07.侯爵の末裔
紅茶庭園「ローズクラウン」の店内は薔薇で溢れている。色とりどりの薔薇は花屋で購入したものもあるけれど、そのほとんどが敷地内の庭園で採れたばかりのものだ。近づくとふわっと薔薇の優しい香りがする。
いつもは薔薇で統一しているけれど、今は珍しくカウンター席の右端にチューリップを飾っている。
わたし=エヴァジェンナ・レヴィはチューリップを「気味が悪いな」と思いつつ、眺めていた。
「薔薇だけにしたいなら、茨邸に持って帰ればよかったのに」
エイデンはそう言うと、わたしの反応を待たずに窓ふきを再開した。
「だーからっ! マリッサの手に掛かった花は家に入れたくないのっ!」
わたしはカウンター席の左端に飾っている虹色の薔薇にも視線を移す。小鍋内のジャムを混ぜる手に不思議と力が入る。
「だったら、捨てればよかったのでは?」
エイデンは柔和な笑みを浮かべながら、その表情には似つかわしくない残酷なことを言う。
「そんなことできないわ。花に罪はないもの」
エイデンは「お優しいことで」と返し、窓ふきに専念し始めた。わたしは反れた気をジャムへと引き戻す。たっぷりの砂糖と混ざったイチゴがいい感じにふつふつと煮えている。漂う甘ったるい香りが塩辛くなったわたしの心境を和らげてくれる気がする。
開店作業が8割がた終わった頃、朝の鍛錬を終えたオスカー王子が戻ってきた。生鮮食品の買い出しをお願いしているミアと天馬族の少年・カーターも一緒だ。
初めこそ子ども二人と距離のあったオスカー王子だけど最近は仲良くなってきたようで、こうやって一緒に「ローズクラウン」に来てくれる。クールな印象が強いので子どもは嫌いそうだけど、意外と優しい一面もあるらしい。今日もミアの分の荷物を持ってあげている。
「今日もありがとう」
わたしはオスカー王子とカーターから生鮮食品を受け取る。そして、買い出しの報酬をミアに渡す。
ミアは「ありがとう」と言って受け取ってくれたけれど、何だか元気がない。病気で臥せっている母親の容体が思わしくないのだろうか……聞くに聞けない。
「ね。今日のスコーンいい感じに焼けたの。よかったら食べてかない?」
「え! いいの? あ、ママの分は持って帰りたい、かな」
ミアは表情を明るくし、遠慮がちにそう言った。
どうも、母親が原因ではないらしい。「気のせいなのかな」とミアの様子を観察しつつ、五人分の朝食の準備をした。
本日の朝食は、ベーコンエッグとサラダのプレートにスコーン。優雅なイギリスの朝食って感じ。……まあ、ここはイギリスじゃなくてエイネブルーム王国だけどね。
ミアはスコーンにたっぷりとジャムを付けて頬張っている。美味しそうに食べてくれて嬉しいけれど、やっぱりどこか元気がない。エイデンもオスカー王子も特に気にかけてない様子で食事をしている。
「ねー。ミア、何かあったの?」
わたしは堪らずそう尋ねていた。ミアは左右に首を振る。隣に座るカーターは横目でミアを見る。そういえば、今日のカーターはどことなく不機嫌な気がする。
「劇団ルシフェルのカルロスが結婚したからだよ」
昨日の夕刊の一面を思い出した。カルロスは同劇団の年上の女優と結婚したのだった。前々から交際の噂を聞いていたからわたしは驚かなかったし、推しでもないから何も感じなかった。けれど、カルロスファンからしてみたら一大事だろう。
ミアは「どうして教えるの!」と言いたげな顔でカーターを見ている。
「あら。ミアはカルロス推しなのね。彼、硬派でカッコいいわよね。わたしの友達に好きな子いるわよ」
ああ今頃、ロッテやあの子やあの子はどう思っているのだろう。枕を涙で濡らして起き上がれない子もいるんじゃないかな……。ジュリアン様が結婚したらわたしは寝込む自信がある。
「けっ。あの鉄仮面のどこがいいんだよ」
カーターが吐き捨てるように言うと、ミアが顔を真っ赤にする。
「カルロス様のこと何も知らないでしょ! 悪く言わないで」
普段は大人しいミアの剣幕に、その場にいる全員が驚いた。ああ。でも、わたしはわかるわよ、その気持ち。推しのいる女は恋する乙女。恋人を悪く言われたら頭にもくるわよね。
「な、なんだよ。ミアはあいつと会ったことあるのかよ」
「ないよ。舞台も1回ママに連れていってもらっただけ! でも、孤児に寄付したり病院を建てたり立派な人なんだよ。カルロス様はカーターに何か悪いことしたの!?」
「わ、悪かった。あのチャラチャラした男よりよっぽどいいよな」
よしよし。カーターも素直なところあるんじゃない。
ん? あのチャラチャラした男??
「カーター。チャラチャラした男って誰のことです?」
エイデンは柔和な笑みを浮かべて尋ねる。このー。わかって言ってるなぁ!
「ちょっとぉー! ここにジュリアン様推しがいるのよ! 彼を悪く言うなんて聞き捨てならないわね!」
わたしは思わず立ち上がっていた。こうなったら、もう止まれない。
「そりゃあ、これまで数々の浮名を流してきたから誤解されても仕方ないわ。華があるから色男役も多いしね。でも、女が言い寄ってきて断れないのよ。彼、優しいから」
わたしは宙を仰ぐ。ジュリアン様が微笑んでいる。
「もう。彼がモテるからって、嫉妬で叩くんじゃないわよ!」
「確か、ジュリアンはカルロスの1歳年下ですよね。優しい彼のことですから、相手の女性を思ってそろそろ身を固めるかもしれませんね」
エイデンのその言葉にさっと血の気が引いていく。足の力が抜けてソファの上にすとんと座り込む。
「やだやだやだ。まだしばらく独身でいてー」
「ジュリアンは綺麗だよね。王子様って感じ」
ミアの言葉に、わたしは大きく頷いた。
「うんうん。キラキラの王子様よね。わたしね、今の光の王子役も良いけど、パトリック王子役で彼に堕ちたの」
劇団ルシフェルの舞台は、異世界ものや歴史ものが主流だが、時に現代の王族をモデルにした作品を上演することがある。パトリック王子はエイネブルーム王国の第4王子であり、麗しい容姿と自由奔放な性格が国民にも伝わっており人気を博している。そのパトリック王子を主役にした舞台がとっても良くて、わたしはすっかりジュリアン様の虜になったのだ。
「わぁ!すごい偶然! あたしが見に行ったの同じ話なの」
「カルロスはルイス役だったわよね。海賊に襲われたパトリック王子を救出するところ、カッコよかったわよね」
わたしの言葉にミアはキラキラした顔で頷く。
わたしとミアはそんな感じで推しトークに花を咲かせた。エイデンは終始にこにこ聞いていてくれたけれど、カーターは不機嫌だったしオスカー王子は呆れた感じだったなぁ。どうでもいいけど!
そう言えば、オスカー王子は「ルイス」と名乗っているけれど、もしかしてパトリック王子の護衛官であるルイスから拝借しているのかしら。パトリック王子はオリビア王女の双子の弟だから、オリビア王女の婚約者であるオスカー王子がルイスのこと知っていても不思議はないのよね。
まあ、どうでもいいけど!
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
朝から曇り空だったこの日は、午後から雨が降り始めた。
エイネブルーム王国は雨天の日は外出を嫌う人が多く、いつもなら大忙しのランチタイムやティータイムもこの日は落ち着いていた。
カウンターの内側からぼんやりと店内を眺めていると、来店を告げるベルが鳴る。音に釣られて入り口の方を見ると、小太りの20代くらいの男性とその母親と思われる中年女性が入店してきた。男性の方に見覚えがある。常連さんではないけど、前に来たことがあるのかしら。
この国には、傘を差す文化がない。けれどこの客人達は珍しく大ぶりの傘を持っている。二人は丁寧に傘を畳むと、案内をする為にやって来たエイデンに渡す。
傘を受け取ったエイデンが案内しようとすると、男性はそれを断る。そして、わたしの方へ視線を向けた。目が合ったと思うと、男性は中年女性を連れてカウンター席に腰を掛ける。
男性はエイデンが差し出したメニュー表には目もくれず、花瓶の中で息づくチューリップに視線を向ける。
「か、飾ってくれてるんですね」
男性は照れくさそうにそう言った。その言葉で、その男性がチューリップの花束を押し付けてくる光景が脳裏によぎった。そうだ。彼は、マリッサの店にいた「ダグラス卿」と呼ばれていた人だ。
「あ、ああ。その説はどうも」
「卿」と呼ばれているからには貴族だろう。ダグラス卿も連れの中年女性も身なりが立派で、このお店に訪れる多くのお客様との差を感じる。そんなやんごとなきお方がどうしてこんな庶民のお店に?
わたしが考え事をしていると、なんだか目線を感じる。感じた方を見ると、ダグラス卿の連れの中年女性と視線が合う。わたしは営業スマイルを作って、取り扱っているお茶の説明を始めた。ダグラス卿の体格的にダイエット効果のあるルイボスティーかコーンティーを勧めたいところだが、失礼にあたるので無難にアールグレイを勧めた。
二人から注文を受けたわたしは、アールグレイとカモミールを煎れ始める。するとエイデンがカウンターに入ってきて、わたしを裏口の方に連れて行く。そして、ダグラス卿の装いが立派だから貴族だろうとか奥のテーブル席に移動してもらった方がいいだろうとか言ってくる。
まあ、そうよね。カウンター席の木製の椅子よりテーブル席のソファの方がやんごとなきお方には合ってるかもね。でも、自分から座ったのに移動をお願いするのって逆に失礼じゃないかな。
わたしはまた目線を感じた気がして、振り返る。また中年女性と視線が合う。なんだか、値踏みするような視線。ちょっと、怖いな。
わたしはエイデンには曖昧に答え、カウンターの内側に戻ってお茶の準備を再開する。
そろそろ閉店の時刻となった。在席のお客様はダグラス卿と中年女性のみだ。じき閉店であることを告げると、中年女性が口を開く。
「私、東の十字路沿いに住んでおりますモーリー・ダグラスと申します。先日は息子のディランがお世話になったようで」
モーリー夫人は深々と頭を下げる。
するとエイデンが慌てた様子で頭を下げ、わたしにも頭を下げさせる。
「これはダグラス侯爵のご子息でしたか。妹が何か失礼をしたのでしょうか?」
は? なんで、わたしが失礼なことしたってなるのよ!
あれ。侯爵って言った? 侯爵って……確か、貴族の中でも上の階級よね。
「あら。失礼だなんてとんでもない。お嬢さんに助けていただいたのよ。そのお礼がしたくてお邪魔しましたの。ねぇ、ディランさん」
「は、はは……はい! あ、あの。今度、夕食を一緒にいかがでしょうか」
ほう。夕食、とな。花束渡してきたり食事に誘ってきたり、わたしのこと女として見てるの? その気持ちはありがたいけど、わたしにはジュリアン様がいるから無理なんだなー。
まあでも、上流貴族ならかなり良いものご馳走してくれそうよね。行くだけいってもいいかな。
「ありがとうございます。是非」
あ。美味しいもの食べれるならロッテも一緒に来てもらおうかな。そもそもあの子が気づいたから冤罪だってわかったわけだし。
「あの。友達もご一緒してもいいですか? 転んだことに気づいたの友達なんです」
わたしがそう尋ねると、ダグラス卿はぽかんとする。モーリー夫人はじっとわたしを見据えた後、静かに頷いた。