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Sorĉado-21 登校

 



 退屈で怠惰な数日が過ぎていった。

 叶奈に与えられる日課といえば、相変わらず庭の手入れだとか、使っていない部屋のガラス拭きだとか、明らかに不要不急の家事労働に限定されていた。どれも魔術を使えば一瞬で片付くものだったし、それでもなお叶奈が強情に魔術の使用を拒むのなら、仕事が進まなくてもいいと敦子は考えていたのだろう。叶奈の作業がどれだけ遅くとも敦子は決して文句を言わなかったし、そればかりか進捗状況さえ気に掛けることなく外出や長電話に勤しんでいた。肩の荷が下りる感覚と、置いてゆかれて寂しい心境を、無心で家事に励みながら叶奈は同時に味わっていた。

 夢野家に保護されて以来、スマートフォンには着信やメッセージの通知がいくつも押し寄せてきた。この状況で叶奈にコンタクトを試みる人物がいるとすれば、警察か、家族か、もしくは冷やかし目的のクラスメート程度しか思い当たらない。誰の声も聞きたくなかった叶奈は、スマートフォンに決して手を伸ばさず、通学カバンの奥深くへしまい込んでいた。

 貴重な情報源になっていたのは円花だった。登校も出頭もできずに落ち込んでいる叶奈をよほど憐れに思ったのか、円花は放課後、必ずといっていいほど夢野家に立ち寄っては、その日の動静を話してくれるようになった。その円花に言わせればG組の生徒たちは、クラスメートが魔女だったという一大事の衝撃を早々に忘れ去り、まもなく始まる一学期の期末試験に向けて淡々と勉強を進めているようだ。


「春風の机に落書きが増えてたような気もするけど、何が書かれてたのかは見てない。どうせ悪口だと思うし」


 頬杖をついて話をしながら、その一瞬だけ、円花は意味ありげに叶奈から視線を外していた。とっさの勘が鋭く働いて、嘘だな、と叶奈は思った。円花は彼女自身の目で確かめたのだろう。叶奈の机に何が、誰の手で書き加えられたのかを。

 たったひとり円花を除いて、三年G組の教室から叶奈の味方は消え失せた。分かり切っていたはずの残酷な事実を円花の口から改めて突き付けられると、ただでさえ弱りかけの心がいよいよ傾斜を増して崩れそうになる。けれども円花の前で泣くのは嫌だったから、叶奈は我慢して「そっか」と笑った。涙があふれるのは大抵、風呂に肩を沈めている時やベッドに潜り込んでいる時で、そんなときに限って叶奈の周りには一人の姿もなく、慰めてくれる優しい手はどこからも伸びてはこないのだった。

 これは罰なんだ。

 魔術に頼らなければ人付き合いもままならなかったわたしが、甘んじて受けなければならない罰なんだ。

 鈍い温もりの底で自分を呪いながら、叶奈は毎晩のようにひとりぼっちで泣き、疲れ果てて眠りに落ちることを繰り返した。泣き暮らすという表現は決して誇張ではなかった。どれだけ泣いても心の痛みは癒やせず、失ったものを取り返すこともできないのに、まだ、涙の果てに何かしらの救いが残されていると信じ込んでいたかった。そんな己の根性がいっそう惨めに、醜く、憎たらしく思えて、また自分を呪い殺すことばかり考えるのだ。



 ようやく叶奈が悪循環を脱したのは、期末試験を翌日に控えた曇りの朝のことだった。


「……何、これは」


 差し出された革手袋を見て、敦子は制服姿の叶奈をてっぺんから爪先まで眺め回した。決めたばかりの覚悟が揺らがないように、ずいと叶奈は敦子に手袋を押し付けた。


「わたし、魔女やめる」

「なに言ってるの、魔女はやめられないってあれほど──」

「魔術を使わなければいいんでしょ。そしたらわたしだって、ただの役立たずな普通の女の子に戻れるよ。……もう、魔女を続ける資格なんて、わたしにはないよ」


 叶奈は本気だった。魔法円を描いた紙も粉々に破き、ゴミ箱に捨ててきた。


「おばあちゃん、今までお世話になりました。今日からはいつも通り学校に行くよ。学校に警察の人たちが駆けつけてきたら、そのときは大人しく捕まるつもり。おばあちゃんに迷惑かけないように、自分の罪はちゃんと自分で背負うから」


 押し付けられた革手袋をおずおずと預かりながら、敦子は終始、呆気に取られた面持ちで叶奈を見つめていた。「本気なの」と尋ねられたので、叶奈は首を垂れた。自信の足りなかった分は、こっそり噛んだ唇の痛みで補ったつもりだった。

 すばやく駆けてきたチョコが、叶奈の足にまとわりついてにゃあにゃあと鳴き始める。「ごめんね」とつぶやいて、叶奈は足元にしゃがみ込んだ。肌触りのいいチョコの頬や喉元に指を這わせ、くすぐったさに顔をしかめながら、この子と会うのも今が最後かな、などと悲観を深めた。ごめんね、チョコ。使い魔になれるほどの(エテロ)を持っているなら、どうかおばあちゃんの魔術を支えてあげて。わたしはもう、おばあちゃんの力にはなれないから──。


「さよなら」


 夢中で叫び、玄関を飛び出した。

 頼りのない足から力が抜け、十メートルも行かないうちに徒歩になったが、敦子やチョコの追いかけてくる足音は聞こえてこなかった。

 雲の立ち込める薄暗い街を、叶奈は学校へ向かった。今にも弱って腐り落ちそうな心を叱咤激励して、がむしゃらに前を目指して歩いた。校門が近づくにつれて見慣れた木之本中の制服姿が増え始め、刻一刻と高まるばかりの緊張で足取りが重くなる。このなかに叶奈の素顔を知っている子はどれほどいるのだろう。捕まる覚悟を決めて夢野家を出てきたはずなのに、信号や横断歩道の前で立ち止まるたび、顔を見られたくなくてうつむいてしまう。校門に辿り着くまでの十数分が途方もない長さに感じられて、このまま永遠に辿り着かなければいいのに、などと無理な願いを結んだりもした。

 G組の教室には賑やかな歓談の声が満ちていた。


「……おはよう」


 消えそうな声で扉を開けた瞬間、空気が一変した。たむろしていたクラスメートたちは背筋を凍らせて扉を振り返り、そこに突っ立っている叶奈の姿を認めるや否や、さまざまに顔を歪めて黙り込んだ。窓際の自席で読書に勤しんでいた円花も例外なく驚き、口の動きだけで『なんで来たの』と伝えてきた。

 少しでも冗談めかして場の空気を和らげようと思ったが、捕まりに来た、などといったのでは少しも笑える冗談にならない。どうしよう、どんな言い訳をしよう。入る前にセリフでも組み立てておけばよかったな──。しても仕方のない後悔でひそかに地団太を踏みながら愛想笑いを浮かべた叶奈のところに、つかつかと忙しない足音が近づいてきた。


「どの面下げて学校来てんだよ」


 ドスの利いた声を発したのは、小雪だった。一瞬で距離を縮めてきた小雪は、逃げる間もなく叶奈の首根っこを掴んで持ち上げ、強張った笑顔のまま固まった叶奈を睨みつけた。小雪の前ではへらへら笑いなど浮かべていられない。叶奈は目を伏せた。


「ご、ごめんなさい、わたし朝霧さんには何も……」

「絶対に許さない! あんたのせいで大鳥居は捕まったんだよ! それなのにどこかへ雲隠れしてると思ったら、平気な顔でのこのこ登校しやがってっ!」


 絶叫とともに衝撃が頬を襲い、殴り飛ばされた叶奈はドア脇の壁にぶつかって崩れ落ちた。般若の形相になった小雪は、倒れた叶奈の腹部になおも「ふざけんな!」「死ねよ!」と蹴りを入れ続ける。立て続けの痛みに半泣きで耐えながら、ふと、脳裏をかすめていった重大な疑問を叶奈は拾い上げた。


「おっ……大鳥居くんが捕まったって、どういうこと、っ」


 必死に叫ぶと、小雪の形相がまたも変わった。


「知らなかったのかよ」

「知らなかったよ……。だってわたし警察の人に言われたもん、捕まるのはわたしの方だって……っ」

「あたしだってそうであってほしかったよ!」


 小雪は声を荒げ、蹴りを入れる矛先を叶奈の下腹部に変えた。へそや股間に鋭い痛みを殴りつけられ、あまりの苦痛に顔を歪めながら「やめて!」と訴えたが、小雪は耳を貸さないばかりか蹴りの勢いをいっそう強めた。


「あんたを! カラオケで強姦しようとしたって容疑で! 大鳥居は警察に連れていかれたんだ! 本当はそんな目になんて遭ってないくせに! あんたが捕まれよゴミクズビッチ魔女! 死ねっ!」


 痛みで頭が真っ白になったあまり、叶奈には小雪の言わんとすることが上手く理解できなかった。誰かの通報を受けて駆けつけてきた先生が数名、力づくで小雪を引き剥がして叶奈を保護するまで、蹴られ続ける痛みの中で叶奈はひたすらに混乱し、深まる困惑のなかに身を沈めていた。



 発端はカラオケ店に設置されていた防犯カメラだった。叶奈の罪状を裏付ける証拠にしようと警察がカメラの映像を解析したところ、そこには叶奈の服を引き剥がして性交に及ぼうとする昴と、ほうほうのていで身を守ろうと魔術を使う叶奈の姿が映っていたのだった。状況からして叶奈の行動には正当防衛が認められるため、捜査開始からわずか数日で叶奈の暴行容疑は晴れ、かわりに昴が強姦未遂罪の容疑で逮捕される顛末となった──。

 事情を一通り説明した担任の森沢は、昼休みに警察が事情聴取にやって来ることになったと告げ、それまでは通常通りに授業を受けていていい、嫌なら保健室で待っていてもいいと提案してくれた。ここに至っても親身に接してくれる森沢の態度に叶奈は感じ入ったが、今更そんなことで自分を甘やかすのは嫌だったので、叶奈は迷わず「授業を受けます」と答えた。実際問題、休んだ分の授業の遅れも取り戻さねばならなかったし、期末試験に向けて勉強にも手が抜けない状況だった。

 よれよれで教室に戻ってきた叶奈を、みんなは驚きや畏怖の半々に入り混じった顔で出迎えた。派手に落書きされたままの机に叶奈が腰掛け、無言で教科書やノートを開いても、誰も、何も言わなかった。ただひとり小雪だけが、ホームルームの最中にも授業中にも幾度となく叶奈を振り返っては、怒りに燃えた表情のまま啜り泣いていた。片想いの相手を最悪な形で奪われた小雪の立場を思うと文句も言えず、むしろ大人しく殺されてしまいたいとさえ考えながら、叶奈は息を殺して授業を受け続けた。





「魔女であるというだけで世間の目は厳しくなる。いつか何か悪さをしでかすんじゃないか、私たちを傷付けるんじゃないかって、世間の大半の人間は魔女に疑いの目を向けている」


▶▶▶次回 『Sorĉado-22 災厄』

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