第三十話
二〇二四年、八月。山奥の洋館には、暴力的なまでの蝉時雨を遮る重苦しい静寂が横議していた。開け放たれた窓から差し込む陽光は、空中の埃を白く照らし出し、盤面を見つめる三島美鶴の横顔を鮮やかに、そしてどこか儚げに切り取っている。かつての凄惨な記憶、二〇〇〇年の洋館で起きたあの血生臭い惨劇は、今のこの穏やかな光景の中では、質の悪い白昼夢のようにも思えた。私は手元にある最新の将棋年鑑を、指先でページの端を弾くようにして捲り、改めて背筋に走る戦慄を覚えていた。北山乙子、小野丞莉月、宇曽口史郎。あの時、確かに実在し、自らの歪んだ欲望のために時間を弄ぼうとした大人たちの名前が、この世界の記録のどこにも記されていないのだ。彼女たちは歴史の修正という名の巨大な消しゴムによって、この世界から跡形もなく抹消されていた。
「ソウ、集中して。次はあなたの番よ」
美鶴の静かな、しかし凛とした声が、私の迷走する思考を現実へと引き戻した。対局は終盤。いつもなら容赦のない攻めで私を絶望の淵へと追い詰める美鶴が、今日はなぜか迷いがあるように見えた。彼女の指し手にはどこか慈しみのような、あるいは別れを惜しむような温かさが混じり、私の拙い攻めを丁寧に、そして静かに受け流している。
長い対局の末、私は意を決して勝負の一手を指した。パチリという駒の音が、広間の空気を鋭く震わせる。美鶴は小さく吐息を漏らし、静かに、そして晴れやかな顔で頭を下げた。
「負けました。私の負けよ、ソウ」
初めて彼女から奪い取った勝利の二文字。私の心臓は、剣道の大会で優勝した時よりも激しく、暴力的なまでに脈打っていた。私は膝を進め、彼女の大きく澄んだ瞳を真っ直ぐに見据えて告げた。
「美鶴、好きだ。ずっと前から、君のことが好きだったんだ。この世界の記憶がどう変わろうと、この気持ちだけは本物だ」
美鶴の瞳が驚愕に揺れ、やがてじわりと潤んでいく。彼女の頬は瞬く間に林檎のような鮮やかな赤に染まり、震える唇を噛み締めながら、ゆっくりと、しかし確かな意志を込めて深く頷いた。
私は彼女の柔らかな、そして微かに震える肩を引き寄せ、その唇を奪った。触れ合った瞬間、電気的な衝撃が全身を駆け抜ける。その熱をトリガーにするかのように、美鶴の身体から異常な熱気が立ち上り始めた。
「ソウ、思い出したわ。二〇〇〇年での出来事、すべてを。私の中に眠っていた因果が、あなたの言葉で再起動したみたい」
美鶴の声は熱を帯び、耳元で甘く、しかし切迫感を伴って響く。彼女は暑さに耐えかねるように、制服のボタンを指先を震わせながら一つ、また一つと弾くように外していった。布地が床に滑り落ち、不吉に混ざり合う緑の渦と月光に照らされた、白磁のような上半身が露わになる。
豊かな乳房が激しい呼吸に合わせて大きく波打ち、その頂にある桃色の突起は、興奮でぷっくりと肥大し、蜜を湛えたように濡れ光っていた。私は彼女の熱に浮かされるように、自らのシャツを剥ぎ取り、剥き出しの肌を重ね合わせた。美鶴の肌は驚くほど滑らかで、それでいて奥底に凄まじい熱量を秘めている。
「タキオンの残滓が、まだこの洋館の深層に残っている。放置すれば、いつかまた北山のような歪んだ欲望がこの場所で芽吹いてしまうわ。根本原因を断たなきゃいけないの。一九九九年七月、すべてが始まったあの瞬間へ。恐怖の大王が降ってきた、あの場所へ」
美鶴の手が私の首筋に回り、彼女のしなやかな太腿が私の腰に熱く絡みつく。
「タイムリープには三つの紋章が必要。でも、今の私にはそれがない。だから、私たちがこうして密着し、愛し合い、快感という名の強烈な生命エネルギーをタキオンと同期させることで、私のうなじにある赤龍の紋章を時空の門をこじ開けるための、唯一無二の燃料にするのよ」
私は彼女の熱く、そして歓喜に震える湿り気の中に、己の存在のすべてを叩きつけるようにして沈み込ませた。美鶴は弓なりに背を反らせ、私の名を呼びながら、歓喜と切なさが混ざり合った高い声を上げる。うなじの赤龍の紋章が、服を焼き切らんばかりの黄金色に輝き、洋館の景色が歪んでいく。私たちは視界を埋め尽くす緑色の光の渦の中へと、一つになったまま落下していった。




