中
それから月日が経ち、学生時代も過ぎ去ったころ。
第一王子の生誕祭の準備が始まりいよいよ物語の始まる時期が近づくと、リーシャは緊張に胸をつかまれることが度々であった。
生誕祭の夜会でネビル王子は運命の番を見つける。そこから二人のめくるめく恋‥‥もとい、溺愛が始まるのだ。
あるとき、リーシャが婚約者と茶会で寛いでいると、窓の外に見慣れぬ姿を捉えた。
王宮の薔薇を背に可憐な顔をのぞかせるのは、誰だったか。
「あの方は‥‥?」
「あぁ、ネビルの番らしい」
「え‥‥。ネビル第一王子殿下の番?‥‥いつ頃見つかったのですか?」
「つい三日前の夜会でね。みんな上を下への大騒ぎだったよ」
「まぁ。そうでしたの‥‥。」
「ねぇ。ネビルにもようやく番が見つかったって皆喜んでる。本人が一番喜んでるだろうけどね。」
歳が一つしか離れていない兄王子に対いて気易くぞんざいな、第二王子キール。いつだって窘めるのはリーシャの役目だ。
「‥‥第一王子殿下がご婚約されたら、そろそろ立太子のお話もでるでしょうし、キール様も接し方を改めませんと。」
「そのうちね。いよいよって時にはそうするよ。未来には何が起こるか分からないし。それにしてもリーシャは何を憂いているの?」
「え‥‥いえ、その‥‥。」
キールが突然の切り返しで問い詰めてくる。リーシャは珍しくうろたえて益々不審がられた。
一体なんと説明すればいいだろうか。きっと信じてもらえない。
前世の記憶によると、あの娘はネビル王子の本物の番じゃないだなんて。
+++++++
この広い世界で番を見つけることは容易ではない。
同じ生活圏から番が見つかることは極めて稀。国の端と端で育ったもの同士が番であることもある。
土地を渡り歩き番を探すこと、あるいは、いつ訪れるかもわからぬ番を待つこと。いずれも神が与えし試練といえる。
出会ってもすぐには気づかず番とすれ違ってしまったり、今度こそ番に会えたかと思えば人違いであったり。そんな行き違いは時に諍いを産み、酷くすれば関わった者の死さえもたらす。そして番う前に死に別れてしまうことは最大の不幸だ。
番うことのできぬ者の未来は痛ましい。その分、番を見つけたときの幸福は言葉で言い表せないものであるが。
それはともかくとして‥‥さきほどの令嬢はどこかで見かけたことがある。
「たしか‥‥エメリー・ラシュゲル男爵令嬢でしたわね」
「あぁ、そんな名前だったかな。学園の在学時期も被っていなかったから、馴染みがないね」
「社交界では人気のご令嬢であったかと。可愛らしい方でいらっしゃいますものね。」
「さぁそれは、僕にはリーシャ以外の可愛さは分からないからな。」
飾り窓の縁に視線を彷徨わせる。
「それはそれとしまして」
「つれないね、リーシャは」
「えぇそれで、第一王子殿下はその…何をもって番様だとご判断されたのでしょう?」
「判断もなにも‥‥たまたま居合わせて、挨拶して少し踊って、休憩室から出てこないって報せがあって。聞けば番だったでいうからさ。」
「!そうでしたの」
思いがけず閨を連想させる話になり、リーシャは動揺した。
キールとリーシャのように幼くして出会った番同士はすぐに体の関係を結ばず婚約を先に結ぶ。低年齢での妊娠出産は危険だからだ。番の国の民にとって番を死なせないことは常に最優先となる。
気まずい空気が落ちてくる前にリーシャは口を開いた。
「‥‥これまで令嬢とは一切かかわりのなかった第一王子殿下が番様と寄り添われている場面など、にわかに想像できませんわ」
「それはそうだね。あいつは潔癖すぎたものな。」
番を尊ぶこの国にも異性との通常の関りというものはある。
平民なら共に育ち共に働きもするし、貴族であっても同じ学び舎に集わされるのだから挨拶程度の関係は交わす。その通常の中にネビル王子は含まれなかったけれど。
それなのに‥‥会ってその日に二人が深い関係となったという話は、ネビルが成人していることを考慮しても寝耳に水だ。出会ってすぐに番うなど、平民ならば無い話ではないけれど‥。
それは果たして‥‥。
胸の中に次々と疑問が吹き荒れるリーシャであったが、アクアマリンの瞳をそれ以上揺らすことなく動揺を淑女の仮面に隠す。
キールは何かを感じ取っているが追及の矛先はしまったようだ。
「ネビル王子殿下が番を見つけ、お幸せになるのなら、こんなに喜ばしいことはありませんわね」
「まぁね。ネビルもこれを機にちょっとは頼れる男になってもらいたいね」
「そんな風に仰るものではありませんわ」
「いいのいいの。」
実直で真面目な反面、融通が利かなくてどこか頼りないネビル王子。
冗談めかして言ったキールの言葉を強くは責められないリーシャだった。
+++++++
番とそうでない異性の違いを、なんと言えばいいだろう。
前世でも現世でも色恋ごとに疎いリーシャには説明が難しい。
隣にいれば心が温かくなる多幸感、あらゆる危機から互いを守る安心感、そして全能感。
一つ具体的に挙げるとすれば‥‥匂いだ。それこそずっと嗅いでいたいような好ましい香りがする。
匂いは人をその人と色づけるもの。顔でも地位でもない、ただその人の持つ匂いが他の誰でもない唯一であると訴えかける。
番の認識は通常、感覚的なものだ。
感覚的とは‥‥つまり突き詰めると、今すぐにでも肉体関係を結びたいと思ってしまう倒錯的な情欲。幼い頃にキールと出会った当時は分からなかったが、少し成長したリーシャは琴線に触れるような独特の感情を分かり始めている。
だから王妃殿下との茶会で、問わずにはいられなかった。
「もし‥‥仮にですが、あの娘が本物の番でなかったとしたら、どうなりますでしょう?」
「えぇ?ネビルが番でない者と契ったと?そんなことがあるはず‥‥。いえ‥‥まさか」
「他の方から見ても明らかに番であると確証はございますか?」
「確証だなんて、そのような物は‥‥」
視線を投げた王妃。庭園の水盤からの水がせせらぎ溜息が水音に溶ける。
市井では番が見つからぬ者が揉め事を起こすこともある。暴力沙汰なども。
治世者としての王妃の勘が、その疑問を捨て置かせなかった。
その後侍従に調べさせると疑惑の声はぽつぽつと挙がった。
曰く、仲睦まじくはしているが何かが違う‥‥。相手の気配に気づいていない、異性が近寄ってもあまり気に留めていない、など。
気味の悪さはあるが決定打はなく、婚約を生誕祭の日とし期間を開けることで保留となった。
+++++++
「少し前に母上に相談事をしたのかな?」
極めて直球にキールが尋ねてきたからリーシャは返答に窮した。
王宮にいてリーシャの普段と異なる動きを気づかぬはずもない。キールに相談するしかないだろう。番は秘密を持たないのだ。少なくともリーシャとキールはそうだ。しかし「前世の記憶をとりもどしました!」なんて言えば、一体キールはどう思うだろう?
口を挟まず、一言も聞き漏らさない気迫でキールは全てを受け取った。
「そんな‥‥リーシャはリーシャとして生まれる前に別の人だったの?」
「うん、そう。」「えぇ、そこでは平民でしたから、言葉遣いも違いましたの。ご無礼をお許しくださいキール様」
「それは良いよ!むしろそのままにして欲しい!言葉を楽にしてね。いいかい?僕と君は番、僕と君は番、僕と君は‥‥」
「ありがとうございます、でもやっぱり動揺されてますね。」
「それはそうだよ!僕の番として生まれる前に別の誰かと結ばれてたりした?ねぇどうなの?」
「前世ではそんな相手はいませんでしたよ。若くして亡くなりました。」
若く、といっても二十代だったが、前世では独り身でも不思議でない歳回りだ。
「はぁーーーー、っしゃーーーーー、よし、よし、良かった‥‥」
「‥‥安心して頂けたのなら良かったですわ」
「そりゃ安心するよ。だからねリーシャ、言葉は楽にしてね。僕と君は番、僕と君は番、僕‥‥」
「ところでキール様、私、心配なことが」
「なんだい?なんだいなんだい?僕にできることなら何でも!!!」
「それが‥‥ネビル第一王子殿下のことなのですが」
「なんだ、ネビルのことか。ネビルのことなんて捨て置いていいから。さぁ、婚約者同士の茶会の続きをしよう」
「そうは参りませんわ。ネビル王子が番ではない女性に誑かされている気がしますの」
「ブッフォァッーーーー!な、なに?た、たぶらか?」
「えぇ、誑かされているかと」
「‥‥それって何?前世の隠語か何かだったりする?」
「いいえ、そのままの意味ですわ。ある女性に欺かれ、心を奪われているのではないかと。」
「ある女性って‥‥え?あの? ‥‥ ‥‥ ‥‥。」
最悪だ、とキールは天を仰いだ。
「厄介だ。それは僕たちの手に負えない厄介ごとだから、放っておいて茶会を楽しもう」
「まぁ、そう仰らずに。由々しき事態ですのよ。ですから王妃殿下にご相談したのです。ネビル王子にも監視がつけられましたし。それから私もいくつか確認しなければならないことが」
「僕と君は番、僕と君は番、僕と君は番、」
「分かっておりますよ。それは揺るぎないことです。どうぞご安心くださいね」
そっと手を重ねる。やっとキールの身体がピタリと制止した。
私たちは番。触れれば分かるし触れなくとも分かる。間違いようのない感覚。
番を偽るなど、正気ではない。正気でない者は、排除するより他ないだろう。
+++++++
柱廊の陰からそっと彼女を呼び止める。エメル・ラシュゲル男爵令嬢は従者もなく一人でいた。
生誕祭の準備が立て込むなか逢瀬を欠かさない二人。朝、王子の私室から抜け出る彼女の姿を見たという声も挙がる。
朝帰りの令嬢と、それを見送る王子など‥‥王宮の風紀も乱れたものだ。
成人して出会った番はすぐに蜜月を過ごす場合が多い。しかし未だ婚約を結ばず生誕祭まではと先延ばしにする両陛下の対応に、仕える者も扱いに苦慮している。
「ですから、ラシュゲル男爵令嬢はまだ正式にネビル第一王子殿下と婚約を結ばれていません。王族の居住区にみだりに足を踏み入れるのは不適切ですわ。王宮自体、用のない者が立ち入れる場所ではございませんのよ」
「え‥‥?そ、そんな‥‥。でも王宮に来ないとネビーには会えないでしょう?ネビーが会いたいっていうんだから‥‥」
「そうであったとしても、それを真に受けるものではありませんよ。傷つくのは貴方でしてよ、エメリー・ラシュゲル男爵令嬢」
「そ!そんな言い方酷いです!リーシャ様は私の方が身分が下だから、そんなことを仰るんですね!自分より身分の低い私が第一王子の番で気に入らないんじゃないですか!?」
「いいえ、番は身分を問わぬ結びつきです。なぜ爵位が問題になりましょうか」
「だったら私を認めてくれてもいいじゃないですか!私とネビル王子は真実の愛で結ばれているんだから!」
エメリーが淑女らしからぬ叫び声を挙げたところで、回廊の隙間からネビルの姿が見えた
「おい、何を騒いでいる!」
「ネビー!今、リーシャ様が‥‥」
「デュオメッセ嬢、エメリーに何をした」
「第一王子殿下にご挨拶申し上げます。何かをしたかと問われますなら、何も、とお答えするより他ございません。私は王宮の決まりごとを述べました。貴族であれば五歳児でも知っていることですから、驚かれるようなことでもありませんわ。」
「その口ぶり!我が番をなんだと思っている!」
「おそれながらお二人の婚約はまだ認められていません」
「だったらどうだと言うのだ!神メドウォの祝福をなんだと思っている!」
「リーシャ様‥‥私‥‥。ネビーと愛し合っただけなのに、なぜそんな風に意地悪をおっしゃるの?」
「‥‥話になりませんね。良いですか?王族に無暗に近づいたともなれば、命をとられてもおかしくありませんのよ。」
リーシャの忠告もむなしくネビル王子の不興を買うだけであった。
「君がそんな悪辣な人間だったとは、失望したぞデュオメッセ嬢。」
そう吐き捨てるのだった。
+++++
“デュオメッセ公爵令嬢が第一王子の番を虐げている”‥‥そんな噂は貴族たちを一挙に賑わせることとなった。
「お可哀想に、ヴィクストリアの妖精がずいぶんと気に病んでしまわれて」
「第二王子もあれが婚約者とはお気の毒に‥‥。このままいけば第一王子の立太子後は政務から退けられるのでは?」
そんな無遠慮な噂が囁かれるのであった。
そんな噂を知ってか知らずか、人目を盗んでエメリーがすり寄ってきた。
「リーシャ様も転生者なんですか?セリフも違うし、王妃になかなか会えないのもリーシャ様の妨害でしょ?もしかして原作改編狙ってたりします?」
「何を仰っているか分かりかねますわ。私、あなたが第一王子殿下の番とは到底信じられませんの」
「ふふ、どこまでも役に忠実なんですね。ねぇ逆転狙っても無駄だからやめてくださいね。ネビルは私のこと大好きだし、リーシャ様に悪い印象しか持ってないですから。今さら悪役辞めたとしても無かったことにはできないですよ。だって‥‥」
そこまできて一呼吸おくエメリー。何事かと待つリーシャ。
「だって、ヒロインは私ですから!」
そう堂々と言い切ると、絶妙に計算された角度で最大級の笑顔を向けてきた。
‥‥どうかしている。
元来リーシャは臨機応変なタイプではないい。前世は平凡な事務員。マニュアルには忠実だかアレンジはキツイのだ。
「話になりませんね。失礼いたしますわ」
自らの正しさを疑わない、それでいてどこか優越感を滲ませたエメリーの笑顔。その顔を、それ以上見ていられなかった。
「『無かったことにはできない』‥‥それはこちらの台詞だわ」
リーシャの小さな呟きは、彼女に届かなかった。
そして第一王子の生誕祭の夜会で、事は起こった。
+++++++
「リーシャ・デュオメッセ公爵令嬢、いまここで貴様の罪を明らかにする!我が番、エメリーを虐げた卑劣な行い、いかにして償うつもりだ!!」
「身に覚えのないことでございます」
「貴様!とぼける気か!!このエメリーを排するために画策していたことは分かっている!」
「まぁ」
――――赦されないのはどちらでしょうね?
リーシャの唇が扇の下にそっと呟きを零したとき、突如としてホールの扉が明け放たれた。
開かれた扉の先を見て、ネビルが顔色を失った。
ありがとうございます。
10話程度と記載してましたが、前中後編+αに変更しました。




