約束
「どういうことだ? 惟之」
「そのまんまだよ。落月の奴らがこの街に複数人いる。しかもかなりの力をお持ちの方々がな」
品子との通話を続けながら惟之は階段を下る。
周りをうかがうが、さしあたりこちらに敵意を持った気配はない。
おもわず小さく息をつけば、右手にふわりと柔らかな温もりを感じ目を向ける。
手のひらで青い光が揺れ動く。
シヤが自分に『リード』の発動を施したのだ。
「シヤの『リード』は一人にしか使えない。今は冬野つぐみの方を対象にすべきではないか?」
「彼女はもう家に帰るだけだ。恐らく心配はない。ヒイラギも今、多木ノ駅に向かってる。そのまま合流するように連絡を入れておくから、車の中で待機をしていてくれ」
リードは対象者の状況を把握する発動能力だ。
最悪、落月に捕まってもこれがあればヒイラギと合流して逃げることができる。
そう考えた惟之は品子に返事を戻す。
「わかった。車で待つとするよ」
「動くなよ。合流が出来たら連絡くれ」
「了解」
通話を切り、惟之は再び階段を下りていく。
汗が止まらない。
たった一歩、進むだけでも随分と時間を費やしてしまう。
反動が思ったよりも強かったことを改めて自覚する。
ビルから出てすぐに細い小路へと入っていく。
車まで戻るには、今の状態では無理そうだ。
周りに人がいないのを確認すると、惟之は倒れるようにその場にうずくまる。
目を閉じて回復を促しながら、発動の直後を思い返す。
――あの時。
あの発動の時、見えた三つのうちの一つ。
あれは、あいつは。
忘れられない。
忘れられるはずがない。
たとえ十年が経っていようとも。
そのまま惟之の意識は十年前に起こった事件へと移っていく。
自分の目に向かってくる手を認識した直後、右目に激痛が走った。
気が狂うのではないかという痛みの中で、聞いた凛とした声。
そっと手を握られた後に彼女から託された、ものと言葉。
「お願い。あなたは生きてあの子達に伝えて。返せなくてごめんねって」
あの時、どうして自分は助かったのだろう。
助かってしまったのだろう。
苦しい。
いっそあの時、あの方と一緒に消えてしまえばよかったのに。
でも、約束した。
生きて届けると、あの方に誓ったのだから。
「マキ……」
ぽつりとある人物の名前を呼びそうになり、慌てて惟之は口を押さえる。
今の言葉は、シヤに決して聞かれてはいけないものだ。
あの方から自分へと託されたものと言葉。
そのうちの一つ。
『困っている人を助けてあげて』
この伝言を木津兄妹に伝えた時。
ヒイラギは泣きながら惟之を殴ってきた。
彼らの母親は、自分の命をその場にいた白日の人間を救うために犠牲にした。
惟之はそこにいた一人でもあったからだ。
「こーちゃんを助けたから、お母さんは死んだんだ!」
叫びながらヒイラギの拳が何度も自分へとぶつけられる。
でも痛くない。
こんな痛さでは、ちっとも足りない。
この子達の痛みに比べたら、全く足りないのだ。
その時、シヤは何も言わなかった。
黙って話を聞いていただけだったと後から惟之は聞いている。
「……きさん、惟之さん!」
遠くから聞こえる声で目を開けば、ヒイラギが惟之の名を呼びながら駆け寄ってくるのが見える。
「遅くなってごめん。今回のリードがあやふやで、見つけるのに時間が掛かっちゃった」
「いや、こちらこそすまない。近くに奴らがいる為だろうか。力の干渉でもあるのかもしれないな」
あるいは目的の店がここの近くにあり、例の隠す力とやらで妨害されていたか。
さらに言えば、ここは入り組んでいるから見つけにくかったのもあるだろう。
惟之はそう考えながら、ヒイラギから差し出された手を掴んだ。
「シヤ、ヒイラギと合流が出来たぞ。品子に伝えてくれ。ヒイラギ、お前が連絡を受けてからどれくらい経ってる?」
「えっと、十五分位かな」
結構な時間が過ぎていたことに惟之は驚く。
さらには手を貸してくれたヒイラギの手は汗だくだ。
どれだけ彼は、自分のために走ってきてくれたことだろう。
「……すごい汗だな。慌てさせてすまなかった」
「いや、大丈夫。惟之さんが無事で、本当によかった」
そう言いながら、ヒイラギはスマホで品子へと電話を掛けている。
「うん、合流した。このまま家に向かえばいいんだな。わかった、伝える」
「ヒイラギ。品子にシヤのリードを、冬野つぐみに戻すように言ってくれないか?」
「それはもう少し後だって。家に着くまでは戻さないようにって言ってる」
「わかった。だが、万が一後をつけられているといけないから、少し遠まわりして帰らせてもらう」
明日の発動は危険かもしれない。
一度、品子と話を詰める必要がありそうだ。
そう考えながらヒイラギを連れ、惟之は車へと向かうのだった。




