第百三十五話 母レイナのメイド部隊
――レイフォード伯爵邸。
その大広間の奥にある一室は、普段は客人にすら知られない。重厚な扉には錠前がかけられ、伯爵家の使用人でさえ立ち入ることはない。
ここは、「裏メイド部隊」の作戦室。
レイフォード家に仕える数多のメイドたちの中でも、選ばれたごく一握り。いや、ほんの数人。
彼女たちは、掃除も料理も礼儀作法も完璧にこなすだけではない。暗号の解読、監視と追尾、果ては短剣や魔術を扱う戦闘術まで――すべてを身につけた精鋭。
彼女たちの存在を知るのは、ただ一人。レイフォード家の奥方にして“氷の薔薇”と恐れられる、レイナ夫人のみ。
当主アレクシス伯爵すら、その存在に気づいていない。
いや、気づかせないように、完璧に立ち回っているのだ。
その日、作戦室では淡々とした声が響いていた。
「対象は、また学園に潜入したようです」
「ええ……監察官の査察中に、あの兄ィズが戻るなんて」
「報告によれば、エルダリオン様は“ハウス”により帰還。残った兄ィズは学園に潜伏。しかし、早々に発見されております」
冷徹に事実を並べ立てる声。彼女たちにとって兄ィズ――すなわちアリアの過保護な兄たちは、護衛対象であると同時に、最大の厄介者でもあった。
そこで、部屋の奥に佇む一人の女性が口を開く。
深紅の瞳を持ち、漆黒のメイド服を纏ったその姿は、優雅でありながらも威圧感を放っている。
「――出動します。母上からの直々の命です」
裏メイド部隊の隊長、ミリエル。
彼女の声に合わせ、影のように控えていたメイドたちが一斉に立ち上がる。
「任務は“兄ィズの制御と確保”。いかなる抵抗も許さない」
「「了解しました」」
こうして、裏メイド部隊は音もなく姿を消した。
◆学園・裏庭
一方そのころ。
「ふはは! 我々は帰ってきた!」
「潜入成功だな!」
兄ィズこと、ノアとレオンは、こそこそと学園の裏庭に隠れていた。
本来ならすでに強制送還されているはずだったが、今回はどういうわけか「ハウス」を受けたのはエルダリオンだけ。彼らは奇跡的に残留することができたのである。
しかし、隠れるといっても……。
「おい、ノア兄。そんなに派手に笑ったら――」
「誰も気づかぬ! 完璧な潜伏である!」
――すでに派手に目立っていた。
学園の女生徒たちは遠目から兄ィズの姿を見つけ、きゃあきゃあと騒ぎ出す。
その声はやがて、ウォッチ隊――兄ィズを観察する秘密のファンクラブの耳に届く。
「……見つけたわ!」
「今日も美しい……」
「観察記録に残さなくちゃ!」
隠れるどころか、さらに注目を集めてしまう兄ィズ。
彼ら自身は気づいていない。むしろ「潜伏に成功している」と思い込んでいる。
――その瞬間。
「……やれやれ。やはり我々の出番ですか」
低い声と共に、裏庭の影から数人のメイドが姿を現した。
黒のメイド服に身を包み、銀の髪飾りが冷たく光る。
裏メイド部隊、顕現。
◆兄ィズ vs 裏メイド部隊
「なっ……な、何者だ!?」
「いや待て、服装はメイド……だが雰囲気が尋常ではない!」
ノアとレオンは背中合わせに構える。
しかし裏メイドたちは、微動だにしない。冷たい視線だけで圧を与える。
「対象、発見。作戦通り、確保します」
隊長ミリエルが短く命じる。
次の瞬間。
裏メイドの一人が影のように走り出し、ノアの腕を一瞬で絡め取る。
レオンもまた、別のメイドに蹴りをかわされ、その隙に拘束された。
「なっ!? 我らが簡単に……」
「ば、馬鹿な……! この兄ィズが!」
兄ィズは一瞬で取り押さえられ、動きを封じられる。
彼らの力は決して弱くはない。むしろ一般人では到底太刀打ちできないだろう。
だが、この裏メイドたちは違った。
「……母上直伝の制御術、侮ってもらっては困ります」
ミリエルは冷ややかに言い放つ。
その声音に、兄ィズは背筋が凍るのを感じた。
◆兄ィズの残念さ
だが、ここで終わる兄ィズではなかった。
「ふふふ……しかし、美しいメイドに囲まれるのも悪くはない!」
「拘束されるとは、つまり我らは大人気ということだな!」
どういうわけか、状況を勘違いして喜んでいる。
周囲の女生徒たち、ウォッチ隊も呆然とするしかなかった。
裏メイドたちは表情を変えず、淡々と兄ィズを抱え上げる。
その姿は、獲物を捕らえた狩人そのものだった。
「――搬送します」
ミリエルの一声で、兄ィズはずるずると引きずられていく。
「ま、待て! 我らは潜伏任務の最中だぞ!」
「母上に報告されれば、また調教が……」
必死に抵抗するが、裏メイドたちは全く動じない。
その姿は、まるで冷徹な刃のようであった。
◆レイナの前へ
そして数刻後。
兄ィズは邸宅の一室に放り込まれていた。
そこには、レイナ夫人が座っていた。
銀糸のような髪を優雅にまとめ、冷たい眼差しで息子たちを見下ろす。
「……また、やらかしましたね」
その声は静かで、しかし底冷えのするような圧を孕んでいた。
兄ィズは同時に口を開く。
「い、いや、これは誤解で――」
「我らはただ、学園の平和を守ろうと――」
レイナは扇子を開き、ゆっくりと頬に当てる。
「……まだまだ調教が必要なようですね」
その言葉に、兄ィズの顔から血の気が引いた。
裏メイド部隊が背後で一斉に姿勢を正す。
「隊長ミリエル、あとは任せました」
「御意」
こうして、兄ィズは再び母の“愛の調教”に引きずられていったのだった。




