009
「……翔太」
学生寮の屋上で星空を見上げていた俺は、背後に視線を向ける。
声の主――梓の姿があった。
声が聞こえてくる瞬間まで梓の気配は無かった。
闇から産み出された様な錯覚すら覚える。
「おい、二十二時を過ぎたら男子寮は女人禁制だぞ」
「知ってる。逆に女子寮は男人禁制。だから屋上。ココは屋外、だから男子寮に入ったことにはならない」
「……屁理屈だな」
「うん。でも、男子寮には一歩も踏み入ってない。だから許される」
確認しなくても梓が胸をはってドヤ顔をしているのが想像できる。
俺は「はいはい」と梓の言葉を受け流す。
梓は俺の反応を気にせず、スタスタとそばまで歩み寄ってくる。
「つーか、屋上まで跳躍できるヤツなんて常識はずれもいいところだろ。規格外の行動は控えろよ」
「大丈夫。問題ない。一発で屋上まで飛び上がったわけじゃない。空中に足場があると想定し、屋上まで上ってきただけだから。全然フツー」
「足場があると妄想して、霊力で空気を蹴って屋上まで上って来るのは普通じゃねぇよ。んなのは秘技って言うんだよ。この学校で、そんな技が使えるヤツはいねぇよ」
「なずなちゃんは出来る」
「なずな教諭も規格外だ。式神を足場に空中を走り回るくらい余裕でやりそうだ」
「……翔太のワガママ。理屈としてはおかしくない。右足が沈む前に左足を出し、左足が沈む前に右足を出す。結果、空中を上っていける」
「ワガママじゃねぇよ。常識外だよ。右足が沈む前に左足を出しても沈むのが世界の常識だ」
「……ぶぅ」
ちらり、と横を確認すると梓が不服そうに頬を膨らませていた。
いつも通りの表情なのでイマイチ分かりにくいが、本気で不満げだ。
右足が沈む前に~って、まさか本気で言ってたのかよ。
俺は軽いめまいを覚えて指でこめかみを揉む。
こういう時、つくづく梓が名家出身の規格外だと思い知らされる。
俺は溜め息を一つ付いた後、ポンポン、と梓の頭を撫でる。
一瞬、キョトンとした顔をした梓だったが、すぐ気持ちよさそうに目を細める。
昔から変わらない梓の顔だ。
ただそれだけなのに、俺はどこか安堵してしまう。
「……で、何の用だ? 夜這いとかくだらん掴みはいらないからな。梓が男子寮に来るときは、言いたいことがあるときだからな」
「月に誘われて、翔太と逢い引き……」
「次、くだらんこと言ったら屋上から投げ落とすぞ」
「……翔太のいけず」
「いけず、じゃねぇよ」
梓は下唇を噛みながら、じっと足元を見つめる。
言いたいことをまとめているのか、俺は静かに梓の言葉を待つ。
屋上を吹き抜けていく風を肌に感じながら、俺は空を見上げる。
少し欠けた月が静かに俺を見下ろしている。
何も言わず、ただ冷たく、ただ優しく俺を見下ろしている。
「翔太……」
どれくらい時間が過ぎただろうか。
ポツリ、と独り言のように梓が言葉をこぼす。
「ごめん」
「なんで謝るんだよ」
「私……翔太を、守れなかった……」
「俺は梓に守ってもらおうと思ってない。梓が俺を守る必要はない」
「……あるもん」
梓の小さなつぶやき。
それなのに確かな意思が伝わってくる。
「翔太は私に居場所をくれた。翔太は私に生きる意味を与えてくれた。だから、私は翔太を守る。私のせいで翔太は戦――」
「違う」
梓の紡ぎかけた言葉を俺はかき消す。
俺がまともにチカラを行使できないのは梓のせいじゃない。
チカラがあるだけで、それを制御する才能が俺に欠けていただけだ。
目一杯、出力を抑えても暴走と紙一重の状態。
むしろ梓のおかげでほんのちょっとチカラが使えてる。
梓には感謝の念しかない。
「梓のおかげで俺はこの世界に存在できているんだ。それだけで十分すぎるんだ。梓に守ってもらうなんて贅沢しすぎだ」
「でも――」
俺は梓の頭をグリグリと大きく撫でて、言葉を遮る。
「梓は神経質にいろいろ考えすぎなんだよ。運命のイタズラ、って言葉が似合うかどうかはわからないけど、俺たちは死なずに生き延びた」
「……うん」
「だから、俺に負い目を感じる必要はないし、俺を守る必要もない」
「でも……」
「前も言ったろ。俺は梓と対等な存在でいたいんだよ。だから変に気を使うな。互いに支え合って生きていけばいいだけだろ」
ニッ、と梓に笑ってみせる。
梓は納得いかない、と眉間にしわを寄せていたが、不意にいたずらっ子のような笑みを作る。
絶対悪巧みを思いついた顔だろ。
「そうだね。支え合いが大切。だからチカラを使うのが苦手な翔太に代わって私がチカラを使うのは当然だし、家事が苦手な私に代わって翔太が家事をするのも自然な流れ」
「おい、ちょっとおかしくないか?」
「おかしくない。ギブアンドテイク。持ちつ持たれつ。等価交換。理というものは、実によく出来てる」
「……家事を覚える努力をしろ」
「覚えるより、翔太に任せた方が効率いいし、世界も平和」
「なんで世界平和が関係するんだよ……」
「私の料理は化学兵器に匹敵するらしいよ。私が掃除するとノアの箱舟が必要になるらしいよ」
「誰に評価だよ、それは」
「女子寮の常識」
えっへん、と胸を張る梓。
「誇らしげにすんな。どう考えても不名誉すぎるだろ」
「見方を変えることも大事。発想の逆転。つまり私には家事の才能がない。だから翔太に家事をしてもらえる」
「どー考えてもおかしいぞ、その発想は」
俺は溜め息をつきながら肩を落とす。
どう諭したところで、梓が家事を頑張る姿が想像できなかったからだ。
「翔太、また明日」
「おう、またな」
満足げな梓に俺は思わず肩をすくめてしまう。
梓は一度、額を俺の胸のあたりに埋める。
「……おやすみ」
「おやすみ。いい夢みろよ」
「大丈夫。今、私の夢に翔太が連続出演中。今日も出るはず。だから確実にいい夢」
「……出演料、とるぞ」
「いいよ。私が夢を見ている時に取り立てに来てくれるなら」
「女子寮に入れないんだけど」
「それは残念だね」
梓は、ふふふっ、と小さく笑う。
そして屋上の床を蹴り、ふわりと宙に浮かぶ。
そのまま風に流される綿毛のように、屋上の柵を越える。
「翔太もいい夢見てね」
梓は手を振りながら、俺の視界から消える。
何も知らない第三者がいたのなら悲鳴をあげるところだろう。
梓は、いつも通り空中をぴょんぴょん跳ねながら女子寮の自分の部屋に戻ることだろう。
「いい夢、か……」
俺は苦笑いをこぼしながら、自室に戻った。




