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薔薇に棘はあれど、茨邸の魔女に棘はあらず  作者: 卯野瑛理佳
EP0-1 アリソン
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10.酒はほろ酔い、花は蕾

日本に居た頃、ランチの後はよく眠くなっていた。異世界にやって来てアラサーの体から少女の体に変わった今でもそれは変わりなく、うつらうつらとしてしまう……。ああ……世界が、白くなって……。わっ!うるさ!


急に開ける視界。怒声のした方を見ると、そこにはエイデンの柔和な微笑みがあった。


「今日の予定、忘れてしまったんですか?」


その声音はいつも通り柔和に響く。


「だ、大丈夫。約束は忘れてないから」


「もちろんです。針千本飲むのもいやですが、飲ませるのもいやですからね」


嫌味すらも柔和な声音で言ってくる。やっぱり、エイデンはいつも通り穏やかだ。さっき怒声に起こされた気がしたけれど、気のせいかしら。


わたし=陽野下ひのもと耀ひかりは、本日エイデンと二人でフレアヴァルムに行く約束をしている。目的は、彼の父である飛竜王ひりゅうおうへ誕生日プレゼントを探しに行く為だ。


「エレノアも来ないみたいだし、そろそろ出発しますか」


わたしがエイデンの家に居候してから、エレノアは毎日のように顔を出しに来てくれた。それはどうやら、異世界で男に蹂躙されかけたわたしを慮ってのようだった。そんな中で今日来ていないのは、エイデンが昨日、フレアヴァルムを散策して疲れただろうからゆっくりするようエレノアに提案したからだった。念のため待機をしていたけれど、昼を過ぎても来ない。ということは、今日は来ないだろう。


わたしは伸びをし、夢の国に行きかけた体を叩き起こす。




◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆




雲が多いせいか日差しは昨日より和らいでいるものの、それでもフレアヴァルムの街は暑い。ボンネットの中の頭が蒸れるのが気持ち悪く、脱ぎ捨てたい衝動に駆られる。――けれど、脱ぐわけにはいかないのよね。露店の並ぶ通りには、今日も多くの人が行き交っている。この中に、エイネブルームの人がいるかもしれないもの。


わたしが暑そうにしているからか、エイデンが露店で飲み物を買ってくれた。ガラス瓶に入ったそれはほのかに甘く、さっぱりとした口当たりの炭酸水。日本でいうところのラムネやサイダーに似ている。露店の前で休憩を兼ねてそれを呑んでいると、エイデンがその店の商人に酒を買うにはどうしたらいいか尋ねている。商人が知人の店を紹介してくれたので、その店へと向かうことになった。


露店の並ぶ大通りを北に抜けると、宿泊施設が立ち並ぶエリアに入る。人通りがぐっと減ったもののそれがかえって怖くて、わたしはエイデンの袖の端を摘まむ。だって、こないだみたいに離れたくないもの。


「手、繋ぎますか?」


そう尋ねるエイデンの柔和な微笑みを見ながら、わたしは硬直してしまう。恋人でもない男性と手を繋ぐなんて……それは、ちょっと。彼から視線を離し、左右に首を振る。


「こ、子どもじゃあるまいし……いいわよ」


「今の方が子どもみたいですけどねぇ。いかにも、迷子にならないようにって」


な、なぬっ! 子どもっぽいですって!? わたし、今はあなたより年下な少女の見た目してるけど、中身は年上よ!? たぶん、あなたは20歳前くらい? わたし、アラサーだったんだからね! べ、別に手を繋ぐくらいどうってことないわよ!


そんなことを思ったりしたけど、気恥ずかしくって素直に手を繋ぐ気にはなれない。反射的に彼の袖から手を放していた。


「安心してください。もう、あなたから目を離したりしないから」


そう言う彼に返す言葉が見つからず、わたしは黙々と彼に付いていく。数分進むと、今度は飲み屋が立ち並ぶエリアに入る。どうやらそこにある一番大きなお店が目的の場所らしく、エイデンは看板を確認してその店の扉を開く。わたしもそれに続く。


室内は外観よりも狭く感じた。というのも、壁で販売スペースとバースペースが区切られており、わたし達がいる販売スペースは敷地の十分の一程度の大きさだからだ。広さは10畳くらいだろうか。そのくらいの狭い敷地に客が数組おり、店員らしき3人は接客に追われている。


わたしはエイデンと共に店内を見て回った。比較的安価なお酒は雑多に棚に並べられているが、高価なお酒は銘柄ごとに大理石のテーブルの上に置かれている。また、高価なお酒は試飲ができるらしく、試飲用のお酒が入っている樽も近くにある。文字での情報でしかないけれど、フレヴァルム産のお酒は米やイモを原料とした蒸留酒が有名らしい。――確か、飛竜王はイモの蒸留酒が好きなのよね。


「ねぇ。これなんかいいんじゃない?」


わたしは店内で3番目に高価なお酒を指す。どうしてか問われたので、イモの蒸留酒だし男性人気No.1のお酒らしいから無難な選択ではないか、と答える。それでも「うーん」と悩んでいる様子なので、デザインがカッコいいのもプレゼントに最適だと思う、と付け足す。実際、このお酒のデザインはカッコいい。瓶に巻かれた黒地のラベルには赤色でドラゴンが描かれており、スタイリッシュな印象があるのだ。


だけど、エイデンは首を縦に振らない。店員に聞いてみたい、と答えるのだった。どうも飛竜王は辛口で脂っこい食事に合うお酒が好きらしく、お酒を飲みなれた人の意見が聞きたいようだ。――あら。それなら、わたしもイケる口よ。日本ではワインは一人でボトル空けちゃうし、ハイボールなら10杯以上軽く飲めちゃう。酒豪のヒカリと呼ばれていたんだから!


わたしは試飲用に置かれたガラスのコップを5つ取り、それぞれのコップにイモの蒸留酒を注いでいく。テーブルにその5種類を並べて色味を確認する。濃淡それぞれあれど、どういった色がいいのかいまいちよくわからない……だって、イモのお酒ってあまり飲まないんだもの。ま、まあでも、味はきっとわかるわよね!


「ヒ、ヒカリ!?」


うち1つを試飲した時だった。エイデンが慌てた様子でわたしの名前を呼ぶ。この世界での成人は15歳なので、成人を迎えているか微妙なラインのわたしが飲んでいるので、動揺しているらしい。


「大丈夫よ、大丈夫」


だって、中身はアラサーだもん。おまけに酒豪。2つ目を口に含んでみるけれど……うーーん。1つ目との違いがいまいちわからないなぁ。こっちの方が、ちょっと飲みにくい気が……する? 続いて3つ目を口に含んで、ごくんっと飲み込んだ瞬間だった。視界がぐらり、と揺らぐ。


「あ、あれ……?」


何故か立っていることができず、気づいたらお尻が床に付いていた。ぐるぐると視界が回転している。エイデンや店員らしき男性がわたしの顔を覗き込んでいるのはわかるけれど、どんな表情をしているのかまったくわからない。声を掛けられている気もするけれど、なんて言っているのやら……。


「み、水……」


そう、こういう時は水を飲まな……きゃ……。




◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆




気が付くと、吐き気と猛烈な頭痛に襲われていた。天井の木目をしばらく睨み続けて、一体どこにいるのだろうと思い至る。半身を起こし、薄暗い中目を凝らす。6畳程の室内にはベッドが2台並んでおり、うち1台にエイデンがいる。彼はベッド脇にあるデスクライトを使って読書をしていたようだが、わたしが起きたのに気づいたからかそっと本を閉じた。


「体調はどうですか?」


「気持ち悪い、かな。頭も痛い……」


「それなら無理しないで。横になっていてください」


わたしは彼の言葉に甘え、再び横になった。――ものの寝付くことができず、どうしてこうなっているのかエイデンに尋ねる。どうやらわたしは蒸留酒を3杯飲んだところで気を失い、この状態では帰宅もできないから近場の宿に宿泊することにしたらしい。居たたまれなくなって、謝罪の言葉を口にする。


「元の世界ではお酒、強かったんですか?」


「え?」


「気を失う前、何度も言ってましたよ。わたしは酒豪のヒカリよ! お酒の強さなら、彼にだって負けないんだから! なのに、どうしてー? ってね」


途端に顔が熱くなる。「彼」って、きっとわたしが推していたアイドルの「彼」のことよね。酩酊状態で騒ぐことは日本でもあったからそこまで恥ずかしくないけど、異世界に来てまで「彼」のことを口走っていたのはなんだか恥ずかしい。


「異界からの転移者には、そういうギャップ良くあるみたいですよ。今日は私が近くに居たからいいけど……気を付けてくださいね」


いつもの柔和な笑みで言われる。それがとても気恥ずかしくって、わたしは布団で顔を隠した。いっそ、怒られた方が恥ずかしくないのに……。あれ、でも、そう言えば……。わたしは再び顔を出し、エイデンに問いかける。


「ねえ。お酒、きっと買えてないわよね。明日、お父様の誕生日なのに……」


「大丈夫です。明日、開店と同時に店に行けば間に合うでしょう」


「それならいいけど……エレノアはいつも通りの時間に来るわよね。わたし達いなかったら驚くんじゃ」


「念のため置手紙をしてますから、問題ないでしょう」


言われてみれば、出掛ける前にキッチンのテーブルの上に何かを置いていたような気がする。わたしは言い知れぬ不安に襲われてはいたものの、きっと大丈夫だと言い聞かせてそっと目を閉じた。




◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆




朝が訪れても二日酔いは抜けない。胸焼けが酷く、宿が用意してくれた朝食もスープしか口にできなかった。できればまだベッドで横になりたかったけれど、これ以上エイデンに迷惑をかけるわけにはいかない。フレアヴァルムの朝市で購入した水をいつも以上に頻繁に補給しながら、エイネブルーム領域となる草原を進む。この領域に入ってから温度がぐっと下がり、心なしか二日酔いも楽になった。


結局エイデンが飛竜王へのプレゼントとして購入したのは、わたしが提案した店内人気No.1の蒸留酒だった。黒のボトルに張られているラベルは同色で、そこには赤で竜が描かれている。その銘柄の名前は、「炎竜・飛翔」。火を司る種族である飛竜族ひりゅうぞくの王へのプレゼントとして、何より適していると思う。そのボトルが入った木箱を抱える彼の横顔も、どことなく満足そうに見える。


行きは小休憩を挟まなかったものの、帰りは何度か木陰で休んだりしながら進んでいた。互いに言葉にはしなかったものの二日酔いが抜けていないことはエイデンに伝わっているようで、わたしの体調を慮ってくれているようだった。そうこうして小一時間程歩き、見慣れたエイデンの家が見えてくる。エレノアがいつも乗車してくる馬車があるのも見える。


わたしはエイデンに、王の誕生日を祝う宴がどんなものなのか尋ねた。実はエレノアやライリーにはわたしも来るように誘われていて、秘かに楽しみにしているのだ。エイデンの話では、参加者が共に飲食したり余興ををしたりするらしい。何だか普通だなー。


どうやら幼い頃のエイデンは王の誕生日を祝う宴にも普通に参加していたらしく、面白かった余興について語り始めた。――けれど、口数が途端に減ってしまう。あれ。空気が、おかしい?


突然エイデンが自宅の方へと走り出す。釣られてわたしも駆け出しそうになったけれど、事態がいまいち飲み込めず速度を緩める。歩きながらエイデンの様子を見守っていると、彼は庭園の近くで立ち止まってしゃがみ込み、何かを抱えて……え、人? 堪らずわたしも走り出す。


揺れる視界の中で、エイデンが抱えているのがエレノアの従者であるフォボスかディモスであることに気づいた。すぐ近くには、その片割れが突っ伏して倒れている。わたしはエイデンの傍らに辿り着いて、抱えている従者が大剣を下げているのでディモスの方であることに気づいた。よく見るとディモスは服が切り裂かれており、胸やら下腹部が丸出しの状態だ。そんな中で激しく呼吸をしながら、エイデンに何事か訴えかけている。


「エレノアは、中、なんだな!?」


ディモスが頷くのを確認すると、エイデンはそっとディモスを横たえた。――えっ!? い、一体、何が起きているの!? よく見ると庭園はめちゃくちゃに荒らされているし……家の扉や窓も壊されている。


わたしが戸惑っている間もエイデンは冷静で、ディモスの手当をしていた。止血に使ったのか、着用している服の袖の部分が破れて無くなっている。エイデンは上着を脱ぎ、ディモスの剥き出しの体を隠すように掛ける。そしてわたしに向き直り、手をガッチリと掴む。――そんなに強く掴んだら痛いよ。


「絶対、私から離れるな」


彼は珍しく声を荒げながら、厳しい口調でそう言う。普段とのギャップに驚いて、わたしはただ頷くしかできなかった。歩き始めた彼に釣られて歩き出しながら、フォボスの方を見る。服の切り裂かれた彼女は血だまりの中に倒れており、呼吸は止まって――ひぇ。死……。


視界が急に塞がれた。


「見ない方がいい」


どうやらエイデンがわたしの目元を隠してくれたらしい。それでもフォボスの惨たらしい姿が残像であり、血の気が引く感じは消えずにいる。彼が待つように言うので何もない地面を見ながら待っていると、戻って来た彼はタンクトップ姿になっていた。着ていたシャツはフォボスの遺体に掛けられている。


再びエイデンに腕を掴まれたわたしは、彼と一緒にエイデン宅へと足を踏み入れる。整然としていた玄関や廊下は荒れており、カーペットが破れたり物が倒れたりしている。元々物が少なかったので足の踏み場がない程にはなっていないけれど、よくない状態だ。


何かが寝室側の扉から飛び出してきた。刹那、床が割れて地面が勢いよく隆起する。そのせいで気づくと雲がすぐ目の前に飛び込んできて……屋根の壊れたエイデン宅が、遥か下の方に見える。隆起した土が消えたせいで足元が宙に浮かび、体が下へと落ちていく感覚。――ど、どどどどど、どうしよう。このままじゃわたし……。


ぎゅっと目をつぶって死を覚悟したけれど、想像していた衝撃は訪れなかった。代わりに服が上に引っ張られていて、吊るされている感覚があった。恐る恐る目を開くと、未就学児くらいの大きさの竜が蝙蝠のような翼をはためかせながら飛んでいた。口でわたしの服を掴んでいる。


「エイデン、よね?」


どうやらエイデンがわたしを助けてくれたらしい。小さな竜はわたしを優しく地面へと降ろしてくれる。彼の手助けに安堵したのも束の間。小さな竜に押されてわたしの体は後方へと投げ出される。頬のすぐ脇を何か鋭い刃のようなものが掠めた。その衝撃のせいか、あご紐で止めていたボンネットが脱げる。


「なんだ。あんたかい」


それは女性の声だった。聞き覚えがあるようなその声は、刃のようなものが飛んでいった方向からしてくる。思わずそちらを見ると、数メートル先にいる鬣のないライオンと目が合う。大きさは成人男性くらいなのでそこまでではないものの、その眼光の鋭さやライオンという生き物の性質を知っているから……体が震え上がる。


わたしの横の方からライオンに向かって火球が飛んでいく。ライオンはそれを華麗なステップで交わす。


「さっきはごめんよ。でも、あたしにはもう敵意はないんでね。攻撃は止めてくれないかい」


再び女性の声。どうやら、あのライオンが発しているらしい。そして先程火球を放ったのは小さな竜の姿をしているエイデンらしく、わたしの隣で飛翔している。


「もう敵意はないってどういうことだ? 仲間をこんな目に合わされて、大人しくしていると思ったか?」


「そのお嬢ちゃん……ヒカリにはね、借りがあるんだよ。かなり儲けさせてもらったからね」


わたしにライオンの知り合いなんていない。だから訳が分からず、「どういうこと?」と尋ねる。するとライオンは前脚を数度独特のステップで踏み鳴らし、砂埃を発生させる。砂埃が止むと、そこには30前後の人間の女性の姿があった。


「マ、マチルダ、さん……」


思わず、彼女の名前を口にしていた。彼女とはエイネブルームの牢に幽閉され、共に脱獄してきた。そして、彼女がわたしを男達に売ったから襲われかけて……さぁっと顔が青ざめていくのを感じる。


「彼女はあんたのこと怖がってるみたいだが」


「それでもね、その子にもそこで倒れてるお嬢さん達にも何もしてないよ。金目の物さえいただけりゃいい」


彼女が背負うバッグの隙間からは、金貨が見える。パンパンに膨らんでいるから、大量に金貨やら何やらが詰め込まれているらしい。


「残りのお嬢さんは寝室にいるよ。あいつらが好き放題してるから、早く行った方がいいんじゃないかい?」


「な、なにを言って! そうやってエレノアを利用して逃げる気じゃ!」


小さな竜――エイデンが動揺しているのがわかる。今すぐにでもエレノアの無事を確かめたいけれど、マチルダを逃がすわけにはいかないと思っているのだろう。わたしも出来ればマチルダのことは逃がしたくないけれど、彼女に従った方が良い気がする。だって。


「きっと本当よ。だって、わたしを襲った男達は彼女の知り合いで……やり方も似て……」


太った男の脂ぎった顔が過って、それ以上声が出せなかった。パチンっと何かを弾くような音がした直後、小さな竜は全身に火をまとう。それが止むと、竜がいた場所に人間姿のエイデンが立っている。エイデンはわたしの腕を掴むと、再びエイデン宅の方へ駆け出す。どうやら彼は、わたしの言葉ですべてを察してくれたらしい。


ああ。どうか、エレノアは無事でいて。彼女の陽だまりのような笑顔を思い出しながら、わたしはただただ祈りながら寝室へと急ぐ。




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