冬野つぐみは優しさを知る
水を流し、つぐみはトイレの扉を開く。
どれくらい時間が経ったのだろう。
そう思いながら、なんとか心を落ち着かせて出た扉の先ではシヤが立っていた。
「あ、ごめんね。トイレをずっと使っちゃって」
「問題ありません。洗面台にコップとタオルがありますので、それを使ってください」
「……ありがとう」
よろよろとした足取りでつぐみは洗面台へと向かう。
コップで口をゆすぐと、いくぶんか気分がよくなったのを感じる。
そのまま何度も顔を洗い、鏡を見る。
ここ数日で何度か見たひどい顔が、涙によってじわりと歪んでいく。
まぶたを閉じて、タオルの柔らかな感触にすがるように顔に強く当てる。
しばらくタオルで顔を押さえたまま動かないでいると、隣からヒイラギの声がした。
「おい、大丈夫か?」
彼の声からは心配しているのが伝わってくる。
だが今の顔を見られるのは、恥ずかしい。
そう思いタオルを顔に当てたまま、つぐみは声のする方へ向いた。
「はい、大丈夫ですよ」
タオル越しに、くぐもった返事をする。
「そんなタオルお化けみたいなやつに言われても、説得力ねーんだけど……」
それが聞こえた直後、タオルが消えた。
代わりに目の前にヒイラギの端正な顔が現れる。
色白な肌に、すっとした一重の瞳。
見つめてくるその目には、つぐみを気遣う思いが表れていた。
だが、近い。
とても近いのだ。
たちまち自分の顔が、赤くなるのをつぐみは感じる。
思わず一歩、後ずさりしてしまう。
ヒイラギもつぐみの動揺した様子に、慌ててくるりと後ろを向いた。
「……いっ、今のは突然で悪かった。冷凍庫にレモンのシャーベットが入ってる。多分、食欲は無いだろうけど。でもそれくらいなら、食べられるだろうからっ!」
背中を向けたまま一気に話すと、ヒイラギは小走りで去っていく。
彼は自分を心配していたのだ。
そう気づくのに時間がかかり、お礼を言いそびれたことに気付く。
「気が利かなかったなぁ……」
思わずぽつりとつぶやく。
「そうだよなぁ。そこで本当は『俺の胸で泣いてもいいんだぜ』くらいの気遣いは、欲しいところだよなぁ」
うんうんとうなずきながら、洗面台の入り口で品子がつぶやいている。
「なっ! いつの間にっ」
「え? 『そんなタオルお化けみたいな』あたりから、そこの隅っこでですが」
「先生。それはにこにこしながら、話す内容ではないと思います!」
つぐみの声に品子はにししと笑う。
「ヒイラギはね。急にアイス食べたくなって、コンビニでシャーベット買ってきたんだって。無理はしてほしくないけど、良かったら食べてあげてね」
品子はそっとつぐみの頭に触れると、廊下へ去っていく。
「ねぇ、ヒイラギ~。チョコのアイス買ってある~?」
「あぁ? お前にやるアイスなどないわ!」
「ひどい! 私が無類のチョコ好きだと知っての狼藉!」
洗面台の向こうから、賑やかな声が響いてきた。
それも全部、自分を元気づけようとしているからだとつぐみにもわかる。
ならば今、自分がすべきことを。
こんなところでグズグズしていないで、いなくなった人達を見つけるのだ。
たとえそれがどんな結末だとしても。
つぐみは、タオルで顔を覆い小さくつぶやく。
――もうこれで、泣き言はおしまい。
そっとタオルを脱衣かごへと戻す。
新たな決意を心へと入れ直し、つぐみはリビングへと足を進めていった。




