第14話 真実
回想後編です。
――そんな日常の終わりは、唐突にやってきた。
梅雨が近づいてきたある日。弓弦はいつも通り教室に残っていた。
いつもと違うのは、茉里がいつまでたっても来ないことだけ。
特に約束をしているわけではないのだが、弓弦が教室に残る日は必ず、彼女はちょっかいを掛けに来ていた。放課後になってから一時間近くも経つのに姿を現していないのは、弓弦の記憶にある限りでは初めてだ。
(まあ、たまにはこんな日もあるか)
天気予報によれば、今夜は雨になるらしい。茉里が来ないのであれば、教室に長居する必要は特にない。
そう判断した弓弦は、手早く荷物をまとめた。昇降口ですれ違ったクラスメイトとぎこちない会釈を交わし、足早に校舎を出て帰宅を急いだ。
「……ん?」
自宅まであと数分といったところで、弓弦の先を歩く人の姿に気づいた。
その女性が身に着けているのは、弓弦と同じ学校の制服。そして、校則違反すれすれの――本人曰く、「地毛だよ?」とのことだが――明るい色をしたミディアムヘア。
間違いない。三雲茉里だ。
(声は……かけるべきか?)
口には出さず、自分に問いかける。
普段も、茉里が弓弦に声を掛けてくるのは、弓弦と二人で教室にいるときだけだった。廊下で会ったときに挨拶をしたのに、無視されたことだってある。
どうしたものかと迷っていると、目の前を歩く華奢な体がよろめいた。
「お、おい!?」
慌てた弓弦が駆け出す。茉里は近くにあった電柱に手をつき体を支えると、弓弦の方を振り返った。その顔色が、みるみる青くなる。
「……っ!」
「待てよ! どこに行くんだ!」
逃げ出そうとした茉里の手を掴もうとするも、一瞬遅かった。彼女はさっと駆け出し、弓弦との間に十分距離を取ったところで立ち止まる。
そして、背中を向けたままぼそりと何かを呟いた。
「…………ん、ね」
「あ? 今、何て……」
聞き返すために一歩近づこうとすると、茉里はゆっくりとこちらに向き直る。
「……おい三雲、それって……」
驚きのあまり、続く言葉が出てこない。
「ごめんね、笹瀬川くん」
そう言った彼女の制服は、至るところに泥がついていた。半袖のため露わになっている腕にも汚れと、そして無数の擦り傷のようなものがはしっている。
「本当に、ごめんね」
彼女はそう言って、静かに微笑んだ。
だが、その瞳には一切の光を映していない。暗く、すべてを諦めたような色だけが宿っている。
「……三雲」
何があったのかと、弓弦は問い質そうとした。ウザい奴だとか、弓弦をからかってくるとか、そんなことは弓弦の考えから消え失せている。
ただ単純に、茉里のことが心配だったのだ。
だが、そんな弓弦の言葉も、彼女には届かない。
「……ばいばい」
再び弓弦に背を向けた茉里は、小さな声でそう告げた。そして、再び歩き出しし、その後ろ姿はどんどん小さくなる。
(三雲…………)
追いかけようとしたが、できなかった。彼女がそれを望んでいないことだけは、まざまざと伝わってきたから。
立ち尽くしていると、ぽつりと雨粒が弓弦に当たった。その数は次第に増え、気づけば土砂降りになる。
その日以降、三雲茉里が学校に姿を現すことはなかった。
*
「ねえ、聞いた? 三雲さんのこと」
「聞いた聞いた! 援交で変な男に妊娠させられたって」
「え、そうなの!? 私はキャバで働き始めたって聞いたけど……」
茉里が来なくなって一週間。クラスはその話題で持ちきりだった。
おそらく学校で一番会話を交わしていた弓弦でさえ、彼女が不登校になった理由は知らないのだ。巷でささやかれているものは、すべて誰かが言い出した『噂話』に過ぎない。
(好き勝手なことばっかり言いやがって)
弓弦は、無責任に噂を広げるクラスメイト達に憤りを覚えていた。
とはいえ、自分が真実を知っているわけではないから訂正することもできない。そもそも、他の人は弓弦と茉里が会話をしていることすら知らないのだ。
下手に口を出せば、余計な憶測を招く危険性もあるため、弓弦は何もできずにいた。
放課後になると、校内は一層賑やかさを増していた。といっても、茉里の話で盛り上がっているわけではないらしい。部活動の人間関係や二週間後に迫った期末テストなど、それぞれの話題で盛り上がっているようだ。
「……帰るか」
誰にともなく呟き、昇降口に向かおうとする。その途中、ふいに腹痛がきたので、慌てて一階のトイレに駆け込んだ。個室に入り、ふぅと一息ついていると、何やら外から話し声が聞こえてくる。
「傑作だったよなぁ。見ろよこの顔」
「これ、匿名でアップロードしちゃう?」
「おいバカ! 俺たちがやったってバレるだろうが!」
どこかで聞いたことがある声だな、と聞いているうちに思い出す。
(ああ。隣のクラスの……)
名前までは憶えていないが、確かサッカー部の連中だ。イケイケな性格の奴が多いらしく、弓弦のクラスにもたまに乗り込んできている。
そんなことを考えている間にも、男たちの会話は続いていた。
「それにしても、ほんとにやるとは思わなかったわ」
「アイツが何言っても、どうせ誰も信じねえんだよ。ビビる必要なんかねえって(笑)」
「確かにな。結局、あれから学校に来てねえし」
弓弦の心臓が跳ねた。待て、こいつらは一体何の話をしているんだ?
「あーあ、どうせなら最後まで味わっときゃ良かった」
「お前が油断するから逃げられたんだろーが!」
校内の雑踏も喧騒も、弓弦の耳には入ってこない。彼らの会話を聞いているうちに、どす黒い色の何かが、弓弦の中で浮かび上がってくる。
「ま、アイツのことはもう忘れようぜ」
「そうだな」
「三雲なんて、居なくても大して変わんねえもんな(笑)」
その時、ぷつりと何かが切れる音がした。
気がつくと弓弦は窓から飛び降りていた。そして、三人居た男たちの中でもリーダー格と思われるイケメンに馬乗りになる。
「なっ……! お前、どっから出てきた!?」
「おい、コイツたしか隣のクラスの……」
突然のことに動揺する彼らに、弓弦は静かに問いかけた。
「お前らがやったのか」
「……は?」
「……一週間前、泥だらけになった三雲と会った。腕には擦り傷もついてた。お前らがやったのか?」
弓弦の質問に、明らかにギクリと強ばった表情になる男子三人。
「さ、さあ? 俺達にはなんのことだか」
「知らねえけど、転んだんじゃねえの?」
懸命に誤魔化そうとする取り巻き二人に対し、弓弦の乗っかられた男の対応は幾分か冷静だった。
「あー、笹瀬川だっけ? 分かったら、とりあえずどいてくんね? ゆっくり話し合おう、な?」
イケメンは、その辺の女子であればクラリと来てしまうであろう笑顔を弓弦に向けてくる。その顔には、罪悪感も抱いている様子なんてこれっぽっちもない。
だから、
「分かった」
とだけ呟き、少し上体を起こす。いかにも「どきます」という様子を見せた弓弦は――瞬時に拳を振り上げて、イケメンの右頬を勢いよく殴りつけた。
「……っ!」
整った顔立ちが苦悶の表情に歪んでも、弓弦の手は止まらない。次は左頬を、その次は鼻っ柱を、次々と殴りつける。
「や、やめろ!」
「お前っ!」
取り巻きの二人に羽交い絞めにされたときには、すでにリーダー各の男は意識を失っていた。殴りつけられた箇所は出血しており、気づけば弓弦の拳も赤く染まっている。
なぜこんなことをしたのか、弓弦は自分でも分からなかった。
(こいつらが……)
三雲茉里は確かに、周囲から浮いていてもおかしくない少女だった。
絡み方がウザい。テンションが異様に高い。だらしない格好をしている。ずけずけとモノを言ってくる。
他の人達が噂していることも、間違いではなかった。
それでも。
意外と真面目な奴だった。なんだかんだいいつつ、毎日弓弦の横で宿題を仕上げていた。
意外と細かいことに気づく奴だった。親と喧嘩した翌日に、「なんか今日、元気ない?」と声を掛けられたときは驚いた。
そして、
(あいつは、三雲は……)
弓弦が一人で放課後を過ごしているのに気づいたのは、一体いつ頃だったのか。
毎日、どれだけ冷たくあしらっても、弓弦に話しかけることを止めなかった。
寂しい時間を共に過ごしてくれた、弓弦にとっては紛れもない『友達』だった。
「おい、そこで何してる!?」
「あ、先生! こいつがいきなり殴りかかってきて――」
騒ぎを聞きつけた教師が駆け寄ってくる。取り巻きの二人が何かをわめいているが、弓弦はただそこに立ち尽くしていた。立ち尽くすことしかできなかった。
次回更新は10月5日の22時を予定してます。
できれば何も書かず、文中の言葉だけで察してほしいところだけどこれだけは。
茉里がされたことは、「最悪」の一歩前の段階でとどまっています。
次回から奏と弓弦のお話に戻るので、またお付き合いください。




