第12話 曇天
色々あって奏の家に泊まってしまった翌日。慌てて自宅に帰り、シャワーを浴びてから登校してきた弓弦は、正門のあたりで見知った顔が立っているのを見つけた。
「天王寺?」
「あ、笹瀬川くん。おはよう」
そう言って微笑んだ彼女の腕には、『風紀委員』と書かれた腕章が巻き付けられている。
「おはよう。……天王寺ってクラス委員じゃなかったか?」
「そうよ? ただ、今は『挨拶活動』月間でしょ? 風紀委員だけじゃ大変だから、私たちも当番制で手伝っているの」
そう言いながら、天王寺は通り過ぎていく生徒に対してにこやかに挨拶している。『挨拶活動』とは、文字通り『挨拶を徹底しよう』という、風紀委員が中心となった取り組みだ。
天王寺が「おはよう!」と声を掛ける度に、声を掛けられた男子があからさまに挙動不審な様子になっていくのがなんだか面白い。
「そういえば、笹瀬川くんのクラスの風紀委員もあそこにいるわよ」
「ん?」
彼女が指さす方向に目を向ければ、そこに居たのはやや明るい髪色をしたリア充っぽい女子――先日、弓弦を麻薬か何かの密売人だと騒ぎ立てた、山辺だった。
(あいつ、風紀委員だったのか……)
てっきり、お堅いことは嫌いな不真面目キャラなのかと思っていが、そういうわけではないらしい。面倒くさがる様子も見せず、正門をくぐる生徒を相手にしっかりとした挨拶をしている。
「声、掛けなくていいの?」
「……別に。大して話したこともないし」
「ふうん」
そこについて天王寺は追及してこなかった。その代わり、「そうだわ」と思いだしたように手を叩く。
「昨日のこと、両親に話してみたの」
「昨日の? 猫のことか?」
「ええ。……ごめんなさい、もう少し考える時間が欲しいって」
そう言って、申し訳なさそうに謝ってくる。
「いや、考えてくれるだけでありがたい。……恥ずかしながら、他に当ても無くて」
「もしよかったら、私のクラスでも聞いてみましょうか?」
「本当か!?」
願ってもない申し出だった。
「色々悪いな。猫の件といい、クレープの件といい……」
「大したことはしてないわよ。奏ちゃん、クレープ喜んでくれた?」
「ああ。うまそうに食ってたぞ」
スマホを取り出し、『クレープを頬張る奏の写真』を見せる。はむはむと食べる様子が小動物のようで、記念にと一枚だけ撮っておいたのだ。
「か、かわいい!」と奏の写真に夢中になっている天王寺にスマホを奪われる。仕方なく隣で所在なさげに佇んでいると、少し離れたところで『挨拶活動』をしていた山辺がこちらに近づいてきた。
「笹瀬川って、天王寺さんと仲良かったんだ」
「仲が良いっていうか、いつも怒られてるだけだぞ」
自分と噂になるのは、天王寺も困るだろう。そう思って事実を伝えたのだが、山辺は納得がいかなかったらしい。
「でも、笹瀬川がこんなに人と話してるの初めて見た」
「……はぁ?」
呆れを通り越して、失笑が浮かんだ。
(俺のことを勝手に腫れ物扱いしてるのはお前達だろ)
そう思ったが口には出さない。言いたいことをぐっと抑え込み、天王寺からスマホを回収してその場を去ろうとする。
「天王寺。猫のこと、よろしくな」
「え? ええ……」
「あ、ちょっと笹瀬川!」
山辺の呼び止めるような声が聞こえたが、無視して校舎の方へ歩き出す。荒々しく教室の扉を開け放ったことで、教室の中に居たクラスメイトが怯えるような反応をしたが、弓弦にはそれらを気にする余裕が無かった。
(……ふざけんなよ)
弓弦の怒りは、山辺だけに向いたものではなかった。
「……なんかアイツ、今日機嫌悪そうじゃね?」
「喧嘩で負けたのかな」
「しっ! 彼を怒らせたら、私たちも血まみれになるまで殴られちゃうかも」
「……怖いな。近づかないようにしよ」
ひそひそと、こちらの様子を窺うようにコソコソと話し合うクラスメイト達。「クラスメイト? あいつらのどこが仲間なんだ」と心の中で吐き捨てる。仲間を会話のダシにする奴らが居てたまるか。
ただそれでも、彼らに直接怒りをぶつけることは、弓弦にはできなかった。なぜなら、彼らが話しているのはあくまで『事実』だからだ。
(……そうだ。全部、俺が悪いんだ)
込み上げてくるものを飲み込み、何度も自分に言い聞かせる。これまでもずっとそうしてきた。そして、たぶんこれからも。
ふと窓の方へ視線をやると、どんよりとした灰色の雲が空を占領していた。
*
放課後になった途端、雨が降ってきた。
(くそっ、傘なんて持ってきてねえよ!)
奏の家で目を覚ました後、シャワーを浴びるようと慌てて帰宅し、すぐさま家を出たので天気予報なんて見れたはずもない。
鞄を傘代わりに掲げ、家への道を急ぐ。やっとアパートが見えてきたところで、部屋の前で小さな人影が座り込んでいるのが目に入った。
その人影は、弓弦が近づいてくるのに気がついたらしく、ぱっと顔を明るくする。
「おかえりなさい」
「ああ……ただいま?」
本来客人であるはずの奏に迎えられるという状況に違和感を感じながら、弓弦は鞄から鍵を取リ出す。
「お前、傘は?」
「降り出したの、さっきだから」
奏がここへ来た直後に降り始めたらしい。鍵を差し込んで回すと、奏が扉をぐいっと引っ張って開けた。
「弓弦、シャワー浴びた方がいい」
「……いいって」
「濡れたままだと、風邪ひく」
「大丈夫だって言ってんだろ」
しつこく言われ、弓弦はおもわず睨むような視線を向けてしまった。ただ、奏は真剣な目で弓弦を見つめ返してくる。
「気になるなら、外に居る」
「……」
そんなやり取りをしているうちに、ぶるりと寒気が襲ってきた。押し問答をしているくらいなら、さっさとシャワーを浴びた方がマシだろう。
「……悪い。猫と遊んでてくれ」
「……ん」
真剣な視線から一転し、心配そうに見てくる奏から逃げるように風呂場へと直行した。
(何やってんだろうな、俺)
脱衣所の鏡に映る濡れそぼった姿の自分が、ひどく惨めに映る。人相が悪いのはいつものことだが、今日の自分はそれ以上に無様だった。
(奏に苛立ちをぶつけるとか、ガキかよ……)
ため息をつきながら浴室に入る。レバーを倒すと、普段より熱めの温度に設定したシャワーが弓弦の体に容赦なく当たるが、冷えた体は一向に温まらない。
体を拭いて髪を乾かしていると、脱衣所の扉のすぐ外から「みぃみぃ」という鳴き声が聞こえてきた。
「ん?」
「……あ、弓弦」
扉を開けると、そこには猫を抱えた奏が立っていた。
「どうした」
「……弓弦、ちょっと」
言うとすぐに、奏は猫を床に下ろした。「みぃ?」と不満そうな声をあげるのも無視して、弓弦の手を引いて居間の方に連れてくる。
「……どうした」
「弓弦、横になって」
促されるままに床に転がる。奏はそれを見届けた後、近くに転がっていたクッションの上に正座した。
そして、あろうことか弓弦の頭を持ち上げ自分の太ももの上に載せたのだ。
「おい!? 奏!?」
「んっ、弓弦……動かないで」
首を振る動きがくすぐったかったらしく、奏はやや喘ぐような声をあげる。しかし、手はしっかりと弓弦の頭を抑え込んでいる。弓弦が逃げ出さないようにするためだろう。
弓弦は、いわゆる膝枕をされていた。
(こ、これで動くなって……)
現在も、弓弦の後頭部はふにょんとした柔らかさを感じている。毛布のような柔らかさとは違い、奏の体温とみずみずしい肌の感触が直に伝わってきて、非常に落ち着かない。
「……弓弦、元気出た?」
「……は?」
上から覗き込むように弓弦の顔を見てくる奏の目は、純粋な心配の色を湛えていた。
「……別に、風邪は引いてねえぞ。シャワーも浴びたし」
「そうじゃなくて。……心の」
思わず顔を歪める。年下の、それも自分自身も何か辛い問題を抱えているであろう彼女にまで心配を掛けてしまったのか。
「……ちょっと嫌なことがあって、苛立ってたんだ。悪い」
奏から視線を逸らすように、体勢を変える。背中を奏の方に向けたので、心地よくも落ち着かない感触からも解放された。
しばらくすると、小さな手がぽんと弓弦の頭に置かれた。
「……奏?」
顔だけ動かし上を見上げる。こちらを見下ろす奏の表情は静かで、優しかった。
「……弓弦は、いい人」
「……そんなんじゃねえって。言っただろ、俺は中学時代に同級生を」
「どうして?」
遮った奏の言葉は、咎めるような声色ではなかった。
「どうして、弓弦はそんなことをしたの?」
奏の手は、なおも優しく弓弦の頭を撫で続けている。
(……そっか)
そこでようやく気付く。自分の本心に。
同級生を血まみれになるまで殴った自分が悪い。それは事実だ。
だから、弓弦は噂を立てられても、一切否定せずに過ごしてきた。
(本当は誰かに、分かってほしかったのか)
奏は弓弦が言葉を発するのを待ってくれている。そんな彼女の方は向かず、弓弦は当時の出来事をぽつりぽつりと話し始めた。
次回更新は9月28日(土)の朝7時を予定してます。
ちょっとお仕事立て込んでるけど、可能な限り頑張るでな。




