14.茨邸と薬局
わたし=陽野下耀改めアリソン・ヒューズは、飛竜国の末の王子であるエイデンと共にイバラテイの魔女を探す旅に出た。エイネブルーム国内では散々な目にあったので初めの村で村人と対面する時は緊張したけれど、エイデンと同じアプリコットブラウンの髪とシーエメラルドの瞳を持つアリソンの姿は受け入れてもらうことができた。
平成の日本に生まれたわたしは乗馬の経験がなかった為、エイデンの馬に相乗りさせてもらいエイネブルームの南端の村から首都フラワーリングを目指した。その旅路は数日に及び、その最中にまあ色々と……あった。それもあって、ようやくフラワーリングに着いた頃にはイバラテイの魔女に関する知識をある程度持つようになっていた。
エイネブルーム国内で発生する災厄にはとある魔女が関わっており、その魔女はフラワーリングの東の外れにある邸宅に棲んでいる。その邸宅の門扉は魔法の施された茨に蓋われており、その為「茨邸」と呼ばれている。だから、その魔女は「茨邸の魔女」と呼ばれているのだ。
魔獣族はその種族が司る魔法しか使えないし、魔男も魔女も血の盟約を結んだ相手が司る魔法しか使うことができない。だけど、茨邸の魔女の目撃談を集めるとある時は火の魔法を使っておりある時は水の魔法を使っており……と、茨邸の魔女はこの世の節理から外れた能力を有している。共通しているのは、鴉を思わせる漆黒の髪と鮮血のような真っ赤な瞳をした若い女……少女であるということ。そして、その目撃情報が2000年もの時を経ても続いているということ。
この世界でもっとも長寿の種族は飛竜族で、それでも500年前後が寿命とされている。2000年も生命が続くと言うのは、この世界でも驚異的なことなのだ。ましてや茨邸の魔女は年老いることもない。少女や青年が行方をくらますことは古から度々ある為、茨邸の魔女は処女の生き血を啜り色男の心臓を食らい若さを保っているとされている。
なんだかファンタジーだな、と思う。令和の日本でアラサー女子として生きていたわたしからしてみればこの世界も十分ファンタジーだけど、茨邸の魔女に関する事柄はそのファンタジーの度合いが色濃い。令和の日本で言うところの幽霊とか未確認生物とか……そういったものに近いような。
「茨邸の魔女って本当にいるのかな?」
フラワーリングの南端の入口に辿り着いた時、わたしはそんな疑問を口にしていた。それを耳にしたエイデンが苦笑するのを見て、無意識のうちに疑問を口走っていたことを後悔した。だって……。
「いなければ困ります」
そう。茨邸の魔女だけが使えるとされる「忘却の魔法」とやらに頼りたいわたし達にしてみれば、存在してくれなきゃ困るのだ。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
エイネブルームは常春の国だそうだ。確かに、温暖で穏やかな気候でわたしの肌に合っている。街並みの中には花壇や街路樹が溶け込んでおり、様々な草木や花々が国民の生活を彩っている。そんな明るくてふわふわとした国なのに、“それ”の出入口がある通りに入ると雰囲気がガラッと変わる。
「ここまで来たら、さすがに迷子にはならないでしょうに」
エイデンがクスッと笑いながらそう指摘してきた。わたしは無意識のうちに彼の袖を掴んでいたようで、慌てて手を放す。
「まあ、急に薄暗くなりましたからね。足元には気を付けて」
時刻は昼下がりといったところだろうか。雲一つない快晴で空を見上げると眩しいくらいだったのに、この裏路地に入った途端薄暗くなった。日差しを遮るものなんてないのに、どうしてだろう。訝りながら進むこと数十歩。突き当りに行きつき、わたし達は立ち止まる。
「ここが茨邸、なのね……」
鉄製の門扉は全高10メートルくらいだろうか。真っ黒な茨が張り巡らされている。門扉の隙間から荒野のような庭園と廃墟のような邸宅が見える。何だかおどろおどろしい雰囲気で、その空間だけ温度が低そうな感じがする。
「呼び鈴は……なさそうね」
「来客を歓迎する文化はない、ということでしょう」
「歓迎するも何も、姿見るだけで敵視されてたらそうなっちゃうわよ……」
茨邸の魔女ではないかと疑われ、追い掛け回されたり捕らえられたりした日々を思い出す。世の中の全てが敵なんじゃないかと思えて、怖くて悲しくて堪らなかった。そりゃあ、あんな仕打ちをされれば心を閉ざしてしまうだろう。――でも、こちらから心を開けば受け入れてくれるかもしれない。棘のない部分なら触っても大丈夫かな。わたしは茨へと手を伸ばす。
「アリソン! いけない!」
――っつ。いたた……。エイデンに声を掛けられた時には遅かった。右の手のひらに熱した鉄に触れたかのような痛みが走る。見てみると、茨に触れた部分は焼け爛れたかのようになっている。
「見せなさい」
エイデンは慌てた様子でわたしの右手を取り、まじまじと状態を確認する。その数十秒後、ホッと胸を撫でおろす仕草をする。――うん。ちょっとしたヤケド? だから、後で治療すれば大丈夫だって。だけどわたしのそんな気持ちとは裏腹に、エイデンは眉間に皺を寄せる。
「貴女には魔法の知識がない。迂闊な行動はよしなさい。下手をすれば命を落としますよ」
いやに剣のある言い方だ。普段の柔らかな雰囲気とのギャップのせいかいやに怖い感じがして、わたしは咄嗟に「ごめんなさい」と謝っていた。すると、彼はいつもの優し気な表情に戻る。
その後、エイデンが短剣を使って茨を断ち切ろうとしたり炎の魔法で焼き払おうとしたけれど、まったく効果はなかった。だから諦めて、今日は一旦その場を離れることにした。
茨邸最寄りの宿に宿泊しその後何日も茨邸の門扉の前に来てみるけれど、何も変わらなかった。連日足を運べば茨邸の魔女がわたし達に気づいてくれるかと思ったけれど、招き入れてくれる様子はない。茨邸の門扉がある裏路地にいない時は情報収集をするけれど、噂の域を出ていない話や心霊話のような目撃談といった既存の情報しか聞くことはできなかった。
そんなある日、茨邸の真裏に庭園があることに気づく。日本の学校の中庭くらいの広さだから、きっとこの世界的には小さな庭なんだと思う。一帯には草が生えており、奥にある建物の前には噴水と一組のテーブルと椅子が置かれている。草はきちんと手入れされているようで、雑然とした感じはない。奥にある建物は多分お店なんだと思う。庭園の前にある看板に「Crescent Healer」と記されている。
「クレセント・ヒーラー。医院か薬局といったところですかね」
ぼんやりと看板を見つめるわたしに、エイデンがそう話しかけて来た。何日も経つのにわたしの手の傷は癒えないし、試しに行ってみようということになった。
庭園はわたしの腰くらいの高さの小さな柵に囲まれているけれど、看板の脇は開閉式になっているのでそこから庭園に立ち入る。そこから建物に向かって小道が伸びているので、それに従って進んでいく。快晴の昼下がりだからか陽の気に溢れていて、すぐ裏に茨邸があるようには思えない。同じことを人間以外も感じているのか、庭では数匹の小鳥や蝶々が羽を伸ばしている。――そういれば、茨邸周辺にはこういう小動物いなかったなぁ。
木製の扉は一部ガラス製になっており、そのガラスの向こうに「OPEN」と書かれた札が掛けられている。わたしが扉を開こうとするとエイデンがそれを制してくるので、彼が開けてくれるのを待った。先にエイデンが入店するので、わたしはそれに続いて入店する。
足を踏み入れた瞬間、爽やかな香りが鼻腔を刺激した。苦手な人もいるかもしれないけれど、わたしはとても好きな香りだ。日本にいた頃に嗅いだゼラニウムに似ている気がする。店内にはわたしの身長くらいの高さの棚が複数あり、その中に瓶が並んでいる。そして店の奥にはカウンターのような場所があり、そこに1人の女性の姿が見えた。エイデンがその女性目掛けて進んでいくので、わたしもついていく。
「妹のヤケドが治らなくて、薬を探しているのですが」
薬の調合をしていた女性は手を止めて、こちらに顔を向ける。その容貌は西洋人ではあるけれど凹凸が少なく、どこか地味な印象がある。年齢は30過ぎくらいで――あれ。見覚えがあるような。
「傷の具合、見せていただけますか」
でも、気のせいかな。女性はわたしの顔を見ても何の反応も示さない。わたしは右手に巻いた包帯を解き、未だ爛れている手のひらを女性へと差し出す。すると、女性は目を見開く。
「調合師ともあれば、ただの傷でないことはわかりますか……。治り、ますかね」
「これは……特殊なポーションを使わないと難しいわね」
女性はわたしとエイデンを交互に見た後、それ以上は何も言わずにカウンター奥にある部屋へと消えてしまった。その特殊なポーションとやらを探しに行ってくれたのだろうか。その数拍後、背後の扉が開く気配がする。釣られてそちらを見ると……やたらとスタイルの良い女性がやって来たみたいだ。美人なのかな? ――えっ!? 桜色の髪!?
「おや。来客なんて珍しいね」
まるで桜の妖精のような髪色に豊満なボディ。その特徴的な姿は、一度見たら忘れない。その女性はつかつかとわたし達に近づいてくると、エイデンの顔を覗き込む。
「ましてや知り合いなんて。初めてかも」
「ソル。どうして……」
「そりゃあ、こっちのセリフだよ」
そう。わたしがこの世界に流れ着いた時に追手から助けてくれて、ドラゴン・アイを使って言語能力を引き出してくれた女性。飛竜王の姪であり……たぶんエイデンの従姉であるソルだ。――ということは、あの調合師の女性は助けてくれた時にソルと一緒にいた人かしら。
「この子、飛竜の血は流れてないね」
ソルはわたしをまじまじと見ながらそう言う。――うん? なんでわかるの? もしかして、飛竜国の国民の顔全部覚えてるとか? あ、いや、自分が助けた相手だから覚えてる?
「ってことは、お偉いさんの差し金ってわけじゃなさそうだ」
「そもそも私が、国に従うと思いますか?」
「ちっとも思わないねー。ものすっごい偶然じゃん」
ソルはきゃははっと笑う。そして、「――で、何しに来たの?」と尋ねる。
「茨邸の魔女を探しています」
エイデンがそう答えると、ソルは「ふーん」と言う。
「それで情報収集をしているところ、このお店を見つけましてね。アリソンの怪我が治らないので、ポーションをいただこうと」
ソルは「へー」と相槌を打つ。なんだかチャラいと言うか、やる気がないと言うか。軽薄な印象を受ける。
「ソル。茨邸の魔女について何か知っていれば、教えていただきたいのですが」
「あたしにゃなんともね。――フレイヤ。なんか知ってるー?」
ソルがカウンターの方に向かって声をかける。見ると、奥の部屋に行っていたはずの地味な印象の女性が戻って来ていた。
「どうして茨邸の魔女に会いたいのかしら」
ソルにフレイヤと呼ばれていたその女性は、とても不思議そうに尋ねてきた。
「その名前を知ってるってことは、恐ろしい人物だって知っているのでしょう。こんな愛らしいお嬢さんやソルのお友達を危険な目には遭わせたくないわ」
「困っていることがありまして、力を借りたいのです」
「困っていること、ねぇ。――あ、お嬢さんの怪我のこと?」
惚けているのか本気なのか、フレイヤはそう聞いてきた。エイデンは「違います」と否定はしたけれど、具体的なことは言いたくないのかそれ以上は何も言わなかった。――この女性、何か知っていそうなのに。エイデンは、なんでもっと押せ押せでいかないのだろう。
「わたしとエイデンの大切な人の心が、とても傷ついているんです。それを癒す術を茨邸の魔女は持っているかもしれなくて。それで、飛竜国から会いに来ました」
「癒す術、ねぇ……。そんな力、本当にあるのかしら。巷で流れている茨邸の魔女の噂からはまったく想像ができないけれど」
「癒す術というか、忘却の魔法に頼りたいんです。辛い記憶を忘れることが、きっと救いにつながっていて。確かに怖い噂が流れている人だけど……あくまで噂。わたしは、この目で見るまで信じません」
フレイヤは値踏みするような目でわたしを見てくる。何を思われているのかわからなくて怖かったけれど、わたしはまっすぐに彼女のブラウンの瞳を見つめ返す。人に信じてもらうには、自分が信じることから。わたしはすべてを打ち明けよう。
「わたし、異世界から来たんです。その時は真っ黒な髪と真っ赤な瞳で……お二人にも会っています。覚えてますか?」
フレイヤは冷静な表情のままソルは驚愕の表情でわたしを見ている。飛竜族のソルは言わなくてもわかっていそうだけど、髪と瞳の色が違うのはエイデンと血の盟約を結んで魔女となったからだと伝えた。
「前のわたしは見た目のせいで酷い目に遭いました。もう誰も信じられないと思った時に助けてくれたのがその大切な人で……今度はわたしがその人を助けたい」
「なるほどね」
フレイヤはわたしとエイデンを交互に見た後、ふふっと笑いを浮かべる。
「最近、イーストリンガー通りで通り魔事件が起きているのよ。どうも、それに茨邸の魔女が関わっているみたいで。夜遅くにそこに行けば、会えるかも?」
やっぱり、フレイヤは茨邸の魔女の情報を持っていた。わたしは深々と頭を下げて礼を言う。そして、飛竜王から預かっていたソルのドラゴン・アイをソルに返し、魔法で負ったヤケドに効果があるというポーションを購入して店を後にする。
まだ日が高いものの、わたしとエイデンは一旦宿に戻った。フレイヤから提供された情報の整理をしたいのと、魔法で負ったヤケドに効くというポーションを試したいからだ。ポーションは濃い青色の小瓶に入っており、RPGとかのゲームに登場する回復薬みたい。厨二心が刺激され、早く使ってみたくなる。
しかし、それをエイデンが許してくれなかった。彼はポーションの匂いを嗅いだり中を覗き込んだり……散々観察してから、ようやくわたしにヤケド部分を出すように言ってくる。
「そんな警戒しなくても……。あなたの従姉の知人なんでしょう」
「警戒心がなさすぎるのは貴女の悪いところですよ。世の中善人ばかりじゃない。いや、むしろ悪人の方が多い」
「それはそうかもしれないけど。少なくとも、あの人達は悪い人ではないと思うけどなぁ……」
「いいですか。少し、沁みるかもしれません」
エイデンにそう忠告され、わたしは体に少し力を入れる。エイデンが青い小瓶を傾けると、淡い青色のとろりとした液体が出てきた。その液体が一滴わたしの手のひらに落ちると、その場所に冷たい感触が走る。まるで氷に触れているかのような感覚。それを感じた直後、滴が淡い青色に発光する。
「なるほど。水の魔法ですか」
エイデンが納得したように呟く。その呟きが終わった頃に滴が放つ光も止み、手のひらを見てみると液体は消滅していた。そして、液体の触れていた部分のヤケドが治っている。
「凄い! 一瞬で!」
わたしは興奮のあまり感嘆の声を上げてしまうけれど、エイデンは至って冷静。すぐに残りのポーションを掛けてくれればいいのに、何か考え込んでいるように視線を下げている。
「どうしたの?」
「いや。何でもありませんよ」
エイデンはいつも通りの柔和な笑みを称え、そう答えてる。何となく、フレイヤやソルのことをいまいち信用していないみたいでそれが気になったけれど……すぐに残りのポーションを使ってヤケドを完全に治してくれたので、深くは考えないようにした。




