人出品子は料理を振舞う
「やっぱりさぁ、眠り姫を起こすのは王子様の役目だと思うんだ~」
大はしゃぎしている品子に、ヒイラギはシヤと共に、無言で冷たい視線を送り続ける。
だが品子は全く動じず、布団に寝かせたつぐみの頬をふにふにと触りだす始末だ。
「全く起きないな。大丈夫なのか、その人?」
埒が明かないと判断したヒイラギは、品子の隣に座った。
「いや~、思ったより発動が強かったかも。あの時とても、動揺させてしまったみたいだし」
「何やらかしたんだよ?」
「別に。ただ耳元で『君を、私だけのものにしたくなるね』って言っただけ」
「うわぁ、可哀想に……。免疫無かったんだなぁ」
ヒイラギは、憐みの眼差しをつぐみへと向けた。
「ところでヒイラギ君。君がここに座った。つまりは……」
品子の言葉に、ヒイラギは胸騒ぎを覚える。
「やっぱり王子様は眠り姫にお目覚めのキ……」
「早く起こせよ。どうせお前の再発動まちなんだろ?」
満面の笑みで、ヒイラギは品子の頬を片手で思いきり挟む。
足りない思いを感じ、力を入れた為、もはやそれは『握る』となっていた。
それでも物足りず、力を加え続けた結果、品子の顔を握りつぶした状態へと変化していく。
「ひらい、ひたい、ひいたひ、ひたいよー」
「『ひ』ばっか言ってねぇで、とっととやれ」
「ちぇ~、従弟に虐げられて可哀想な私」
パチンと品子が指を鳴らす。
しばらくして布団がもぞもぞと動き、「ん」という声が聞こえてきた。
気恥ずかしさを覚え、ヒイラギはその場から離れていく。
「あ、あれ、私? ここは?」
「やぁ、冬野君。目が覚めたね」
にこやかに品子はつぐみに応対していく。
「どうやら極端な緊張をさせてしまったせいかな? 君が倒れてしまったので、学校から連れてきてしまったよ」
「そうなんですか! すみません。どうしよう私。……ご迷惑をかけてしまいました」
「大丈夫さ。君が気にすることではないよ」
連れてきた本人が、その倒れた原因。
そんなこととはつゆ知らず、品子へとつぐみは謝り続けている。
「それではここは、先生のお宅なのでしょ……」
辺りを見回したことで、ようやく彼女は自分達兄妹の存在に気付いたようだ。
「え、ヒイラギ君とシヤちゃん? こんにちは。っていうかこんばんは? あれ? 今、何時?」
支離滅裂な挨拶を、つぐみは自分達に始めてくる。
「すみません、お邪魔してます! っていうかしてました。なのかしら、この場合?」
「……品子。この人、頭とか打った?」
「いや。ちゃんと支えたから、大丈夫なはずだよ」
「あ、そうです。急に眠気というか、意識がなくなりかけて。そこで先生が支えっ……」
言葉が途絶えた為、つぐみへと目を向ければ、彼女の顔は真っ赤に染まっていた。
状況を思い出したのだろうと、ヒイラギは悟る。
つぐみの口はパクパクと動いてはいるが、言葉が全く出てこない。
そんな彼女を、品子は面白そうに眺めている。
何だか、可哀想だ。
思わず同情を覚え、ヒイラギは再び品子の隣に座り口を開く。
「それで品子が、うちに連れてきた。品子の部屋より、こちらの方が学校から近かったから」
場の空気が変わったことにほっとしたのだろう。
ぺこりとつぐみはヒイラギに礼をしてきた。
「いろいろありがとうございます」
顔を上げたつぐみは、ふわりとヒイラギに笑いかけてきた。
自分へと向けられた笑顔に、混乱に近い気まずさが芽生え、思わず目を逸らしてしまう。
「ねぇねぇ、冬野君。いろいろってどんな意味か……」
「品子。もう一度、顔のマッサージをやってやろうか?」
「イイエ。ケッコウデス」
変な敬礼のポーズをしつつ、品子はヒイラギから離れていった。
品子を後ろ姿を見送り、ヒイラギはどうやって話をしていこうと考える。
「おい、今日の……」
グルルルルと低い音が、ヒイラギの言葉を遮った。
思わず音の原因の方を、つまり布団の人物を見てしまう。
先程よりさらに頬の赤みを増したつぐみが、自分を見上げている。
布団で顔の下半分を隠し、うるんだ瞳で見上げたその姿は。
女性に免疫のない自分には、あまりにも刺激が強い。
思わず赤面し、ヒイラギは目を逸らしてしまった。
そんな自分の横から、無駄に元気な声が響いてくる。
「何だ! そうだよね。もうすでに、午後七時過ぎ。お腹がすいていても、しょうがないよな!」
いつの間にかヒイラギの隣に来た品子が、ワシワシとつぐみの頭を撫でている。
下を向きしょんぼりとしているつぐみの姿は、今にも消えてしまいそうだ。
「そうだな。そろそろ夕飯にするか。あんたも食ってくだろ?」
立ち上がり、ヒイラギはつぐみに尋ねる。
「あ、あの。でしたら実は私、今日はたまたまおかずを持ってきてるんです。それでよかったら、一緒に食べてもらってもいいですか?」
「うんうん、まずはみんなでご飯を食べよう。腹が減っては何とやらだ!」
機嫌よさそうに、品子がつぐみへと声を掛けていく。
今日は人が多いから、おかずはもう少しあった方がいい。
冷蔵庫に、何があっただろうか。
そう考え、台所に向かおうとしたヒイラギの鼓膜に品子の声が届く。
「そうだ。せっかくお客さんがいるのだから、何か私も作ろうかな?」
「待て。ちょっと待ってくれ!」
品子の提案に、ヒイラギから悲鳴に近い声が発せられる。
「わぁ、先生の料理が食べられるのですか? 嬉しいです!」
何も知らないつぐみは、嬉しそうに品子へと返事をしている。
「いや待て。かなり待て!」
だがヒイラギの声は、品子とつぐみの会話にかき消されていく。
「冬野君の美味い料理を食べてばかりでは、不平等というものだよな!」
「そんな、もう! 先生は、お世辞がお上手なんですから!」
「ははは。たまには恩返しをしないと、ご先祖様に怒られてしまうからね」
ご先祖様、頼むから少し時間を戻してはくれないだろうか。
そう願いながら、助けを求めるように、ヒイラギは台所にいるシヤを見つめる。
ヒイラギの視線に気づいたシヤが、品子に向かって言う。
「ピ、ピザが……。私は今日は、凄くピザが食べたい気分になって、……いますっ!」
絞り出すように出したシヤの言葉に、品子は笑う。
「ピザなんて、いつでも食べれるじゃないか。今日は私が、腕によりをかけて作っちゃうぞ~。お、豚肉があるな。これで何か作るとしよう! シヤは、ご飯の解凍を続けてくれ!」
「駄目だ! おい、シヤっ! 何だか今日は、品子の勢いが強すぎる。このままではっ!」
ヒイラギの絶望的な声とは正反対の、つぐみの弾んだ声が響く。
「せ、先生の手料理なんて、きっと大学の誰もが食べたことがないんじゃないかな? わぁ! 私って今、物凄い体験できるかもっ!」
「そうだな、物凄い体験できるぜ。品子の料理は……」
ヒイラギは、力なくその場にしゃがみ込み呟く。
――十数分後。
皿の上には、命を燃やし尽くした黒い物体が載せられていた。
「おっかしいなぁ? なんか火加減を間違えちゃった感じなんだよね~」
「……品子姉さん。間違えたのは、火加減だけじゃないと思います」
可哀想な物体の前で、品子とシヤが話をしている。
先程までウキウキだったつぐみは、リビングのテーブルの上の料理を目にして、顔面蒼白になっていた。
「赤くなったり青くなったり大変だな」
つぐみに一言、声を掛けてヒイラギは台所へ向かう。
「まぁ、起こってしまったものは仕方ない。確かまだ卵があったから、それで何か作るか」
「あっ、あの! でしたら私に、何か作らせてください」
ヒイラギの背中に、つぐみからの声がかかる。
「いいよ、いつも俺が作ってるから。一応まだ、体が回復してないといけない。あんたは、もう少し座っててくれ」
ぶっきらぼうにしか言えない、自分の口調。
それを恨みながら、振り返らずにそのままヒイラギは料理の準備を始める。
「だ、だったらこの持ってきた料理。温めさせてもらってもいいですか?」
保冷バッグを持って、ヒイラギの元へと向かうつぐみへと品子から声が掛かる。
「……そうだね。ではその美味しい『豚バラ大根』を是非、食べようじゃないか」
皆の耳に届くのは、いつもとは違う品子の低い声。
見せてもいない料理を、なぜ知っているのだ。
顔色を変えたつぐみが、ゆっくりと品子へと振り返る。
飯を食ってから、話すのではなかったのか。
そう思いながらため息をつき、ヒイラギはフライパンの火を止める。
「さて、第三の理由にいこうか。冬野君」
宣誓のごとく高らかに言うと、品子はつぐみの前に立つのだった。




