くらいへやで9 (カテノナ:S)
部屋に入り奥戸は「おや」と小さく声を上げた。
あれからずっと響いていた沙十美の声は消えてしまっている。
奥戸は部屋の中央にある椅子へと向かう。
椅子の上でくしゃりと置かれた黒く染まった布を見ながら、そこに沙十美がいるかのように語り始める。
「おやおや、最期のご挨拶が出来ませんでしたか。結局あなたの言葉の意味は、教えてもらえませんでしたねぇ」
そっと布に触れながら、奥戸は言葉を続けていく。
「ですがあなたは私に。いや私達にとって、とても貴重な存在でしたよ。ずっとあなたが呟き続けた『忘れない、覚えていて』という言葉。誰に対してだったかは分かりませんが。少なくとも私はあなたのことは忘れませんし、覚えていますとも」
奥戸はしゃがみ込むと布に付いた水を吸い取るかのように、そっと唇を当てる。
「こんなに素晴らしい薬を作れたのは初めてでした。次のお薬との落差に失望してしまうのが怖いくらいですよ」
黒い水で濡れた唇を自らの舌で舐める。
その顔には恍惚たる表情が浮かんでいた。
「ふふっ、もうここにいる時間はあまり残されていませんね。店の片づけを始めるとしましょうか」
布を大切そうに抱えると奥戸は再び扉を開く。
もはや誰もいなくなった暗い部屋の入口は、そうして静かに閉じられていった。




