品子の手を男性の髪から外し、惟之はその男に向き合う。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、「助けて」と言い続ける男の肩を軽く叩く。
「ビデオカメラはこちらで預かる。お友達の所に行ってそのまま帰るといい。もしこちらにお友達と戻ってきたら、俺は責任を持てない。言っていることはわかるな?」
男は首をぶんぶんと縦に振る。
立ち尽くした品子の手から手袋を取り、惟之は自分につけた。
見下ろしたその手袋には、大量の髪の毛が絡み付いている。
ここまで加減が出来なかったのか。
そう考えながら惟之はにがりきった顔で、リュックからカッターを取り出し男達の足の拘束だけを解いてやる。
よろめきながら二人が去るのを確認して、品子の方へ振り返る。
彼女は両ひざに顔を埋め、地面に座り込んでいた。
近づくとうつむいたまま、くぐもった声で話しかけてくる。
「……嘘つき。あいつらの仲間なんて来てないじゃん。お前は発動してないから、そんなん解るわけないじゃん」
「はいはい、嘘つきました。すみませんね。そうでもしないとお前、あいつらに何していたか考えろよ」
惟之の言葉に品子からの返事はない。
「じゃあ嘘にならないように、今から確認しますかね」
惟之は発動を行い、周辺を確認する。
どうやらあの二人以外に、この辺りには誰もいないようだ。
「どうやらお二人様はお帰りになられたようだし、俺達も帰るとするか」
「やだもん。嘘ついたの、許さない」
品子は座ったまま動こうとしない。
「おいおい、こんな所で何我儘言ってんの?」
「許してほしかったら、……帰りにチョコアイスおごれ。パリパリのチョコが入ったやつがいい」
「はいはいはい。好きなやつ全部、食わせてやるよ。腹、壊すまで食っちまえよ!」
「あと、もう一個。……ねぇ、そのままこっち見て」
言われた通り惟之は品子を見つめる。
目が合うと、彼女はふうわりと笑ってくる。
「お前のことは大嫌い。だけど、やっぱり発動時のその左目は綺麗。お月さまみたい。……綺麗な金色」
「……満足したか? 帰るぞ」
そういって惟之は品子へと手を差し伸べる。
しかし彼女は叩き落とすかのように彼の手を強く叩くと、車に乗り込んでいく。
「チョコアイスが腹の中に入るまでは、お前を許すつもりは無い!」
じんじんとする自分の手のひらを眺めながら惟之は思わずこぼす。
「……おいおい、酷い言われようだな」
小さくため息をつき、惟之は品子を追うように助手席へと乗り込んでいった。




