12
すったもんだありながら、エリザベスとレナードはマデリンの屋敷を後にした。
近場だから、と侍女も連れず、馬車の中には2人きりだ。少し浮ついているレナードとは対照的に、エリザベスは浮かない顔だ。
「リジー?元気がないね?」
そしてレナードという男は、エリザベスの異変にすぐ気付く。気遣わし気な視線に、エリザベスはきゅ、と下唇を噛んだ。
「……お気になさらず。たいしたことではありません」
「リジーのことだから気になるよ。どうした、マデリンになにか気になることを言われた?」
「違います。マデリン様はとても美しく、過去とはいえ王太子の婚約者をされていだけあって……」
「……リジー……?」
「……レナード様、わたくしと、マデリン様、どちらが美しいと思われますか……?」
「は……」
質問して、呆気に取られたようなレナードの顔を見て、エリザベスは自分の失態に気が付いた。
「っ、い、今のは聞かなかったことにっ……」
「確かに美醜については各々好みはあるだろうが……私はいつだってリジー以上に美しく、目を惹く女性はいないと思っているよ」
「っ……」
当然そうだ、とでも言わんばかりにさらりと告白される。
「でっ、でも……っ……わ、わたくしはマデリン様のようにレナード様とあんな風に会話できませんしっ……」
「会話?……あんなの、付き合いが長い友達同士のものだろう?少なくとも私は、マデリンに、リジーに言うようなことは言っていないからね」
「わ、わたくしに言うようなこと……?」
わたくしだけの言葉?そんなものあったかしら、と考えるのより先。レナードが言葉を紡いだ。
「私はリジーを愛している。夜の闇に溶けそうなこの黒髪も、その紫の瞳も。もしかしたらこのまま夜の闇に攫われないか不安に思っているし……、私だけのものにしたいと、ずっと考えているよ」
「っ……」
「……君が許してくれるなら、言葉だけじゃくて行動で示しても良いのに」
「こ、行動……?」
「そう、たとえば、……これはこの前しちゃったけど……抱きしめたり、それ以上のこと」
レナードの目は本気だ。だがエリザベスが許可しない限り、絶対に彼はエリザベスに触れない。そして仮に触れたとして、少しでもエリザベスが嫌がる素振りを見せたなら、絶対に止めてくれるだろう。これまでのレナードとのやり取りから、そんな妙な信頼があった。
だから。だからこそ。エリザベスは、見てみたいと思ってしまった。言葉以上の愛を、それ以上を。
「……レナード様、」
「うん?」
とはいえ自分からどう口にすべきかはわからなかった。沈黙している間にも馬車は進む。この馬車が止まってしまったなら、きっともうしばらくレナードとは2人きりになれない。だから。
「し、失礼、いたします……」
だからエリザベスは、渾身の勇気でレナードの胸に飛びついた。
「リジー!?」
突然のことに驚いたらしいレナードは、腕をあわあわ振りながら混乱している。エリザベスはそれが気に食わなかった。この前のように、逃がさないと言わんばかりに、その逞しい腕で抱きしめてほしかった。
「……抱きしめてくれませんの?」
「……良いのかい?」
「っ……淑女であるわたくしにここまでさせ、て——」
言葉は最後まで言えなかった。胸板に押し潰されるように抱きしめられ、口が動かせなくなってしまったのだ。
「リジー、リジー……!」
それでもエリザベスは、体を囚われ、動けなくなってしまったことに大いに満足していた。ドキドキするのに、それと同時にどうしようもなく安心してしまう。そっとレナードの背中に手を回すと、リジー!とまた名前を呼ばれてしまった。
ぎゅうぎゅう抱き合ったまま、どうにかエリザベスは顔を上に上げる。ぱちりとレナードと目が合う。金の瞳が、愛おしに細くなっていた。
「そ、」
「そ?」
「……それ以上のこと、は、してくれませんの?」
細くなっていた目が大きく開く。それからまたすぐに細くなった。しかし今度は、どこか獰猛な、獣を思わせる昏い光を帯びていた。
「……わかって言っているのかい?」
「と、当然ですわ!閨教育は済んでいますし、マーク様とこういった戯れはありませんでしたが、男女の仲がどういったものかというぐらい……!」
「そうじゃない。これ以上進めば、私はいよいよ君を手放せなくなる。他の男に嫁ぐのも許さない。それでも良いのかい?」
「っ、」
……今更、だ。
こんな風に愛を囁かれて、けれどエリザベスのことを一番に考えてくれて。こんな男、きっと国中探してもいないはずだ。
エリザベスはもうわかっていた。自分の心はマークにはない。とっくにレナードのものになっていると。だが言葉を持ち合わせていない彼女は、万感の意味を込めて、小さく、頷いた。
「……そう。……なら、目を瞑って」
言われるがまま目を瞑る。
視界が遮られて、心臓の音がよく聞こえる。緊張で体が勝手に震える。レナードに抱かれた背中が熱くてぞわぞわする。
ふと額になにか触れた。くすぐったい感触。それが、レナードの前髪だと気付くのにそう時間はかからなかった。口付け、される。そう思ったときには、エリザベスの唇には、レナードの唇が重ねられていた。
「……っ」
レナード様の唇、やわらかい。それに熱い。心臓が今日一番暴れ回る。どきどきして、体中が熱くて、……ふいに唇が離れた。どうやら口付けが終わったらしい。でも目を開けるタイミングがわからずに、エリザベスはぎゅうと目を瞑ったままだ。
「……リジー?もしかしてまだして欲しいの?」
「は、え、や、」
「奇遇だね。私もそう思っていたんだよ」
否定の言葉を紡ぐ前に再び唇が塞がれた。
再度口付けをされて、初めての口付けが触れるだけのものだったと思い知る。ぐ、とレナードの体重がエリザベスの体にかかり、その分、深く唇が重なる。
どくどく、どくどくと、心臓がうるさい。うるさい、のに、レナードの吐息だとか衣擦れの音ばっかり仔細に聞こえてしまう。あんまり長く口付けが続くものだから、息苦しくなって身を捩ると、すぐに唇が離れていった。
「……っ、は……」
さすがのエリザベスも目を開き、どうにか呼吸をする。潤んだ視界にレナードの顔が滲んで見える。レナードはそれはそれは嬉しそうな顔で、愛おしいさを隠す素振りもなくエリザベスを熱っぽく見つめていた。
「どうだった?」
「ど、……どうもこうも……、……すごかった、ですわ……」
「すごかった、ね。……実はまだこれ以上のこともできるんだけど……」
にやりと笑ったレナードは、それまでエリザベスが見たことのないかたちをしていた。大人の男の色気をまとった、エリザベスの知らない顔。目を逸らしたいのに、レナードから目を離すことができなくなってしまう。
「……今日はやめておこうか?これ以上のことをしたら、侍女に怪しまれてしまう。それに一応、表向きはリジーとマークは婚約者のままだ。私たちのことは誰にも秘密だから、ね」
レナードは妖しく笑う。本当にその通りだ、このままレナードと一線を超えてしまえば、それこそ真実の愛に生きるマークやハリーを糾弾できなくなってしまう。だからエリザベスは、レナードの言葉に頷くことしかできなかった。




