◆第三話『ディーザの魂は此処に』
「シェトゥーラ大陸が落ちた原因はまだ掴めないの?」
リヴェティア王城内、会議室にて。
リズアート・ニール・リヴェティアは、ディザイドリウム王と意見を交わしていた。ほかに在席するのは、リヴェティア騎士団団長ユング・フォーリングス、同国宰相ラグ・コルドフェン。
トレスティング家のメイドであるメルザリッテ・リアンはリズアートの傍に、ディザイドリウム騎士団団長ジャノ・シャディンはディザイドリウム王の傍に控える形だ。
ユングが問いに答える。
「残念ながら。シェトゥーラ大陸に潜ませていた間者がこちらに逃げ延びたという報告もありません」
「そう……」
同じ質問を何度かしていた。
しかし得られた回答はいずれも変わらない。
リズアートが眉をしかめる中、ラグが口を開く。
「シグルの襲撃を受けて落ちた、とは考えにくいですからね」
「ええ。あの日は《リーヴェの日》でしたから、シェトゥーラは《飛翔核》にアウラを注いで間もなかった。大陸下降によるシグル襲来が原因となった可能性はほぼないと言っていいでしょう」
ユングが裏付けるようにそう答えると、ラグが顎に手を当て思案する。
「となると、やはり帝国か黒導教会の仕業でしょうか」
「恐らくは。ただ、シェトゥーラは帝国寄りの大陸でしたから。帝国が落とした可能性は低いかもしれません」
「あそこの王は、ガスペラント王の顔色ばかりうかがっていたからな。帝国が睨みをきかせば、味方になる可能性は充分にあった。そんな相手の大陸を落とすようなことは考えにくい」
そう意見を述べたのはジャノだ。
ディザイドリウム大陸落下の際、彼は兄弟を失った。《四騎士》と呼ばれたシャディン兄弟は、いまや一人しかいない。
これまでジャノは、ディザイドリウムという大陸を先頭に立って守ってきた。たとえ彼の心の剣が折れたとしても誰も責められるはずがない。
だが彼は、兄弟を失った直後こそ失意に陥っていたものの、その身に背負った騎士団長という使命を果たすべく再び立ちあがった。
その瞳に宿すのは復讐か後悔か。どちらであってもジャノ・シャディンの復帰は心強い。
会議が平行線をたどる中、ディザイドリウム王から提案がされる。
「憶測で話していてもキリがない。ひとまずシェトゥーラの件は置いて、今はメルヴェロンドでのことについて話すべきだろう」
「そうですね」
リズアートはうなずいた。
どうしてシェトゥーラ大陸が落下したのか。厳しい情勢も相まって、明らかにならないことがひどくわずらわしかった。焦る気持ちが募っていただけに、ディザイドリウム王の戒めるような言葉は心を落ち着かせてくれた。
ラグが視線を落とし、机に広げた書簡を読み上げていく。
「先の戦争について。いま一度、わたしから整理させていただきます。我ら連合軍がメルヴェロンド大陸に到着後、間もなくガスペラント帝国と交戦。初めこそ拮抗していましたが、ティゴーグ王国が帝国側の援軍として参戦したことにより連合軍は劣勢に。これ以上の戦闘継続は困難と判断したサン・ティアカ教会が大陸の放棄を決断。ファルール王国の支援のもと連合軍は大陸より撤退。同じく帝国側も撤退。そして残された大陸メルヴェロンドは落下しました。ここまで、よろしいでしょうか?」
ラグの言葉に、ディザイドリウム王を除いた全員が首肯した。
唯一うなずかなかった彼の表情は険しい。
リズアートが訊く。
「ディザイドリウム王、なにか気になることでも……?」
「いや、少し気がかりでな。ティゴーグ王はシェトゥーラ王のように臆病者ではない。にも関わらず帝国に下るには、あまりに早かった」
「なにかあったのでは、と?」
「わたしの思い違いかもしれない。ティゴーグ王が早々に見切りをつけた、というだけかもしれんしな」
そう口にするディザイドリウム王の目もとには、深い皺がつくられていた。
リズアートにとってティゴーグ王は〝食えない男〟という印象が強い。七大陸王会議の際にも、彼の奥底に秘められた意志の光をうかがうことができた。それは、属国になることを甘んじるような弱いものではとうていなかった。
そんなティゴーグ王だからこそ、ディザイドリウム王は疑念を抱いたのだろう。
「すまないな。これもまた考えてもしかたのないこと。話を進めよう」
彼が会議の進行をうながしたことで、ユングが口を開く。
「その前に一つ、よろしいでしょうか」
「ええ」
「ありがとうございます。……帝国の使用していた兵器についてですが、人型の物が〝機巧人形〟。また光線を放つ武器が〝サジタリウス〟と呼称されていることがわかりました。さしつかえがなければ、我々もこれに倣う、ということでよろしいでしょうか?」
それら未知の兵器に対して、もともと曖昧な呼び方をしていた。
正式名称があるならば、わざわざ変える必要はない。
ユングの問いに、リズアートがうなずいた。
そのとき、ジャノがぼそりと呟いた。
「機巧……人形」
兄弟の命を奪った相手の名前が明らかになった。それが奥底に押し込めていた怒りを呼び起こしたのか、ジャノが全身を震わせる。
そんな彼に、ディザイドリウム王が気遣うように声をかける。
「……ジャノ」
「陛下……心配をおかけして申し訳ありません。わたしは大丈夫ですので。コルドフェン殿、話を進めてくれ」
「は、はいっ」
ジャノに言われ、ラグが慌てて机に広げた書簡へと視線を戻した。
それから息を整えてから、ゆっくりと話しはじめる。
「先ほどフォーリングス様が仰いました、機巧人形、サジタリウス。これらが大きな障害となり、メルヴェロンド大陸を放棄せざるを得ない状況になったことはご存知かと思いますが……この大陸放棄を決断する際のことについて、気になる報告が入っています。教会の方々は、当初、大陸とともに落ちることを望んでいたようなのです。しかしトレスティング卿の説得により大陸から離脱することに合意した、と」
「ベルリオットが……?」
リズアートは思わず聞き返してしまった。
――大陸と心中しようとする教会の者たちを説得する。
ベルリオットが、そうすることについて疑問に思ったのではない。彼は人の死について上手く割り切ることの出来ない人間だ。だからむしろ、教会の者たちを助けようとした行動については彼らしいと思った。
ただ問題はそこではない。
なぜ、ベルリオットの説得に教会の者たちが応じたのか、というところだ。
リヴェティアでは王城騎士という称号を得ているとはいえ、その言葉には一つの大陸の王――それもサン・ティアカ教会の教皇を動かすほどの力はない。
「そのトレスティング卿なのですが……」
ラグが全員の顔を見回しながら、ゆっくりとその言葉をつむいだ。
「トレスティング卿が、神アムールであることを名乗った、と。また教会もこれを認めているようです」
リズアートは頭が真っ白になった。
ベルリオットが、アムール……?
意味がわからない。
アムール。
天上に存在するという彼らは、サン・ティアカ教会に属する人々に神として崇められている。リズアートもまた、アムールを神として認識している。だが、ベルリオットがアムールであるといきなり言われても、すぐに納得することはできそうになかった。
なにしろベルリオットの外見は人とまったく変わらなかったのだ。
触れた手の温もりも、彼が見せた心の弱さも、人と何も変わらない。
そんな彼が、いきなりアムールであると言われても信じられるはずがない。
しかし本当にそうだったとしたら、彼の説得に教会が応じたことにもうなずける。
「ただ名乗るだけならまだしも、教会が認めているのであれば真実である可能性が高いな」
「ベルリオットがアムール……。にわかには信じられないが……いやしかし、そうであるならあの強さにも納得がいくな」
ディザイドリウム王、続いてジャノが言った。
彼らは、ベルリオットがアムールであることを受け入れているようだ。リズアートも、本当は得ている情報からすでに答えは出ていた。しかし、それをすんなりと受け入れられるほど、まだ心が成熟しきっていなかった。ベルリオットがアムールという存在に、じわじわと塗り替えられていくような感覚に見舞われる。
事実関係をはっきりさせたい。
そのためにも、誰よりもベルリオットのことを知る者――これまで沈黙を保っていたメルザリッテ・リアンに、リズアートは問いかける。
「メルザさん、あなたは知っていたの?」
「それは……」
彼女が目をそらした。
それを追いかけるように、ユングの口から言葉が放たれる。
「知らないはずがありません。そのお方もまた、神アムールなのですから」
彼を除いた全員が息を呑んだ。
ユングは考える暇を与えてくれなかった。眼鏡の位置を軽くなおしたのち、静かに語りはじめる。
「羽の一枚一枚にわたるまで精緻に造られた翼は、精霊を纏うことでしか造りえない。そして精霊はアムールでしか纏うことができない。つまりそれを……精霊の翼を纏う者は、アムールであることを示しています」
リズアートの知らない情報だった。
というより、アムールに関する情報は、ほとんどが人間によって尾ひれがつけられた、いわば作られたものばかりなのだ。なにが真実で、なにが偽りか判断が難しい。にも関わらず、ユングはまるで真実であるかのように語った。そのことにリズアートは不信感を抱かずにはいられなかった。
メルザリッテが細めた目をユングに向ける。
「フォーリングス様。どこでそれを知られたのですか?」
「幼少の頃、偶然目にした古文書の中に記されていたのです」
「偶然……ですか」
彼女もまた、ユングに不信感を抱いているのだろうか。
その瞳には警戒の色が宿っているように見えた。
「メルザさん」
ユングの言葉が本当かどうか。
リズアートが目で問いかけると、メルザリッテは「はい」とうなずいた。
「だますつもりはなかったのですが……」
すべてが真実である。
彼女から告げられたことで、リズアートはようやく受け入れる準備が整った。
――ベルリオットとメルザリッテがアムールであること。
信じられるかはわからないが、信じるほかない。
ベルリオットがアムールだなんて……どんな顔をして会えばいいの。
同時に、自分はなにをするべきなのか、という疑問も浮かび上がってくる。
そうしてズアートが心の整理をはじめたときだった。
会議室の扉が叩かれた。
ユングの許しを得て入ってきた政務官が、険しい顔つきで口を開く。
「申し上げます。ファルール王国から今しがた連絡が入りました。内容は、ガスペラント帝国から休戦交渉を申し込まれた、とのことです」
「馬鹿げている!」
いち早く声をげたのはジャノだ。
「奴らからしかけておいて事が終われば休戦だと……都合がいいにもほどがある!」
「まったくもってその通りね。ディザイドリウム王、受ける必要はないとわたしは思います」
「うむ、わたしも同じ考えだ。その交渉に応じれば、帝国のメルヴェロンド侵攻を認めたことと同義。引くわけにはいくまい」
「立会人には、元老院が来られるそうです」
政務官の発したその言葉によって、室内の空気が一変した。
ユングが全員の気持ちを代弁する。
「厄介ですね」
「元老院は貴族への影響力が強いですからね。彼らが出てくるとなれば、無視するわけには……」
ラグがそう言いながら眉をひそめた。
先ほどまで怒りをあらわにしていたジャノも、いまや口を閉じてしまっている。
リズアートは、ディザイドリウム王と意見を交わす。
「ですが、いくら元老院が立ち会うといっても、場所によっては……」
「ティゴーグで行なうというのであれば受ける必要はない。危険すぎる」
「同様に、あちらはリヴェティアにはまず来ないでしょう」
「となるとファルール大陸か……」
「ファルール王に打診しなければなりませんね」
ファルールはいまだ明確な立ち位置を示していない。
とはいえ帝国と対立しているため、ガスペラント、ティゴーグ同盟に加わることはないと言い切れる。おそらく今回を機にこちら側――リヴェティア、ディザイドリウムの同盟に加わることになるだろう。
リズアートは、幼少の頃よりファルール王と付き合いがあった。
あちらの方が一回りも年上で、いつもからかわれてばかりだったが、仲は決して悪くはない……と思う。隣国同士、民の交流も盛んに行われているため、同盟を組むにあたって障害といえるほどのものはほとんどないはずだ。
そうリズアートが隣国の友人のことを考えていると、ジャノが一つの提案を持ちかけてくる。
「仮にファルール大陸で交渉が行われるとして……牽制の意味もこめて、リヴェティアに駐屯する我らの騎士をファルールへ送るべきである、とわたしは考えます。心配される帝国の侵攻も、シェトゥーラ、ディザイドリウム側からは距離的に航行は不可能ですから」
「そうね。ただ、それよりもまずファルール王に送る大使を決めましょう」
「その役目、わたしに任せてもらえないでしょうか?」
ラグが名乗りをあげた。
彼は、二十二歳という若さでディザイドリウムの宰相の座についた、いわば選ばれた者だ。豊富な知識をもとに導き出される判断力、また決して悪事には手を染めないとばかりに澄んだ瞳を持っている。外見こそ小柄で頼りなさを感じるが、充分に信頼できる存在だ。
ディザイドリウム王から目で問われ、リズアートは答える。
「わたしは問題ないと思います。むしろコルドフェン宰相がいかれるのであれば、これほど心強いことはありません」
ラグがほっとしたように息をついた。
かと思うや、すぐに表情を引き締めなおし、その言葉を口にする。
「それから一つお願いがあるのです。どうか連合軍の指揮権をわたしにください」




