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Sorĉado-22 災厄

 



 昼休みの開始をチャイムが告げるや否や、立て続けの校内放送が叶奈の名前を呼び出した。一階の応接室に来い、という。


「……春風」


 すばやく寄ってきた円花が、顔を曇らせながら耳打ちをした。


「いま来てるの、警察でしょ。一人で行って大丈夫なの」

「たぶん大丈夫だと思う。取り調べじゃなくて事情聴取だって言われてるし」

「それならいいんだけど……」


 立ち上がった叶奈を一瞥して、円花は眉を下げた。


「春風の逮捕状が取り下げられてたなんて知らなかった。もっと早く知ってたら教えられたのに」


 今度の件で誰かを責める気持ちなど、もはや叶奈は少しも持ち合わせていなかった。すべて自分の()いた種なのだから、最後まで自分で責任を持ってみせる。「ううん」と円花の肩を押し戻して、ちょっぴり笑うと、きびすを返した叶奈は教室の扉を目指した。何気なく円花に話しかけてもらえただけで、本当は気が狂いそうなほどに嬉しかったのだけれど、そんなことでささやかに芽生えた喜びの炎など、冷えきった緊張の前ではあまりにも無力だった。

 緊張で棒のようになった足を運んで、おっかなびっくり、応接室へ向かった。そこには一足先に森沢と警察が控えていて、小声で何事かを話し込んでいた。


「あっ……!」


 踏み込んだ途端、縮み上がった心臓から叶奈は声を絞り出した。県警の刑事と思われる男性の隣に腰掛けていたのが、いつか叶奈の眼前で浅羽麻衣を魔術で追い詰めて捕縛した、魔術犯罪特捜局の女性捜査官だったからだ。

 窓の向こうで急かすようにカラスが鳴いている。彼女は硬直した叶奈を見上げ、「お」と目を細めた。なぜか叶奈には微笑したように見えた。


「また会ったね。小さな見習い魔女さん」

「あっあの……その……わたしのこと覚えて……っ」

「自分に掛けられた忘却魔術を反対呪文で無効化するくらい、魔女をやってれば造作もないこと。覚えておくといいよ。役に立つ日が来ないに越したことはないけれどね」


 池の鯉よろしく空気を食べるばかりの叶奈の瞳を、彼女はじっと覗き込んだ。円花に忘却魔術をかけたことを含め、過去のすべてを見透かされている気がして叶奈は戦慄したが、彼女はそれ以上、叶奈の前で恐ろしげな表情を出そうとしなかった。

 浅羽麻衣は取り調べの際、叶奈のことを思い出した捜査官に対して「私が治療を無理強いした」「無関係の子だ」と何度も繰り返していたという。庇っているのは見え見えだったけれど、あなたに関しては目をつぶる。なにも悪事を働いたわけじゃないし──。そういって話にケリをつけた彼女は、隣の刑事とともに改めて名刺を取り出し、叶奈の前に並べた。浅羽が口にしていたのと同じ【宮藤(みやふじ)那葉(なのは)】の名に、叶奈はまた少し、切なさを募らせた。


「あの、浅羽さんはどうなっちゃうんですか。その……死刑とか」


 思わず尋ねたら、宮藤はそっと苦笑の吐息を漏らした。


「罪を犯した魔女は厳罰になる、とでも脅された?」

「ならないんですか……?」

「さすがに殺人や放火や性犯罪の既遂でもない限り、魔術犯罪でも死刑にはならないよ。今回あなたにかかりそうになった傷害の容疑なら、仮に汲むべき事情が一切なかったとしても懲役五年がいいところ。ついでに言えば禁忌魔術に関しても、魔女に対して行使する分には罪にならない。そのあたりの厳罰化を求める声が大きいのは事実だけど、これ以上の厳罰化はさすがに憲法の人権規定が許さないと思うな」


 拍子抜けと落胆のあまり、叶奈は腰掛けたソファに深々と沈んだ。死刑になりたくない、死にたくないといって警察から逃げ回っていた数日前の自分はいったい何だったのだろう。

「ただし」と宮藤は続けた。


「あなたも分かっていると思うけど、魔女であるというだけで世間の目は厳しくなる。いつか何か悪さをしでかすんじゃないか、私たちを傷付けるんじゃないかって、世間の大半の人間は魔女に疑いの目を向けている。そうなったら警察は当然、()()市民の味方でいなくちゃいけない。分かるよね?」

「……分かります」

「あなたの逮捕状はすでに取り下げられてる。私たちは今回、あなたのことを事情聴取するためにここへ来たのであって、なにも捕まえるために来たんじゃない。だからといって忘れてもらっては困るんだ。たとえ強姦されかけようとも、身を守るために魔術を使えば過剰防衛になりかねない。私たちの駆使する力は、それだけ恐ろしいものだと思われてる。今回、あなたの魔術が正当防衛として認められる見通しになったのは、防犯カメラにあなたの行動が記録されていたことと、とある方の捜査協力があったためだよ」


 血の巡りの悪い頭でうなずきつつ、そりゃそうだよね、と納得を覚えている自分がいることに叶奈は驚きを覚えた。金を盗まれようが、会社を叩き出されようが、性犯罪被害に遭おうが、魔女は泣き寝入りをするしかない。ひとたび泣き寝入りをやめて魔術で抵抗を試みれば、相手を殺すことさえ自在にできるからだ。()()一般市民は魔女の持つ力に決して対抗できない。だから、罪は重くなる。少しも難しい理屈ではない。

 いちど押されてしまった烙印は拭い去れない。結局、魔女であることをやめようとしても、世間の目に映る叶奈はやっぱり魔女のままなのだ。


「そろそろ事情聴取を始めさせていただいても?」


 ペンと手帳を取り出していた刑事が、顔色を窺うような口ぶりで叶奈と宮藤の間に割って入ってきた。倦怠感にも似た諦念でぼんやりとしていた叶奈は、「どうぞ」と宮藤が身を引くのを認めた途端、聞きそびれていたことがあるのを唐突に思い出した。


「あ、あのっ」

「どうしたんだい」

「その、さっき宮藤さんのおっしゃってた『とある方の捜査協力』って、誰のことですか」


 刑事が露骨に出鼻をくじかれた顔をしたが、質問を取り下げるつもりはなかった。だって、捜査の現場で叶奈の肩を持つような人など、叶奈には誰ひとり思い浮かばなかったのだ。

 刑事が面倒げに宮藤を見やる。代わりに上半身を起こした彼女は、眉根にしわを寄せながら「本来なら秘密よ」と切り出した。


「本人から名前を伏せるよう言われてるの。でも──」


 突き上げるような微振動が宮藤の言葉を遮った。

 気のせいか。思わず周囲を見回した叶奈の目に、かすかに音を立てて揺れる壁掛けの額縁が映った。P波の到達による初期微動──地震の前兆であることに思い当たった時には、天井のスピーカーがけたたましい大音声で不協和音を発していた。


「緊急地震速報よ! 机の下に隠れて!」


 森沢の金切り声で我に返り、目の前のテーブルに隠れようとした叶奈は、応接室のテーブルでは背丈が低すぎて身を隠せないことに気づいた。半狂乱になりかけた瞬間、宮藤が革手袋を嵌めた。詠唱とともに浮き上がったテーブルは、叶奈たち四人が逃げ込むのに十分な空間を出現させた。


「早く!」


 促されるまま、テーブルの下へ滑り込んだ。激しい振動で足がもつれ、思いがけず叶奈は宮藤の身体にしがみつく形になった。

 鉄筋コンクリートの軋む音が、大きな横揺れを伴って応接室に押し寄せてきた。強い揺れが眩暈(めまい)を喚起する。今にも酔って動けなくなりそうだ。太い腕でテーブルの脚に食らいつきながら、「長い揺れだ」と刑事が呻いた。額縁や盾の落下する音が立て続けに響き渡り、降り注いだガラスの破片が足元に散って粉と化した。宮藤の細い体躯にかじりついていなければ正気も保てなくなるほど、長い、長い、すさまじい揺れだった。

 スマートフォンを取り出した森沢がテレビのアプリを起動させた。ようやく揺れが収まり、周囲の騒音が静寂に変わった頃、アナウンサーの声が遠く聴こえてきた。


──『震源は愛知県の渥美半島沖……地震の規模を示すマグニチュードは9・2と推定され……震度についての詳しい情報は現在のところ判明しておらず……』


 マグニチュード9・2という数字の大きさが何を意味するのか、さすがの叶奈にも想像がついていた。おそるおそる宮藤に回していた腕を離し、机の下から這い出す。給食調理室からの出火と校庭への避難を呼びかける校内放送が、廊下の向こうから悲鳴に混じって聞こえてくる。煙の臭いもかすかに鼻をつき始めた。「生徒の避難誘導に当たってきます!」と言い置き、森沢は応接室を一足先に飛び出していった。

 目の当たりにしている光景が現実だと信じられない。

 棒のように固まった足で叶奈は突っ立っていた。全員の脱出を確認した宮藤が解除の呪文を放って、役目を終えたテーブルを床に戻した。


「生徒の避難が落ち着いたらわれわれも校庭に出ましょう。火の手がこっちにまで回ってきたら大変だ」

「その方がいいですね」


 うなずき合った刑事と宮藤が応接室の扉に手を掛けようとした瞬間、その扉が向こうから勝手に開いた。「森沢先生!」と叫びながら駆け込んできたのは、G組のクラスメートたち数名だった。彼女たちは茫然と立っている叶奈を視界の隅で警戒しつつ、わらわらと宮藤に群がった。


「朝霧さんが……! 森沢先生は!? 先生はどこ行ったんですか!」

「どうしたの、落ち着いて。森沢先生は避難誘導に向かったよ」


 聞きつけた彼女たちはすぐさま「ありがとうございます!」と叫び、応接室を飛び出してゆく。聞き覚えのある名前にようやく硬直を解かれた叶奈は、彼女たちの背中を本能的に追いかけていた。ドアを開け放って廊下に靴音を響かせ、声を張り上げた。


「ま、待って、朝霧さんに何かあったの」

「春風さんには関係ないよ!」

「関係あるよ! クラスメートだもん!」


 叶奈の大声に彼女たちは立ち止まった。

 同級生の身に危機が訪れているかもしれない場面で、『関係ない』も何もあったものではない。どれだけ嫌われていようとも、叶奈は中学三年G組の一員なのである。息を弾ませながら追いつくと、ばつの悪そうな顔になった一人が「実は……」と切り出した。





「どうかお願い。今だけはわたしで我慢して」


▶▶▶次回 『Sorĉado-23 蘇生』

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