11.逆鱗
わたし=陽野下耀は、緊張と恐怖に打ち震えている。扉が壊れて開け放されたその先……エイデンの寝室で、一体何が起きているのか。あと数歩でわかることになる。マチルダの話によるとエレノアがその先にいるらしいけれど……あの太った男達にどんな目に遭わされているのだろう。もう、絶望的な展開しか想像できない。
わたしの手を引くエイデンが、寝室に続く入り口をくぐる。それに続くわたし。目に飛び込んできたのは、ベッドの上で何かに馬乗りになっている太った男の後ろ姿だった。その後ろには筋肉質で全身にタトゥーの入った男がおり、太った男の様子を観察している。その光景だけで、一体何が起こっているのか察してしまった。足から力が抜けて、その場に崩れ落ちてしまう。
崩れ落ちた反動で、エイデンに掴まれていた腕がするりと抜ける。エイデンはそれに気づいていないのかわたしのことは一瞥もせず、ベッドの方を見たまま固まっている。顔の表情は見えないものの、その背中には絶望の二文字が張り付いているように見える。
「エ、エレ……」
僅かにこぼれたエイデンの声が震えている。二人組の男がわたし達の存在に気づき、ニタニタといやらしい表情を見せてくる。太った男がベッドから離れると、そこには裸体で横たわるエレノアの姿が見えた。呆然と天井を見上げているその瞳は絶望の色に染まっており、生気があるのかないのかここからではわからない……。
「初物か? なぶって失神させるまで嫌に抵抗してきてよ、大変だったんだぜ」
太った男がせせら笑いながら言った。タトゥー男も同じようにせせら笑いながら口を開く。
「かなりのご馳走だったぜ。まだ食い足りない気がするが」
「続きは邪魔者を排除してから、だな」
男達は腰に提げた鞘から剣を抜く。それは、エイネブルームの牢から脱獄した時に盗んできたものだ。――ああ、あの時脱獄しなければ、こんなことにはならなかったのに……。って、今はそんなこと考えている場合じゃない! ど、どうすれば……抗おうにも助けを呼ぼうにも足が震えて立つことすらできない。
「貴様らあああああああああ!」
突如室内に鳴り響く怒号。その重低音は初めて聞くはずなのに、どこか聞き覚えのある響きがある。
「骨一つ、残さん!!」
それは、わたしのすぐ前から聞こえてくる。――そう、エイデンが発しているものだ。彼は構えて男達から距離を取りながら、何事かぶつぶつと唱えている。タトゥー男が走って来てエイデンとの距離を一気に縮め、剣を振り下ろす。エイデンはそれをかわしながら詠唱を続ける。いつの間にか彼の体を真っ赤な炎が囲んでいた。
ぶるっと寒気がする。視線を感じた方を見ると、太った男と目が合う。奴は舌なめずりしながらこちらに来ようと……ひぇえ~。な、何か……。ポケットには飛竜王に預けられたドラゴン・アイがあるけど、飛竜族の宝石をわたしが持っていても役に立たない。わたしは近場に倒れている木製の椅子を拾い、盾かわりにして構える。太った男がにじり寄って来るけれど、わたしもそれに合わせて後方へと移動する。――あーん。どうすればいいのよぉ。
突然、世界が揺れる。気づいたら視界には天井がにあって……あ、後ろにあった何かに引っかかって転んだんだ。お尻や背中に鈍い痛みが走っている。持っていた椅子の角が腹部にぶつかっていてそれも痛い。滲む視界に、太った男の脂ぎった顔が入ってくる。――あ、あ、あ……。
わたしが必死に掴んでいた椅子は太った男に奪い取られ、気づいた瞬間には宙を舞っている。男は剣の先っぽをわたしの胸元にくっつける。――体に刺さってはない。それは、わかる。きっと、これから服を切り裂くんだ……。地面に横たわる衣類が引き裂かれたフォボスやディモスの姿が思い浮かぶ。
だけど、繊維を切り裂く音は聞こえてこない。代わりに太った男の絶叫が聞こえてくる。よく見ると、男の衣類が燃えている。男は室内を走り回ると、竜巻の中に姿を消す。太った男の姿を探して室内を見て回ると、小さなドラゴンに姿を変えたエイデンが空を旋回しタトゥーの男は土壁を盾のようにして立っていた。
「ヒカリ!」
不意に名を呼ばれた。声がした方を見ると、そこにはこちらを見ているエレノアの姿があった。彼女は羽の飛び出た布団で体を隠しながら、手招きをしている。きっと、わたしを呼んでいるんだ。
わたしは竜巻やタトゥー男を避けながら、エレノアのいるベッドに向かって全力疾走した。竜巻が足元を掠めて転びそうになったけれど、なんとか持ちこたえてエレノアの元に辿り着く。ベッドに飛び乗って、エレノアの両手を自身の両手で包み込む。――氷のように冷たいその手は切り傷のせいかごわごわとしているし、震えている。顔の表情も乏しくて……陽だまりのような笑顔をする彼女の面影がない。何かこみ上げてきそうになったけれど、ぎゅっと耐えた。
ドゴン! という破裂音がする。振り返ると、馬のような動物の下半身が壁から生えているのが見える。――いや、上半身が埋まっているからそう見えるのだろうか。きっと、その動物が壁に突っ込んでいったんだ。そのすぐ脇を小さなドラゴンが飛んでいる。そのドラゴンを叩き落とそうとするようにタトゥー男が剣を振るっているけれど、ドラゴンはそれをかわして火球をタトゥー男へと投げつける。火球は見事タトゥー男の右腕に当たり、男は剣を落とす。
「ソルのドラゴン・アイ、貸して」
エレノアがそう懇願してくる。その突然のお願いの意味がわからず動けずにいると、彼女の眉間に深い皺が寄る。
「今の彼は、何をするか……だから、ねぇお願い!」
その勢いに気おされて、わたしは慌ててスカートのポケットに手を突っ込んだ。丸い石のつるつるな手触りとチェーンのざらざらの手触りを確認してそれを取り出す。エレノアに渡そうと手を動かした時、するりと石が手のひらからこぼれた。ドラゴン・アイのネックレスは、そのままベッドの隙間から床に落ちていく。
「ご、ごめんなさっ」
謝罪の言葉等どうでもいいと言うように、エレノアはわたしを一瞥もせずにベッドの隙間に手を入れる。わたしはベッドを動かすために一度ベッドから降りるものの、案の定少女の力ではびくりともしなかった。
耳をつんざくような男の悲鳴と破壊音が聞こえてきたので、振り返る。見ると、タトゥー男は炎の渦のようなものに飲み込まれており、その傍らで小さなドラゴンと額に角の生えた馬……ユニコーン? が対峙している。ベッドの対角にある壁は破壊されており、廊下が見えている。
「やっぱり、あん時邪魔してきたんはお前だったんだな」
ユニコーンがそう言った。その声は野太く、太った男の声によく似ている。そう言えば、ユニコーンの体も肥えているような?
「デカいドラゴンにビビっちまったが……そん正体は半獣とはな。よく見とくべきだった」
小さなドラゴンが火の矢を放ち、次いで言葉も投げかける。
「半獣と思って見くびっていると、痛い目に遭うぞ」
ユニコーンは前脚を蹴って竜巻を起こし、その矢を吹き消す。
「ヘッ。魔獣族でも人間でもない穢れた血がっ!」
ユニコーンが再び前脚を大きく振り上げて降ろすと、火の矢を消した竜巻が小さなドラゴンへと迫っていく。ドラゴンはそれを避けようとするものの、飲み込まれてしまう。それと連動するようにタトゥー男を閉じ込めていた炎の渦が止む。タトゥー男の体からはチリチリとした黒煙が上がっているものの、意識はあるらしくしっかりとした足取りで先程取り落とした剣を拾い上げる。――うげっ。これはヤバい。
わたしはベッドに戻り、床へと手を伸ばしているエレノアの腕を掴む。ちょうどドラゴン・アイを拾えたところのようで、エレノアは顔を上げる。エレノアは初めこそ不思議そうな顔をしていたけれど、瞬時でわたし達の置かれた状況を察したようでさぁっと真っ青になる。
恐る恐る振り返る。先程ドラゴン姿のエイデンを飲み込んだのとは別の竜巻が発生しており、それが止むと太った男が出て来る。太った男は何か企んでいるかのような顔をしており、同じく企み顔をしたタトゥー男と一緒にわたし達の方ににじり寄って来る。
わたしとエレノアは反射的に体を抱き寄せ合う。どちらともなくふるふると体が震えているのがわかる。エレノアが何か唱えているのが聞こえてくるけれど、何を言っているのかさっぱりわからない。多分、火の魔法を使おうとしているんだろうけど……間に合うのかな……。男達があと2,3歩という距離まで詰め寄って来る。
太った男の伸ばした手が、わたしの手を掴み掛ける……けど、熱風を感じたと共にその太ましい手が遠のいていく。よく見ると、全長5メートルはあると思われる巨大な炎がドラゴンの形を成しており、太った男とタトゥー男を抱擁していた。炎のドラゴンはずるずると2人の男を引きずり、わたし達から引き離していく。男達は熱いとか痛いとか金切り声を上げている。
もしかして、エレノア? だけど、エレノアはまだ何事か唱えたままだ。よく見ると、炎のドラゴンの向こう側に小さなドラゴンが居るのが見える。――エイデン、竜巻に飲まれたかと思ったけど、無事だったんだ! って、エイデンがこの炎のドラゴンを作り出したってこと? メラメラと燃える炎は数メートル離れているわたしにも灼熱の熱風を運んでくる。抱擁されている太った男達はどれだけ熱いのだろう。考えただけで身が震える。
「いっそ、殺してくれええ」
どちらかの男がそう叫んでいるのが聞こえる。その阿鼻叫喚がおかしいのか、エイデンが急に高笑いを始めた。
「そう簡単に死ねると思うな。地獄以上の痛みを味合わせてやろう」
エイデンの声は、凍土のように冷たく響く。「逆鱗に触れる」という言葉があるけれど、西洋風のドラゴンにも逆鱗はあるのだろうか。そう感じさせる程の計り知れない怒りを、その声音から感じる。――ああ、ダメダメ。確かにこの人達は最低な野蛮人で許されないことをしたけれど、もうこれ以上苦しめるのは可哀想。
「もうやめてえええ!」
わたしはそう叫んでいた。だって、これ以上男達のことをいたぶったら、エイデンの心が壊れてしまいそうで……。だけど、炎のドラゴンは変わらず男達を焼いている。
「ねぇ! これ以上その人達を苦しめても、誰も救われないわよ! 苦しめてるエイデンも辛いでしょう! エレノアだって、弟がこんなことしたら辛いよ!」
喉が焼き付くように痛い。でもそれは、火に焼かれているからじゃない。大声を張り上げているからだ。――だけど、どんなに叫んでもエイデンの耳には届かないみたいで何も変わらない。
「わたしね、エイデンの笑顔が好きなの! その笑顔に救われたんだって、前話したでしょ! 優しいエイデンに戻ってよ!!」
一瞬、炎のドラゴンが揺らいだ。その直後にエレノアが何事か叫ぶと、彼女が手にしているドラゴン・アイが真っ赤な閃光を放つ。その閃光は太った男とタトゥー男へと伸びていき、二人の体を包み込む。そして、二人の姿が消失する。
「よかった。間に合った」
エレノアは肩でぜえぜえと息をしながらそう言った。わたしが彼女の方を見ると、彼女は力なく笑う。
「異界に転移させたのよ。良かった……エイデンが誰かを殺さずに済んで……」
エレノアはそう言い切ると、ふっと気を失って倒れ込んだ。わたしが慌てて彼女の状態を確認すると……大丈夫。呼吸はしている。
熱風が消えたのを感じて炎のドラゴンがいた方を見ると、ドラゴンは姿を消していた。壁や調度品が煤けたり破壊されたりしている室内がよく見渡せる。部屋の端には、人間の姿に戻ったエイデンが膝を抱えて座り込んでいるのが見えた。嗚咽が聞こえる。
もう、泣いてる場合じゃないでしょ! エレノアやディモスの手当をする為に誰かを呼びに行かなくちゃ……。いや、彼女達を馬車に乗せて運んだ方が早い? わたしはエイデンの背中を押すため、ベッドから降り立った。――いっつ……。わぁ、いつの間にか痛めていたのか右の足首が痛い。捻挫でもした? その足を引きずりながら、エイデンの居る方へと進んでいく。
――ん? なんか、騒々しい? 外の方……玄関の方? から、人の声が聞こえてくる。それはエイデンやエレノアの名を呼んでおり……聞き覚えがあるような?
すると、同じく声に気づいたらしきエイデンが真っ青な顔をして玄関の方へと足を踏み出す。その玄関の方からライリーの姿が見えてくる。
「だ、大丈夫だ! 私もエレノアも無事だ!」
エイデンはそう必死に叫ぶ。言葉とは正反対な尋常でない声が室内に響き渡る。――なんで、エイデンはそんなに必死に無事だなんて言うの? ライリーはエレノアの婚約者なんだし、彼に助けを求めれば……あ、いや違う。婚約者だからだ。他の男に蹂躙された姿を、婚約者だから見せたくはないのだ。
わたしはもうどうにもできなくて、その場へとしゃがみ込んだ。




