13.血の盟約
わたし=陽野下耀は、胸の高鳴りに身を震わせていた。眼前にあるエイデンの顔が驚きから呆れに変わったけれど、興奮しすぎていてどうしてなのかわからない。
「少し、離れてくれませんか」
ベッドの上で、わたしはエイデンの胸に顔を埋めて抱き着く形になっている。
「この状況で誰かが来たら、関係を怪しまれますよ」
仰る通りで。顔に熱が帯びるのを感じながら、ベッドから降りてエイデンと距離を取る。
「それで、イバラテイの魔女とやらを探しに行ってどうするんです?」
わたしがこの部屋に入って放った「イバラテイの魔女を探しに行きましょう」という第一声に対する返しだ。わたしは先程偶然耳にした話をエイデンにする。イバラテイの魔女は「忘却の魔法」を使うことができ、それをエレノアに掛けてもらえば男達に襲われた記憶を消すことができるのではないか、と。
エイデンは「うーん」と考え込み、しばし押し黙る。
「そのイバラテイの魔女とやらは、エイネブルームで悪女として恐れられてるんですよね。そんな人が易々と協力してくれますかね」
仰る通りで。おかげで髪と瞳の色が似ているだけのわたしは散々な目に遭いました……。
「それに……。たとえその記憶を消すことができても、そういうことがあったという事実は消えない」
エイデンは怒りと悲しみがない交ぜになったような複雑な顔をしており、拳をぎゅっと握りしめている。きっと、自分のことを責めているんだ。自分が離れで一人暮らしていなければ。エレノアの優しさに甘えたりせず会いに来ないよう突っぱねていれば。そもそも飛竜王の血が流れない自分が生まれてこなければ……もしかしたら、そんなことまで考えているのかも。
でもね、タラレバで自分を責めているのはあなただけじゃないのよ。きっと、彼女の周りの人はみんなそう。わたしだって……。
「ごめんなさい。わたしがお酒飲まなきゃよかったよね」
わたしのその言葉に、エイデンは左右に首を振る。
「それか、わたしがあいつらに襲われてたらよかったかな。ううん。それ以前に脱獄せずに拷問を受け続ければよかったのかも」
「そんなことない! ヒカリはここに来てよかったんです。エレノアは妹ができたみたいで嬉しいって、喜んでました」
「うん。ありがとう。――エイデンもね、同じだよ。エイデンの存在もエレノアの中で光の一つだったんじゃないかな。じゃなきゃ、お姫様が離れに住むあなたに何度も会いに来たりしないよ。だから、自分自身を責めたりしないで」
エイデンの目が潤み始めた。彼はまるでそれを隠すように視線を下げる。頭の回転の速い彼が言葉に詰まっている姿、何だか可愛らしく見える。過去を嘆いていてもしょうがないのを理解してくれたのなら、次は背中を押す言葉をかけよう。
「過去は変えられないのよ。振り返ってタラレバ言ってても仕方ない。だから、未来を変える為に動かなきゃ」
顔を上げたエイデンの瞳がやや明るくなったように見える。良かった。少しはポジティブになってくれたみたい。
「未来を変える為に動くのはいいですが、辛い記憶を消してメリットはありますか。自分の為に私達が危険を冒したとして、エレノアが喜ぶとは思えない」
仰る通りで。エレノアは弟が人を殺すのを厭うような人だ。自分の為に悪評高い魔女の元に行くことも厭うだろう。それに……。
「ライリーと婚約破棄をしたって聞いたわ」
婚約破棄をした今だからこそ、弟であるエイデンや妹替わりのわたしが傍にいて支えるべきだとも思う。でも……きっと彼女の一番はライリーだから。ライリーを取り戻すことこそが、壊れた彼女の心を壊す一番の薬だと思う。
「知ってたんですね」
「ええ。従者が話してるのを偶然聞いてしまって。って、わたしが知った経緯はいいの。エレノアは本当にライリーに嫌気がさしたのかしら。そうは思えないわ。きっと、あの男達にあんな目に遭わされたから……ライリーの妻となる資格がないって思ってるんじゃないかな」
「だから忘却の魔法に頼るべきと思ったわけですね。なるほど……」
エイデンは押し黙ってしばし思考する。その後、わたしにそっと耳打ちをする。彼の口から紡がれた言葉は予想外で、わたしは耳を疑った。
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草木も寝静まる深夜。わたしは寝息を立てているディモスに別れを告げ、客室を後にする。水を求めて彷徨った時よりも一段階暗い廊下を進み、玄関へと辿り着く。既に待機していたエイデンと落ち合い、誰にも気づかれぬよう静かに邸宅を後にする。
メイン通りと思われる場所にも街灯はなく、月や星の自然な明かりが道標となっている。薄暗いせいか立ち並ぶ石造りの建造物が日中に見る時よりも威圧的に見え、気づいたらわたしはエイデンの袖を掴みながら歩いていた。夜なので日差しがない分暑さは和らいではいるが、湿気のせいかムシムシとしていてわたしにはやっぱり飛竜国の気候は合わない。早く抜け出したいという思いからか無意識のうちに足早になっており、エイデンもそれに合わせるように足早に動いてくれた。
東の方角に歩くこと数十分。エイネブルームとの国境の門が見えて来た。そこには4人の門番がいて、わたし達が近づいているのに気づくとコソコソと何か囁き合い始めた。わたし達が門の前に着くと、門番のうちの1人が口を開く。
「殿下。夜分にいかがなされましたか」
「そこを通していただけませんか。エイネブルームに戻りたいのです」
「あのようなことがあったばかりです。お通りいただくわけにはいきません」
「あのようなことがあったから、通りたいんですよ。人間は飛竜に災いを呼びますからね」
それは自身を卑下する言葉なのに、エイデンは穏やかな口調と表情で言う。その姿に圧倒されているのか、門番は何も返せずに目を泳がせる。
「国外への道はフレアヴァルム側にもあります。そもそも、私達が門ではなく抜け道を通る可能性だってある。“ここは通っていない”としらを切り続ければいいでしょう」
そっか。多分、飛竜王にエイデンを通さないように言われているんだ。だからエイデンは「知らないふりをすればいい」と門番達に提案しているのだろう。だけど、門番達は門扉を開こうとしない。言葉では懐柔できないと察したのか、エイデンはカバンから大量の金貨が入った巾着を取り出し、門番へと差し出す。門番はそれを受け取ると、咳ばらいをして2人の門番を動かした。どうやら動いた2人は門扉を開こうとしているのだ。だけど、1人の門番は動かずに両腕を広げて扉への道を塞ごうとする。
「じ、自分はエレノア様にご報告しますぞ!」
道を塞ぐ門番の発言を受けてか、門を開こうとしていた門番達が動きを止める。わたしは正義漢は好きだけど、こういう空気を読まない正義漢は苦手だ。しかしエイデンはこうなることを予想していたのか戸惑う様子を見せず、カバンから向日葵の刺繡が施されたハンカチを取り出す。
「これは、母がエレノアに渡した最後のプレゼントです。とても大切にしているものですから、戻ってきたらさぞや喜ぶでしょうね。――そして、感謝するでしょう。あなたに」
道を塞ぐ門番はそのハンカチをエイデンから受け取ると、「し、しかたない。今夜は何も見なかったことにしよう」と返す。クールを装っているが、口元ににやつきが隠せていない。
こんな感じでやや足止めは食らったものの、エイデンの策略により飛竜国領からエイネブルーム領に移動することができた。エイネブルーム領に移った途端、気温は快適な温度になり汗が引いていくのを感じる。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
今にも頽れそうなエイデン宅から必要な物を一通りかき集めた頃には、東の空がほのかに白み始めていた。移動中も物をかき集めている間もほとんど口を開かなかったエイデンが、ここに来てようやく今後の動向について説明を始めてくれた。
まず、イバラテイの魔女がどこに住んでいるのか情報を仕入れる必要がある。その為、最寄りの村で馬を調達して一気に城下町へ移動する予定とのこと。情報収集だけなら最寄りの村でしてもよかったのだけど、そこには飛竜国の捜索隊がやって来る可能性もある。それらを撒いたり紛れたりする為には、人の多い城下町に入ってしまおうと考えているそうだ。その行程が過酷なのか大したことないのかわからないけれど、この世界の地理に疎いので代替案が出せるわけでもない。わたしはただ、頷くしかできなかった。でも……。
「帽子と眼鏡、どうしよう」
フレアヴァルムに行く時に身に着けていたボンネットは焼け焦げ、色付きの眼鏡は柄の部分が変な方向に曲がってしまっている。この漆黒の髪と真っ赤な瞳を隠すことができない。イバラテイの魔女を探すつもりが、「ここに居るじゃないか」と言われてしまう。
「髪も瞳も隠さずに済む方法がありますよ」
「うん? この世界にも、ヘアカラーやカラコンがあるの?」
それならもっと早くに教えてほしかった。だけど、エイデンはキョトンとした顔をする。どうやら、ヘアカラーの技術もカラコンも無いらしい。
「ヒカリの言っていることはわかりませんが……。私と血の盟約をして、魔女になればいいんです」
人間は魔獣族と契約をすることで魔男や魔女となる。それは以前聞いたことがある。火を操ったり風を操ったりする魔法が使えるようになるだけだと思っていたけれど、そうではないらしい。エイデンの話では、1つだけ仮の姿を手に入れることもできるらしい。
「そっか。仮の姿の髪色や瞳を別の色にすればいいってことね!」
エイデンが頷くのを見て、わたしは「いいわ。魔女になる!」と彼の提案を了承する。だけどエイデンは表情をやや曇らせ、追加の説明をする。
「ただ……人間としての幸せはなくなりますよ」
「どういうこと?」
「子を生めなくなります。将来愛する人ができた時、後悔するかもしれません」
愛する人の子を生み育むこと。それはわたしもかつて夢見たことがある。だけど、前の世界ではアラサーになっても一人身でその後も良い人ができる気配がなかったし! この世界でもそうなるような気がするのよねぇ。
それに、わたしを救ってくれたエイデンやエレノア。この姉弟に恩返しがしたい。人間の子が生めなくなったらいつか後悔するかもしれないけれど、ここで魔女になる決意をしなければもっと近い未来に後悔する気がする。
「子どもが生めなくなってもいいわ。わたしを魔女にして!」
もし、またエイデンが暴走した時に止められるようになりたい。
大切な人の命が脅かされそうになった時、助けられるようになりたい。
そして、自分の身を守る為にも……力が欲しい!
「わかりました。血の盟約をしましょう」
エイデンはかき集めた物が入っている大きな荷物の中から、短刀を取り出した。鞘を外して刃を外気に晒すと、その鋭い先っぽを自身の胸へと突き刺……えぇっ!?
「ちょ、ちょ、何をやって……」
慌てふためくわたしを見るエイデンは苦笑している。青紫に変色し始めた彼の唇から、たらりと鮮血がこぼれる。非常事態なのにエイデンはいやに冷静だし急にわたしの腕を掴みだしたその手の力は強いし、何が起きているのか理解できない。エイデンは自身の胸から短刀を引き抜くと、今度はわたしの手の甲へとその剣先を突き立て……いやぁーーー! い、痛いって!
「我が名はエイデン・ヒューズ。飛竜の血を宿す者。血の盟約により、そなたに力を授ける」
エイデンがそう言い切ると、手の甲の痛みが引いてゆく。そして、手の甲にある傷から真っ赤な閃光が放たれ始める。
「望む、と」
はじめは何を言っているのかわからなかったけれど……どうやら、わたしが望むと答えないといけないらしい。――うん。従っておこう。
「望む」
わたしが応えると、閃光は炎に変わりわたしの全身を包む。この異常事態に思考が真っ白になったものの、熱くないことに気づき不思議と冷静になる。エイデンが何か指示をしている。
「目を閉じて。自分がなりたい仮の姿を思い描いて」
わたしはエイデンの語り掛けに頷き、静かに目を閉じる。この世界でなりたい姿……。年齢も顔立ちも不満はないの。若くて可愛い顔になれて嬉しい。だからこのままで……。髪はエレノアやエイデンと同じアプリコットブラウンがいいな。瞳は……エイデンと同じシーエメラルドがいい。そして、この青白い肌は、エレノアのように血色のいい肌になりたい。
「目を開けていいですよ」
エイデンにそう言われたので、わたしはゆっくりと目を開く。両手を見てみると炎は止んでおり、肌が血色のいいピンクっぽい色に変わっている。「わぁ」と思わず感嘆の声をこぼしていたわたしは、礼を言おうとエイデンの方を見る。すると、エイデンも驚いた顔でわたしを見ていた。
「どうしたの?」
「いえ。なんでも」
エイデンはそう答えると、手鏡を渡してきた。その手鏡に姿を映すと……想像通りの姿に変わっている。アプリコットブラウンの髪とシーエメラルドの瞳という優しい色合いになった為か、肌が血色良くなった為か、前の姿よりもずっと愛らしく見える。
「これならわたし、エイデンの妹のように見えるかしら」
「え?」
「旅の間、わたしはエイデンの妹として過ごしたいの。わたしね、この世界に来てから天涯孤独なのよ。だから、エイデンが家族になってよ」
わたしがそう言うと、エイデンは声をあげて笑う。彼はいつも表情だけで笑うから、その姿はとても珍しい。わたしは目をパチクリとしてしまう。
「本当、貴女はおかしな人だ」
「何よ! わたしが妹じゃ嫌なの?」
「そんなことは言っていないでしょう。よろしくお願いしますね」
エイデンはわたしの頭をポンポンっと優しく叩く。兄は居たことがないからわからないけれど、そうされると本当の兄のような気がしてくすぐったい。
「そうだ。私の妹になるのなら、名前を付けましょう。――ほら、ヒカリだと珍しくて目立ってしまいますし」
「あ、そっか。それもそうよね。どんな名前がいいんだろう?」
「この世界では珍しいですが、ヒカリっていい名前ですよね。その良さを消したくないですね」
エイデンはそう言うと、うーんと何事か考え込み始める。
「エイネブルームによくいる女子の名前だったら、何だっていいのよ」
耀って可愛すぎないし良い名前だと思うけれど、陽の気質が強くって名前負けしちゃうのよね。わたしってインドアだし、どっちかって言うと陰の気質の方が強いと思うし……。
「アリソン」
「アリ、ソン?」
「ええ。アリソンとは、この世界では太陽の意味でもあります。太陽は明るく輝いているし、ヒカリの名残を残しました。――いかがです?」
「可愛い名前だと思うけど……太陽なんて言われると、おこがましい気がしちゃうかな」
「重く考える必要はないですよ。名前ってこうあって欲しいという願いから付けるものです。私からのプレゼントだと思っていただければ」
名前は気質を表すものではなく、こうあって欲しいという願いから付けるもの。そっか。そう考えればおこがましいって気持ちにならない。
「そっか。エイデンからのプレゼントね。――アリソン。いいわね。素敵な名前をありがとう」
こうして血の盟約を受けて魔女となったわたしは、アリソン・ヒューズという名前をもらうことで初めてこの世界の住人になれた気がした。
「あ! そう言えば……怪我、大丈夫なの?」
わたしはエイデンの胸元を凝視した。服は切り裂かれ血で汚れているものの、肌に傷はない。あれ……そう言えば、手の甲の痛みもないし……傷も消えている。
「血の盟約は互いが命を懸けて結ぶものであり、生まれ変わるためのものです。貴女が私の血を受け入れてくれた瞬間、私の傷は癒えました」
その説明ではどういう原理で治ったのか理解できないけれど……どうやら、そういうものらしい。そりゃあ、火や風を操ったり姿を変えたりできる世界だもの。何でもあり、よね。
もしかしたら夢を見ているんじゃないかと思って頬をつねって見たけれど、鈍い痛みが走る。わたしのその動作が理解できないのか、エイデンは怪訝な顔をした後に笑う。――うん。しばらくは、この笑顔と共にこの世界で生きていこう。イバラテイの魔女と出会った後の身の振り方はその時に考えればいいんだ。




