第百九話 本気の勝負!老人との模擬戦
昼餉を終え、兄ィズは珍しく安堵の表情を浮かべていた。今日は焼いた川魚と山菜の汁物、それに固いけど妙に味のある老人特製の雑穀パンだった。修行続きで腹をすかせていた二人は、夢中でかき込み、ようやく「人間らしい幸せ」を取り戻したかのように座り込んでいる。
「ふぅ……生き返るなぁ……」
「久々にまともな食事だ……いや、まともかは微妙だが」
ノアとレオンがほっとしていると、向かいに座る老人がニタリと口角を上げた。
「満腹になったところで……少し動かすかのう」
「……?」
「え?散歩ですか?」
「模擬戦じゃ。わしとお主ら二人、素手での本気勝負じゃ」
「「はぁぁぁぁぁぁぁ!?」」
木の器をひっくり返して立ち上がる兄ィズ。まだ胃の中で汁物がちゃぷちゃぷいっている。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!腹ごなしの散歩くらいかと思ったぞ!」
「じじい!この満腹状態で本気勝負って鬼畜か!」
「腹が満ちておるときにどれだけ動けるかも修行のうちじゃ。さぁ、外へ出い!」
強引に引っ張られるようにして広場へ出た二人。木漏れ日がまだ強い午後の光を落とす中、老人は軽く肩を回し、まるで散歩にでも行くような気楽な顔をしている。
「では……始めっ!」
合図と同時に老人が消えた。
「え?」
次の瞬間、背後に現れた老人の手刀がノアの首すじに迫る。
反射的に屈んだノアは間一髪で避けるが、後頭部にコツンと小突かれる。
「ひぃっ!」
レオンが「このぉ!」と殴りかかるが、老人は半歩下がり、軽く指先でレオンの拳を受け止め――くるりと体を回した。
「ぬおっ!」
ドサッ!
レオン、まるで木の葉のように宙を舞って地面に突き刺さる。
「ぐえぇぇぇっ!」
「レオン!? は、速すぎるだろ今の!」
老人は鼻を鳴らす。
「体術の基本は力ではない。流れを読むことじゃ」
「ノア!一緒にいくぞ!」
「お、おう!」
二人は同時に飛びかかる。が――
ゴンッ!
「いったぁぁぁぁ!」
「おまえ頭突きすんなよ!」
兄弟の額が見事にぶつかり、二人揃って地面に転がる。
「ほほほ!その程度でアリアを守れるか!」
老人は大笑いしながら両腕を組んで立っている。
「くっそぉ……!」
ノアは涙目で立ち上がりながら、「次は本気だ!」と声を上げる。
再び突撃する二人。
ノアが正面から突っ込むフリをして、足払いを仕掛ける。
そこへレオンがタイミングよく拳を繰り出す――
バシッ!
老人の袖口を、初めてレオンの拳がかすめた。
「おっ……!」
「やったぁぁぁぁ!」
一瞬だけの小さな成功に、二人は歓声を上げる。
「ふむ……ほんのわずかじゃが、呼吸が合ったな」
老人がニヤリと笑う。
「では……本気を少しだけ見せてやろう」
老人の瞳が鋭く光り、動きが一段階速くなる。
まるで影が二つに増えたように、兄ィズの目には残像しか映らない。
「ひぃぃっ! 見えねぇ!」
「ノア、避けろっ!」
ドガッ!
二人同時に地面に叩きつけられる。
しかし立ち上がる。
「アリアを守るためなら……!」
「俺たちは負けられない!」
気合で足を前に出す兄ィズ。
不格好で、ドタバタで、しょっちゅう転ぶ。
けれど、二人の拳が確かに老人の防御にわずかずつ食い込む。
十分ほどの激闘の末、二人は地面に大の字になって動けなくなる。
老人は腕を組み、しばらく無言で立っていた。
やがて口を開く。
「……よくやった。未熟じゃが、芯は見えた。次の段階に進む価値はある」
「……ま、まじで……?」
「うぉぉぉぉ!」
レオンは喜びのあまり飛び上がろうとして、足をもつれさせてまた転ぶ。
「次は――千人目の修行法に入るぞ!」
老人の爆弾発言に、ノアとレオンは同時に叫んだ。
「「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」」
その声は山にこだまして、しばらく止まなかった。




