くらいへやで5 (カテノナ:K)
「痛みがないのが不思議だと思いませんか?」
くらいくらい部屋。
自身の眼鏡のふちを指でなぞりながら、男はそう声を掛け、部屋の真ん中へと向かう。
彼の行き先にあるその椅子に座って……。
いや、もはや『置いてある』といっていい状態になっている存在を見やり男は嗤う。
そこに『在る』のは涙と鼻水でくしゃくしゃになった青年の顔。
目は閉じられているものの、その口からは時折うめくような声を零している。
年は二十を超えたばかりだろうか。
そう、もはや顔のみの存在と呼んでいいものに青年はなり果てている。
首から下の部分にはかつてその体をきつく巻いていた布が、黒い水を吸い込みぐしゃりと椅子の上に置かれている。
そんな青年の前に立つと男はしゃがみ込みその髪にそっと触れる。
青年はその感触に閉じていた目を開き、男を見上げひゅうっと短く口から息をのむ音を立てた。
「痛みがあると、その人の感情がかすんでしまうんですよね。私が欲しいのは最後までその人がここに来てくれたきっかけの感情。私とあなたを繋いでくれた強い強い感情。あなたのその『強欲』の感情。とても素晴らしかったですよ」
ちゃぷんと水が揺れる音がする。
男は椅子を水槽の横へと移動させ、青年を『持ち上げる』とそっと自身の胸に抱え込んだ。
「だからその大事な感情を少しでも覚えておいてくれるように、痛みは無いようにしました。あなたが私達の糧になってくれることに感謝しますね」
男は自身の服が黒く染まっていくのを満足そうに見つめながら、青年の頭を優しく撫でる。
「なぁっ! ルールを守らなかったのは謝る! あんたの力で得た金は全て返すよ! だかっ……!」
突然に青年の言葉が途切れた。
水槽の中へと青年の頭は男の手によって押し込まれているのだ。
ブクブクという音とともに、たくさんの泡が浮かび上がってくる。
「素敵ですね。その泡の一つ一つに、あなたの最期の命の言葉が包まれているなんて。……まぁ、私には聞こえませんけどね」
しばらくすると泡も出なくなり、再び静かな時間が訪れる。
「ありがとうございました。大切に大切に頂きますね」
男はそっと水槽から腕を戻していく。
腕に付いた水を舐め、笑みを浮かべ男は呟いた。
「うん。これもとてもいい出来だ。これならきっと皆さんも喜んでくれることでしょう」




