第二十六話 家族の再会 ②
「このアルカディーナ星に住む亜人達は、千五百年以上も外界との関りを絶って、ひっそりと生きて来たんだ」
開口一番そう語った達也は、先史文明の興亡と、この星の歴史を掻い摘んで皆に説明した。
現代の常識を超越した超文明が繁栄の時を経て滅亡へと至った理由。
彼らが遺した先進科学の結晶が今も活動を続けている反面、それら機械文明とは相容れない精霊達が、共にこのアルカディーナ星を護っているという奇妙な現実。
そして、初代神将に任じられたランツェ・シュヴェールトと、彼のパートナーである竜母セレーネの物語。
虐げられ続けた亜人達の解放を旗印とし、黎明期の銀河連邦との戦いに身を投じた彼らの夢が、遂には志半ばで潰えてしまった事……。
それら知り得た真実だけを簡潔に語った達也は、最後に自身の想いを口にした。
「ランツェやセレーネ……そして彼らと共に戦い命を散らした亜人たちの想いは、ふたりの血を引くさくらが、この星を訪れた事で報われた。勿論クレア……君にも彼らの一人娘であるニーニャの血が流れている。そう知った時に俺は思ったんだ。我々がこの星へと導かれたのは運命だったんじゃないか……とね」
長い話をそう締め括った達也は一度だけ大きく深呼吸をするや、哀惜の情が滲んだ眼差しを愛妻に向ける。
その話を聞き終えたクレアも“ほうっ”と熱の籠った吐息を零した。
「そんな大昔にその娘は……ニーニャさんは御両親と生き別れ、流浪の果てに地球に辿り着いたのね。親子が引き裂かれてしまうなんて……いつの時代でも争いとは無慈悲なものね」
沈痛な面持ちでそっと目を伏せたクレアは、心から遠い祖先の冥福を祈らずにはいられなかった。
その想いはサクヤやマリエッタ、そして由紀恵も同じであり、幸薄い親子に哀悼の意を奉げたのである。
しかし、今は亡き英雄達に共感しながらも、慎治は胸の内に懐いた疑問を素直に口にした。
「なるほどな……つまり、この星の住人であるアルカディーナと呼ばれる亜人達が心服しているのは、クレアさんとさくらちゃんの母娘だと考えて良いのか?」
その質問に達也は敢えて異論を挿まなかった。
勿論、亜人達が達也に絶大な信頼を寄せているのは間違いない。
生贄にされかけた子供達を助ける為に、巨漢の鬼と死闘を繰り広げて討伐を成し遂げたのだから、彼らが敬意を懐くのは至極当然の結果だった。
しかしだ……。
毎度毎度、無自覚に危険に首を突っ込む達也を誰よりも心配しているのは妻であるクレア自身に他ならず、夫が自分の知らぬ所で命を懸けて戦っていたと知れば、どれほど心を痛めるかは考えるまでもないだろう。
だから、愛妻に余計な心配をさせない為にも、達也は敢えて頑なに口を閉ざし、無言で兄貴分の言葉に大きく頷いて見せたのだ。
「それで……先程、クレア様にあのような事を頼まれたのですね」
すると、クレアを明日の会議に参加させない理由に得心がいったのか、サクヤが二度三度と頷く。
達也は意識を切り替えて平静を取り繕うや、彼女の言葉を肯定して素直な願望を述べた。
「まあね……ユリアやさくら、そしてマーヤのお蔭で、アルカディーナの子供達は随分と我々に好意を懐いてくれている……だから、此処でもうひと押ししておきたいんだ。バラディースの子供達も密閉された船内での暮らしには飽き飽きしているだろうからね。気分転換も必要だし、亜人達と親しくなるためにも彼らとの交流は必要不可欠だよ」
夫の期待が重い……
両肩に重石を乗せられた様な気がしてならないクレアは、顔を強張らせて自信なさげに問い返した。
「責任重大ね……でも、私なんかで上手くいくかしら?」
「まあ、問題ないと思うが、一応オリヴィアさんや正吾と秋江、それから遠藤さんにも同行してもらえばいいさ」
「ええ、そうするわ……後で頼んでみます」
イェーガーを失って悲しみに暮れるアルエットやエレオノーラに仕事を頼むわけにもいかない。
日を改めて今回の戦闘で天に召された英霊達の慰霊式を行う予定だが、それまではゆっくりと休ませてあげたいというクレアの懇願に達也も同意した。
すると、夫婦間の話が決着したのを見計らったサクヤが、地球居残り組を代表して重要事項の報告を始める。
「地球統合政府との経緯等はラインハルト様から報告があると思いますので割愛いたします……私からの報告はロックモンド財閥との提携についてです」
サクヤの口から語られたジュリアンとの会談の様子とその内容。
特に【鬼才】と呼ばれる彼が胸の中に秘めていた真摯な理想とその決意を知った達也は、驚くのと同時に深い感謝の念を懐かざるを得なかった。
「そうか、彼がねぇ……年若い少年には似つかわしくない、強かな雰囲気を纏ってはいたが、それ程の熱い想いを胸に秘めていたとはね」
部下達の裏切りに遭っても決然とした姿勢を失わなかったジュリアンが、ユリアに対する時だけは年相応の顔をしていたのを思い出した達也は、思わず口元を綻ばせてしまう。
「戦力の殆んどを失い、戦略物資から日用品にいたるまで、補給のアテがない我々には天の助けだと言えるだろう。それに天下のロックモンド財閥がスポンサーとは心強い限りだ……正に地獄で仏だな」
確かに達也の言う通り、物資の調達もままならない彼らにとって、ロックモンド財閥が後ろ盾として控えている意義は大きい。
暗澹たる未来に僅かばかりの光が射し込んだ……。
この場に居る全員が、そんな希望を認識して表情を綻ばせるのだった。
「となると、早急に彼に連絡をつけないといけないな……それに、ランズベルグとファーレン……地球に残しているローズバンクの御両親と真宮寺、如月の御両親にも皆の無事を知らせなければならない」
これからどの様な道を選択するにせよ、真実を伝えずに死んだフリをして身内を悲しませて良い筈がない。
よしんば反攻を期して雌伏の時を過ごすにしても、秘密を厳守できると見込めるのならば、事の顛末と生存は知らせるべきだと達也は考えたのだ。
だが、表情を曇らせたサクヤがその言葉に異を唱えた。
「我がランズベルグ皇国への連絡は御無用に願います」
彼女の言葉に一同は驚きを露にしたが、表情を毅然としたものに変えたサクヤは、胸に蟠る懸念を吐露する。
「ファーレン王国の国民は全員が完全精神生命体であり、生粋の単一民族です……彼らの同族意識は強固で各人が高潔な心の持ち主ばかりですから、敵のスパイ行為や懐柔工作に同調する者はいないでしょう」
サクヤは言葉を切って一呼吸おいてから再び口を開いたのだが、その声音には忸怩たる思いが深く滲んでいた。
「しかし、残念ながら、皇国内部に敵の間諜が潜んでいないという保証はありません。皇宮や宰相府も敵の監視下にあると考えて間違いないでしょう。そんな状況で我々が生きていると知らせるのは危険です」
ランズベルグの人々は普通の短命種であり、好むと好まざるとに拘わらずに長い時間を生きるファーレン人とは、生に対する執着心や死生観が大きく異なる。
短い人生を謳歌すると言えば聞こえはいいが、欲望が生み出す誘惑に負け平然と悪事に手を染める輩が身分を問わず存在するのだ。
それは、他の短命種の民族と比べても大差はない。
「少なくとも銀河連邦最高評議会と評議会双方の動向が分かるまでは、沈黙を貫いて力を蓄えるべきです……私へのお気遣いならば無用です。これでも皇族の一員ですから無様な真似は致しません」
そう決意を告げたサクヤは、最後に達也を見て微笑んだ。
確かに彼女の意見は正論であるし、現状ではそうする以外に選択肢はないのかもしれない。
だが、その笑顔の下に皇族としての矜持に苦しむ彼女の悲嘆を垣間見た気がした達也は、彼女の申し出を応諾したものの、決して心中穏やかではいられなかった。
(懸念材料は尽きないが、なんとか手を考えなければならないな……)
その後も続いた話し合いの最中も達也は妙案を模索する。
結局今後の基本方針を決めるにしろ、まずはアルカディーナの代表者との会合を終えてからと決まり、予定されていたラインハルトとの話し合いの為に達也が席を立ったのを機にお開きとなった。
そして、バラディース司令部に向かう夫の背をクレアは複雑な心境で見送ったのである。
◇◆◇◆◇
「う……うっぅ……んん……?」
閉じている瞼の裏に感じる何かに刺激され、蓮は目を覚ました。
薄く開いた瞳をさす黎明の光が刺激の正体だと知り、その眩しさを避けて寝返りをうつ。
半分寝ぼけた儘の彼は何かを捜し求めるかの様に自分の隣を探るのだが、その手には虚しくもシーツの感触しか得られない。
(あれ……何かおかしい……いない……居ない? なにが? いや、誰がかな……誰……誰か……しお……しおり……詩織ッッ!!!)
ぼんやりしたまま自問自答していた蓮は、唐突に脳内に映像をむすんだ幼馴染の顔によって眠気など一気に吹き飛ばされてしまう。
慌てて上半身を跳ね起こし周囲を見まわすが、狭い室内に詩織の姿はなかった。
「……夢だった? いや、違う……あれは確かに……」
片手で顔を撫でながら必死に記憶を手繰る。
初陣での無慈悲な出来事に心を苛まれ、精神的に追い詰められていたとはいえ、詩織に抱き締められた瞬間に何かが弾けてしまった。
必死に堰き止めていた想い……。
悲しみ、苦しみ、恐怖、それらの辛く痛ましい感情が胸の内に溢れ、何も考えられなくなり、その苦衷から逃れたい一心で詩織を求め溺れてしまったのだ。
(俺、詩織と……)
朧気ながらも情を交わした記憶があり、掌には彼女の肌の温もりが微かに残っている気がして思わず赤面してしまう。
全てを思い出した蓮は、成り行きとはいえ詩織と男女の関係を結んだ事実に茫然自失の体で頭を抱えるしかなかった。
勿論、相手が幼馴染だから不本意だとか、後悔しているという訳ではない。
これが真っ当に告白した上での行為ならば、正に天にも昇る気分で喜びに浸れただろうが、無様な醜態を見られた後では、同情の果ての慰めだったのではないか?
そんな自虐的な想像を否定できないのだ。
(どんな顔をして詩織に会えばいいんだ? そもそも、あいつはどういうつもりで、俺なんかを……)
答えのでない思考に捉われて頭を抱えた時、聞き慣れた声音で耳朶を叩かれた。
「あら、起きたの? 先にシャワー借りたわよ」
不意を衝かれた蓮は驚倒して声のした方に全力で顔を向け、その視線の先にバスルームから出て来たばかりの詩織の姿を見つける。
とはいっても、バスタオル一枚を肢体に捲いただけの煽情的な姿という訳ではなく、支給された真新しい制服に身を包んだ幼馴染が笑顔で此方を見ていた。
普段と何も変わらない彼女の態度を目の当たりにした蓮が、昨夜の体験は全てが夢だったのではないかと思ったその瞬間……。
「蓮……私はあなたを愛しているわ。子供の頃からずっと。勿論、今もね」
特に恥じらう素振りも見せずに、実にあっけらかんとした口調で爆弾を放り投げる詩織。
蓮は何を言われたのか理解しかねて、まじまじと幼馴染のすまし顔に見入る他はなかったが、その愛の告白が脳に沁み入った途端、全身を駆けめぐった羞恥と混乱に狼狽し、あまつさえ昨夜の情交の記憶が彼の動揺を一層激しいものにする。
それでも、どんな成り行きであれ、彼女と関係を結んだ以上、答えはひとつだと思い定めて口を開こうとしたのだが……。
「スト──ップ!!」
勢い込んで『俺も……』、と言おうとした彼の眼前に片手を突き出した詩織は、声を強めて待ったを掛けた。
「こんな関係になったから『好きだ』なんて言われたくないわ。だから、ちゃんと私を見て考えて……幼馴染でも義妹でもない……唯の如月詩織を見て欲しいのよ。その上で蓮が出した答えを聞かせて頂戴」
淡々とした口調ながらも熱い想いを一方的に告げた詩織は、すっきりしたと言わんばかりに微笑んでウインクひとつ……。
「今日はバラディースの被害状況の確認や修復作業の段取りも決めなければならないから忙しいの。蓮もさっさとシャワー浴びて着替えなさいよ。私は先に行くからねぇ~~」
そう言い残して踵を返すや、颯爽とした身のこなしで部屋を出て行く詩織。
そして、後に残された蓮は唖然とした面持ちで彼女の背中を見送るしかない。
「……なんだよ、それ……」
そう呟いてはみたものの、彼が再起動するには暫くの時間を要したのである。
一方の詩織は化粧の為に一旦自宅に戻ったのだが、平静を装えたのは玄関を潜るまでだった。
扉を閉めた途端に腰砕けになってその場に崩れ落ちるや、真っ赤に染まった顔を両掌で覆い、激しく鼓動を打つ心臓を静めようと深呼吸を繰り返す。
「どっ、どうしよう……勢いとはいえ、とんでもない事しちゃったぁ……これで、もしも、蓮に嫌われでもしたら……」
蓮の前では毅然と振る舞ってはいたが、一人になれば昨夜の情交が思い出されてしまい、歓喜と羞恥、そして不安が綯交ぜになった感情に心を乱してしまう。
この後、このふたりがどの様な選択をするのか……。
その答えが出るのは今暫く先になるのだった。
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