第二十六話 家族の再会 ①
「ママぁ──っ! ただいまぁぁ──ッ!!」
達也に片腕で抱っこされていたさくらは屋敷の正面玄関先に佇む母親の姿を認めるや否や、父親の腕から飛び降りた勢いのまま全力で駆けだす。
満面に笑みを浮かべ精一杯の声を張り上げる愛娘を見て口元を綻ばせたクレアは、片膝をつき拡げた両の腕でさくらを抱き締めてやった。
「お帰りなさい、さくら。ティグルも元気そうね。怪我なんかしなかった?」
無垢な顔を擦りつけて来る愛娘の頭を撫でてやりながら、少し遅れて歩み寄って来た人型幼竜……目下唯一の息子に優しい視線を向けて労う。
すると、無邪気な笑顔で白い歯を見せるティグルは得意げに胸を張った。
「大丈夫だよママさん。それに俺に勝てる奴なんかこの星にはいないぜ」
「頼もしいわ。でも乱暴は駄目よ。あなたより弱い子達を護る為にこそ、その力を使ってあげてね」
そう笑顔で諭すと、ティグルは任せとけと言わんばかりに大きく頷く。
一人息子の快活な返事が嬉しくて思わず破顔した時だ。
日毎夜毎に恋い焦がれ、一日千秋の想いで待ち侘びた人物の姿をクレアの双眸が捉える。
その愛しい夫の姿を見た刹那、唇からは切ない吐息が零れ両の瞳には涙が滲む。
抱いていたさくらをティグルに預けたクレアは、たった数歩の距離を全力で駆けて達也に抱きつくや、感極まった声を漏らした。
「あぁ……無事で良かった……本当に良かった……」
「ありがとう……君も無事で本当に良かった……それから、遅くなってごめんよ。アルカディーナの長老達と打ち合わせをしていたんだ……取り敢えず明日、代表者だけで顔見せと話し合いをすると決めて来たよ」
達也も込み上げて来た歓喜には抗えず、愛妻の柔らかい肢体を抱き締める。
愛しい夫の温もりに包まれたクレアは、全ての苦労も疲れも、そして近しい人を喪った悲しみまでもが癒される気がした。
と、その時である。
足元から此方を窺う気配を感じて視線を下げると……。
そこには、頭にチョコンと乗った二つの獣耳をぺたんと前倒しさせて、不安げな眼差しを此方に向けている獣人の少女がいた。
達也の足に縋りつき、恐る恐るといった風情で顔を覗かせている少女の様子が、クレアには堪らなくいじらしく思えてしまう。
獣人の特徴でもある、ふさふさの尻尾は力なく垂れており、それが如実に彼女の心情を表しているかの様だった。
事実、マーヤは不安で不安で堪らず、達也に縋りつくことで、辛うじてこの場に踏み止まれているのだ。
(うぅ~嫌われちゃったらどうしよう……さくらお姉ちゃんもティグルお兄ちゃんも、あっちに行っちゃったよぉぉ……)
自分に優しくしてくれた者達に代わり、初対面の人間の女性が眼前に居るという状況は、マーヤの不安を煽るには充分すぎるシチュエーションだった。
今まで他種族から虐げられて来た獣人少女にしてみれば、それが美しい女性であっても、初対面の相手ならば恐怖の対象でしかない。
さくらやティグルとのやり取りを見れば、この女性が慈愛に満ちた人間だというのは理解できるが、その愛情が獣人である自分にも向けられるとは限らないのだ。
我が子に笑顔を向けていた同じ女性から嫌悪の視線を浴びせられ、その同じ口で罵倒された事など数知れず経験して来た。
それ故、この女性が自分を受け入れてくれるのか否かが分からず、不安に苛まれながらも、目を閉じてじっと耐えるしかなかったのである。
だが、不意に温かい何かに包み込まれて目を開いたマーヤは、すぐ目の前に柔らかい微笑みを浮かべている女性の顔があるのを知って驚いてしまう。
自分を優しく抱きしめてくれているのが、達也やさくらと抱擁を交わしていたのと同じ女性だと知った獣人少女は、突然の展開に困惑するしかなかった。
「あの……あの……あうぅぅ~~~」
全く想像していなかった展開に戸惑い、どう反応していいのか分からずアタフタしていると、心地良い温もりを与えてくれているクレアが微笑んでくれたのだ。
その笑顔を見た瞬間、マーヤの心に蟠っていた恐怖は雲散霧消した。
「あなたがマーヤちゃんね。私はクレアというの。ユリアお姉ちゃんから話は聞いているわ。今日から私もあなたの家族ですからね……本当のお母さんには敵わないけれど、精一杯頑張るから……私とも仲良くして頂戴」
その言葉と温もりにマーヤの顔がくしゃくしゃになり、円らなクリクリの瞳から涙が零れ落ちる。
受け入れて貰えたのが嬉しく、新しい母親を得たのが夢のようで……。
獣人少女はクレアにしがみ付いて咽び泣いたのだ。
その後、直ぐに泣き止んで笑顔を取りもどしたマーヤはクレアから離れ、本当に嬉しそうな顔でペコリと頭を下げ、歩み寄って来た姉兄に囲まれて楽しそうに燥ぐのだった。
その愛しい子供達を優しい視線で見つめていたクレアだったが……。
「へえ~~~本当にセレーネに瓜二つじゃないのさ! これは吃驚したわね!」
聞き覚えのない可愛らしい声音に耳朶を叩かれたクレアは慌てて周囲を見廻したが、付近には見知った顔以外には誰もおらず、小首を傾げながら尚もキョロキョロしていると……。
「私は此処よ! こ・こ!!」
再びその可愛い声がしたかと思うや、ニカッとわらう小さな少女が上空から舞い降りて来て、クレアの目の前でドヤ顔を晒して胸を張った。
御伽噺の妖精よろしく、小さな身体に羽というお決まりの姿をした存在が満面の笑みと共にペコリと頭を下げるや、馴れ馴れしい態度で自己紹介をする。
「私は精霊のポピーよ。初めましてクレア。今後は私とも仲良くしてね」
「むっ……むっ……むっ…………」
しかし、挨拶に応える所か美しい瞳をこれでもかというほど見開いたクレアは、目の前の謎生物に視線を合わせたまま、意味不明の言葉を断続的に呟くのみだ。
大精霊の一柱たる自分から率先して挨拶したというのに……。
少々不満に思ったものの、硬直したクレアの態度を訝しんだポピーが小首を傾げた瞬間だった。
「きゃあ! きゃあ! いやあぁぁぁ──ッッ! 駄目、駄目なのぉぉ! 虫さんも駄目ぇぇッ! あっちやって! 追い払ってぇ! あなたぁぁ!」
絶叫に等しい壮絶な悲鳴が前庭に響き渡る。
どうやら苦手なのはカエルやヘビだけではなく、虫の類も同様らしい。
精霊という未知の存在に驚くよりも、現実に存在する虫の方が恐い……。
それがクレアの偽らざる本音であり、憐れ大精霊様は虫認定されて唖然とするしかなく、そんな彼女を完全無視したクレアは、達也の首にしがみ付いてピイピイと泣き叫ぶのだった。
だが、謂れなき侮辱を受けたポピーは激しく憤慨して怒りを露にするや、未だに『虫は嫌ぁ!』と泣き叫ぶクレアに人差し指を突き立て盛大な罵声を放つ。
「あんたもか──いッッ!!? 私は虫じゃなあぁぁぁ──いって! 言ってるでしょうがぁッッッ!!」
その光景を間近で見た達也は、何処か遠い目をして視線を逸らすのだった。
◇◆◇◆◇
「本当にぃっ! アンタ達母娘は無礼極まるわッ! 私の様な可愛い精霊の何処をどう見れば羽虫と間違えるっていうのよッ!?」
憤慨してブチブチ文句を垂れ流す大精霊様を前にしたクレアは、予期せぬ展開に混乱しながらも平謝りに謝るしかなかった。
しかし、その不機嫌の極みにあった筈のポピーは、今や満面に笑顔を浮かべて、得意顔で踏ん反り返っているのだから、まったく現金だと言わざるを得ない。
白銀家に同居している子供達にとっては、ポピーはおとぎ話の中に登場する妖精そのものであり、幻想世界の住人が実在するという事実に彼らが歓喜したのも無理はなかった。
無条件でポピーを受け入れた彼らは、さくら達を交えて大燥ぎしているのだ。
クレアや秋江が用意したお菓子や飲み物の効果もあってか、すっかり機嫌を良くした大精霊様は鼻高々で御満悦状態。
子供達の肩や手の上を移動しては愛想を振り撒く様子を見れば、如何にこの待遇が気に入ったのかは明白であり、勿論子供達が大喜びして深夜まで交流を楽しんだのは言うまでもなかった。
そんな喧騒の裏では再会を喜び合う大人達が、リビングに集合して寛いでいた。
達也とクレア、サクヤとマリエッタに由紀恵というお馴染の顔ぶれと、筋肉質で立派な体格をした三十代半ばの男性が新顔として参加しており、達也とこの男性は笑顔で握手を交わし再会を喜んだ。
「それにしても、慎ちゃんが居てくれて良かったよ。この星がこんな状態だとは、俺も思いもしなかったからなぁ」
「おう。役に立てるならば何でもするぞ。船の中から見ただけだが、全く人の手が入っていない……文字通り【ラストフロンティア】だな、ここは!」
日焼けした肌が精悍さを一層引き立てているこの男性は、由紀恵が運営していた養護院の元院生であり、達也の兄貴分だった吉岡慎治だ。
十五歳で卒院したのち地元の工務店に就職して技術を身につけ、二十五歳で独立して自分の建設会社を起ち上げた。
その後、社員五十人を抱えるまでに会社を成長させたものの、地方府から発せられた理不尽な立ち退き要求に憤慨し、地球に見切りをつけ移住を決意。
大恩ある由希恵の後を追って妻や子供と親族一同、そして慎治を慕い彼に賛同した社員とその家族全てを引き連れて、バラディースへとやって来たのである。
エスペランサ星系への探査行の前に彼らを受け入れる事は決まっており、達也も本当に楽しみにしていたのだ。
だが、立て続いたアクシデントの所為で地球を追われる事態となり、兄貴と慕う慎治に対して少なからず罪悪感を懐いていた達也は、真摯に頭を下げて謝罪した。
「慎ちゃん……折角頑張って会社を大きくしていたのに、俺の所為で全部ぶち壊しにしてしまったなぁ……すまん。本当にすまなかった」
見解の相違から地球統合政府との関係を悪化させ、彼らの恨みを買った自分の所為で、知人達に対する数々の無慈悲な仕打ちが引き起こされたのではないか?
そう考えた達也は、ずっと自責の念に苛まれていたのだ。
だが、弟分に真顔で頭を下げられて狼狽したのは寧ろ慎治の方であり、彼は強い言葉で達也の言を否定する。
「馬鹿言ってんじゃねえよ。お前に責任がある訳がないだろうがっ! 失政続きの馬鹿政府が、民衆の人気を取る為にくだらないリゾート開発を強行した結果だぞ。それに割を喰ったのは俺達だけじゃない……開発予定地区の全住民が強制的に立ち退かされたんだからな」
「そうよ。達也君が気にする事ではないわ。慎治君もそうだけど、サービス業だけじゃなく農家や魚師、林業に従事していた人達も全員ですもの……どんなに理不尽でも政府の決定には逆らえませんからね……仕方がない事だったのよ」
由紀恵も気にしなくて良いと言ってくれたが、近隣の第一次産業に従事する家の跡継ぎに嫁いだり、それらの家に養子として引き取られた養護院出身者は多い。
達也にしてみれば、気にするなと言われる程に慚愧の念は募り、仲間とその家族である人々に申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになってしまう。
すると、悄然とする夫をクレアが慰めた。
「幸いにも養護院出身の方々全員が御家族諸共にバラディースへの移住を決断してくださったじゃありませんか。故郷を離れるのは悲しいけれど、いつか……いつかまた地球に帰れる日が来ますわ」
彼女に続いてサクヤも柔らかい微笑みを浮かべて言葉を重ねる。
「寧ろ、幸運だったと考えるべきです。農林水産業と建築業。それらを指揮できるプロフェッショナルが力を貸してくれるのですよ……これは僥倖以外のなにものでもありません!」
ふたりから励まされては、達也も笑顔を取り繕って頷くしかなかった。
確かに彼女達が言う通り、天運に導かれてアルカディーナ星を発見できたのも、未開の星を開発するにあたって礎たる人材が確保できているのも、共に災禍の中で得た最大のアドバンテージに他ならないのだ。
そう思えば幾ばくかは気が楽になった。
(急いで反撃態勢を構築するにせよ、アルカディーナの人々の生活を向上させるにせよ人材は不可欠だ……確かにクレアとサクヤが言う通り、俺達は神に見放された訳ではないみたいだな)
「ありがとう。これからも力を貸して貰うしかないが、宜しく頼みます」
深々と頭を下げて居並ぶ全員に協力を懇願する達也に対し、その場の全員が笑顔で頷き返して協力を約束するのだった。
「本当はもう遅いから休んだ方が良いんだけど、アルカディーナの代表者達と最初の会合を明日行う約束になっている。協力の約束は取り付けているが、今回の留守の間にどんな話し合いがなされたか……此処にいるメンバーはクレアを除いて全員会議に参加して欲しいんだ」
その達也の言葉を聞いたクレアは仲間外れにされて憤慨し、不満げに頬を膨らませて文句を言う。
「あら!? 私は除け者ですか?」
愛妻の攻撃的な視線にチクチクと責められた達也は苦笑いし、クレアにしかできない仕事を頼んだのである。




